16.再びの影と重なる熱
念のためR15回としておきます。ご注意ください。
――付けられている。
カイザーがそのことに気づいたのは、新年の催しからしばらく経ち、ディオスの街も通常の生活に戻りつつある頃、東部支部へ定期連絡へ向かう道中だった。
白薔薇砦の密偵が今更自分を尾行する意味はないし、明らかに軍人であることが見てわかるカイザーを狙う物取りやゴロツキはいないだろう。であれば、考えられる可能性は一つだった。
カイザーは自分を尾行する何者かに悟られないよう、支部からすぐに応援に駆け付けやすく、且つ領民を巻き込まない路地裏へと自然な足取りで誘導した。
「俺に何か用か?」
暴れるのにちょうどいい袋小路に入ったところで、後ろを振り返りながら問いかけた。
目の前には観光客や領民に扮したガタイのいい男が五人、無表情で立っていた。その手には物騒にもナイフが握られている。
「あの時みたいに爆弾は持ってないよな?こんなとこで爆発したら目立つもんな」
カイザーは腰に下げたサーベルを右手に、懐から取り出した銃を左手に構えた。数秒の沈黙の後、男達が一斉に殺気を放って襲いかかってきた。
後ろを取られないようポジショニングに注意しながら振り下ろしてくるナイフを避け、同時に相手の鳩尾を蹴り上げ一瞬で戦闘不能にする。
二人同時に向かってきた男達には足に正確に銃弾をお見舞いし、悲鳴をあげている隙に腕をへし折った。
圧倒的な実力差に怖気づき、踏み込めなくなった残りの二人の間合いにはこちらからあっという間に踏み込み、サーベルで脚と腕の腱を的確に斬り裂いた。
「少しの間じっとしとけよ。そのうち支部からお迎えが来る」
先ほど二度発砲したので、支部に近いこの場所なら巡回中の軍人が誰かしら異常に気づいてやって来るだろう。それまでこいつらが逃げ出さないよう見張っておかなければ。
生け捕りにしたこいつらを尋問すれば、エリシアナを狙う黒幕の情報を少しでも掴めるかもしれない――。
カイザーは決して気を抜いていた訳ではなかった。
だが、戦闘不能になった男達が、最後の力を振り絞って予め口内に隠していた毒薬を噛み砕き、一斉に泡を吹き始めたのだ。
カイザーはまだ自決の阻止が間に合いそうな男に慌てて駆け寄り、毒を吐き出させようと顔を掴んだ。
その瞬間。どうやら男が隠し持っていたらしい凶刃が、カイザーの左脇腹を深く切り裂いた。
「ハハッ、これで、任務達成だ……」
薄汚く半笑いする男を今度こそ容赦なく沈め、口の中の毒薬を抉り出した。
そこで数人の軍人達が駆けつけてきたので、カイザーは大まかな説明のみでその場を任せ、痛む脇腹と血の滲んできた軍服を押さえながら、白薔薇砦で待つ愛しい女のもとへ、薄れゆく意識を保ちながら何とか帰り着いた。
砦の門を潜り、玄関ホールに倒れ込むように入った瞬間、周囲の空気が凍りついたのがわかった。
いつも不敵で尊大な態度を取っているカイザーが今は苦痛に端正な顔を歪ませ、立っているのもやっとの血塗れの状態なのだから無理もない。
血相を変えて悲鳴を上げながら駆け寄ってくるエリシアナの顔を見て、カイザーはようやく気が抜けたのか、その場にガクンと膝をついた。
「っ、悪い、ちょっと休む、心配、するな……」
掠れた声でそう言い残し、彼女の細い腕の中に倒れ込んだのを最後に、カイザーの意識は完全に暗転した。
*
カイザーの目が覚めたのは三日後の夜中だった。
まだぼんやりする頭で記憶を遡り、自分の身体の状況に意識を向けた。これまでの経験上、この脇腹の刺し傷の深さならあと数日でおおかた動けるだろう。自分としたことが、あんな奴の毒ナイフにやられてしまうとは。刺し傷は大したことはなかったが、毒のせいで高熱を出して寝込んでしまった。
ベッド脇のサイドテーブルには薬袋や水の入った盥などが置かれていた。カイザーの額に乗せられた手拭いは冷たく、誰かが頻繁に取り換えてくれているのだろう。
まだ熱で怠い体を無理矢理起き上がらせ、カイザーは汗でベタつく体を綺麗にしようと浴室へ向かった。
脇腹の傷に直接湯がかからないよう気をつけながら頭からシャワーを浴び、三日前のことを考える。
