15.彼に気づく祝夜
雪がちらつくようになった冬の白薔薇砦は俄かに忙しくなった。
ただでさえ少ない使用人達が慌ただしく動き、ブラッドやメアリーは何やら頻繁に打ち合わせを開いているようで、いつも以上に忙しそうだった。
だが、その顔に疲労の色はなく、砦全体が何やら浮かれているような、祭りを待つような浮き足だった空気が漂っていた。
その中でいつもどおりの生活だったのが、砦の主であるエリシアナとその護衛のカイザーだった。
エリシアナを苛めすぎて泣かせた後、カイザーはひたすら謝り続けた。事情を知らないブラッドとメアリーが同情し、介入したことでようやく二人の仲は通常に戻った。もちろん、メアリーには苦言を呈されたカイザーだった。
「なんか、砦の中が騒がしくないか?」
「そう? この時期はいつもこんなものよ」
エリシアナは平然と答えた。
もうすぐ年末だし、年明けの準備で忙しいのかと深く考えなかったカイザーだったが、その本当の理由がわかったのは訓練場で使用人達をしごいた後にアイザックと雑談していた時だった。
「あんた、ちゃんと準備してるのか?」
「ん? 何をだ?」
「何をって、お嬢様のプレゼントだよ」
「プレゼント?」
「まさか……まだ知らねぇのか? 明日はお嬢様の二十四歳の誕生日だろ」
「はぁあああ?!」
訓練場にカイザーの間の抜けた声が響き渡った。
*
「何で言わなかった」
「何をよ」
「明日、誕生日なんだろ」
「……、自分から誕生日なの、なんて言わないでしょ」
「使用人達に口止めしてたろ」
訓練場からそのまま砦の南側三階の執務室に乗り込んできたカイザーは、いつもどおり政務に励むエリシアナを追及した。
アイザック曰く、誕生日パーティーについてはエリシアナからカイザーに直接伝えるため他言無用と命じられた。前日になり、もう伝えられていると思い込んだアイザックがうっかり口を滑らせてしまった、ということだった。
今度はカイザーの方が機嫌を損ねた。
「今からじゃろくなプレゼントが用意できないだろ」
「別にいいわよ、子どもじゃないんだから。パーティーを開くって言っても喪中だし身内だけのちょっとした食事会のようなものよ」
『ちょっとした食事会』ならブラッドやメアリーも含めて使用人達があんなに忙しそうにするはずがない。
カイザーが白薔薇砦に来てから数ヶ月だったが、砦の人間には受け入れられていると思っていたし、ハッキリと口には出したことはないもののエリシアナとの仲は特別だと思っていた。
なのに、使用人達に口止めまでして自分を蚊帳の外に追いやったエリシアナに腹が立つ以上に傷ついた。
「もういい、しばらく出る」
カイザーはその日、白薔薇砦に来て初めて、門限までに砦に帰ってこなかった。
*
白薔薇砦は外観の美しさで観光客を魅了するが、主の気質を反映して内部は至って質素だ。
派手なインテリアや骨董品などは一切なく、あくまで実用的で落ち着いた雰囲気に調和する最低限のものしか置かない。
しかし、一年に一度のエリシアナの誕生日だけはその外観に負けないほど、砦の内部も豪奢に飾り付けられる。
それは、砦に来たばかりの声を失ったエリシアナのために、ガリオンが自ら始めたことだった。今年は喪中だし中止しましょうとエリシアナは提言したが、使用人一同猛反対した。旦那様なら自分のことは気にせずお嬢様を思いっきり祝えと願うはず、と。その勢いに押され、変わらず開催されることになった。
エリシアナの誕生日パーティーは広い玄関ホールを豪華に飾り付け、立食形式で行われる。
