13.季節外れのバラ祭り
秋風の中に冬の気配が感じられるようになった頃。
ディオスの街は浮き足だち、あちこちに色とりどりのバラが飾られるようになった。子どもも大人も祭りの準備に忙しく、この時期は観光客や出稼ぎ商人も増えてディオスの街は一年で最もごった返し、ざわめき立つ。
いよいよ、ディオスの街恒例の「バラ祭り」が始まった。
バラ祭りは前夜祭・本祭・後夜祭の三日にかけて開催される。この三日間は東部支部をあげて軍人達が警護に駆り出され、領主であるカーズ伯爵家と密に連携をとることになる。
その窓口は昨年まで執事長のブラッドが担っていたが、今年はその窓口はカイザーに引き継がれた。一応東部支部所属の軍人であるカイザーの方が支部とのやりとりがスムーズにできるという点もあったが、何よりカイザーが白薔薇砦に不可欠な存在になりつつあったから、という点が大きかった。
エリシアナが泣きじゃくったあの日以降、エリシアナとカイザーの関係が少し変化した。相変わらず強がりで澄ましたエリシアナではあったが、刺々しさは幾分か和らぎ、ほんの少しだけ素直になった。
カイザーも相変わらずエリシアナを揶揄いながら、彼女のささやかな変化を微笑ましく思い、肩が触れ合うような軽いスキンシップが増えた。その度にエリシアナが頬や耳を赤らめ、頑なにこちらを見なくなる姿がカイザーにはたまらなく愛おしかった。
そして、二人のそのやりとりを砦の使用人達は温かい目で見守るのだった。
*
「ご褒美をくれ」
「……今度はなに」
祭りのピークが過ぎ、徐々に終わりを意識し始める後夜祭の午後のこと。
忙しさに区切りが付き、エリシアナは休憩がてら前庭の白薔薇を愛でている時だった。
「ここしばらく、支部の連中と街との調整でこき使われたんだから、ご褒美ぐらいいいだろ」
「……それは感謝しているけれど」
「なんだ、珍しく素直だな。明日は雨か」
「失礼ね、私だって感謝の気持ちぐらい表現できるわよ」
「気持ちだけ?」
「……また、お茶に付き合えばいいのかしら」
「それもいいが、……デートしよう」
白薔薇に囲まれた中、見上げた男は有無を言わさぬ頼もしい笑顔を浮かべていた。
*
エリシアナとカイザーは祭りの終盤に入った夕暮れのディオスの街に降りていた。目立たないように二人とも一般的な領民の格好にフード付きの薄手のコートを纏い、傍から見ればバラ祭りを楽しむ恋人に見えるだろう。
カイザーに祭りに誘われた時、エリシアナは嬉しさより恐怖が勝り即座に断った。後夜祭とはいえ普段よりも人混みで溢れた場所に自分が加わってしまえば、「どうぞ狙ってください」と言わんばかりだし、もし無差別に領民諸共襲われたらと思うと足がすくんだ。
ガリオンの存命中でさえ祭りに参加することなく、砦のバルコニーから祭りの喧騒を眺めるだけで満足していたのだ。
だが、カイザーは引かなかった。
「今まで奴らは人目のある場所では襲ってこなかっただろ? 向こうも悪目立ちはしたくないんだ。こっちに討伐の大義名分を与えることになるからな」
確かに、いつも人目の少ない場所で少数で行動している時に襲われてきた。エリシアナを庇って周囲の人間が傷つくことはあったが、無差別テロを起こして無関係の人間もまとめて狙うようなことはまだなかった。
「それに、俺たちの行動範囲だけ警護を増加してもらうようヴァルツァー少佐に話をつけてある。執事長もメイド長も数時間ならって賛成してくれてる」
「いつの間に……」
「これまで街のためにあんなに働いて、戦ってきたんだ。祭りの最後にちょっと楽しんだってバチは当たらない。それに、祭りが上手く運営されているか確認するのも領主代理の大事な仕事だろ?」
カイザーはエリシアナの手を取り、切れ長の綺麗な紫紺の瞳で力強く訴えた。その目には覚悟が感じられた。もう一押し、カイザーは甘く、低い声で言葉を紡ぐ。
――俺が傍にいる。何があっても守るから。
エリシアナは胸が熱くなり、なぜか涙が溢れそうになったことを悟られないよう小さく頷いたのだった。
「お、あのクッキーもあるぞ」
エリシアナとカイザーは祭りの屋台が立ち並ぶ通りをぴったりと寄り添って歩いていた。
人が多いのもあって肩が触れるほどの近い距離と、逸れないようにと半ば強制的に繋がれたエリシアナの右手が、冬の気配が近づいてきた夕暮れの中で熱かった。エリシアナの手をすっぽりと覆うほど大きく筋張った手は、泣き疲れて手を握りながら眠ってしまったあの日が浮かんできていけない。エリシアナの全神経が、右手に集中してしまっていた。
