6.深窓の領主夫人
「では、砦内を案内させるから今日はゆっくり休んでちょうだい。明日からよろしくね」
そう言ってエリシアナとブラッドは応接室から出ていった。入れ替わりに入ってきたのは、五十代くらいの落ち着いたメイドの女性だった。名はメアリーといい、この伯爵邸のメイド長を務めているという。
「ここではメイド長が直々に来客対応をするのか?」
「すべてのお客様の対応をするわけではありませんけれど、大体は。何せ砦の規模に対して使用人が少ないので。私はメイドの中でただ一番歳をとっているというだけでメイド長にしていただいたに過ぎません」
確かに、砦内を案内してもらいながら周囲を見渡していても、ちらほらと使用人にすれ違うだけで、いくら地方の貴族邸といっても人が少ないように感じた。ダルトン伯爵家ではこの三倍は使用人がいたように思う。屋敷の広さはここの半分ほどだったが。
「中尉殿がいらっしゃったことは既に砦内で共有済みです。先ほどのような手荒なことはもう起こりませんので、砦内をご自由にお過ごしくださいませ。……ただ、三階の南側の立ち入りだけはご遠慮いただきますようお願いいたします」
「三階の南側?」
「執務室や主の寝室等があるエリアです」
「ちょっと待てくれ。俺はカーズ夫人の"護衛"として呼ばれたんだが?」
「それでもです。ここではそのエリアに入れるのは限られた者だけです」
なんともおかしな話だ、守ってくれと依頼しておきながら近づくなとは。どうやらこの白薔薇砦の未亡人の謎の解明はなかなかに骨が折れそうだ。だが、悪くない。
「一階のこちらのお部屋が中尉殿のお部屋になります。何かありましたらそこのベルでお知らせください。それでは」
「一つ聞きたいのだが」
「はい、何でしょう」
「俺はこの街についてまだ何も知らないんだ。護衛するにしても街の状況や住民たちの雰囲気なども把握しておきたい。それに、厄介払いされた先がどんな場所なのか自分の目で確かめておきたいからな。案内人はいらないからこの後砦の外に出て行っても構わないか?」
メアリーはカイザーの顔を値踏みするように数秒見つめた。
「えぇ、もちろん。ただし、この砦は日付が変わる0時で完全に閉まります。門限を越えると、例え通行証があっても門を開けることは絶対にありませんのでご注意ください。門限を過ぎると、次の開門時間の朝七時まで砦の外で過ごすことになります」
「誰であっても?」
「えぇ、たとえ執事長や私のようなメイド長であっても。例外はありません」
*
与えられた部屋で荷物を整理し、軍服を脱いで軽装になったのち、カイザーはディオスの街に繰り出した。
周辺状況の情報収集は護衛任務の基本だ。だがそれ以上に、ここ数日のカイザーを取り巻く多くの謎を知る手掛かりを自ら掴みたかった。エリシアナや砦の使用人はもちろん、ヴァルツァー少佐もヒントをくれる見込みがないのだから、自分の足で探すしかない。カイザーの足取りは力強かった。
必要最小限の暗器は忍ばせているが、軽装を少し着崩し、いつもは上げている前髪を自然に下ろした今のカイザーは、さながら休日に街遊びに来た二枚目役者のようだった。
高身長でゆったりとしたシャツからでもわかるしなやかな筋肉、長い手足。服を着崩しながらも洒落て見える男は、すれ違う女性たちが思わず足を止めて振り返るほど、強烈に人目を惹きつけていた。
街道沿いの屋台を練り歩き、街の主だった商店や施設を見て回り、裏道などの地理も頭に叩き込んでいると、あっという間に日が暮れた。
屋台を見て回った時にオススメされた、この街で一番酒が美味い店とやらに入ったところで本日の大本命に取り掛かる。
「なぁ、相席いいか?」
その店は酒が美味いとあって男性客を中心に繁盛していた。カウンター席に空きはあったが、今日は一人で酒を楽しむために来たのではない。
既に盛り上がっていて初対面の相手にも気安く受け入れてくれそうな四人組に目をつけたカイザーは、エール片手に声をかけた。
「おぉいいぜ。ここらじゃ見かけない顔だが、観光で来たのか?」
「いや、このツラを見ろよ、俺は旅の役者と見た!」
「俺はどこぞの貴族の放蕩息子に一票!」
「いいや、俺はよそからきた色仕掛け工作員に一票だ!」
「さすがにそれは劇の見過ぎだバカ!ガハハ」
出来上がった団体はカイザーそっちのけで話を膨らませている。ノリも良さそうで口も軽そうだ。
「仕事で今日初めてここに来たんだ。何の仕事かはそのうちわかるさ」
初対面で軍人だとバレるのは避けたかった。大抵の人間は大小様々な後ろめたいことがあるもので、相手が軍人だとわかると口を開いてくれなくなるし、避けるように逃げていくからだ。
それに白薔薇砦の謎の多い未亡人の護衛だとバレるのは、ヴァルツァー少佐の言っていた「如何なる情報も外に漏らすな」に抵触しそうだ。いつかはこの街の領主夫人の護衛を務める軍人だとバレるだろうが、それは今ではない。
