番外編5.とあるメイドの奮闘
メイドのアンナは、白薔薇砦の主に対して密かに不満を募らせていた。
給料が低いとか、仕事がきついとか、職場でいじめられているとか、そんなことは全くない。
仕事は確かに大変だ。この広い白薔薇砦に対して使用人が少なすぎるので、他の貴族邸に比べれば一人当たりの業務量は倍以上だろう。それでも相場の三倍もの給料をもらえているし、週に半日はきっちり休みだってもらえる。同僚達とはまるで家族のような強い信頼関係が築かれており、二十二歳のアンナは使用人の中では末っ子として厳しく指導されながらも皆に可愛がられている。何より、主人である領主夫妻は使用人に対してとても丁寧に誠実に接してくれる。
それでも、アンナの不満は爆発寸前だった。
――お嬢様を、もっと着飾りたい!
アンナの現在の主人は「白薔薇の女神」と讃えられるほど美しい。
上品で知的で、スタイルだって抜群だ。かつて帝都で見てきたどんな貴族令嬢や有名な女優ですら、彼女の足元にも及ばない。おまけに最近は愛する夫に毎夜たっぷり愛されているからか、そこはかとない艶やかな色気まで纏うようになってきた。
なのに、本人は全くと言っていいほど「着飾る」ことに興味がないのだ。
亡き旦那様――ガリオン・カーズの死後、律儀なお嬢様は喪中が明けるまで頑なに黒一色の喪服を着続けた。装飾品も一切身につけず(特尉殿から貰ったヘアピンとイヤリングは除く)、化粧は薄く紅を引くのみ。自身の誕生日パーティーすら、当初は自粛して中止にしようとしたため使用人全員で猛反対したほどだ。
喪中が明けて喪服を着ることはなくなったものの、お嬢様が身につけるのは相変わらず黒や紺、灰色といった暗い色の飾り気のないスカートにシンプルなブラウスのみ。美しい金髪も今までどおり自分で簡単にひとまとめにし、装飾品は例のヘアピンとあのイヤリングだけ。
もちろん、どんなに地味な服を着ていようと、お嬢様の美しさは損なわれることはない。けれど、もっと似合う明るく鮮やかな色や、美しいデザインの服がこの世にはたくさんあるのだ。それなのに、お嬢様のドレスルームは領主のそれとは思えないほど、衣装も装飾品も化粧品の数も少なく、ひどく殺風景だ。
地味な服を着て、せっかくの綺麗な金髪を無造作にまとめ、最低限の化粧しかしないなんて、宝の持ち腐れにも程がある。
領主就任パレードや結婚式といった大舞台で、お嬢様をこの世の奇跡のような「最高傑作」に仕上げたアンナにとっては、この現状がどうしても我慢ならなかったのだ。
――こういう時は、特尉殿を動かすに限るわ。
頑固で生真面目な白薔薇の主の最大の弱点を熟知しているアンナは、作戦を実行すべく、主の夫を探して歩き出した。
*
アンナは没落貴族の家の出だった。
両親は絵に描いたような見栄っ張り貴族で、借金を重ねてでも身の丈に合わない贅沢をやめられない。彼らを諫め続けた結果、アンナはその借金返済の道具として手癖の悪い豪商人に売られそうになり、自ら家族との縁を切った。
そして、そこそこの規模の貴族家のメイドとして住み込みで働くことになった。
その貴族家には無駄に多くの使用人が雇われていた。貴族にとって、どれだけ多くの使用人を抱えているかは重要なステータスの一つだったからだ。業務は細分化され、主人の家族ごとに専属の使用人が割り当てられる。
アンナは、その家のわがままな長女のヘアメイク担当のメイドとして仕えることになった。
仕事に慣れてきた頃、その家のボンクラ長男に身体の関係を迫られ、それを拒絶したことでアンナへの嫌がらせが始まった。同僚からの無視、陰湿な嫌がらせ、給料の減額、徹夜を強いられるほどの業務の押し付け。立場の弱いアンナはただただ耐えるしかなかった。
ある日、長男にまた無理やり迫られている場面を、あろうことか長男の婚約者に見られてしまった。アンナはひどく折檻され、「メイドのくせに貴族の男に媚を売った卑しい女」と罵られた。身に覚えのない冤罪まで着せられ、荷物をまとめる暇すら与えられず屋敷を追い出された。当時付き合っていた侍従の男は蔑んだ目でアンナを見下ろし、助けを求めて伸ばした手を冷酷に振り払った。