「あの時は全然食えなかっただろ。明日のおやつに食べよう」
カイザーはいつの間にか、あの日の白薔薇のクッキーを購入していた。もう、あの日のことは思い出したくないのに。
「そこのカッコいいお兄さん! 祭りの思い出に恋人にプレゼントはどうだい!」
祭りの喧騒の中、アクセサリーなどを並べている屋台の店員に声をかけられた。
カイザーが陳列棚に目を向けると、祭りの終盤とあってあまり品揃えは良くないが、女性向けの流行のネックレスやブレスレットなどがまばらに並べられていた。
「なんだよ、随分と品薄だな。在庫処分させようってのか?」
「痛いところ付くねぇ! 人気商品は昨日で全部出ちまったんだよ。でも、余り物には福があるっていうだろ?」
店員とカイザーがやりとりしている間、エリシアナは口を挟まずまばらに並べられているアクセサリーを何とは無しに眺めていた。
世の女性達はこういうものを身につけるのね、政務の邪魔になってしまいそう、などと思っていると視界の端に入った「あるもの」に気を取られた。
「これをくれ。すぐ使うから包まなくていい」
「あいよ、毎度あり!」
エリシアナの目に留まった「白薔薇をモチーフにしたシンプルで小ぶりなヘアピン」がカイザーの手に渡った。そしてそのままエリシアナの左のこめかみあたりに差し込まれた。
「ん、良く似合ってる」
「……ぁ、ありがとう」
なんでこの男には全部バレているんだろう。
物も言葉も行動も、押し付けがましくなく自然に与えてくるから戸惑いながらも受け取ってしまう。自分はこの男のことを報告書の情報ぐらいしか知らないのに、過ごす時間が長くなるほどこちらの情報ばかり知られ、エリシアナだけが揺さぶられている。
*
すっかり陽が沈み街灯がつき出した頃、そろそろ食事にしようと比較的大きな酒場に入った。店内は程よく繁盛しており、カウンター席の奥が丁度二人分空いていた。
「前に言ったろ、"今度連れてってやる"って。ここがその店だ」
東部に来た初日、カイザーが一人で情報収集に入った店だった。
デートに最適というには大衆寄りで騒がしかったが、カイザーは約束を守る方を優先した。あれから何度か利用しているが、確かに食事も酒も美味いし、店員や客に怪しい人間がいない事も調査済みだ。
定番のデートスポットは、彼女を取り巻く問題が落ち着いてから行けばいい。
エリシアナはこういう店が初めてなのかキョロキョロと見渡し、大きな碧い瞳をキラキラさせていた。屋台を見て回っていた時も、初めて祭りに連れてこられた子どものように好奇心を抑えられずそわそわしている様子を横目に見て、カイザーの方が浮足立っていた。
今まで不自由な生活を強いられていた分、いろんな所にたくさん連れて行ってやりたいし、いろんなことを教えてやりたい。
カウンターの奥、カイザーの右側に座ったエリシアナのこめかみ辺りで、先ほど贈った白薔薇のヘアピンも嬉しそうに輝いて見えた。
「ほら、コレなんてあんたが好きな味だろ」
「ん、美味しい……」
慣れない場所で食事の注文に手こずるエリシアナに代わって、カイザーは自分の食事はそこそこにエリシアナの好きそうな料理や飲みやすそうな甘いカクテルを注文してやった。エリシアナを喜ばせたい一心で、カイザーは甲斐甲斐しく給仕していた。
「なぁ、外で二人でいるのにいつもの"あんた"呼びじゃ不自然だし、名前で呼んでもいいか?」
カクテルに口を付けていたエリシアナが咽せた。
「だ、ダメ」
「何でだよ、街中で"お嬢様"や"領主夫人"て呼ぶ方が目立つだろ。お忍びで来てるのに」
「ダメなものはダメ! それに領主夫人の名前も知られてるんだから目立つのは一緒じゃない」
「じゃあ、エル」
エリシアナは肩を跳ねさせ、まるで鳩が豆鉄砲でも食らったかのように目を見開いていた。その表情は、驚きと激しい動揺が浮かんでいた。
「エルもダメなのか?」
「……、ダメじゃ、ない」
小さく許可した声は震えていた。
これはどういう感情からくるものか、カイザーはまだ完全にはわからなかった。嫌がっている風でも、単に照れている風でもない。どこか懐かしいものを愛おしむような、けれど同時に触れられたくない傷口を優しく撫でられたかのような、複雑な陰りがその横顔に落とされていた。