今回の刺客は明らかにカイザーを狙ってきた。そして、生け捕りにした男が発したあの言葉――。
――ハハッ、これで、任務達成だ……
カイザーを傷つけることが目的だったというわけか。エリシアナの護衛から排除することに切り替えたのか、それとも情に篤い彼女に「自分のせいで彼が傷ついた」と精神的ダメージを与えるためか。
どちらにせよ、状況が大きく動いてきたのは確かだ。
汗を流したことで体の怠さも少し取れて、明日に備えてもう一度寝ようとカイザーがベッドへ入って少しした頃。
部屋の前で微かな足音がした。勘の鋭いカイザーはすぐに誰の足音かわかった。わかった上で、寝たふりをすることに決めた。
足音の主はノックもせずに部屋に静かに入ってくると、真っ直ぐベッドへ近づいた。カイザーがシャワーを浴びに起きた時に枕元に放った手拭いを冷水に浸し、水気を絞った後にカイザーの額に優しく置いた。
そのひんやりとした感触に、カイザーはこの足音の主が初めてこの部屋にやってきた時のような、ドロリとした熱が身体にこもっていくのを感じた。体が回復したことで、ここしばらく必死に押さえ込んでいた彼女への熱情も一気に顔を出してきたようだ。
目を閉じていることで余計に女の手や、薔薇のような甘い香りが強く感じられる。
顔色の良くなったカイザーに安心してふっと吐かれた息がカイザーにかかり、心臓が大きく跳ねた。
――本当にこの女は、こんな夜中に無防備に近づいてきて、何を考えている。
エリシアナはベッドから離れないどころか、更にカイザーへ手を伸ばし頬にそっと手を添えた。華奢で少しひんやりとした指先が、カイザーの頬から耳、閉じた瞼と優しく愛おしそうに触れてくる。
その細い指でカイザーの唇にしっかりと触れた瞬間、我慢の限界にきたカイザーは目を開けると同時にエリシアナの腕をガシッと掴んだ。
「こんな時間に男の部屋に入ってくるなんて何考えてるんだ?」
「!、っ、い、意識が戻ってたの?!」
「おかげさまで数時間前にな」
「な、なんで人を呼ばないの!」
「言っただろ、ちょっと休むだけだって」
「三日は"ちょっと"のうちに入らないわ。……心配したんだから。体はどう?」
「脇腹は大したことない。毒が少し厄介だっただけだ。それもある程度は耐性ついてるし、もう大丈夫だ。……また自分のせいだとか考えてるんじゃないだろうな」
「……実際、そうじゃない。……きゃっ」
また自分を責めて殻に篭ろうとするエリシアナを自分に勢いよく引き寄せ、ベッドの中へ引き摺り込んだ。
衣服越しにくっついたエリシアナの胸の鼓動がカイザーにまで響いてきた。先ほどシャワーを浴びていてよかった。
「俺はエルが狙われなくてよかったと思ってる。爆弾で狙われた時、本当に心臓が止まるかと思ったほど怖かった」
あの時の恐怖を思い出し、たまらずエリシアナを強く抱きしめた。彼女の柔らかさや匂いが更に強くなり、エリシアナがおずおずとカイザーの背中へ腕を回してきた。
――あ、マズイ。
カイザーの身体はもう既に熱を持っていた。このままでは腕の中のエリシアナにも勘付かれるので、体を離しながら話題を強引に戻した。
「で、何しにきたんだ?」
「……様子を見にきただけ」
「その割には手つきがやらしかったな」
「そっ、そんなこと……」
エリシアナは目線を彷徨わせ、わかりやすくあたふたし始めた。
その初々しい反応に、カイザーは身体の奥に更にドロリとした熱が更に溜まっていくのを感じた。
カイザーが見てきたエリシアナは、色恋に初心で、異性からの下心を嫌悪すらしそうだと思っていたが、先ほどカイザーに触れた手つきといい即座に否定しない態度といい、どうやら彼女にもそういった女としての欲は無意識にでもあるようだ。
カイザーは東部に来てから一度もそういった店に行かなかった。白薔薇砦の優秀な密偵からエリシアナに報告が入った時の彼女の反応を想像すると行く気になれなかった。何よりエリシアナへの欲を他の女で発散するなんて虚しい上に、他の女ではもう満足できない。カイザーは夜な夜な湧き上がる熱を一人で持て余していた。
