サブエピソード5【効率厨レオンの業務カイゼン1:発言には責任を持ちましょう②】
3話連続更新の2話目です。
夜の喧騒で賑わう歓楽街に、一人の男が踏み入ります。
酔客を避けて歩く足取りは確かで、酒精と戯れる周囲と比べると、逆に場違いのように感じられました。しかし、男は何も気にすることなく、歩を進めます。そして、とある建物の前に立つのでした。
男は建物の扉を叩くと、黒の衣服を身に纏った精悍な男が姿を現します。おそらく受付なのでしょう。受付と思われる黒の衣服の男と二言三言、言葉を交わします。
黒の衣服の男は軽く頷くと、裏口に男を案内し、館内に通します。館内に入った男は、誰にも会うことなく、館の主の元に向かったのでした。
館の主は、高級娼館を営む、シルヴィアでした。
男は、係長が横領によって得ていた金銭を、此処で吐き出していたのであろうと検討をつけていたためです。
男はシルヴィアに、事のあらましを掻い摘んで説明します。シルヴィアは少し考えこみます。
そして煙管を指先で弄び始めました。
「アンタの言い分は分かった。その女の立場にも同情はしよう。だが、それとアタシがアンタに協力するメリットが何処にあるさね?」
男は軽く頷きます。そして、懐より二枚の紙を抜き取り、シルヴィアに見せるよう、肌の上に広げました。但し、一枚目は表側で、二枚目は裏で。
「こちらは先だっての協力に対する報酬となります。そしてこちらは、新ブランになります」
シルヴィアは男の示す、一枚目の紙に目を通します。紙には営業形態と接客プランが示されていました。
単純に言えば、来館回数による特典付与、そしてサービス内容の差別化です。
来館回数が指定回数を超えることで、飲食費や遊行費を割り引くことといった優待を設けること。
享楽の内容を触覚だけではなく、視覚、聴覚に特化した内容を設けること。
この二点が、先だっての協力に対する報酬でした。
シルヴィアは煙を吸い込み、紫煙をゆっくりと吐き出します。
ゆらり、とゆらめく煙と合わせ、甘い香りが男の鼻孔を擽ります。おそらく香草も込められた煙草なのでしょう。
「…分かった、前回の貸しについては帳消しにしようじゃないか。アンタのプラン通りに行きゃ、ながーく右肩上がりになるさね」
男は、一つ片付いたと胸を下ろします。しかし、すぐさま気を取り直し、もう一つを片付けにかかります。
新規プランを提示し、シルヴィアにメリットを見出させることにより、不良債権の金流を突き止めることです。
男は裏側としていた紙を表側に返し、懐よりあるモノを取り出し、新規プランを説明し始めました。
…説明が終わり、どれほど時が経ったでしょう。シルヴィアは二枚目の紙を食い入るように読み取り、渡されたモノを弄びます。秒針が数周回った頃、ようやく男と視線を合わせました。
「…いいだろう、アンタの提案に乗ろうじゃないか」
大きくはだけた胸元を強調するかのよう、前のめりになって顔を突き出してきます。
「これと、アタシが仕込んだ娘たちの手管が合わさりゃ、皆骨抜きになるさね」
湧き上がる衝動を抑えるよう、くつくつと肩を震わせます。
「一度や二度じゃ、決して満足しないだろうサ。空っけつになるまで絞ってやるよ」
「心も、体も、ついでも懐も軽くなって、千鳥足になるのが見えるようだよ」
シルヴィアは頬を紅潮させ、虚空を見詰めます。
「メリットはそれだけじゃありません」
男は、上機嫌のシルヴィアに追加プレゼンをし始めます。
「粘性を最大限に有効化しているため、擦過傷を防止できると共に、労力軽減を見込めます」
「男性の満足度向上だけではなく、女性の負担軽減も見込める為、一石二鳥以上の効果があるでしょう」
「享楽による快楽は、際限がありません。未知の快楽を味わえば、抜け出すことよりも、より深く沈むことを選ぶ者も少なくないと考えます」
「契約内容次第では、優先売買権も視野に入れております」
シルヴィアは瞳に妖しい光を灯しながら、にやりと口角を挙げてきました。
了承の意として受け取った男は、右手を差し出し、シルヴィアと合意の握手を交わすのでした。
「それはそれとして、アンタは効果を確認済かい?」
「どうだい?折角ならばアタシで試してみるってのは?」
「桃源郷へ誘ってあげるさね」
煙管の吸い口に、紅く、瑞々しい舌先を艶めかしく這わせてきます。
そして、シルヴィアは流し目を送り、わざと後ろを向いてしなを作り、淡い挑色に染まったうなじを見せ付けてきました。
男は、生唾を飲み込み、大きく響くくらい、喉を鳴らします。ですが、いますぐに飛び掛かりたい衝動を必死に堪えるのでした。
「…ありがたいお誘いです。本当に、本当に残念なのですが…それはまたの機会に」
「今は契約の詳細を詰めさせてください。これの如く滑らかに」
男は、両手を強く、血管が浮き出るほど握り締めるのでした。