そこから数日、アンナは東部の街を無一文でふらついていた。頼れる人も食べ物もなく、このまま餓死するのかと路地裏で座り込んでいたところを、たまたま通りかかったガリオン・カーズに拾われた。今から三年前のことだった。
「ウチの子と仲良くできそうだ」
ただそれだけの理由で、アンナは白薔薇砦のメイドとして雇われることになった。狭くはあるが個室も与えられ、無一文のアンナの当面の生活も面倒を見てくれた。
ある日、不思議に思ってメイド長に尋ねてみたことがある。
「紹介状も貰えないまま追い出されて、身元もハッキリしない私をどうして雇ってくださったのでしょうか」
「ここではそんなものはタダの紙切れです。旦那様に認められるかどうかが全てですから」
アンナは呆気に取られた。面接も何もなく、まるで飼い主に捨てられた薄汚い子猫を拾うかのようだったのに、どうしてこの人は旦那様に対してそれほど絶対的な信頼を口にできるのだろう、と。
砦の主である旦那様とお嬢様は、アンナの知る貴族とは全く違っていた。
派手なパーティーはもちろん、お茶会すら開かないし、行商人を呼びつけて一度しか身につけないドレスを買い漁るような真似もしない。貴族らしく振る舞うのは、年に一度のお嬢様の誕生日の夜だけだ。
仕事は大変だが、白薔薇砦では誰もアンナを蔑むことなく平等に接してくれる。まるで本当の家族のように深い繋がりを持つ彼らは、訳ありの使用人(特に旦那様に拾われた者)が多く、お互いの過去を詮索しないのが暗黙の了解だ。それが、アンナにとって何よりも居心地が良かった。
使用人達の中で、アンナは旦那様との付き合いが一番短かった。それでも、旦那様はアンナを見かけると気さくに話しかけて下さり、「エリシアナと仲良くしてやってくれ」とよく頼んできた。
その旦那様が亡くなった時は砦の人間だけでなく、ディオスの街全体が深い悲しみに暮れた。アンナも声をあげて大泣きした。
旦那様が気まぐれに拾ってきた「最後の猫」は、アンナになったのだった。
一人になったお嬢様は、気丈にも領主代理として立派に街を治めてきた。詳しくは知らないが、お嬢様にも辛い過去があるらしく、そのせいか人前で弱音を吐いたり他人を頼ろうとしない。私物を増やすことにも抵抗があるようで、右肩上がりのディオスの税収や旦那様が遺した少なくない遺産を、自分のためには一切使おうとしなかった。
それらに手をつけるのは、決まって街のためか砦の使用人のためなのだ。少しぐらい、砦の主人らしい贅沢な暮らしをしても誰も文句は言わないだろうに。
特尉殿が来てから、ようやくお嬢様は素顔を見せるようになった。隙のない美しさの中に、年齢よりも幼い可愛らしさが覗くようになり、使用人達は口にこそ出さなかったが、お二人の焦れったい恋模様を陰ながら全力で応援していたのだ。
まるで名画のように美しくお似合いな二人が仲睦まじく寄り添う様子を見ていると、男に残酷な仕打ちを受けて「もう二度と恋愛なんてしない」と固く誓ったアンナでさえ、思わず羨ましくなるほどだ。
お二人が素晴らしいのは、ただ絵になる程美しいからだけではない。
ある日、特尉殿と結婚した後も未だに「お嬢様」と呼ばせている主に対し、アンナは尋ねてみたことがある。
「いつまで“お嬢様“と呼ばせるおつもりですか? さすがにお子様が生まれたらお嬢様とは呼べませんよ」
「もう“お嬢様“で慣れちゃったし。……それに、子どもはまだ当分先のことだから」
「そんなのわかりませんよ。あんなに仲良くされているじゃありませんか」
「領主として独り立ちしたばかりなのに、すぐに長期間穴を開けるわけにはいかないわ。最低でも一年は子どもを授かるのは控えましょうと、カイと話し合って決めたの」
貴族にとって血の繋がった後継者を残すことは至上命題だ。それでも、領主としての責任と立場を優先したお嬢様と、そのお嬢様の意思を何よりも尊重した特尉殿。
お二人の愛らしい子どもを早くお世話したいアンナとしては少し残念だったが、なんともお二人らしい誠実な決断だと思った。
*
探し人は訓練場で見つかった。
ちょうど訓練が終わったところだったので、アンナは使用人達と談笑している特尉殿を説得するべく近づいた。
