メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】㊴ / 灰咳奔走編
お待たせしました。ようやく本編を書き上げられました。
「すまんが…眠らせて…くれ…流石…に…も…う…」
ジェイルはそういうと、机に突っ伏して寝息を立てだした。
俺とハルトはその姿を黙って見守るより、術がなかった。
「…軟…禁…!?」
動揺し、震えた声が紡がれるが、それがジェイルに届くことはなかった。
思わず漏れてしまったのだろう、ハルトは咄嗟に口を手で塞ぐ。
監視、盗聴、器物破損など、多様な妨害を行われてきたが、直接的な行動までは起こされていなかったからだ。
しかし、ジェイルの発言により、情勢が変化したことを染み入るように実感させられる。
語り終えたジェイルを起こさぬよう、ハルトは視線を俺に向けてくる。
俺は小さく頷く。そしてジェイルを起こさぬよう、静かにその場を離れるのだった。
第三作業エリアの一角、ジェイルから距離を置いた場所で、俺たちは密談を行っていた。
―軟禁されていた、という事実と、解放された、という事実より、こちらの動向をある意味正確に把握していると思われます。
――正確に、ですか?
―えぇ。軟禁していたのは、精製した薬の効果を懸念していたため。解放したのは効果が芳しくないと確信したためでしょう。
――つまりは、私達の防諜対策が実を結んだと?
―その認識で間違いないかと。長期間不在であることが分かれば、捜索に手が回されることは間違いありません。そのリスクを負ってでも軟禁に臨んだということは、それほどに私達の成果が目障りだった、ということでしょう。
――目障りだったから軟禁した、と。
―正確には、成果を挙げさせないため、でしょうか。ジェイルさんの報告に拠れば、私達が成果を挙げることに成功すれば、向こう側の思惑は藻屑と化すでしょう。
――…確かに。
―向こうの言い分など、知ったことではありません。こちらはこちらの都合で進めましょう。幸い、こちらの進捗を都合良く解釈してくれているようです。そのまま踊って貰いましょう。
――では、この後は?
―再度精製する必要がある旨を敢えて公言し、効果確認が十分でなくても臨床試験に臨むよう発信しましょう。その上で、臨床試験で臨む結果が得られない、とすれば。向こう側はどう思いますか?
――妨害工作に効果があったと、悦に浸るということでしょうか?
―その認識で合っていると思います。ですが、これは時間稼ぎです。
――…いつまでも成果が出ないとなれば、逆に怪しむと?
―えぇ。なので、油断している隙に、臨床試験を済ませ、症例者に対して投薬出来る段階に引き上げる必要があります。
――…困難で難解な道程になりそうですね。
―頼りにしていますよ
そういうと、俺とハルトは無言で拳を突き合わせるのだった。
ジェイルが軟禁状態から解放された。それは良い。だが諸手を挙げて、それを喜ぶ訳にはいかない。
盗聴の耳、監視の眼が無くなった訳では無い筈だ。油断した、あるいは軽視したとして、一時的に優先度を下げられたと考えた方が良いだろう。
とすれば。その間にすることは明白だ。
盗聴、監視を逆手に取り、偽情報を流しつつ臨床試験を進めること。
臨床試験での成果を基に、症例者への投薬を行う。そこで症例の改善が認められれば。向こう側の思惑は達成出来ず、ということになるだろう。
では、具体的にどうすれば良いか?
