掃除と釣り
「ふうっ……」
手の甲で、顎を拭った。
きらっという効果音を意識するも汗は――飛び散らない。
三角帽子を被っていたら魔法使い的な、何となく気分の問題だ。
まあ、髪も顔も汚れているのであながち無意味というわけでもなかった。
汚れを延ばして悪化させたという意味でだが。
立ち上がり、少し離れたところにあるノルデンの街を見下ろす。
川の上流から下流まで、しっかりとその様子が見える。
海の方を向けば、遠くで漁をしている船。
港町というだけあって魚介類が豊富で、刺身すら食べられる。
しかも、新鮮イコール極上を地でいくうまさ。
望郷の念を癒してくれる食生活に、ずっとこの街にいてもいいんじゃ、と思ってしまうほどだ。
装備を充実させてから3日が経っていた。
リーンと2人、パーティー<シエスタ>としてFランクの依頼を堅実にこなし、揃ってEランクに昇格。
そして今日、受けたEランクの依頼は『灯台の掃除と補修』だった。
ナァ、ナァ、ナァ。
頭上で海鳥たちが鳴いている。
たまにフンが飛んでくる。せっかくキレイキレイしたのに汚さないでほしい。
せめて俺が降りるくらいまでは我慢しろと言いたかった。
Eランクの依頼にしては報酬額がちょこっと高めだった理由。
受付に『本当にこれでいいんですか?』と尋ねられた――ちなみに俺の答えは『大丈夫だ、問題ない』――そのワケ。
俺にとって掃除というのは、建物の中でするものだという固定概念が存在していた。
なんたる無知。なんたる思い込み。なんたるおまぬけさん。
リーンは気づいていたようだが、自分が依頼内容を行うに難はないとして放置した模様。
加えて、現場で依頼の詳細を聞いた俺の反応で愉しもうとした節がある。
さて、灯台というのは海に突き出た岬に建っていることが多いわけだが、そういう場所に好んで住んでいるものがいたりする。
海鳥たちだ。それも千――いや、万単位の数で。
起こるのは糞害というヤツである。
そう。掃除と補修の対象は灯台の内部ではなく、外部。
毎年引き受け手がなかなか見つからなくてねーというような話を聞かされながら、役場関係者に命綱を渡されて。
壁をきれいに磨いてください、できれば屋根も、と――それが今回の依頼内容だった。
高さ15メートルくらいの灯台の外壁はほぼ垂直。
光を灯す最上階の部屋からロープでぶら下がっての作業が要求されるのは明らかだった。
しかし、魔法が使える実力者にとっては実に容易い作業であることをリーンが証明した。
受けた依頼の仕事量はリーンと折半している。
今回で言うなら、灯台という円柱を半分に割って――それぞれを担当する感じだ。
上からやるしかないよなー、と俺が考えているところでリーンが仕事を始めた。
魔法で高圧洗浄機のような水の奔流を作り出して、担当部分をあっさりときれいにしてしまったのだ。
呆然とする俺をよそにリーンは釣り竿を用意した。
「お昼ご飯は期待してください」
と釣る気満々だったが、ボウズを期待したのは言うまでもない。
俺も仕事に取りかかり――疲れない特性のおかげで、不自然で不慣れな体勢の作業をノンストップで続け、昼過ぎにはクリアできた。
俺が半日かけて必死こいて磨いた壁より、リーンが魔法を使い1分とかからず掃除した壁面の方が数段きれいだというのがやるせなかったけど。
そしてリーンが釣った魚を焼いて食べた後、やけくそで屋根に登って掃除し、今に至る――。
「船はさすがに木造か……」
港はかなりの広さだが、船は10メートル程度のものしかない。
大きくても20メートルほどだろうか。
それら全てに帆が張られているので、動力は主に風だと思われる。
特異な点と言えば、船の突端部にある見張り台のようなもの――たぶん、魔法をそこで使うためだ。
魔法で帆に風を当てれば、帆船なのに無風でも動かせるはず。やっぱり魔法超便利。
「アカシ様の世界には、木製ではない船もあるのですか?」
リーンも屋根に上がってきた。俺みたいに無様に這い上がるのではなく飛んで、だが。
「……どんな悪魔耳してんだよ」
「悪魔耳? どういう意味ですか?」
「今日は豪華客船と悪魔男について書くかな。それまでお預けだ、勝手に想像しておくがいいっ」
「なっ! それはひどいです、横暴ですっ」
「ふ、楽しみはとっておくもんだ」
「……ぅ~……」
ぐぬぬ、という様相だ。
「だいたい、俺は一般人なんだからな? 何でもかんでも喋ってたらすぐネタ切れするぞ?」
そりゃ細かく見れば、色々と書けることはある。
しかし、例えば自動車の例を取ってみても、だ。
普通車小型車、バス、トラック。そういった種別とデザイン、スピード。燃料。
専門知識が皆無の俺は、そのくらい書いたらもう何も書けることがないのだ。
エンジンの原理? 理科で多少習いはしたが、知るかってなもんだ。
テレビやパソコン、携帯とか馴染みのある電子機器は、あんなモンただの魔法の箱としか説明しようがない。
つまり俺も元の世界では魔法を使ってきたことになる。……ならない?
