17.不穏な朗報
念のためR15回(一部)です。ご注意ください。
カイザーを襲った刺客は、サイス領に駐屯経験のある元軍人であることがわかった。
懸賞金に目が眩みエリシアナを狙っていたが、護衛が手強いためまずは護衛から襲うことにした、と供述しているらしい。自害用の毒を仕込んでいた用意周到さを考えても、単なる賞金目当てのゴロツキとは思えないため、引き続き尋問を継続している、と東部支部から報告を受けた。
調査は支部に任せることにして、白薔薇砦はいつもどおりの日常に戻ったのであった。
脇腹を刺されたとは思えないほど、いつもどおりに訓練場で使用人達をしごいていたカイザーに、アイザックが呆れたように声をかけてきた。
「あんた、またお嬢様を怒らせたのか?」
「……怒らせたわけじゃない」
「どうせあんたが悪いんだろ。さっさと謝って許してもらえ」
「……」
カイザーが理性を吹っ飛ばしてエリシアナに手を出してしまったあの夜から、二人の間には気まずい空気が流れていた。
エリシアナが気持ちを完全に受け入れられるまで手を出すまいと決意していたのに、我慢できず無理やり手を出してしまった罪悪感。そして、一度知ってしまった彼女の柔らかさに、少しでも気を抜けば再び触れてしまいそうになる己の衝動。
その両方のせいで、カイザーはこれまでどおりにエリシアナに接することができなくなっていた。一方のエリシアナも、無視はしないものの明らかにカイザーと視線を合わせず、物理的な距離を取ろうとしていた。
二人の空気がおかしくなったことに使用人達はすぐに気づき、なぜか彼らは皆エリシアナではなくカイザーに呆れた顔を向け、苦言を呈してくるのだった。
お互いが気まずさを抱え、今までにないよそよそしい関係が続いていた雪の降るある日。白薔薇砦に思いがけない珍客がやってきた。
「……フィズ?」
応接室に呼ばれてやってきたカイザーの目の前には、エリシアナとブラッド、そして軍事学校時代からの後輩であるフィズィーロ・アルバ軍曹の姿があった。
「なんでお前がここにいる? どうやって入ってきた」
「久しぶりの挨拶がそれって、先輩は相変わらずですね。ちゃんと通行証を出して、正門から入ってきましたよ」
フィズィーロの右手には確かに白薔薇砦の通行証が握られていた。この白薔薇砦が不法侵入を許したわけではないとわかり安堵したカイザーだったが、久しぶりに会う後輩の雰囲気に違和感を覚えた。
フィズィーロは軍人にしてはあまり目立たない体格で、性格も飄々と人懐っこく、軍人らしくない奴だとカイザーは思っていた。中肉中背で、帝国内ではよくある茶髪に焦茶の瞳、顔立ちは悪くはないが誰もが振り返るほどの美男でもない。
「先輩、先輩」とカイザーはなぜか懐かれ、目立った成績は残せていないが能力に問題はなく、意外と要領がいいこともあって、彼は平民あがりではあったが一緒に行動することも多かった。入軍してからも何かと目をかけていた仲の良い後輩だった。
だが、今目の前にいるフィズィーロは顔はにこやかに笑っているものの、どこかひどく不穏な雰囲気を醸し出していた。カイザーの軍人としての勘が訴えてきた。「何か嫌な予感がする」と。
「……アルバ軍曹がここに来たのは、ヴァルツァー少佐からあなたへ伝令があるからだそうよ」
応接室のソファに腰掛けていたエリシアナが、こちらを見ることなくカイザーに声をかけた。その声は暗く、手は膝の上で組まれた手は固く握りしめられて白くなっていた。彼女の真後ろに控えるブラッドも顔を険しく強張らせている。
「伝令? 支部から?」
「えぇ、そうです。ヴァルツァー少佐のお遣いで来ました。先輩、朗報です。――中央に復帰命令が出ましたよ」
「……は?」
カイザーは自分が何を言われているのか、すぐには理解できなかった。
「だから、中央本部に戻れるんですって! 白薔薇砦の護衛は俺が引き継ぐことになりました。詳細は支部でヴァルツァー少佐に直接聞いてください」
「……は? ……中央? そんなふざけた辞令があるか!! つい最近、刺客が襲ってきたばっかなんだぞ!」
重苦しい応接室にカイザーの怒声が響いた。エリシアナやブラッドはカイザーが来る前に内容を聞いていたのだろう。先ほどのフィズィーロの言葉に驚く様子はなかった。
「俺に怒らないでくださいよ、俺が辞令出したわけじゃないんだし。そんなに不服なら、まずは支部へ行ってみたらいいんじゃないですか?」
頭に血が上ったカイザーは仲が良かったはずの後輩を強く睨みつけた。
フィズィーロとは冗談を言い合って戯れ合うことも多かったが、今のフィズィーロは表面上はカイザーに親しげに言葉を発しているものの、その裏には明確な悪意が感じられた。
――こいつは一体誰だ、なんでこんなに不快なんだ。
ここにいても埒があかないと判断し、カイザーはすぐさま東部支部へ向けて飛び出していった。あまりにも突然の「朗報」に、カイザーは絶望に固まるエリシアナを気遣う余裕すら持ち合わせていなかった。
バァンッ! と、応接室の扉が乱暴に閉められる音が、エリシアナの心に重く、重く響いた。
*
「さて、先輩もいなくなったことですし、これからのお話をしましょうか、カーズ夫人?」