なのに、夜這い同然の真似をしてきた上に、女自身が無自覚な下心を持った上で触れてきたのだ。カイザーの病み上がりの身体の奥で、どうしようもないほどの熱と、わずかな怒りが湧き上がった。
「あんたのこと欲しがってる男のベッドに入るなんて危機感がなさすぎる」
「ベッドに引き摺り込んだのはあなたでしょう?!」
「そんな薄着で、寝てる男に触るなんて……ちょっと痛い目にあった方がいい」
「え? っ、ひゃぁっ」
カイザーはエリシアナに深く覆い被さると、無防備に晒された白い首元に顔を埋めた。
何度も甘く吸い付き口付け、薄手のネグリジェの上からエリシアナの細腰や華奢な背中を熱を帯びた大きな手で撫でさすり、自身の大きく熱い身体を密着させた。
カイザーはまだ十分理性を残していた。
この先本当に結ばれる時に、今の強引な触れ合いがトラウマになって怯えさせたくなかった。ただ、少し痛い目を見て危機感を持って欲しかった。そうじゃないと自分がもたない。
カイザーはこれでもかなり手加減していた。
今までにない濃厚な接触にエリシアナは混乱し、暗い部屋の中でもわかるぐらい羞恥で真っ赤に染まっていた。
彼女を出来るだけ怖がらせないよう、首筋や鎖骨に口をつけても、唇にキスはしなかった。体のラインに沿って熱を這わせるように触れるが、服を剥いだり捲りあげたりもしなかった。密着するカイザーの身体は限界に近い熱が発せられたが、必死に我慢した。
エリシアナの生い立ちやこれまでの様子から、異性を避けていただろうことは想像に難くない。
なのに、カイザーには少しずつ心身ともに距離を縮めてくれている。
今は、それで十分だ。
深く息を吐いてカイザーが身を起こした。これ以上触れているとそのうち加減してやれなくなる。
「これで懲りたろ、もう自分の部屋に戻れ」
「ぇっ……」
真っ赤に悶え、潤んだ碧い瞳がカイザーをすがるように見上げた。
思わず漏れたエリシアナの寂しげな声と、こちらを見上げる瞳に、明らかに「この先」を期待しているような物足りなさが滲んでいた。
それが見えた瞬間、何とか繋ぎ止めていたカイザーの理性が一瞬で吹っ飛ばされた。
「……ほんと、何なんだあんたはっ」
「っ! きゃぁ」
エリシアナを乱暴にベッドへ沈み込ませ、逃げられないように両手首を片手で頭上に縫い留めた。
押し潰さないよう身体全体で彼女にのしかかりながら、先ほどよりもずっと甘く、そして激しく、真っ赤になった耳やうなじに何度も口付けた。もう片方の手で、衣服の上から熱を持った柔らかな曲線をなぞり、焦らしてきた唇をとうとう深く塞いだ。
「っん、っ、んぅっ」
自分の身体の下で、好きな女が生まれて初めて出すだろう甘く掠れた声に、カイザーの思考が白く染まる。その声に恐怖や苦しさは感じられず、初めて知る熱に身を委ねているようだった。重なる唇の隙間から零れる甘い吐息と、小さく跳ねる彼女の背中がカイザーに直に伝わってくる。
刺された脇腹が焼けたような熱を持ち始めたが、そんなことが気にならないくらい押し倒した女に夢中になった。
――だめだ、これ以上は。
後戻りできなくなりかけた直前、カイザーは最後の理性を総動員して、強引に自らの体を引き剥がした。
「はぁっ、はぁ、っ……」
荒い呼吸を繰り返すカイザーが恐る恐る顔を覗き込むと、エリシアナは熱に浮かされたようにぼんやりとしており、目が半分閉じていた。肩で息をしながら、身体は先ほどの余韻で小刻みに震えている。
どうやら慣れない熱に当てられて、完全に体力が尽きたのだろう。
「起きれるか」
「……ん、むり、もぅ、……ねむぃ」
その言葉の後、エリシアナはぐったりと寝落ちてしまった。
カイザーは自身の呼吸を整え、眠ったエリシアナをそっと抱き上げて、彼女の寝室まで運んだ。先ほどまで感じなかった脇腹の痛みが激しく自己主張し始めたが、まだ暴れそうになる理性を保つのにちょうどよかった。
再び自室に戻りベッドに潜ると、シーツには先ほどの甘い熱の跡と、エリシアナの匂いが色濃く残っていた。
それを嗅ぐたびに胸の奥が再び疼き出し、結局カイザーは、その後夜明けまで一睡もできない羽目になったのだった。