この日は使用人も無礼講で食事と酒を楽しみ、彼女の誕生日と一年を無事に過ごせたことを思いっきり祝う。パーティーの終盤にはガリオンを中心に宴会が始まり、酒好きな男達は酔い潰れて死屍累々となり、それを女性陣は呆れた顔で介抱する。エリシアナはその様子を笑いながら眺めるのが毎年好きだった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
パーティーが始まってしばらくして、メアリーがエリシアナへ声をかけた。
綺麗に飾り付けられた砦の玄関ホール、豪勢な食事、使用人達からのささやかなプレゼント、いつもならとても心躍る時間だった。
エリシアナは肌を覆い隠す喪服を今日のこの時間だけは脱ぎ捨て、デコルテを広く露出した深い青のオフショルダードレスを身に纏った。華美なリボンやフリルは一切ないが、落ち着いた光沢のあるシルク生地が体のラインを出すことで上品な華やかさを出していた。いつもは簡単にひとまとめにしているだけの髪はメイドに丁寧に編み込んでもらい、ドレスに合った化粧も施していた。
いつもなら楽しい時間のはずが、エリシアナの心は重苦しかった。
美味しい食事も味が感じられず、磨かれたグラスに映る久しぶりに着飾った自分の姿がひどく滑稽だった。
あの男がいないだけでこんなにも何も感じられない。左のこめかみに差し込んだ白薔薇のヘアピンが凍り付いたように冷たかった。
カイザーに誕生日を教えなかったのはひとえに自分の心の弱さのせいだ。
教えたらあの男はきっと心のこもったお祝いをしてくれるだろう。そうしたらもっとあの男の存在が大きくなってしまって自分一人で立てなくなってしまう。いつまで傍にいてくれるかわからない存在に、これ以上心揺さぶられたくない。だからこそ、いまだにあの男の名前を呼んだことはなかったのに。
傷ついたような顔で出ていったあの男の背中が頭にこびりついて離れない。
今朝、カイザーが砦に戻ってこなかったと報告を受けてエリシアナの心が完全に凍り付いた。今までどんなことがあっても、門限を守らなかったことなど一度もなかったのに。このまま、もう二度と帰ってこなかったらーー。
エリシアナはその時悟った。あの男の存在は既に大きくなり過ぎて、もうとっくに、手遅れだった、と。
その時だった。
落ち込むエリシアナを励ますようにいつも以上に騒いでいた使用人達が、パッと嬉しそうな顔で一斉にホールの入り口を見た。
「どうした……の」
状況がわからず首を傾げたエリシアナが、玄関ホールの入り口に立つ長身の男を視界に入れた途端。
それまで聞こえていた音楽や使用人達の騒ぐ声がふっと無音になった。煌びやかな空間で、ただ、その男の姿だけが鮮明に映し出されていた。
カイザーはまっすぐエリシアナを見つめ、ゆっくりこちらに近づいてきた。外は雪が降っているのかコートの肩口は少し濡れており、鼻先は少し赤らんでいた。
*
カイザーが心を奪われたのは人生で二度目だった。
一度目は初めて白薔薇砦を訪れた時、そして二度目は今、初めて着飾ったエリシアナを見た、この瞬間だった。
砦に戻ってくる前までは、恨み節の一つでも言ってやろうと思っていた。なんてひどい女だ、薄情な領主代理だと。
だが、いつもとは違う華やかな砦の中、深い青いドレスを纏い、儚げに佇む白薔薇の女神を見た瞬間、そんな幼稚な怒りは全てが吹っ飛んだ。
「好きだ」
静かなホールに響いたその言葉を口にしてから、自分が何を言ってしまったのか理解した。
――しまった、まだ言うつもりなんてなかったのに!
「綺麗だ」と口にしたつもりだった。だが、脳の言語中枢と口がチグハグに動いた。
自分が何を発したか理解し、顔から火が出るほど狼狽したその時。
パンッ!
