23.白薔薇の女神の無垢なる甘撃
念のためR15回です。ご注意ください。
帝都からディオスへ到着するや否や、声をかけてくる顔見知りの領民たちへの挨拶もおざなりに、カイザーは足早に白薔薇砦へ向かった。
砦の前に立った時、たった五日離れただけだったのにまるで一ヶ月ぶりに帰ってきたかのような錯覚を覚えた。はやる気持ちを抑えきれず正門を開けると、冬の終わりの白薔薇が咲き始める前庭で、まるで女神のような女が花を愛でていた。
――あの時と同じだ。
陰鬱な絶望を抱えて初めてここを訪れた時と全く同じ光景だった。背景は晩夏から冬の終わりに変わったが、彼女の美しさに心奪われたのはまるでデジャヴのようだ。
――あの時は、俺の顔を見るなり、おっかない顔して小銃をぶっ放してきたんだったっけ。
懐かしい思い出に胸を打たれていると、人の気配に気付いたのか、彼女は薔薇を愛でていた手を止め、パッとこちらに顔を向けた。
その瞬間、花が綻ぶように表情がパッと華やいだ。
かつて、見知らぬ軍人の男に警戒して鋭く睨みつけた氷のような碧い瞳は、今は不安と恋しさにたっぷりと潤んでいる。心底嬉しそうな笑みを浮かべると、エリシアナはカイザーのもとへ一目散に駆け寄ってきた。
これまでの人生で、これほど自分の帰りを待ち望んでくれた人はいただろうか。
カイザーの胸に熱いものが込み上げてきた。駆け寄ってきたエリシアナを勢いよく両腕に招き入れ、五日振りに触れる彼女の温もりをしっかりと噛み締めた。
「ここでずっと待ってたのか?」
抱き寄せた彼女からは白薔薇の香りと温もりの中に、まだ冬の気配が残る冷気が感じられた。
「たまたま、息抜きに薔薇のお手入れをしていたの」
「帝都からの列車が到着する時間に合わせて、ずっと前から出てきたんですよね〜」
エリシアナの後から遅れてやってきたフィズィーロが、ニコニコと意地悪く暴露した。
「へぇ〜?」
本当になんでこんなに可愛いんだろう。
口から出てくる言葉はなかなか素直にならないのに、仕草や行動は実にわかりやすく愛を伝えてくれる。
カイザーは緩みっぱなしの顔を取り繕いもせず、腕の中で赤面するエリシアナを愛おしそうに覗き込んだ。
「アルバ軍曹、もう戻っていいわよ。今までご苦労様」
「先輩が帰ってきた途端もう用済みですか。少しは仲良くなったと思ったのに、つれないですね」
覗き込むカイザーから顔を背け、臨時護衛を務めた男に八つ当たりした。どうやらカイザーのいない間に二人は少し打ち解けたようだった。
もう少しこの可愛い反応を楽しんでもよかったが、まだ空気が冷たい。これ以上彼女の体が冷えないよう、カイザーは着ていたコートをエリシアナの肩にかけ、指先が冷たくなった小さな手を包み込んだ。
「まだ冷えるからもう中に入ろう。預かってきたものもあるんだ。早くエルに見てもらいたい」
繋いだ手を優しく引っ張り玄関へ足を進めようとすると、エリシアナは石のように固まって動かなかった。
不思議に思い振り返ると、エリシアナはカイザーのコートをギュッと握り、何かを言いたげにモジモジとしている。うろうろと彷徨わせていた瞳が、カイザーの口元を物欲しそうにチラリと見て恥ずかしそうにスッと逸らされた。
察しの良いカイザーは、彼女が何を望んでいるのかを一瞬で理解した。
愛おしさにたまらなくなって、わざとチュッ、とリップ音を立ててその桜色の唇に口付けてやった。
「っ、な、何するの!」
「何って、して欲しそうな顔だったから」
「そんな顔してない! そ、外でこんな……」
「中だったらいいのか。なら早く中に入ろう」
「〜〜っ!」
顔を林檎のように真っ赤にして抗議するも、エリシアナは決して彼の手を振り解いて拒否することはしなかった。カイザーはニヤけ顔が止まらなかった。
「う〜わ……。先輩ってこんなバカップルみたいなことする人だったんだ……」
その様子を目の当たりにしたフィズィーロが、若干引きながら呆れていた。
「なんだお前、まだいたのか。用が済んだんなら早く支部に戻れよ」
「言われなくても戻りますよ、このままここにいたら胸焼けしそう……」
尊敬していたクールでかっこいい先輩が、恋愛に現を抜かして完全に骨抜きになった姿は何ともいたたまれない。砂糖の塊を丸ごと飲み込まされたような甘ったるさだ。
フィズィーロは呆れながら別れを告げると、砦の正門へ向けて歩き出した。出る前に一度だけ振り返ると、二人は仲良く手を繋ぎ、何やら言い合いながら戯れあっていた。