カイザーが出て行った後の応接室は重苦しい雰囲気を引きずっていたが、それを全く意に介さずフィズィーロは俯いて固まるエリシアナに明るく声をかけた。
「夫人の一日の行動スケジュールを教えてもらえます? これからは俺が護衛することになるんで」
「……どうして」
ポツリと溢れた言葉はひどく震えていた。
いつも心のどこかで不安だった。いつか、カイザーが自分の元から離れてしまうのではないかと。
彼は理不尽に東部へよこされただけで、彼自身に問題があって左遷されたわけではない。彼は誰もが認める優秀な軍人だから、護衛の必要性が無しと判断されたらまた中央本部へ戻ってしまうのではないか。
今は愛情を向けてくれるけれど、離れてしまったらその愛情はどうなるのだろう。
そんな不安を抱えたまま気持ちを伝えることが、どうしてもできなかった。
あの夜。
初めての濃厚な接触は性急で、心の準備ができていたわけではなかった。それでも、いつも余裕綽々で尊大な態度をとる男が余裕を無くし、本能のままに自分に溺れる姿に、エリシアナは狂おしいほどの歓喜と興奮を覚えた。恐怖は全くなかった。
翌朝、首筋やデコルテあたりまで無数に散らされた赤い花を見て、羞恥に悶えた。彼に刻まれた痕を見るだけで、男の手つきや熱く吐き出された息遣い、そして焦らされるように深く重なった唇の感触が蘇り、その全てがエリシアナの身体をまた甘く痺れさせた。
色恋には無関心だったはずなのに、あの夜を思い出すだけで、彼を求めて胸の奥がひどく疼くようになってしまった。そんな自分に戸惑いながらも、カイザーを見ると「触れたい」「触れられたい」という熱情が湧いてきてしまう。
カイザーを前にして平静を装えなくなってしまった。顔を合わせられず、避けてしまった。
彼がずっと傍にいてくれる保証なんてないことは、わかっていたはずなのに。
――あの人が、いなくなってしまう。
彼の気持ちを受け入れ、自らの気持ちを捧げた後で物理的に引き離されてしまったら、もう生きていけないことがエリシアナにはわかっていた。
真っ暗な奈落の底に突き落とされたように、恐怖と絶望で全身の重心を保てなくなる。
「どうしても何も、軍人の人事なんてこんなものですよ。そんなに驚くほどですか?……それとも、先輩に惚れちゃったんですか」
エリシアナの力が入りすぎて白くなった拳がピクリと動いた。
「あぁ〜、まぁ先輩かっこいいですもんねぇ。わかりますよ、帝都でもモテモテでしたもん。あの人経験豊富だから女性のツボをつくのが上手いっていうか、その気にさせるの上手いんですよ。だから勘違いしちゃう女性が大勢いたな〜」
フィズィーロはエリシアナの知らない、東部に来る前のカイザーについてわざとらしく得意げに語る。彼の話は事実なのか誇張なのか、エリシアナには判別できなかった。
たった数ヶ月だが、これまで彼がくれた言葉や感情は、自分だけは特別だった。だって、あんなにも瞳を熱くしてエリシアナを真っ直ぐ欲しがっていた。自分にだけは、甘く笑いかけてくれた。
「先輩がいきなり東部に左遷された時なんて何人の女の子が泣いたことやら。あ、でも先輩ってあぁ見えて女嫌いなところあって特定の恋人は作らないし、同じ女性と二度は関わらないで有名なんですよ。特に貴族の女性が嫌いなんですって」
――もう、聞きたくない。
聞きたくないのに制止する声も、耳を塞ぐ手も動かない。
カイザーが女性経験が豊富なのは黒薔薇からの調査報告書で知っていた。けれど、帝都にいた彼を知る第三者から直接、こんな悪意に満ちた言葉で聞かされるのは、あまりにも精神的ダメージが大きかった。
呼吸が浅くなり、身体の芯が冷えていく。
俯いて肩を震わせ始めたエリシアナを見て、ブラッドが堪らず口を挟んだ。
「アルバ軍曹殿、ダルトン中尉が不在の場でそのような話は不適切かと」
「え? そうです? 別に陰口でもないし、帝都では誰もが知ってる事実ですよ」
フィズィーロは全く気にしなかった。
「先輩は俺たち後輩の中でも憧れの存在だったんですよ。貴族の生まれなのに最前線に出て率先して動くし、面倒見もいいし、何より強いし、あっという間に昇進していって。それに嫉妬する奴らもいたけど、上層部だって先輩のことすごく評価してたんですよ? 将来は絶対帝国軍を背負う存在になるって。なのに東部に左遷なんてあり得ないって、憤る奴らばかりでしたよ。先輩が何をしたんだって」
フィズィーロは震えるエリシアナを真っ直ぐ見据えながら、なおも残酷な事実を叩き続ける。その瞳は笑っているようで笑っていなかった。
「中央では先輩を待ってる人がたくさんいるんです。先輩はこんな田舎東部のいち護衛で終わるような人じゃない。だから、数ヶ月で中央に復帰命令が出て本当に良かった。夫人は砦から出ないんですよね? なら護衛は先輩じゃなくても問題ないですね」
エリシアナは何も言えなかった。
そして、フィズィーロが何を言いたいのか、痛いほどによくわかった。
「……カーズ夫人、先輩の輝かしい未来をを思うのなら、どうか解放してくれますよね」
エリシアナの頬を、冷たい涙が静かに伝い落ちた。




