メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】㊳ / 灰咳奔走編
「済まん…遅くなった…」
疲労困憊の男、ジェイルは寄り掛かった扉からずり落ちるようにして、床に腰を下ろす。
「ジェイルさん!」
俺はジェイルの元に駆け出す。へたり込んだジェイルは、頻繁に瞬きを繰り返しており、眠気と戦っているように見えた。
「もっと早く戻るはずだったんだが…下手を打ってしまってな…済まないが、水を貰えないか?」
そう言い、ジェイルは何かを飲む仕草を見せる。
了承の意を伝え、俺はコップと水差しを取りに休憩室に向かうのだった。
極度の疲労が見え、さらには喉の渇きを訴えている。自己管理が出来ていない、というレベルではない。あれは他者による要因、所謂妨害が発生したと考えられる。
ジェイルには、俺たちでは出来ないことを依頼していた。俺たちの元は離れ、単独行動をしている間に、何某かの妨害を受けていた、と考えれば。
…それはつまり、そう言うことなのだろう。あって欲しくなかった俺の仮定が、現実味を帯びてしまう、ということだ。
裏付けを取りたい気持ちと、そうあって欲しくない気持ちが、ぐちゃぐちゃに混ざる。
だが、それでも歩みを止める訳にはいかない。ジェイルの労苦を無にする訳に行かず、何より仮定が現実に成り得るのならば、阻止する必要があるのだから。
水差しとコップを取り、急ぎ足で戻る。コップに水を注いでジェイルに差し出すと、ジェイルは一息に飲み干す。次いで、水差しを要求し、そのまま口をつけて大きく傾けた。
口元から喉にかけて、水流が出来る。服が濡れるのを厭わず、水差しの残りが1/3になるほど飲み進め、ようやく水差しから口を離した。
「助かった…有難う…」
大きく息をつき、俺に礼を言う。
渇きは癒えたのだろう、疲労は残っているが、目には僅かに力が戻ってきたことを感じられる。
「ジェイルさん…」
俺が言葉を紡ごうとすると、ジェイルは手を突き出し、押し留めてくる。そして室内を見渡す。
「…ハルトは居ないのか?」
ハルトの不在を問い掛けてくる。
「えぇ、今離席しています。各種機材が破損していたため、その後片付けとして処分しに行って貰っています」
ジェイルは俺の返事を聞くと、小さく頷く。そして、口を開く。
「何を聞きたいかは、予想がつく。だが、ちょっと待ってくれ。ハルトが戻ってきてから話させてくれ」
俺も頷く。そして、ペンを取り出し、メモに書きつけた文字をジェイルに示す。
――監視、盗聴の危険性アリ。報告可?
ジェイルはメモを見詰め、疲れたように、そして何かを諦めたように、黙って頷くのだった…
「何から話そうか…いや、順を追って話そう」
ハルトが片付けから帰ってくると、ジェイルは空いている作業台に向かい、椅子に腰を掛ける。そして俺たちにも着席を促してくる。
ハルトは戸惑うように視線を俺に向けてくる。俺はその視線を受け、黙って頷く。着席を確認すると、ジェイルは訥々と語りだすのだった。
「お前たちに作業を任せた後、まず俺は『診水晶』の使用履歴を割り出すことにした」
「子機から親機宛に送られてくる履歴は管理部で一元管理されているんでな、俺の伝手を使って調べてみた」
「後輩に食事やら娼館やらを奢ってやったことがあったからな、しぶしぶだが協力してもらえたよ」
「結論から言おう。『診水晶』の使用履歴において、『灰咳』の診断記録は残っていなかった」
「にも関わらず、『診水晶』を使用したとして、使用回数を改竄し、使用申請を提出している記録は残っていた」
「…つまりは、架空請求としての虚偽報告となる訳だ」
ここまで話し終えると、ジェイルは大きく息をつく。
半ば予想していたことではあったが、当たって欲しくない事実が現実化してしまったようだ。ハルトは拳を強く握りしめ、小さく震えていた。
ジェイルは続けて話し出す。
「後輩も虚偽報告が行われていたことは初耳だったようだな。あいつ自身も『診水晶』の使用申請がこれほど多かったとは思っていなかったようだ」
「記録された履歴を変更、削除出来るのは、管理者権限を与えられた責任者のみとなる。履歴の改竄には手間と時間がかかるため、使用回数のみを弄ったんだろうな」
「誰も気にしないと思って、手を抜いたんだろうな。雑なシゴトだ」
「部署が異なれば、詳細の把握は難しい。実際俺たちも、お前の話が無ければ調べるという考えを持たなかったんだからな」
「数字を弄った実務者と、指示した首謀者。両方が結託していれば、余程のことが無い限り、外には漏れにくくなるだろうからな」
ジェイルは掌を上に向け、首を傾げ、肩を竦める。
俺はジェイルの報告から、情報を整理する。
そして、瞳を青に染め、静かにスキルを起動するのだった。
【カロリーコンバータ・ライトモード】
…ジェイルの言う通りだろう。実務者と首謀者が結託すれば、俺たちのように覗こうとする者がいない限り、見え難くなるのは事実だ。部署ごとに専門性が高まり、明確な支障が出ていないのであれば、他部署のことを気にしなくなるのはなおさらだろう。
…だが。内々ならばそれでは良くても、監査が入ったらどうなる?虚偽報告が明るみになれば、自身の立場が危うくなるのは明白だろう。それを理解していない訳では無い筈だ。
…では、何故リスクを負っても虚偽報告をした?架空請求にそれほどの旨味があったのか?