理由は追々観察しながら解明するとして、とりあえずは許可を得たことを喜ぶとしよう。また少し沈んだように見えるエリシアナを横目で捉え、カイザーは話題を転換させた。
「そういや、何でこんな時期にバラ祭りをやるんだ? もうすぐ冬だってのに。バラのシーズンは春だろ?」
「え、あぁ。今月は旦那様とソニア様の結婚記念日があるからよ。ソニア様を喜ばせたい旦那様が、"結婚記念に街全体を薔薇で飾り付けたい"って思いつきで始めたのがきっかけらしいわ」
「さすが、帝国の英雄は考えることがぶっ飛んでるな」
「でも、今じゃそれが街の恒例行事になって大事な収入源になってるわ」
「それも含めてぶっ飛んでるな」
「まぁ、実際に企画運営なんかを形にしてきたのはブラッドさんなんだけどね」
ふふ、と微かに笑う横顔が初めて会った時の白薔薇を愛でていた横顔と重なった。
――あぁ、ダメだ。無性にキスしたい。
カイザーは湧き上がってくる欲をエールで強引に飲み流した。
今日はエリシアナのためにヴァルツァーに頭を下げてまで祭りに来たのだ。弱音を吐かない頑なな女が泣いたあの日、彼女の心の重荷を一緒に背負ってやりたい、心の底から安心して笑わせてやりたいと思った。ディオスの領民達が祭りを楽しむ様子を直接見て関わることで、彼女自身がどれほど大きな存在か知ってもらいたかった。
己の欲望は後回しだ。
デザートも楽しみ、そろそろ店を出ようかという頃、エリシアナの言動が覚束なくなった。フードを被った横顔から見える頬は赤く、いつも澄んだ碧い瞳はとろんとしており、体はゆらゆらと不安定に揺れている。
「エル? もしかして酔ったのか?」
「よってない」
酔っ払いは皆そう言うのだが、エリシアナもそのようだ。甘いカクテルを二〜三杯飲んだだけだが、元々酒に弱いのか、それとも緊張から酔いが回ってしまったのか、どう見ても出来上がっている。
カイザーはもうすぐ寝てしまいそうなエリシアナをおぶって砦まで帰ることにした。
*
「なぁ、エル」
秋も終盤の夜、自分のコートをエリシアナに着させて砦までの石畳を歩く道中。
カイザーはまだ完全に寝落ちていない背中のエリシアナに問いかけた。屋台はもう片付けが終わって撤収され、客もほとんどいなかった。街灯に照らされた静かな石畳を歩くのは二人だけだ。
「ん〜?」
「俺のこと、どう思ってる?」
酔って判断力が鈍った相手にずるいことを聞いている自覚はあった。酔ったエリシアナなら素直になってくれるかも、それに明日起きたら覚えていないだろうから今がチャンスだろ、とカイザーの心の中の悪魔が囁く。
「んー、むかつく」
どうやら酔っていても素直にはならない女のようだった。
「……じゃあ、俺のいいところは?」
もう少し足掻いてみる。
「……せなか」
「え、背中?!」
全くもって予想外の答えに思わず大きな声を出してしまった。もっとこう、ルックスとか性格とか行動とかあるだろうによりによって背中。そんなことを言われたのは初めてだ。
それって俺じゃなくてもいいんじゃ……。
「ちなみになんで?」
「……いつもまもってくれるから……おっきくて、あんしんするの……」
ドクンと、カイザーの心臓が一気に跳ねた。
寝落ち寸前でいつもより幼い話し方なのが余計に刺激が強かった。意識しないようにしていたのに、背中に当たる柔らかな膨らみや衣服越しに掴んだ太ももの感触、首元にかかるエリシアナの息遣いの全てが、一気にカイザーの理性を揺さぶりにかかってきた。
コートをエリシアナに着せているので、カイザーは少し厚手のシャツ一枚で晩秋の夜には少し肌寒く感じていたはずなのに。一気に汗が噴き出るくらい身体中に熱がこもった。
「きょう、おまつり、つれてきてくれて、ありがとぉ」
――頼むから止めろ、トドメを刺さないでくれ。これ以上何か言われたら本当に離してやれなくなる。
カイザーが汗をかきながら己の欲と闘っていると、背中から寝息が聞こえるようになった。
――この女は、自分がどれだけこっちを揺さぶってるのか、全くわかってないんだろうな。
これは完全に自業自得だ。ずるいことをしたバチが当たったのだ。
反省したカイザーは、燃え上がった身体の熱を冷ますように、無心で砦までの道を歩いた。
帰るや否や、背中ですやすや眠るエリシアナを見てメアリーに小言を言われたが甘んじて受け止めたカイザーだった。
そして、明日からもっと背中を鍛えようと決意したのだった。




