メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】㊷ / 灰咳奔走編
寒い。
体の震えにより、覚醒が促される。そして、意識が浮上する。
目覚めれば見慣れぬ場所で横に臥せっていた。ここは何処だ、と記憶を手繰れば、施療院内の休憩室であるという結論に落ち着く。
どれくらい意識を手放していたのか。時刻を確認しようと時計に視線を向ければ、長針と短針が頂点で揃っていた。
…頭痛が綺麗に消えている訳だ。長時間の睡眠により、脳負荷が軽減された為であろう。
意識が明瞭になるにつれ、腹の虫が存在感を主張し出してくる。
俺はポケットから石パンを取り出し、顔を顰めながらもそもそと口を動かすのだった。
嚥下に四苦八苦していると、休憩室の扉が静かに開く。
物音を起こさないよう、静かに入室を試みる影が二つ。
俺は固唾を呑んで、影を見据える。影は、静かに、ゆっくりと歩みを進めてくる。
「…貴方でしたか…」
影の顔を判別出来た俺は、静かに言葉を紡ぐのだった。
影は俺を確認すると、足取りを早めて近づいてくる。
「…よぉ…」
「もう起きて平気なんですか?」
声をかけてきたのは、ジェイルとハルトだった。
薬師ギルドから戻ったからなのか、疲労困憊を醸し出している。
肉体的疲労なのか、精神的疲労なのか、はたまたその両方なのか。
俺は労いの言葉を彼らに向ける。そして、現状把握に努めるのだった。
結論から言えば。
ハルトとジェイルに依頼した、副ギルド長への工作は、成功したとのことだった。
二人は思い出すのも辛いのか、心底嫌そうに、事の次第を報告してくれた。
…ある意味、睨んだ通りの行動だったようだ。
ネチネチ、グダグダ。
責任を押し付け、決して自身が表に出ることの無いような発言を繰り返していたようだった。
二人は根気よく、辛抱強く。
硬軟を織り交ぜた、説得という名の工作を行ってくれた。
長時間の工作の果てに、最終的には副ギルド長は折れ、施療院院長との面会を承諾したとのことだった。
「…苦労をお掛けしました。感謝の極みです」
話を聞けば聞くほど、二人が如何に労苦を積み重ねたのかが、染み渡る。
俺は短い謝辞を向ける。そして、二人の手を取って、強く握り締める。
握り締められた手を握り返し、二人は黙って頷くのだった。
お膳立ては整えた。
後は、施療院院長がこちらの意図した通りに動いてくれるのを願うのみだ。
俺たちは休憩室の共用スペースに座り込み、熱いお茶を啜り合う。
カップのお茶が尽きた頃、二人の瞼は閉じようとしていた。
俺は二人に横になるよう勧め、掛毛布を用意する。
二人が横になり、静かに寝息を立て始めたのを確認すると、俺は新たにお茶を淹れる。
熱いお茶を口にして、静かに思考の海に潜る。
施療院院長の漏洩により、副ギルド長とは仲違いに発展することになるだろう。
犯人捜しを行おうとすれば、こちらの目論見通りとなる。時間は俺たちの味方だ。経過すればするほど、有利になる。
症例者たちを焚き付けて、暴動未遂に発展させることが出来れば、有耶無耶のまま、治療を進めることが出来るだろう。
だが、逆に。
犯人捜しなど、歯牙にもかけず。
粛々と。届く予定の素材を用いて、『灰咳』を戦略兵器化させる準備を進めようとするのであれば。
…その時は、覚悟を決める必要がある。最悪の場合、刺し違えるのも、選択肢に入れて。
そうならないよう祈りながら、俺は副ギルド長の行動パターンの予想を続ける。
そして、夜が明ける。
黒から藍へ、藍から青へ、そして青から白へと、ゆっくりと空色が変化していく。
手は尽くした。やるべきこと、出来ることは全て行ったはずだ。
運を天に任せる、という他人行儀は好きではない。だが、既に賽は投げられ、結果を見守るだけになっている。
俺はやがてくる会談を、心静かに待ち受けるのだった。
定時まで一時間を切ったところで、俺は二人を振り起して覚醒を促す。
寝ぼけ眼の二人を尻目に、俺は三人分のお茶を淹れる。
俺用には湯気が立ち昇るくらいの温度で。起き抜けとなる二人には人肌よりも若干温い温度で。
お茶を渡し、最終確認を行う。
ハルトとジェイルは薬師ギルドに戻り、副ギルド長の動向を監視してもらう。
気変わりしていなければ、施療院に向かうことになるだろう。アポイントを取り付けたという名目で、同道を強要されることになるだろう。
そのあたりを伝えると、織り込み済であると回答を貰った。頼もしい限りだと、小さく頷く。
俺は施療院に残り、院長の監視と漏洩工作を仕込んでおくことを告げる。
副ギルド長と院長の対談時、院長が漏洩を匂わした際に、症例者達の騒ぎが無ければ、向こう側の計画を有耶無耶に出来ないのだから。
ハルトとジェイルの二人は、自分たちに確実に降りかかる労苦を他所に。俺に懸念が無いかを確認してくる。
俺は苦笑いを浮かべながら、こちらも問題無いと返答する。
彼らの前で倒れた手前、強く言えないのがもどかしい。
だが。
彼らには、彼らだからこそ出来る仕事を。
俺には、俺だからこそ出来る仕事を、それぞれ行うべきだ。
漏洩工作を慎重に行う旨を約束する。
お茶を飲み終えた俺たちは、それぞれの戦場に向かうのだった。
定刻を知らせる鐘が鳴り響く。
施療院の出入り口に向かう。視線の先には、不安気な表情を浮かべた者たちが、列を為して扉の開放を待っている。
『灰咳』の感染有無を判別するために召集された者たちだろう。
職員が扉を開放する。列を為した者たちは、恐る恐る施療院内に入っていく。
戸惑いは見受けられるが、混乱は少ない。『診水晶』による検査が主で、隔離には至っていないからであろうか?