あまりに甘い光景に苦笑しつつも、無事に帰ってきた先輩と先輩の愛する人の姿に密かに胸を撫でおろし、彼はどこか誇らしげな足取りで砦を後にした。
*
カイザーが帝都から戻った後、エリシアナの領主就任と二人の結婚が皇帝直々に認められたという吉報に、白薔薇砦は上へ下への大騒ぎとなった。
「お嬢様……っ、本当に、よく、ここまで……っ」
命の危険に晒されながらディオスの街を守り、そして発展させてきたエリシアナの功績が正式に認められ、ブラッドは感極まって顔を覆って涙した。
メアリーはひとしきり喜んだ後、領主就任のお披露目会で着る衣装や結婚式のウェディングドレスをどうするか、会場の設営や料理、招待客はどうするかで頭をフル回転させながら慌ただしくメイド達に指示を出した。
街の寄合や役場、そして東部支部とも話し合いを重ねながら、領主就任のお披露目パレードを白薔薇が最も綺麗に咲く春――二ヶ月後に決定した。
ガリオンの喪中が明けていないことに難色を示したエリシアナだったが、領主不在の期間がこれ以上延びることの方が問題だと各方面から諭され渋々納得した。
そして、領主就任のお披露目と同時に結婚も公表し、ガリオンの喪が明ける翌月に挙式を執り行うことが決まった。
白薔薇砦はもちろん、ディオスの街全体が突然の吉報の連続に活気づいた。領主就任パレードや領主の結婚式をまたとない商機と捉え、出店の準備や記念品の発売に向けて領民たちは浮き足立った。近隣の商人たちも慶事で財布の紐が緩む機会を逃すはずはなく、大慌てで仕入れに勤しんだ。東部支部はサイス領の事後処理を片付けながら、パレードと結婚式の警護も一手に引き受けることになり余計に慌ただしくなった。
「あ、“帝国の英雄の後妻が、すぐに若い男に入れ込んだ“なんて下衆な噂が流されないように、俺たちC部隊の方で予め上手く処理しておきましたから、安心してくださいね」
後日砦にやってきたフィズィーロは、得意げにそう報告してくれた。彼は「早く引退したい」とぼやく祖父の後釜として、今後もヴァルツァーにこき使われながら、東部支部に残るらしい。
エリシアナは通常の政務に加え、パレードや結婚式の準備も重なり、目がまわるほど忙しい毎日を送っていた。
だが、今は不眠に悩まされたりやつれたりすることはなかった。傍にカイザーがいるだけで活気が漲り、毎日がなんだか輝いて見える。疲れが溜まる頃にはどこからともなく彼がやってきて、強引にちょっとしたデートに引っ張り出されるのだ。二人でお茶したり、白薔薇の中を手を繋いで散歩したり、砦の外に出てディオスの街をお忍びで散策したりするだけで、エリシアナは心も体も満たされ、仕事にも更に精が出た。
それから数週間。
領主就任と結婚式の準備に追われながらも、二人は以前の日常を少しずつ取り戻していった。
そして、爆発事件以降ずっと自粛していた墓参りも再開していた。もちろん、護衛にはカイザーがついた。
「ん……っ、は、……ん、……」
リューゲンの丘から砦へ戻る質素で狭い馬車の中、二人の吐息と漏れ出す声がが密室にこもっていた。
カイザーの膝に乗り上げ彼にしがみつきながら、エリシアナは何度も角度を変えて塞いでくる唇に必死に応戦していた。
「っ、ま、まっ……て、……んぅ、も、っ、むりっ」
息が上がり、とうとう涙ながらに目の前の男に白旗をあげた。ようやく吐息まで奪うような口付けが終わった。
エリシアナは肩で息をしながら、巧みに自分を翻弄した男を涙に濡れた目で睨みつける。
「なんだ、もう降参か?」
息一つ乱さず、カイザーは心底楽しそうに口の端を吊り上げた。その表情にエリシアナは胸が更に高まり、思わず彼から目を逸らした。
カイザーはそっぽを向いたエリシアナの頬を掴んで強引にこちらを向かせ、しっとり濡れた口元を親指で優しく拭ってやった。彼女の腰を抱くもう片方の腕は緩むことなく、二人の距離は常に隙間なく密着していた。
墓参りを再開して以降、二人の中で秘密の習慣ができた。
行きはエリシアナは書類に目を通し、カイザーはその隣で体のどこかをくっつけて大人しくしている。エリシアナの手は書類を掴んでいるので、彼は大抵、金の横髪をいじっているか露わになった耳につけられているイヤリングで遊んでいる。
仕事をするには気が散って仕方がないが、エリシアナ自身も彼に触れられるのは嫌じゃない――むしろ安心するので、何も言わず好きにさせている。
