メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】㊲ / 灰咳奔走編
■執筆裏話
ハルトの慟哭は、ガチです。
レオンと若干の温度差がありますが、レオンは真剣でありながら一歩引いた立ち位置で物事を見ている、とおもっていただければ。
評価、感想、御待ちしております。執筆のモチベーションアップに繋がりますので!
結論から言おう。臨床試験は結果のみで見れば、無事成果を出すことが出来た。
だが、その過程は茨というのが生温いくらい険しい道のりとなったのだった。
情報を共有した俺たちは、仮眠室で横になり、眠れぬ時間を過ごした。
失望、絶望、恐怖、戸惑い…様々な感情の渦に囚われたハルトを無理やり寝床に押し込み、寝れなくても目を瞑るよう諭す。
興奮状態に陥り、睡眠に達せなかったとしても、目を閉じて横になるだけで休息効果があることは、体験済みだ。
ハルトは納得がいかない顔をしていたが、何も言わず横になり、目を閉じた。
その様子を見届けた俺は、椅子に腰を掛け、濃く入れたお茶を飲みながら、石パンを齧る。
渋く、苦く、熱いお茶で、硬い石パンをふやかし、味をごまかして飲み込む。
目を閉じる。摂取したカロリーが血液のように体内を巡り、脳に届くように感じる。
先行きが見えない訳ではない。遠く霞んではいるが、あることはあるのだ。
ただ、果てしなく険しい。
試験動物とは異なり、試験対象は人間だ。それが重犯罪人であろうとも。
目先の臨床試験者を犠牲にすることで、多数の症例者を救う。
それが出来なければ、症例者を救うどころではない。症状を悪化させた戦略兵器としての実験台に用いられることになるかもしれない。
歩みを止めない。振り向かない。何度でも立ち上がる。こじ開ける。
不平を言うだけなら、不満を嘆くだけならば、誰にでもできる。だが、それを受け止め、そして受け入れ、自身の出来ることをやりきる。
対処薬を完成させ、症例者を救う。臨床試験者の犠牲を無駄にしないためには、それしかないのだから。
堂々巡りになりそうな思考を切り上げる。そしてハルトと同様、休息を取るのだった。
覚醒と微睡みを短い周期で繰り返すうち、宵闇は蒼に、蒼は青に変わっていた。
ゆっくりと立ち上がる。そして熱いお茶を淹れ、少しずつ口に含む。喉を通り、胃に流れ込む熱を感じ、身体も覚醒する。
カップのお茶が減るに従い、頭が透き通り、体に力が漲ってくるのがわかる。
飲み干したころ、ふとハルトを見やる。
寝付けないと言っていたハルトは、穏やかな寝息を立てていた。昨夜まで渦巻いていた負の感情は、すっかりと霧散しているようだった。
この分なら、十分なパフォーマンスを発揮できそうだな、と内心で安堵する。
予想される妨害。立ちはだかる障害。困難な道程を踏破するためには、何時だって自分自身を信じて進むしかないのだから。
始業の鐘が鳴り響く、だいぶ前に。ハルトはむくりと起き上がる。まだ覚醒しきっていないのか、瞼は半分閉じていることがわかる。
齧っていた石パンを脇に置き、お茶で流し込む。そしてハルトに声をかける。
「おはようございます。休めましたか?始業はまだ時間がありますから、もう少し休んでいても平気ですよ」
ハルトは声のする方、俺の顔に視線を向ける。そして、数回瞬きをした後、両手で顔を擦り、閉じていた瞼を完全に開かせた。
「おはようございます。いえ、睡眠は十分に取れました。もう大丈夫です」
そう言いながら大きな欠伸をするハルトに苦笑しながら、濃いめのお茶を淹れて手渡す。
ハルトは会釈し、両手でお茶を受け取る。そして息を吹きかけ、冷ましながら少しずつ口に含んでいくのだった。
二言三言、雑談を交わした俺たちは、そのまま第三作業エリアに向かう。一刻も早く成果を打ち出すために。
扉を開くと、薄暗い部屋の中より、鼻孔を刺激する薬品臭が漂ってくるのが感じられる。
「まさか…」
俺は口元を手で覆う。そして灯りをつけ、周囲を見渡す。そこかしこには、試験管の破片と試験薬、そして素材の残骸が無惨に散らされていたのだった。
