3.東部の白薔薇砦
帝都から列車に揺られること約二日。
カイザーは窓枠に肘を突きながら、赴任先となるカーズ伯爵領ディオスについての事前情報を頭の中で反芻していた。
帝国東部は田舎だ。広大な土地の約半分を穀倉地帯が占め、ポツリポツリと民家が立ち並ぶ景色は「人間よりも家畜の方が多いのではないか」と揶揄されることも少なくない。
だが、そんな東部にも少ないながら経済の要衝となる地が存在し、その一つがディオスだった。
ディオスには東部の他の領地にはないものが三つある。
一つ目が帝国陸軍東部支部。二つ目が帝都にか細く繋がる街道に沿った市場街。そして三つ目が――「東部の白薔薇砦」だ。
そしてこの三つ全てに帝国の英雄ガリオン・カーズ元中将が関わっている。
ガリオン・カーズは最初から崇められていたわけではなかった。領地を持たない名ばかり子爵の三男坊だったガリオンは、弛まぬ努力で東部戦線で頭角を現した。
転機は大国アンゴラとの大戦中、敵兵に攫われた当時の皇太子(先代皇帝陛下)を、単身潜入作戦で救出したことだ。彼は自らの命も顧みず、下手をすれば尊い帝室の血を絶やしかねない状況をたった一人でひっくり返したのだ。
その後、皇太子の右腕として軍功を重ね、カーズ伯爵位と領地を下賜された彼は、その後十一年に及ぶ大戦を経て、帝国史に名を残す英雄となった。
皇太子の命の恩人であり右腕となったガリオンが治めるカーズ伯爵領ディオス。その地に元は別の場所にあった軍の東部支部を移動させたのも頷けるというもの。
そして軍支部のお膝元は自然と治安が良くなるものだ。また、ディオスにはか細いながらも帝都に繋がる街道が通っていたこともあり次第に人が集まり、屋台や商店が立ち並ぶようになり、東部一のマーケットになった。
そして何よりディオスの税収に大きく貢献しているのがカーズ伯爵邸そのものであり、その名も「東部の白薔薇砦」だった。
ガリオン・カーズには、武勇伝の他にもう一つ有名な伝説がある。それは「帝国一の愛妻家」としての顔だ。
遠征が続く彼は、敵国に狙われやすい最愛の妻ソニアを何としても守りたかった。
帝国軍人として妻のそばを離れなければならないのなら、屋敷を妻を守る盾としよう。最愛の妻を守れる帝国一の盾となる屋敷を。そしてどうせなら妻が最も好きな花である白薔薇で飾ろう。そうすれば物々しい屋敷の中にいても心安らかにいられるだろうから。
そういった思いから、自身の金銀財物のほぼ全てを注ぎ込み、伯爵邸を改築・増築し続けた。結果、帝国一堅牢な「盾」とも呼べる巨大な砦が東部の一角に出現したのだ。
物々しいはずの砦は、そこかしこに美しい白薔薇があしらわれ、砦の中からは年中白薔薇の香りで満たされているという。その様は「東部の白薔薇砦」として東部では数少ない観光地として取り上げられ、観光客が徐々に訪れる場所となった。
もちろん、「東部の白薔薇砦」が外敵の侵入を一度も許したことがないのも有名な話だ。
だが、どれほど強固な盾をもってしても、愛する妻を見えない病魔からは守り抜くことができなかった。ソニアは若くしてこの世を去り、残されたガリオンはその後数十年もの間、誰とも再婚することなく亡き妻を想い続けたという。
英雄の愛と悲哀が作り上げた、難攻不落の砦。
そこに現在住まうのが、今回の護衛対象である英雄の後妻――エリシアナ・カーズ未亡人だった。
*
ディオスの街に降り立ったカイザーは、街を観光する気など毛頭起きるはずもなく、その足で真っ直ぐ東部支部へと向かった。
「本日付で中央本部より着任いたしました、カイザー・ダルトン中尉です。これより東部支部警護課の勤務につきます。一日も早く当支部の戦力となれるよう全力を尽くす所存です。ご指導のほど、よろしくお願いいたします」