そして帰りは――。
こうしてカイザーの膝に乗せられ、エリシアナが降参するまで何度も口付けを交わすのだ。
馬車で初めて口付けられた時、その時は加減を知らなかったカイザーの性急な口付けに、エリシアナは酸欠寸前まで追い込まれた。
少し反省したのか、カイザーはそれ以降はエリシアナの進度に合わせて優しく、時に意地悪にいじめてくるようになった。そしてそれを、エリシアナはもう拒めなかったし、毎日のこの甘い時間を期待するようになった。
砦は人が少ないとはいえ、やはり人目を気にしてしまう。狭い馬車の中、完全に二人だけの空間になるこの時間が、忙しいエリシアナの中で一番待ち遠しい時間になった。
「この調子じゃ、本番までもつか心配だな?」
チュッ、チュッとワザと音を立てて顔中にキスしてくるカイザーは、明らかに面白がっている。
「ほ、本番?」
「結婚式の日、初夜」
"しょや"が何を指すのか理解したエリシアナは更に顔を赤らめた。
具体的に何をどうするのかはわかっていないが、結婚したその夜に男女が子を作るための行為だということは知識として知っていた。そして、その行為は以前、毒で寝込んだカイザーが目覚めたあの夜にされたような、熱く甘い行為だということも。
「本番まではここまでにするから」
カイザーはあの夜のように理性を吹っ飛ばすようなことはなかった。体を密着させながら口付けて、腰や背中に触れる程度だった。
おそらくカイザーは、強引に手を出してしまったあの夜のことを後悔している。エリシアナはそれがなんだか少し悲しかった。
あの時は驚いたが、嫌悪感は全くなかった。初めての急激な接触に戸惑いはしたが、あれから何度も思い出し、夜に一人顔を赤くしては胸を疼かせていた。
未知のことに不安はあるが、知りたい気持ちの方が強いのだ。カイザーになら、たくさんいろんなところに触れてほしいし、自分も彼にそうしたい。
息の整ってきたエリシアナは、恥ずかしさをグッと押し込んで言葉にした。
「あの……私、あなたなら大丈夫だから。……だから、その……もっと」
「してほしい」と口に出す前に、慌てたカイザーにムギュっと両側から口を挟まれ、言葉を遮られた。
「はぁぁぁ……。人がすっごい我慢してやってんのに、あんた何てこと言うつもりだ?」
大きく溜息を吐きながら、カイザーは怒ったような嬉しそうな、それでもひどく困ったような嫌そうな顔をしていた。
「ん〜〜っ!(離して!)」
口を挟まれて言葉にならない抗議の声を正しく理解したカイザーは、「面白ぇ顔」と笑って手を離した。エリシアナはムカついてその手を軽くはたいた。
「我慢しているの?」
「……まだ煽んのか」
「煽る?」
「無自覚なのが一番タチが悪い。俺の寛大さに感謝しろ」
「何でそんなに偉そうなの」
はぁぁぁっと再度大きな溜息を吐きながら、カイザーはエリシアナの柔らかな胸に顔を突っ伏した。
腰に回された腕や肩周りの筋肉が強張り、何か衝動的なものを押さえ込んでいるような、目に見えない何かと戦っているような様子だった。
あの夜以外に身体の大事な場所を他人に触れさせた経験が無いエリシアナの心拍が、一気に跳ね上がった。
「密着したぐらいでこんなにバクバクしてるくせに、何てこと言おうとしてくれてんだよ」
「こ、これは、だって……」
カイザーの艶のある黒髪が顎にかかり、形のいい鼻先や唇が自身の胸元に衣服越しに触れている。彼の息遣いもしっかり感じられて、緊張するなという方が無理だった。
「エルのこと、大事にしたいんだよ。あの時みたいに無理やり触って怖がらせたくないし、順番を守りたい」
カイザーが顔を埋めたまま、切実な声音で訴える。
「ゆっくりでいいんだ。これからずっと一緒なんだから。初夜だって、最後までできなくてもいいと思ってる」
「最後って?」
「……」
「カイザー?」
初夜には何か手順のような順番があるのだろうか。だとしたらあの夜は何番目まで進んだことになるのだろう。
そして、カイザーはなぜ急に黙り込んだのだろう?
「……メイド長に教えてもらえ」
顔をあげたカイザーは何とも言えない、複雑な表情だった。
その後、砦に戻ったエリシアナはメアリーに尋ねた。
「それは使用人が教えることではないのでダルトン特尉に直接教えてもらってください」と言われたと告げたら、「育児放棄だろ」と、頭を抱えて低く唸ったカイザーだった。