「…つれないねぇ…まぁ良いサ、いずれアンタは、アタシを求めるようになる」
シルヴィアは、断られたことを残念に思う仕草を微塵も見せず、煙管を口にします。
その余裕振りを見て、金流の裏付けが取れて、契約が実った達成感があるにも関わらず、手玉に取られた敗北感が、いつまでも残っているのでした。
館を出る頃、喧騒は静まり返っており、道行く人は男以外いませんでした。
たまに見る酔客は、壁にもたれかかって、頬を緩ませています。きっと、幸せな夢を見ていることでしょう。…現実に舞い戻った時、懐の軽さに絶望と後悔に溺れるかもしれませんが、男にとっては知ったことではありません。
足早に歓楽街を抜け、ギルドに戻ります。休憩室に向かうと、顔を洗い、タオルを水で濡らし、全身を拭います。自宅で寛ぎたい気持ちを押し殺し、詰めの作業を行う時間を捻出するのでした。
最低限の身支度を整え、お茶を淹れ、自席に向かいます。熱く湯気が立ち昇るお茶を含むと、眠気が吹き飛ぶようです。
頬を軽く叩きます。そして、ペンを握り、何かを書き出します。見れば、瞳が青に染まっていることが分かります。
…やがてペンが止まり、瞳が黒に戻ります。
男…レオンは今、係長に対する、言い逃れの出来ない業務改善を構築し終えたのでした。
業務改善を構築し終えたレオンは、昨日の未処理だった書類に手を付け始めます。
徹夜と各所を巡った激務により、心身ともに疲労しています。ですが、大きな仕事をやり終えたことによる高揚感により、疲労感は麻痺して感じられていませんでした。
――皆さんにもありませんか?徹夜をして疲労困憊の後、ある程度の時間を抜けると逆に目が覚めることが。これは、脳内物質の過剰分泌が原因に数えられ、「借金をして元気を前借り」している状態らしいですよ――
未処理の書類を片付けると、レオンは無理をせず横になることを選択しました。
無理に起きていても、パフォーマンスが落ちてミスを引き起こします。そのリカバリに余計な時間を使うくらいならば、今此処で小休止をした方が効率的であると理解しているのでしょうね。
部下の女性の机の上に、休憩室で仮眠を取る旨のメモと、とある席に何かを書いたメモを残すと、レオンは休想室に向かいます。そして簡易ベッドに横になると、ものの数秒で寝息を立て始めました。余程疲れていたのでしょう。
時は誰にでも、平等に流れます。しかし、その時間を薄く過ごすか、濃く過ごすかは、個人差があります。
ふらつく足取りで、出動してくる男が見えます。衣服は若干乱れ、体臭と口臭に、酒気が混じっていることがわかります。席が近い者は眉を顰めて、ひそひそと顔を寄せて何かを囁いていますが、男が気にすることはありませんでした。
男の姿を確認したとある女性は、気配を消して仮眠室に向かいます。そして、レオンを揺り起こします。
「レオン主任、そろそろ勤務時間になります。あの男も出動しました」
女性の言葉が、レオンの耳に届くや否や、寝息を立てていたレオンの瞳が開かれます。
そして、むくりと起き上がり、寝起きとは思えないほどの確かな足取りで自席へと向かうのでした。
…その足取りはまるで行進曲のように整然としており、見る者を勇気付けるのでした。
レオンが席に戻るとほぼ同時に、始業を示す鐘が鳴り響きます。定例朝礼を終え、処理済みとなっている書類を部下に返却して回っていると、あの男の怒声が再び鳴り響くのでした。
「昨日言ったよな!?どうやってリカバリするのかって!なんで具体的なプランを用意していないんだよ!」
周囲はうんざりした顔つきで、怒声の方向に視線を向けます。
昨日の焼き直しと思われる構図です。
上司が部下を叱責する。よくある構図です。そこに正当なる理由と、育成しようという意図があれば、の話ですが。
「…ます…」
叱責を受けている女性は、肩を震わせながら、何かを呟いています。
「何だ、聞こえないぞ。言いたいことがあるならハッキリと言え!」
係長は、肉食獣が獲物を嬲るかのように、高圧的に構えます。震えている女性は昨日と同様、恐怖に震えているだけだろうと考えているのでしょう。
「…がいます…」
女性はさらに言葉を発しますが、係長は怒声で打ち消します。
「だから!聞こえないって言っているだろう!」
女性は、肩を震わせたまま、俯いていた顔を上げます。そして、周囲に聞こえるよう、はっきりと言い切りました。
「違います!私が申請した内容じゃありません!全て係長の指示です!!」
獲物と思っていた者から、思わぬ反撃を受けた係長は、言葉を失います。時間にすれば、たったの数秒です。ですが、直前までの怒声により耳目を集めていたため、その数秒の沈黙は、女性の言葉をより深く浸透させていくのでした。
…ざわざわと、そこかしこで小声での会話が行われます。
―おい。聞こえたか?