稼いだ時間内で。減らされた臨床試験者で。余裕の無い素材で。
チラリと隠した木箱の方向に視線を向ける。そして、軽くため息をつく。
指針を若干修正する必要がある。症例者全員に対して投薬する余裕はもう無い。
段階に応じて症例者を選別し、投薬による改善効果を示す。その上で、順次投薬する旨を周知する。症例者全員に対する治療は時間がかかるが、向こう側の思惑を看破するにはこれ以外には無いだろう。
未だ臨床試験は始まっていない。にも拘わらず、俺の肩には重いナニカが圧し掛かっているようだった。
準備不足を装いながら、臨床試験者を作業エリアに移動させる。
臨床試験者は身動きが出来ないよう手足に錠が課せられている。万が一にも危害が加えられることがないよう、予防が施されている。
すれ違う職員の内の幾人かは、若干怯えた視線を向けてくる。拘束してあるとはいえ、重犯罪者を連れているのだから、無理はない。
俺達はなるべく表情を表さないよう、感情を押し殺して作業エリアに向かうのだった。
向かう途中、重犯罪者から、絶え間なく戯言が紡がれてくる。
「なぁ、話聞いてくれよ、俺やってないんだって」
「嵌められたんだよ、俺じゃないんだって」
「早くここから出してくれよ、礼はするからさ」
「無実の人間を閉じ込めるなんて、どうかしているぜ」
「アンタ、見たことない顔だな?俺を出す手続きしてくれるのか?」
「病気の母ちゃんが待ってるんだよ、俺が薬持って行かないと死んじゃうよ」
……聞くに堪えない。
前もって冤罪が無いと聞いていなければ、まさか?と疑ってしまうくらい、真に入った言葉と態度だった。
だが。
強盗殺人、強姦殺人、放火など、重犯罪を犯し、調査によって冤罪は無く、刑が確定している者達になる。
如何にして解放させるかを、常に考えていたのだろう。救済を求める言葉は淀みなく続く。だが、耳を貸さず、心を動かさず、作業エリアへと黙って進む。
その様子に面白くないのか、重犯罪者は憐れみを誘う態度を辞め、太々しい態度になり、舌打ちをする。
哀惜の慟哭は高慢な嘲笑に変化し、作業エリアの扉が閉まるまで、終わることはなかったのだった。
投薬、測定、診断、投薬、測定、診断…
繰り返される作業はもはや手順になりつつある。
嘲笑や罵声に溢れていた口数は、時間の経過と共に少なくなり、やがて助命の懇願へと変化していくのだった。
『灰咳』を強制的に感染させ、精製した治療薬の投与により経過を観察する。
短時間で繰り返される臨床試験は、身体への負荷が大きくなる。
鼻血や嘔吐は軽い方で、吐血も時折発生する。それだけに留まらず、頭髪が抜け落ちたり、歯が抜けたりと、副作用と思われる様々な症状が発生する。
その一つ一つを細やかに記録する。
投与の用量、経過時間、気体と液体の配分。考えることは幾らでもある。条件を組み合わせ、得た結果を記録し、効能確認とする。
臨床試験者の犠牲と引き換えに、臨床試験は着実に歩みを進めることが出来たのだった。
「…切り上げましょう…」
成功による歓喜とも、失敗による諦観とも。どちらとも取れる声が、臨床試験者の低い呻き声の中で、一際強く鳴り響く。
声の主はハルトだ。
試験の喧噪により目が覚めたジェイルも加わり、臨床試験は詰めの段階まで進んでいた。
だが、検査結果が集まるにつれ、試験者の灯は消えていった。もともと申請していた人数を2/3に減らされていたこともあり、一人当たりにかかる負荷がより多くなるという、強行スケジュールを組まざるを得なかった。そのツケが今ここに姿を表したのだった。
ハルトは俺とジェイルの方に振り向く。そして何かを書き連ねた紙を見せながら言葉を紡ぐ。
「確認結果としての人数が足りません。この結果のままなら、試験薬の効能は認められないでしょう」
――症状改善を確認。但し分量は3人分のみ――
ジェイルと顔を見合わせる。そして、喜びと共に困惑が浮かび上がる。
試験薬が対処薬として効能を発揮できることを確認出来た、これは良い。
だが。
用意できた分量が余りにも少ない。
隔離されている症例者の人数を正確に把握できていないが、おそらく3桁に届くことになるだろう。その中でたった3名分しか薬が用意されていないとすれば。
平時ならば確実に薬が配布されることを説明すれば、混乱を抑止することは出来るだろう。
だが、緊急事態宣言が発令されているこの時に。たった3名分しか用意できていないと分かれば。混乱に陥らないと誰が保証できるのか。
…誰も保証出来ない。出来る訳がない。誰だって命は惜しい。助かる見込みのある薬が開発され、効能が確認出来ているとなれば、我先にと欲しがるのが人間だ。
対処出来る手段が分かっているのに、対処することが出来ない。
安易に想像出来る、出来てしまった、『灰咳』の症例による混乱とは異なる混乱に、俺は頭を掻き毟るのだった。
■執筆裏話
なかなか書き上げられませんでした。
サブエピソードを楽しみにされていた方は、メインエピソード終了まで、もうしばらくお待ちください。
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