「…ここまでやるか…」
俺の言葉が届いたのか、ハルトは膝を付き、呆然自失となる。
「なんなんですか…命を救うことよりも、自身の権益が重要なんですか…それが…薬師ギルド員として…人として…あるべき姿なんですか…!!!」
膝をついたまま、前のめりになり、拳を床に打ち付ける。
「なんなんだよ!なんで邪魔するんだよ!人を助けるのに、助けたいと思うのに、理由が必要なのかよ!許可が必要なのかよ!!!」
俺は机の上のメモ帳を取り、数行書き連ねる。そして深呼吸を三回繰り返した後、ハルトに語り掛けながらメモを示す。
「すこし落ち着きましょう。作り置きは無くなっていましたが、またやり直せば済むことです。嘆いて時間を浪費する方が無駄になります」
――破損した試験薬は偽物、失望したフリで作業再開――
ハルトはメモに目を通すと、歓喜と驚きが合わさった表情を浮かべながら頭を上げる。
そして視線が合うと、俺は片目を瞑り、人差し指を口元に添えた。
図らずとも、ハルトの行動により、「絶望している」という偽りの状況が完璧に伝わるだろう。
妨害工作により工程が遅延し、作業が間に合わないだろうとほくそ笑んでいてくれ。
その油断の隙に、俺たちは切り札を研ぎ澄ませているのだから。
労苦の残骸を片付けていると、始業の鐘が鳴り響く。
破片は細かく飛び散っていたため、隅々まで掃除する必要があった。
掃除を進めていると、ハルトが声を掛けてきた。
「掃除はあとどれくらいで終わりそうですか?」
――試験薬のすり替えは何時?――
「およそ、1時間、と言ったところでしょうか」
――昨夜、退室時。監視、盗聴の危険性に備え、念のために用意――
「1時間、ですか」
――承知。次作業は臨床試験工程?――
「大まかには終わっています。細かい破片が落ちてないかを確認して、問題なければ作業再開出来る見込みです」
――是。臨床試験者を用意し、『灰咳』の接種、および対処薬の効果確認が必要――
「承知致しました。では、1時間後、再開しましょう。足りない素材を追加用意は可能でしょうか?」
――承知。感染防止のため、防毒マスクを装着願う――
「即答出来ません。調達はジェイルさんに任せていたので…私の方でも掛け合ってみますが、無理なようでしたら副ギルド長に要請していただく必要があります」
――是――
「そう…ですね、掛け合ってみます」
――外出、素材申請手続き、臨床試験者入室手続き――
「お手数をお掛けしますが、宜しくお願い致します」
――承知――
廃棄とする破片や素材を纏め、ハルトは扉を開けて退室する。
まだ薬品臭が微かに漂う作業エリアで、俺は一人残された俺は静かに作業机の下に潜り込む。
潜り込んだ先には、両手で抱え上げられるくらいの木箱。
蓋を開け、中身を確認する。その中には、氷の魔石と風の魔石によって温度管理された本物の試験薬が収められていたのだった。
作業机の上に、これ見よがしに放置していた試験管やメモを確認すれば、どう考えるだろうか?
ましてや、時間は深夜帯となっており、灯りをつけず、確認が困難であったとすれば。
作業机の上に置かれたそれが、試験薬であるだろうと、効果確認をせずに決めつけ、妨害に走るであろうと予測していた。
…予測は的中し、妨害が発生した。出来るならば、当たって欲しくない予測ではあったのだが。
直接的な妨害は、即効性があるが故に、極端な成功体験を産み、思考が狭まる。
妨害が成功したと思えば、次は何をしてくるか?
こちらの泣きっ面を拝みに来るのが常套手段だろう。
だが、罠は仕掛けない。まだその時ではない。
思うままに、望むままに、存分にその嗜虐心を満たせてやる。
…だから、そのままでいてくれ。無抵抗でいるのではなく、反逆の為に雌伏していることに気付かず、躍り続けていてくれ。
足元は鉄板にすり替わり、いつの間にか熱せられていることにも気付かずに。
蓋を閉じ、木箱を元に戻し、掃除を再開すると同時に、作業エリアの扉が開く。
「…よぉ…」
視線を向けると、疲労困憊した男が扉に寄り掛かっていたのだった。