正直にいうと、アンナは当初、特尉殿が怖くて近寄れなかった。長身でガタイも良く、いつもきっちりと軍服を着込んでいる彼には、周囲を圧倒するオーラがあったからだ。キリッとした眉に切れ長の紫紺の瞳が常に周囲を睨みつけているようで、端正な顔に見惚れるよりも先に、目を合わせないようにしていたほどだ。
そんな彼が怖くなくなったのは、お嬢様にだけは甘くデレデレと笑いかけたり、まるで好きな子に意地悪する子どものようにちょっかいを出したりする姿を見てからだった。こんな恐ろしい人でも、骨抜きにされたらバカになるのね、とわかってからは不思議と怖くなくなった。
「エルにおしゃれさせてくれ……?」
アンナのいつになく力強い剣幕から飛び出した言葉に、特尉殿は面食らったようだった。
「はいっ! 私の特技が活かせないのが心苦しいのです。それに、特尉殿も勿体無いと思いませんか?」
「まぁ、確かに。エルは何を着てても世界一可愛いし、ディオスにはエルに合うブティックがないから、服やらは贈ったことがなかったな」
「……あんた、そういう台詞を恥ずかし気もなくよくスラスラと言えるな」
「あ? 事実だろ」
隣で聞いていたアイザックが呆れて突っ込んだ。特尉殿の一見冷酷にも見える端正な顔から、スラスラと真顔でとんでもない惚気が出てくることはアンナはもう慣れた。
「砦に行商人を呼ぶとか、都会まで出かけるとか、なんとかできませんか?」
「よし、じゃあ帝都から『アルテリス』を呼ぶか」
「え、あ、『アルテリス』ってあの……?」
「なんだ、有名人か?」
生まれも育ちも東部の平民のアイザックはその単語がなんなのか全くわかっていないようだった。しかし、元貴族で贅沢が好きな両親や、元の雇い主だった金持ち貴族の近くにいたアンナは、あまりの驚きに全身が震えた。
「アイザックさん、知らないんですか。『アルテリス』って言ったら帝室御用達の超有名ブティックですよ! アルテリスのドレスや装飾品を注文するのに一年は待たなきゃいけない上に、ブティックの品格を守るためにお客を選ぶんですから!」
「へ〜、そんなすごい店をディオスまで呼びつけられんのか?」
いまいち凄さがわからず呑気なアイザックが、呼びつけようとする当人に尋ねた。
「あぁ、帝都にいた頃にそこのオーナーの息子を助けたことがあってな。何かあればすぐに駆けつけるって言われてる」
「す、すごい……っ! 特尉殿って本当にすごいお方だったんですね……」
数日後、あの超有名ブティック『アルテリス』の次期オーナーの息子が、本当に白薔薇砦へ飛んできた。
ブティックを継ぐ前に新たな姉妹ブランドを立ち上げようと考えていた彼は、今話題の白薔薇砦に招待され、あの「白薔薇の女神」に直接会えたことにひどく感激し、インスピレーションが爆発したらしい。命の恩人である特尉殿に「夫人のコーディネートは全て私にお任せください!」と力強く宣言し、しばらくした後、大量の服や装飾品、靴などが砦に届いた。
特尉殿の「上品で肌の露出は控えめに」という好みが大いに取り入れられた衣装は、どれもお嬢様に大変よく似合っていた。
お嬢様は突然送り付けられた大量の衣装や小物に戸惑っていたが、「次のデートに着てくれ」と特尉殿に押し切られ、頬を染めながら渋々受け取った。
殺風景だったお嬢様のドレスルームは一気に充実し、毎週のデートの度にお嬢様を美しく着飾ることができてアンナは大満足だ。
特尉殿も最愛の妻を全身コーディネートすることが最近の楽しみになったようだ。そして、お嬢様もそんな夫を喜ばせたいのか、普段から少しずつおしゃれをするようになり、アンナは更に腕が鳴った。
その後、『アルテリス』の姉妹ブランド『レテリス』が正式に立ち上げられ、「あの白薔薇の女神の衣装を専属契約した」と発表されると、白薔薇砦は更に世間の注目を集めるようになった。白薔薇の主のファッションは注目の的となり、彼女が身につけたものと同じデザインの装飾品が帝都でも飛ぶように売れたという。
だが、服や装飾品がどれだけ増えても、お嬢様はあの白薔薇のヘアピンとシルバーのイヤリング、そして最近つけ始めた紺碧のネックレスだけは、頑なに外そうとしなかった。




