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7.リューゲンの丘


 カイザーが東部の白薔薇砦に着任して二日目のすでに朝陽が高く昇った頃。カイザーとエリシアナは家紋の入っていない、簡素で小さな馬車に揺られていた。

 カイザーに命じられた護衛の具体的な内容は主に二つあり、一つは砦の外から来る招かれざる客の迅速な捕獲又は排除。そしてもう一つが毎朝の墓参りへの同行だった。今は後者だった。


 三ヶ月前に逝去したガリオン・カーズとその愛妻ソニアは、砦から馬車で三十分ほどの小高い【リューゲンの丘】の上に埋葬されていた。

 ガリオンが健在の時は彼と共に墓参していたそうだが、彼の死後、初めてリューゲンの丘へ向かった道中でエリシアナは刺客の襲撃を受けた。その際、彼女を庇って使用人の護衛が負傷して以降、エリシアナは砦の外に出ることを一切やめていたのだという。


 斜向かいに座るエリシアナをカイザーはじっと見つめていた。

 時が止まったかと思うほど魅入ってしまったあの美しさは今日も健在だが、白薔薇を手入れしていた時の柔らかな白薔薇の女神のような雰囲気はない。口元を固く引き締め、難しい顔で手元の書類の束をめくる様子は、全身でカイザーを警戒しているのがありありとわかった。


「……なに?」


 あまりにも見つめ過ぎたのか、エリシアナは目線を書類に落としたまま、刺々しく問うてきた。さて、どうしてやろうか。


「いや、別に。そんな格好で暑くないのかと思って」


 今は秋とはいえまだ夏の暑さが残っているというのに、今日もエリシアナは露出のない黒一色の簡素なブラウスにスカート姿だった。装飾の類は一切なく、艶やかな金髪を後ろで簡単にひとまとめにし、うっすらと紅を差しているだけだ。

 それでも、どうしてこんなにも目を離せないのだろう。禁欲的な姿だからこそ、どことなく隠しきれない色気すら感じられて落ち着かない。


「亡き夫の墓参なのだから適した格好でしょう」

「昨日も似たような格好だっただろ」

「喪中なのだから当然でしょう」

「意外だったな。喪中の礼法をそんな厳格に守るような型にはまった女だったとは」


 昨日この女が言った「礼儀作法にうるさい堅い女ではない」という言葉をわかりやすく皮肉ってやった。


 ――さぁ、どう返してくる? こっちを見ろ。


「帝国の英雄を誑かした悪女なら、喪中でも関係なく年中着飾って豪遊しているに違いないって言いたいのかしら」

「悪女でなくとも、喪中に裏で遊興に耽る貴族夫人はたくさんいるからな」

「へぇ、そうなの。私、悪女だから貴族夫人の友人なんていなくて知らなかったわ」


 なおもエリシアナは目線を上げなかった。くそ、上手いこと躱されてしまった。


「それに、武器を持った刺客を前にして、派手なドレスや宝石は命を守ってくれるの?」

「……そんなことを言う貴族夫人は、あんただけだろうな」

 

 護衛として同行しているのに幼稚なちょっかいをかけている自分を、自分より年下の護衛対象の女に呆れ顔で突きつけられてしまった。

 何だか気まずくなってしまって、カイザーは馬車が目的地に着くまで黙って窓の外を眺め続けた。



*



 カーズ伯爵夫妻の墓は綺麗に手入れされていた。エリシアナが来られなかった間も砦の使用人か誰かが世話していたようだ。

 それでもエリシアナは自らの手で墓石を磨き、砦の中で育てられた白薔薇のブーケをそれぞれ二つ、静かに供えた。


 カイザーはエリシアナの五歩後ろに控え、周囲を警戒しながらも彼女の後ろ姿を何とも言えない気持ちで見つめていた。

 表情は見えないが、胸の前で手を組み、深く祈りを捧げる後ろ姿はとても寂し気でまるで泣いているように映った。

 隣に立って肩を抱き寄せ、あの大きく澄んだ碧眼から溢れそうな涙を拭ってやれたらどんなに――。

 

「……なに?」


 また凝視しすぎたのか、エリシアナは後ろを振り返ることなく背後のカイザーに問いかけた。その声はやはり今にも泣きそうに震えていた。


「夫妻の墓を砦の中に移すことは考えないのか? あそこなら広いし安全だし、年中白薔薇が咲いてる。それに、刺客を気にせずいつでも墓参りできるだろ」


 エリシアナは命を狙われるのを承知で、それでもここへ墓参りに来ることを望んだ。そのために軍から護衛を求めるほどの強い意志で。

 それはなぜなのか、ただ単純に、彼女の心を知りたかった。


「ここ、ディオスの街がよく見えるでしょう?」


 彼女の視線の先には、眼下に広がるディオスの街並みがあった。


「生前のソニア様が、ディオスの街が少しずつ活気づくのを見るのがお好きだったって。一緒に見える伯爵邸がどんどん立派になって白薔薇で飾られていくのが面白いって。……このリューゲンの丘は夫婦の大切な思い出の場所だって、旦那様がよく仰ってたの」