「それはそうなのですが……あぁ、世界を一瞬で夜にする魔法があれば……」
「星半回転させるつもりか……!? だいたい、今すぐ夜になってもまだ白紙だぞっ」
「……不便な対価を要求してしまった気がします。話のネタがそちらに回るのは不本意すぎです」
リーンががっくりと肩を落とした。
そんなに落ち込まなくてもいいと思うのだが……。
「まずは地上の刺激をしっかり満喫しろよな」
「もちろんです。もちろんですが――……やはり未知の知識の方に興味を惹かれてしまうのです」
リーンは実体験がないだけでこの世界について相当に詳しいようだから、仕方のない話かもしれない。
もしも前の世界に住んでいたころの俺の前にリーンが来ていたら、俺だって異世界への興味が自分の世界への興味を上回ったに違いないのだから。
「……ま、ケータイもゲーム機もないし、基本的に夜はヒマだから――」
「それらはどのようなものなのですか?」
「だから、いちいち反応する――」
目を輝かせて詰め寄ってくるリーンに、俺は思わず一歩下がる。
「なっ……?」
この灯台の屋根にはそこそこの角度が設けられている。
予想と異なる斜めな角度で着地した右足は、俺のバランスを崩すに十分だった。
「あ――アカシ様っ」
オーバーヘッドキック的な体勢で屋根からはみ出した俺に、リーンが手を伸ばしてくる。
でも彼女の手が届いたのは俺の左足首で。
「ごぶんっ!!」
結果、振り子の要領で俺は後頭部を灯台の外壁に打ちつけてしまった。
がーん、がーんと歪んだ視界が回転する中で、リーンの声が聞こえてくる。
「壁に傷はついていませんね。よかったです」
ああ、俺の頭部が外壁より柔らかかったのは不幸中の幸いだろう。……頭が割れなくてよかった。
「つーか……そもそも……魔法で助けて、くれれば……よかったんじゃ、ないのか……?」
バンジーが如くぶらんぶらんしながら聞いてみる。
「魔法に頼りすぎてはいけませんよ、アカシ様。冒険者ならば身一つで全ての困難をですね――?」
魔法の操作に重要なのはイメージ力である……というようなことが、冒険者の薦めに書いてあった。
要するにそれが別の物で埋まっていたから使えなかったということらしい。そんなんで大丈夫なのか。
* * *
翌日、俺は朝イチで冒険者ギルドへとやってきた。
リーンはというと、俺が夜なべして書いた異世界レポートを宿で読んでいるところだ。
サービスで図解も入れたので、色々と想像していることだろう。
「今日は……と」
後頭部を撫でながら依頼を物色していく。
後頭部の痛みとこぶは1分と経たず消えたが、なんとなく違和感が残っている。
脳と記憶が生み出す架空の痛み――たぶん幻痛のようなものだろう。慢性硬膜下出血とかじゃないよな?
「――これにするか」
にやっと邪な笑みが漏れる。
『荷下ろし&運搬』――荷物運び系。筋力が必要な依頼だ。
今日が募集期限。仕事日なのでちょうどいい。
受付へ持っていって、手続きと同時にちょっと気になることを聞く。
「この依頼なんですが、『2人まで』って条件はどういうことですか?」
ソロで活動している冒険者は珍しく、冒険者は基本的にはパーティーを作って活動している。
だから、依頼もパーティー単位であることが普通だ。
その際に『~人以上』という条件はよく見るが、『~人以下』という条件はほとんどない。
依頼人としては、支払うべき報酬が同じであれば人数が多い方がいいに決まっている。烏合の衆では困るし、想定した以上の人数が来ても不都合はあるだろうが。
「当初の募集人員が5~7名で、5名が埋まったので残り2名までということです」
「じゃ、他のパーティーと合同で、ってことですか?」
「そうなりますね。どうしますか?」
「うーん……」
俺自身は温厚だ。たぶん。きっと。
俺が本気で怒るのは眠りを妨げられたときくらいで、今それは絶対に起こりえない。
他のパーティーと組んでの仕事で、問題が起こるとすれば俺以外の場所。
リーンと相手パーティー。特に高確率なのはパーティー全員が男だった場合。
……ま、Eランクパーティーなら大丈夫か。
FとEランクの依頼は、新人保護と育成・教育のためにDランク以上の冒険者は受けられない仕様となっている。
リーンの感電魔法で威圧できないような使い手はまだいないはずだ。
それに、リーンのおかげというかリーンのせいというかで他の冒険者との関わりがまだゼロなのだ。
そろそろ他の冒険者と話してみたい、ということもある。
「受けます」
……血でも流して下されば、<自動回帰>が見られたのに。残念です。