「えらく早い到着だな。東部支部統括司令官のエリック・ヴァルツァー少佐だ。君の話は東部にも聞こえていたよ、とても優秀で将来有望だと。突然の異動で驚いただろうが、君ならこの任務をこなせると期待しているよ」
長閑な東部の雰囲気をそのまま体現したかのような、昼行灯を思わせる上官だった。お世辞なのか皮肉なのか判別のつかない言葉に内心苛立ちながらも、カイザーは表情を崩さずに任務の詳細を確認した。
「ヴァルツァー少佐、その任務の詳細をお聞かせ願えますか。護衛対象の情報や護衛に至る経緯なども教えていただけると有難いのですが」
「東部に着いて一息つく間もなく仕事の話とは、君はなかなかのワーカホリックのようだ。帝国軍人の鑑だな、他の奴らにも見習わせたいよ」
本当にただのお世辞なのか皮肉なのか、はたまた言葉どおりただの褒め言葉なのか、今の彼にはわからない。
のらりくらりとした少佐の態度に、カイザーは奥歯を噛み締めた。
「護衛対象は既に聞いていると思うが、あの英雄ガリオン・カーズ元中将の後妻であるエリシアナ・カーズ夫人だ。だが……夫人がどのような女性か、なぜ護衛が必要なのかは私も知らん」
はぁ?
思わず素で声を上げなかった自分を褒めてやりたい。なんだ、そのふざけた任務内容は。
「というのも、私は夫人と顔を合わせたことがないのでな」
「夫人がカーズ伯爵家に嫁いでから一度もですか」
「そうだ。カーズ元中将が再婚して五年ほど経つが一度も無い。というよりこの街で夫人の顔を見たことがある人間はおらんだろう。ここに来るのはいつも執事長の男だけだ」
そんなことが許されるのか?自領の軍支部に挨拶にも来ないどころか街にも一切出ていないだと?
いくらやる気の無い女主人だろうと嫁いで最初の挨拶回りは渋々でもやるものだ。一体どんな性根の女なのだ。
――あの愛妻家で有名だった英雄が、亡き妻に数十年も操を立てていたというのに、老い先短い時期になって再婚を決意するなんて……一体どんな手練手管でたらし込んだのだ。
女性に対して強い不信感を持つカイザーの中で、憧れの英雄ガリオン像が一気に崩れ、見知らぬ未亡人への軽蔑がどす黒く広がっていく。
「詳しくは夫人本人に直接聞いてくれ。あぁ、あと君はカーズ伯爵邸で住み込み任務となるから、支部に顔を出す必要はない。基本的にこちらから君に出動要請をかけることはないだろう」
「ちょっと待ってください、この任務は一体どこからの指示なのですか。なぜ、自分が指名されたのですか!」
声を荒げた瞬間、穏やかだったヴァルツァー少佐の顔が一瞬で険しいものに変わった。いや、顔だけでなく纏う空気までもが首筋に刃を突きつけられたかのような殺気へと変化したのだ。
死線を潜り抜けてきたカイザーの軍人としての勘が、けたたましく危険信号を鳴らした。この男は、見た目通りの昼行灯などではない、と。
「その質問に対する答えは、“君は知る必要はない”、だ」
少佐の冷たく重い声が、司令官室に響いた。
「そして念押しするが、これは重要な任務だ。決して気を抜くな。任務上知り得た如何なる情報も絶対に外へ漏らすな。……以上だ」
それは、明確な「脅し」を含んだ命令だった。 もう下がれと言外に上官に告げられてしまってはどうしようもなかった。
俺は一体何をしでかしてしまったのか。何が上層部の気に触ってしまったのか。
こんな出所のわからない幽閉のような任務など、ただの嫌がらせ以外の何物でもないではないか。
司令官室から追い出されるようにして手渡された「白薔薇砦の通行証」が、カイザーの手の中で怒りのあまりミシリと嫌な音を立てた。




