メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】㊱ / 灰咳奔走編
作業を切り上げ、食堂で遅い夕食を摂る。
食事提供時間はとうに過ぎ去っている。ハルトは軽食を買ってきますと外に出たため、食堂に居るのは俺のみとなっていた。
久しぶりに一人になった。俺は目を瞑り、ここ数日の出来事を思い返す。
監査チームの立ち上げの為に悪戦苦闘し、発足の為に天秤をこちら側に傾けようとした。
が、傾く直前で『灰咳』という疾病に立ち合い、有耶無耶になる。
『灰咳』を調査すれば、製法に遺志が込められていたこと、さらには巨獣が控えているかもしれないことに行き着いてしまった。
今さら引く訳にはいかない。引ける訳がない。
俺だけじゃない。俺や俺たちに期待を寄せてくれた協力者たち、そして帰還を信じてくれているであろう家族たちを喪わないために。
進むしか、術は、ない。
どれくらい時間がたっただろう。
静まり返った食堂に、何か近づいてくる音がある。規則正しく響いてくるのは、一人の足音だ。
俺はゆっくりと目を開け、足音の主に視線を向ける。
主は数舜たりとも躊躇せずに食堂に入り、真っ直ぐに俺の元に向かってくる。
足音の主は、黙って俺を見据え、対面に椅子に腰を掛けてくる。
ここが正念場か。
俺は懐に手を入れ、気を引きしめる。そして、主と対峙するのだった。
主は、満足げな笑みを浮かべ、足取り軽く立ち去ってゆく。
苦々しい顔つきで俯き、足音が聞こえなくなるまで、姿勢を固定する。
完全に聞こえなくなってから、5回分の深呼吸を終えて、ようやく顔を上げる。
念のため、周囲を見渡す。そして、テーブルの下や椅子の下に、何か仕掛けが備わっていないかを確認する。
何もされていないことを確認し、ようやく息をつくことが出来た。
そして同時に、ほくそ笑む。
疑似餌に喰い付いたことを確信出来たのだから。
「自分の立場というものを、弁えているのかね?」
「成果が出ないなら、即刻元の場所に戻ってくれても構わんのだよ?」
「予算というのは血税なのだよ。納税されている皆様に、更なる血を捧げてもらうことは、期待を裏切ることに繋がると思わんのかね?」
「誰も君たちには期待をしていないんだ。現実というものを早いとこ理解してくれたまえ」
主の声が、脳裏に繰り返される。
アンタの言葉は正しい。だが、正しいだけだ。
だが、その正しさは、何を根拠にしているのか、理解していたのか?
俺たちは、まだ何も報告していない。にも拘わらず、何故先回りして成果有無や予算確保の話を持ってくる?
まるで俺たちの行動を、見透かしていると言わんばかりではないか。
アンタには、行動を先回りされ、何も出来なくなり、失意に打ちひしがれているように見えているだろう。
そのまま、濁った眼でいてくれ。油断していてくれ。嘲笑っていてくれ。
真意に気付くのが遅れれば遅れるほど、俺たちの優位は揺らがなくなるのだから。
「…信じていた訳ではないんです…」
「あの人なら、それくらい、やるかもしれない、と思ってなかったと言えば、噓になります」
「何かと口煩いし、現場のことを搔き乱すこともある、厄介者だと、何度も思っていました」
「ですが、薬師ギルドとしての誇りは、持っているだろうとも、思っていました」
「誇りを、矜持を、使命を。全てを捨て去り、亡者にまでは堕ちていないだろうと…」
軽食の購入から帰ってきたハルトは、俺が語った顛末を語り終えるまで、何も話さなかった。
そして、聞き終えると、軽食の包み紙を開け、顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら食べ始めた。
俺は、石パンを齧り、黙ってハルトの嘆きを受け止めるのだった。
「…覚悟を固める必要があります」
食事を終え、落ち着いたハルトに向け、俺は声量を落として語り掛ける。
「偽装は出来ていると思いますが、いつまでも隠蔽出来ると楽観視は出来ません」
「非臨床試験に目途が立った今、臨床試験に臨むことになります。その際、臨床試験者を移動させるとなれば、疑いの目を向けてくるのは確実です」
「試験者の人数は減らされましたが、試験をしてはいけない、という指示は受けていません。堂々と試験を行うべきです」
「ですが、試験工程に妨害が入ることは、十分に在り得るでしょう。場合によっては、妨害により時間が無駄に浪費され、間に合わなくなることも懸念されます」
「私たちは、覚悟を固める必要があります。何をしてでも、対処薬を完成させると」
「その為には、妨害が行われようとも、前に進むことを。臨床試験者が過負荷に陥ろうとも、歩みを遅らせないと」
「ハルトさん、貴方の双肩に、貴方の両手にかかっています。対処薬を完成させるか、期限に達するか、どちらが早いかの勝負になります」
俺の言葉に、ハルトは僅かに震えるが、力強く頷くのだった。
「…そして、その上で。二つ懸念があります」
俺は、ハルトに向け、人差し指を立てて見せる。
「一つ目、まだ姿が見えないジェイルさんのことです」
「情報を集めてくれると言って別行動になってから数日、音沙汰がありません」
「私の想定が悪い意味で正解ならば…考えたくないことですが、最悪のことを想定して動く必要があるかもしれません」
「その場合、裏付けを取らずに動くことになるので、行動が先走ることになる可能性が高いです」
「ですが、対処薬自体を完成させること自体は無駄ではなく、絶対に必要なことになるので、このまま進めましょう」
続けて、中指を立てて見せる。
「…本当はジェイルさんが居る時に話しておきたかったのですが、そうも言っていられません」
「薬師ギルドの新薬開発、そして今回の緊急事態宣言。私の想定が正しいとすれば、目的と手段が逆転している公算が高いです」
俺の言葉に、ハルトは大きく目を見開く。
「新薬を開発する為に、重犯罪人を臨床試験者にするのではなく。…重犯罪人を処分する名目として、新薬開発を打ち出している」
「『灰咳』が蔓延してしまった為、症例者を隔離し、治療を施すのではなく。…治療目的ではない別の何かの新薬開発の為、『灰咳』を蔓延させ、効果確認用の症例者を効率的に確保する」
時が止まったように、食堂に静寂が満ちる。
…長い、夜の、始まりだった。
■執筆裏話
レオンの胸の裡を吐露。ハルトはどう受け止めるのか。想像していただき、次話をご期待ください。