この男たちのノリに合わせて、カイザーも俗っぽい口調で懐へ入り込む。
「それにしても東部は何もないって聞いてたけど、とんだホラだったな。ここらは結構栄えてて驚いたぜ。百聞は一見に如かずとはまさにこのことだな」
「なぁんだ兄ちゃん、お前都会っ子か〜? ディオスはな、帝都の麦を支えてんだぞ! 何よりあの英雄ガリオン・カーズが長年守ってきた街なんだからな!」
「ガリオンの英雄譚は俺も知ってるよ。さっき見てきた白薔薇砦も圧巻だった」
「ガリオンを知らねぇ奴はこの国にはいねぇよ、それぐらいすげぇ人だったんだ。なのに、あっけなく病気なんかで逝っちまってよぉ……」
「本当惜しい男を亡くしたなよなぁ」
「おい! せっかく立ち直ろうとしてたってのに思い出させんなよなぁ」
先ほどまで馬鹿騒ぎしていた男たちがしんみりし始めた。酒が入ると涙脆くなるらしい男達をこのままにしておくと門限までに帰れなくなる。
カイザーはさっさと軌道修正を図った。
「ガリオンの武勇伝はすげぇ有名だけど、領地経営の腕もあったなんてな。ここら辺歩いてても道は整備されてるし物乞いもいないし、こんなに綺麗な街はなかなか無い」
男たちは酒と涙で赤くなった目を見合わせ、気まずそうな顔で「あぁ〜」と頭をかいた。
「この街の運営はな、ずっと執事の爺さんが回してんだよ」
「え?」
「ガリオンはなぁ〜、“椅子に座ってペンを握るといつの間にか朝日が昇るんだ“ってよく言ってたぐらい、書類仕事がダメだったんだ」
「いや、それでも領主なんだから領地の経済やら防衛やら福祉やらはガリオンが動かしてたんだろ?」
「それも執事の爺さんが領民の声を取りまとめて色々やってたんだよ。ガリオンは最後に判子を押すだけだ」
「ディオスの人間はみんな知ってるよ、街の困りごとは執事に言えってな」
カイザーに対して終始恐縮していたあの老齢の執事長はとんでもない傑物だったらしい。この街は執事長ブラッドで回っているのか。
「てことはその執事の爺さんはめちゃくちゃ大変そうだな。領地経営のほとんどを代わりにやって、伯爵邸の執事業もやって、ってことだろ? 過労死するんじゃないか?」
「数年前まではマジでいつ過労死してもおかしくねぇって顔色だったが、今の奥様が来てから見違えるぐらい顔色が良くなったんだ、さすが奥様だぜ」
――来た。
「奥様っつうと、五年前にガリオンの後妻になったっていう?」
「あぁそうだ。今じゃディオスの街は表は執事の爺さん、裏は奥様が回してくれてんだ」
「そうそう! 奥様が来てから税収が増えたって話だしな! 景気も良くなってここらは賃金が上がってんだぜ」
「平民も通えるガッコウってやつを作ってくれたのも奥様だしな! うちの倅も通い出してあっという間に文字と数字が書けるようになったんだぜ! 嫁もすげぇ喜んでてよぉ」
「二年前の大嵐で麦がやられちまった時も税の徴収を免除してくれるだけじゃなくって、砦の備蓄もいっぱい出してくれてなぁ、ディオス以外の領地じゃ餓え死にも出たらしいんだがうちはゼロだったんだ」
「……へぇ、そんなすげぇ人がガリオンの後妻になったとは知らなかったよ。一体どんな人なんだ?」
カイザーが身を乗り出すと、男たちはまるで聖母でも語るかのように目を潤ませた。
「奥様はな、お体がとっても弱いから表には出てこられねぇんだよ。そんなか弱いお方なのに俺らディオスの領民のために身体に鞭打って働いてくれてんだ」
「実家でいじめられて成金の悪徳商人に嫁がされそうになってたところをガリオンが助けたって話だぜ」
「その悪徳商人に襲われそうになったことがトラウマで知らない男が怖くなっちまって、砦の中でもあんまり部屋からも出てこられねぇとか」
「それでも助けてくれたガリオンと受け入れてくれたディオスの領民に恩返しがしたいって。……健気だよなぁ」
――一体誰の話をしているんだ?
カイザーはエールを吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
初対面の軍人であるカイザーに対して臆すことなく小銃をぶっ放し、あまつさえ地下牢へぶち込もうとしてきたあの女が、「か弱く」て「健気」だと?
もしかして、この街には領主夫人が二人いるのか?
その後の話は特に目新しい収穫はなく、カイザーは男たちに情報の礼に一杯ずつエールを奢り、門限前に砦の門を潜った。
適当に身を清め、早々にベッドに入ると今日一日を思い返す。
一瞬にして殺気を放ったヴァルツァー少佐。初めて見上げた東部の白薔薇砦。銃声後の大立ち回り。応接室でのヒリヒリとしたやりとり。ディオスの街並み。さっきの飲み屋での頓珍漢な話――。
カイザーの人生の中でもこれほど濃い一日はなかっただろう。身体は疲れているはずなのに、頭の中で今日一日の出来事がぐるぐると回り続ける。
だが、その膨大な情報の渦の中でも、彼の一番深い部分で鮮明に思い返されたのは――白薔薇の中で微笑む、あの美しい女の横顔だった。