 ――だから、この場所じゃないとダメなの。


 そう呟いた彼女の儚い背中を、カイザーは無性に抱きしめたくなった。



*



 帰りの馬車は重苦しい空気が漂っていた。

 行きの馬車ではエリシアナを凝視し続けたカイザーだったが、今は窓枠に頬杖をつき、無言で窓の外を流れる景色を外を眺めている。

 脳裏に焼き付いて離れないのは、先ほどの墓前で見せた彼女のひどく寂しげな背中と、不覚に湧き上がった「抱きしめたい」という自身の衝動だった。その名状しがたい感情を持て余し、難しい顔で考え込むしかなかった。

 ふと向かいに視線を向けると、エリシアナはひどく落ち着かない様子だった。砦を出た時からそうだったが、今はよりひどくなっている。手元の書類に目を落としてはいるものの、視線は上滑りしており、文字など全く頭に入っていないのがよくわかる。

 無言で考え込む自分が放つ威圧感のせいで、彼女を不必要に緊張させてしまっているらしかった。



「そういえば、昨日のお散歩は楽しかった?」


 この空気に耐えきれなかったのか、エリシアナの方から初めてこちらに話を振ってきた。


「散歩?」

「ディオスの街をあちこち歩き回ってたんだから散歩でしょ?……街の女の子達に囲まれてとても楽しそうだったとか」


 言葉の端々に微かな棘があった。

 カイザーは一瞬きょとんとした後、面白そうに目を細めた。


「あぁ、まぁよくある事だ。安心しろ、あんたの事は喋ってないし、砦の中の情報も漏らしてない」

「へぇ、そう」

「……なんだ」

「別に」

「別にって感じじゃねえだろ」

「それで? 私のことを熱心に嗅ぎ回っていたみたいだけど、何か収穫はあった? 軍人さんって探偵みたいなこともするのね、知らなかったわ」


 あからさまに不機嫌な視線を向けてくる。

 どうやら新しくやってきた護衛に監視をつけていたらしい。感覚の鋭いカイザーが気づかないほどの優秀な監視が。


 砦でのやり取りから、カイザーは自分が信用されていないのはわかっていた。謎の多い女を守ってきた砦の住人なら監視はしてくるだろうとは思っていたし、自分の行動がこの女に逐一報告されようと後ろめたい事はしていないから構わない。

 だが、よくわからないがどうやら自分は今、この女の方から勝負を仕掛けられているらしい。


 ――いいだろう、喜んで乗ってやる。


「そういや、面白い話を聞いたな。今の領主夫人は深窓の貴婦人で“か弱く健気“だって。思わずエールを吹き出さなかった俺を褒めてくれ。ここには領主夫人は二人いるのか?」

「あら。気取ったあなたがそんなふうになるなんて、是非この目で見たかったわ」

「なら、今度その店に連れてってやるよ」

「そんな機会があれば楽しみにしているわ」


 馬車の中の空気が少しだけ柔らかくなったようで、エリシアナはホッと息を吐いた。だが、その油断した隙を見逃すようなカイザーではなかった。


「なぁ、エリシアナ。一つ聞きたいことがあるんだが」

「っ! 〜〜っ、な、な……ぁ、あなた、いい度胸してるわね!


 突然の名前呼びに、エリシアナがガタッと肩を揺らした。


「護衛対象を、領主代理の私をっ、な、名前で呼び捨てにするなんて!」

「じゃあ何て呼べばいいんだ?」

「“お嬢様“でいいじゃない!」

「既婚者なのに"お嬢様"っておかしくないか? 砦の奴らもあんたのことそう呼んでたけど、普通"奥様"だろ?」

「“奥様“はソニア様だけなの! だからお嬢様と呼びなさい! な、名前で呼ぶなんて許さないわ。恥知らずよ!」


 顔を真っ赤にして声を荒げ、手元の書類に深い皺が入っていることにも気が回らないのか、エリシアナは無様なほど動揺していた。まるで、同年代の異性に初めて名前を呼ばれたかのような過剰な反応だった。


 必死に深呼吸して自分を落ち着かせようとしているのが、カイザーには丸わかりだった。

 やがて、なんとか領主夫人の仮面をつけ直したエリシアナが、まだ顔を赤らめたまま毅然と立ち向かってくる。


「そ、それで、聞きたいことって何かしら」

「……忘れた」

「は?」

「何聞こうと思ってたか、忘れた」


 少し怒らせてボロを出してくれたら――なんて軽い気持ちで打ったジャブが見事なカウンターとなってカイザーに入った。

 今までツンと澄ました美しい女が、名前を呼び捨てにされたぐらいであんなに顔を赤らめて、子どものように言い返してくるなんて。


 ――こんなの反則だろ。


 心臓が馬鹿みたいにうるさい。どうやらこの勝負は、引き分けどころか、カイザーの完全な一人負けのようだった。



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