それとも…『監査が入らない』、もしくは『入っても問題が無い』という根拠があったのか?
だからこそ、雑な改竄でリターンを得ていた?監査というリスクが発生しないから?
ならば何故、監査が入らないと確信していた?薬師ギルド外からの監査ならば、手の施しようが無いだろう。
…違う、そうじゃない。
順番が違うんだ。
監査が行われないから、『診水晶』の架空請求に手を染める、のではない。
監査自体をするつもりがないから、架空請求より『診水晶』を使ったと見せかける、のだ。診断時に『診水晶』を使った、と言うポーズを取り、取り繕う為に。
本当の目的が、『灰咳』症例者を増やすことなのだとすれば、辻褄が合う。
ジェイルの報告により得られた情報を整理することで、一つの裏付けが取れてしまったのだった。
「次に、近隣諸国の情勢についてだが」
「近年では貿易赤字が多くなっていることが分かった。特産品の品質低下により価格下降、それに伴う出荷数の低減など、悪循環に陥っていることが分かった」
「加えて、嗜好品の価格が右肩上がりになっている。食料品には未だ影響は無いが、いずれ食料品においても値上げされることになるのは間違いないだろう」
「今はまだ表面化していないが、徐々に険悪になる恐れがある、とのことだ」
「まぁこれは情報屋から仕入れたネタになるから、確実という訳では無いが、それなりに信憑性はあると思っている」
「全ての国に対し、同じスタンスではないが、少なくとも関係が悪化しそうな国があることは確かだ。その国に対し、こちらから恩を売りつけることが出来れば、形勢は一気に逆転することが出来るだろうな」
「赤字による負担を黒字に変えることが出来れば、その功績は言わずもがな、ということだな」
ジェイルは疲れたように、再び肩を竦める。
俺はモノクロの世界で、再び思考の海に潜る。
関係が冷え切っている訳では無いが、都合が良くない国に対し、外交上位を取ることが出来れば。そして、それを任意に行うことが出来るのであれば。それはとても魅力的な手段に映るだろう。
…犠牲となる人間を考えなければ、の話になるのだが。
少なくとも、戦略兵器として扱う可能性、いや、危険性が見えてしまった。
『灰咳』を悪化させ、他国で蔓延させる。それと意図的に。
窮地に落ちった他国に対し、対処薬を提示することで、外交上位に立つ。そして、自国に有利な条件を結び直し、赤字を黒字に転化させる。
冷静な思考では、実行出来ない。冷徹で、冷酷な思考でなければ、考えつかないし、やろうとは思えないはずだ。
逆に言えば。これを考えつくことが出来るのは。人を、金や物と同様に、数字として扱うことを日常としている人物になるだろう。
そして、それは。
…薬師ギルドよりも、遥か上の存在になることだろう。
瞳を黒に戻し、スキルを解除する。
ジェイルより得られた情報により、裏付けが取れた。取ることが出来てしまった。
それは、あって欲しくない現実に目を向けざるを得ないことだった。
今さら逃げる気は無いが、圧倒的な戦力差であることを認識せざるを得ない。
望みがあるとすれば、疑似餌に喰い付き、こちらの武器を隠せているという点になるだろう。それだけで覆すことが出来るとは思っていないが、刺すことにより情勢に変化を与えることは可能だろう。
なるべく早めに試験を進める必要があるな。
そう考えていると、ジェイルは最後の報告を挙げてきた。
「…最後になるが…俺が遅れたのは…軟禁されていたからだ」
「…副ギルド長の手によって…な」
特大の爆弾を放り投げられてきたのだった。
■執筆裏話
ジェイルの報告による、答え合わせ回その1です。
その2は、㊴でお楽しみください。