誰かがクラッカーを二人に向けて鳴らした。それを呼び水に、空気を読み切った他の使用人達が一斉にクラッカーを鳴らし始め、飾り付けられた玄関ホールは火薬の匂いと花吹雪でいっぱいになった。
仕事ができる気の利く使用人達は、呆然とする二人を会場から少し離れたバルコニーへ半ば強制的に押しやり、メアリーはにっこりと笑ってファーショールをエリシアナの肩にかけた。
雪がちらつく冬の夜、玄関ホールから漏れ聞こえる音楽や騒ぎ声をBGMに、エリシアナとカイザーはどちらも口を開けずにいた。
カイザーは内心、激しく後悔していた。
気持ちを伝えるつもりはまだなかった。エリシアナとの関係は深まってはいたが、喪中だからと頑なに喪服を着続け、領主代理として忙しく働き続ける彼女の姿や、命を狙われる状況が変わらない現状を考えると、カイザーの気持ちはエリシアナにとって負担になると思った。
なのに、あっさりと口にしてしまった。自分から愛の告白だなんて、したことがなかった。もっと、きちんと準備して万全の状態で言うつもりだったのに。
普段のエリシアナなら照れて狼狽えたり、皮肉で返したりするだろうに、黙ったまま俯いているのもカイザーの後悔を後押しした。
たまらず、カイザーは横目で恐る恐るエリシアナを盗み見た。
「っ、なんで泣く?! そんなに嫌だったのか?!」
「だ、だって……」
エリシアナは止まらない涙を両手で必死に拭い続けていた。
カイザーは愕然とした。自分の気持ちは喜ばれはせずとも、拒絶はされないだろうとたかを括っていた。困りながらもいつもの照れ隠しで皮肉で返す姿は予想していたが、まさか大泣きされるとは思っていなかった。
「悪かった、さっきのは忘れてくれ!」
「ち、違うっ!……あなたがっ、もう帰ってこないと、思って」
「え?」
「わ、私がっ、怒らせた、からっ……」
「……っ」
カイザーは思わずエリシアナを抱きしめた。
昨日の去り際の幼稚な態度が彼女を傷つけてしまった申し訳なさ以上に、「自分がいなくなってしまったかもしれない可能性」に泣き出すほど強く思われていたことにカイザーは胸が熱くなった。
女の涙なんて面倒くさいと思っていたのに、エリシアナの涙は今すぐ拭ってやりたくなる。
「エルの護衛なんだから、帰ってくるに決まってるだろ」
「でも、門限、過ぎても、帰ってこなかったっ」
「あぁ、ちょっとディオスから離れてて。護衛なのに勝手して悪かった」
「な、なんで」
カイザーは腕の力を緩め、エリシアナの涙を拭ってやると、懐から小箱を取り出した。
「なかなか良いのが見つからなくて、時間かかっちまった。もっと早く教えてくれればちゃんとした物を用意できたんだぞ」
そう言いながら、小箱を開けるとシルバーの小振りなイヤリングが一対収められていた。政務の邪魔にならず、いつもの喪服に付けても問題ないデザインで、シンプルだが上品なものを好むエリシアナに似合うと思った。それにあれからいつもつけてくれている白薔薇のヘアピンともよく合う。
カイザーはコートを脱いでエリシアナの肩にかけてやりながら、イヤリングを直接耳につけてやった。偶然にも、今日の深い青いドレスにも良く合っていた。
エリシアナの涙がようやく止まり始めたのを見て、カイザーはもう一度、今度は確かめるように抱きしめた。
「さっき俺が言ったこと、今すぐ答えてくれなくていい。でも、あの言葉は本当だからな」
エリシアナが腕の中で微かに頷いた。
誕生日をわざと教えてくれなかったのも、カイザーの行動がエリシアナの心に大きく作用することを恐れてのことなのは、彼女の涙を見てわかっていた。
幼稚にも傷ついてしまったが、しばらく砦を離れてプレゼントを探していたことでカイザーは冷静になれた。
真面目で強情な彼女が、この感情を完全に受け入れられるまで、気長に待とう。
「もう泣き止んだか? あんまり泣くと明日ひどい顔になるぞ。まぁそんな顔も可愛いだろうけど」
――ほら、もう皆の所に戻ろう。
カイザーはバルコニーの扉の方へ背を向けた。すると、数歩も歩かないうちに背中に小さな衝撃が追突してきた。
「……黙ってて、ごめんなさい。それから、あ、ありがとう」
カイザーの背中のシャツをギュッと握りしめ、エリシアナが小さな声で囁いた。
カイザーは後ろ手にそんなエリシアナの頭を優しく撫でた。
「うちのお嬢様はホントに俺の背中が好きだな」
揶揄い混じりの言葉にエリシアナは反発しなかった。
その後、カイザーに手を繋がれて戻ってきたエリシアナの碧い目が赤く染まり、両耳に新しく付けられたイヤリングを見て、白薔薇砦の使用人たちは歓喜に沸き、夜中まで騒いだのだった。