恐らくだが、検査し、感染者には投薬による処置を行う、という旨の周知が行われているからであろう。
…その周知における、投薬による処置の目的が明かされているのか?と問えば、恐らく否だろう。目的は、意図的な悪化による戦略兵器化なのだろうから。
扉から受付に視線を移せば、通常受付とは異なる特設受付が用意されており、来院した者たちは列を為して並んでいる。
受付が済んだ者たちは、何か札のような物が渡され、職員に誘導されて別室に移動していく。おそらく其処は、診断待ちとなる待合室になるのだろう。
…ここだ。
特設受付に並んでいる者に近づいて漏洩すれば、目を付けられる。
待合室内に居座って、診断待ちの者に近づいて漏洩しても、怪しまれる。
だが。
受付を終えた者を案内する際、世間話を装って漏洩するのであれば?
対象は一人一人になる。だが、漏らされ、聞かされた者は、待合室内で雑談に興じるだろう。それが、自身に関わる、重大で、甚大な出来事であるのならば、雑談では止まらないだろう。
燻る種火を仕込み、新鮮な空気を吹き入れて、燃え猛る業火に仕立て上げる。
俺は頬を叩き、案内をする職員に近づくのだった。
「いえいえ、短期出向なので、雑務は任せてください」
「今回の件で、本業務が切迫していることは、承知しておりますので」
「院長からも、協力する旨を申し付かっておりますので」
話しかけた案内役の職員は、最初は訝しんだが、短期出向である旨と、院長の指示があった旨を明かすと、喜色を浮かべて交代に同意してくれた。
こう簡単に信用されて、セキュリティ面的にどうなんだ?と思わなくもないが、今はおいておこう。漏洩工作を行う上で、こちらにメリットが大きいのだから。
案内業務より解放され、足取り軽く去っていく職員を見送る。そして、俺は密かに研いでいた牙と爪が向こう側に知られぬよう、気付かれぬよう、そっと匂わせるのだった。
「診断まで、こちらでお待ちください」
「申し訳ありません。結果が出るまで、私から何か言えることはないんです」
「治療に必要な素材が不足していると聞いているので、今は診断を優先しています」
「もうすぐ、冒険者ギルドに発注した素材が届くと聞いておりますので」
「薬師ギルドの方では、治療に向けて、臨床試験を進めていると聞いています」
「近々、臨床試験の結果報告が周知されるはず、と」
「…私も疑問なんですよ。治療予定の詳細が展開されないと、皆さんに十分な案内が出来ないので」
「…いや、まさか…」
「いえ、不確かなことは言えません」
「勘弁してください。悪戯に不安を煽るような発言は控えるよう指示されていますので」
「…ここだけの話にしてください。もしかしたら、ですよ?用意される素材を、秘密裏に横流ししているんじゃないか?って考えたんです。富裕層や権力者に対して」
「証拠は何もありません。ですが、素材の確保が確実で、治療薬に効能がある、というにも関わらず、皆さんに周知されないということは…」
「安易な行動は取らないでくださいね。怪しまれたりすれば、何をされるかわかりませんから」
嘘は言わない。事実と推測を織り交ぜて囁く。
一人に対して全てを伝えるのではなく、広く、浅く。
待合室に案内する一人々々に対し、労いの言葉と共に、一言二言を意図的に漏らす。
手持無沙汰なれば、世間話に花が咲く。
診断待ちの者たちは、不安も重なり、自身の近況報告と共に、俺の呟きをネタにするだろう。
風よ吹け。炎よ燃え猛れ。不安と不満を種火とし、陰謀を焼き尽くす業火となれ。
副ギルド長が到着するその時まで。
俺は静かに風を送り続けるのだった。
■執筆裏話
レオンの暗躍回です。
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