――あぁ。聞こえた。係長の指示だってよ
―でもよ、本当かね?
――真偽はわからんよ。けどよ、毎回ああやって声を張り上げてる方と、反撃した方をみたら、味方に付きたいのはどちらかね?
―そりゃ、まぁ、なぁ
――朝からやる気無くす怒声を聞かされてるんだからよ、痛い目に合っちまえ、と思うのは、不謹慎かね?
―いや、同感だよ…
「お…いおい、何を言い出すんだ…」
ようやく発せられた言葉は、先の女性の発言を育定するでも、否定するでもない、自身の戸惑いを表す声でした。
「何度でも言います!私が申請した内容じゃありません!!全て係長の指示です!!!」
叱責に肩を震わせ、涙ぐんでいた女性はもういません。自ら立ち上がり、不当な叱責に立ち向かう、凛とした職員がそこに居るのでした。
「…き、君では話にならん!お、おい、レオン君!研修プランの成果がこれなのかね!?なんら改善されていないのではないかね!?」
自身への反逆に戸惑い、焦ったのでしょう。矛先をレオンに変更し、その場を凌ごうと足掻きます。
…ですが、その足掻きこそが、更なる泥沼に沈み込む一歩になることを、男は最後まで知る由も有りませんでした。
静かに立ち上がります。
たったそれだけの所作で、周囲の騒めきは、潮が引くように静まり返ります。
周囲の…何が起こるのか、もとい、何を起こすのか、という好奇の視線を背に受け。
とある者に、目配せを行います。そして、頷いたことを確認すると。
ゆっくりと、しかし確かな足取りで、係長の元に向かうのでした。
「おはようございます。要件は「研修ブラン改善の成果」ということで宜しいでしょうか?」
レオンはゆっくり、かつはっきりとした口調で、周囲に聞こえるよう少々大きめの声で係長に確認を取ります。
係長は新たな矛先がようやく到着したとばかりに、横柄な物言いで言葉を紡ぎます。
「困るよ、しっかり教育してくれないと。昨日言ったろう?私のコストが無駄になると。君の責務なのだから、しっかりと成果を挙げてもらわないと」
係長…いや、レオンにおいては不良債権ですね。不良債権は女性からの反逆を打ち消すため、論点を変えてレオンへの糾弾を開始しました。
「…えぇ、承っております。徹底的に改善し終えております。この場で報告して宜しいでしょうか?それとも、定例業務報告の場で、時間を設けて報告した方が宜しいでしょうか?」
いつの間にか瞳を青く染めていたレオンの回答に対しても、言葉を失います。
不良債権としては、矛先をレオンに変更し、対応が出来ていないことに対して謝罪を受けることで、その場をうやむやにして乗り切ろうとしていたのでしょう。
ところが、出来る訳が無いと思い込んでいた、もっと言えばその場凌ぎに近い難癖を一日も経たずに対応した、という発言に、開けた口を閉じること無く、呆然とするほかありませんでした。
不良債権は混乱を極めます。
そもそも、叱責自体、中身のあるものではありません。ただ自身の憂さを晴らしたいだけで、反論してこないであろう相手を選んで、大声を出したいだけでした。
自身の部下の女性に対する叱責で、いつものように気持ち良くなろうとしていたところ、思わぬ反逆を受けて。
矛先を逸らそうと、咄嗟にシステムに目をつけ、時間がかかるから大丈夫だろうと高を括っていれば、対応完了していると言われ。
もう、不良債権の頭には、どうやってこの場を凌ぐか、ということしか頭にありませんでした。
「じょ、冗談もたいがいにしたまえ…研修プランの改善を一日も経たずに終えるなど、出来るはずがない」
「そ、そうだ、それに改善の概要報告を受けていないぞ!承認を得ないまま作業に取り掛かり、手戻りした際のコストが無駄になるとは思わないのかね!?」
「その場凌ぎで、適当なことを言うもんじゃない。改善が出来たという、明確な成果物を見せることが出来るのかね?」
言葉を繋げるうち、落ち着きを取り戻したのでしょう。最初は詰まっていた言葉も次第に滑らかになり、自分が糾弾されていたことを棚に上げ、今はレオンを糾弾し始めました。
不良債権の言葉が途切れるのを確認し、レオンは厳かに口を開きます。
「もう一度、確認します。『この場で報告して宜しいでしょうか?それとも、定例業務報告の場で、時間を設けて報告した方が宜しいでしょうか?』」
レオンの言葉を理解するや否や、不良債権は顔を朱に染め、唾を飛ばす勢いで捲し立てきました。
「この場で良い!出来るものならやってみろ!!吐いた唾は呑ませんぞ!!!」
不良債権の言葉を受け、レオンの瞳の色が、青から緑に変化します。
「…承知致しました…では、報告をさせて頂きます」
…たった今、不良債権は自身の決済を承認してしまったのでした。
■執筆裏話
シルヴィアとの会話では、色気艶気を感じていただけるよう、力を入れてみました。
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