メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】㉝ / 灰咳奔走編
体の震えが止まらない。
自身が辿り着いた仮定が余りにも大きく、重すぎるからだ。
もし。
もし、この仮定が事実を担っているのであれば。
『灰咳』根治に向けての治療薬製剤は、とびっきりの悪手になりかねない。
あの男が関連していることは、ほぼ確定だろう。だが、彼が全ての絵図を描いているとは思えない。
彼の上には、予算を握る者…財務局が控えているだろう。
財務局長という頂点が直接絡んでくるとは思えないが、子飼いが彼に指示を出し、お零れを得ているのだろうか。
…辿り着いた仮定を否定してほしい。今まで考えてもいないことが頭をよぎる。
当初は、『灰咳』症例者が戦略兵器化された新薬の臨床試験者対象になる前に、新解釈による治療薬を用いて、症状改善したことをアピールする心算であった。
そうすれば、戦略兵器化された新薬を使う口実を潰すことが出来て、なおかつ『灰咳』根治による功績で有耶無耶に出来るだろう、と目論んでいたからだ。
だが。
だが、もし、背後に財務局という、利権を得ようとする巨獣が控えているのであれば。
ハルトやジェイルはおろか、俺や孤児院も踏み潰されてしまうかもしれない。
ハルトが目覚めるまで、いや、ジェイルが情報を持ち帰り、仮定の正誤を確かめるまでに。
俺は、真なる覚悟を決める必要があるのだった。
宵闇は徐々に薄れてゆき、東の空に蒼が混じり始める。
夜が明けてきたのか、と、硬くなった体を解す。
脳裏に浮かんだ仮定が重くとも、仮定は仮定。まだ確定ではない。
だが、最悪を想定して、準備をする必要があることは、間違いない。準備を怠り、対応出来なかったというのは、言い訳にならないのだから。
夢の中での寛ぎを邪魔するのは気が引けるが、そろそろ動く必要がある。
ハルトに声をかけ、意識の覚醒を促す。ゆっくりさせたい気持ちはあるが、やることは山積みとなっている。
非臨床試験、臨床試験だけに留まらず、今度は外部との心理戦も加わることになるのだから。
如何に欺き、隠し通し、成果を挙げるか。まずはそれを第一に考えよう。
最悪の仮定が確定するにせよ、しないにせよ、成果を挙げるのは絶対条件となるのだから。
寝ぼけ眼のハルトと共に、再度戦場に向かうのだった。
孤児院から薬師ギルドまで、雑談を交わしながら、ゆっくりと歩く。
寝ぼけていたハルトも徐々に目が覚めたようで、出店で朝食になる軽食を買い、もそもそと口に運んでいた。
俺は備蓄用の石パンを、顔を顰めながら少しずつ齧る。
朝から気分が下降線を辿ることになるが、カロリー補給にこれ程相応しいものが無い為、溜息をつくより術が無いのだった。
「…久しぶりに早朝時の大通りを歩きましたが、ここまで活気が無いのですね…」
軽食を食べ終えたハルトは、歩いてきた街並みの感想を呟く。
「そうですね。先日の緊急事態宣言により、必要外の外出を控えている為でしょう」
ハルトの感想に、俺は同意を示し、続ける。
「皆、誰もが不安なのですよ。いつまで続くのか、自分が感染しているのか、誰かに移してしまっていないか。そして、感染しても治るのか、とね」
かつての賑わいが鳴りを潜めている。ひしめき合っていた出店は疎らとなっており、店員にも覇気が見えないでいる。
「早く、なんとかしましょう」
ハルトは、短く宣言し、歩みを早める。
そうですね、と同意しようと声を出そうとするが、言葉に詰まる。いずれ、浮かんだ最悪の仮定を伝える必要があるからだ。
その時、ハルトの意思が折れることにならないか?
そう考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。
今伝えなくても、いずれ伝えなくてはならないことだ。ならば、先に伝えた方が、効率が良いのではないだろうか?
しかし、今、このハルトのモチベーションに水を差すことが、本当に効率が良いのか?
俺は言葉を発せず、答えが出ないまま、薬師ギルドに進むのだった。
身支度を整え終えた俺たちは、第三作業エリアに到着した。
軽く周囲を見渡した限りでは、何かが変わった形跡はない。
だが、俺たちが不在のうちに、機材の交換、および再設置されている、と考えて動いた方が無難だろう。
俺は懐からメモを取り出し、ハルトに見せると同時に、わざと明るい声を出す。
「では、作業の確認から始めましょう。ハルトさんは引き続き非臨床試験を。私は未確認パターンの効果検証と、生成を進めておきます」
――盗聴に注意。成果報告は控える、もしくは反対の内容で――
俺の言葉に、ハルトは了承の意を発し、作業を開始する。
時間制限があることもあるが、外部から横槍が入ることも想定しなくてはいけないことが煩わしい。
だが、逆に考えれば。
邪魔が入るということは、近づいて欲しくない、触れて欲しくない、という願望の表れではないだろうか?
こちらの対応が、巨獣の思惑にかすりもしなければ、手出しは行われないだろう。
…つまりは、そういうことなのだろう。
情報が欲しい。ジェイルの帰還が望まれる。
思考を巡らせながらも、手は止めない。
剣で切り結ぶような激しい戦いではなく、智を巡らせる静かな戦いが始まるのだった。
時計の長針が数周回ったころ、一息つくことを兼ねて、現状を報告し合う。
「…このパターンもダメですね、既存製法よりも向上が見受けられません。優先度が高いパターンについては全て試しましたが、これ以上は効果が期待出来ません」
――言行一致――
ある程度のパターン検証を終えた俺は、結果報告と共にメモを示す。
それを受け、ハルトも表裏を返してくる。
「私の方も似たような形です。投薬量を減らしても、負荷を抑えることができません。このままなら、根本的に考え方を変える必要があるかもしれません」
――量を調整することで、負荷の差分が見られる。但し、効能発揮と負荷影響のバランス調整が難しい。が、ある程度の目途は着いている――
ハルトの返答に、俺は目を見開く。難しいと思っていた調整を、短期間で目途が着く所まで推し進めることが出来たとは。
個人の才覚によるものもあるのだろうが、環境によって磨かれたことも挙げられるだろう。
もし、意識改革せずに、上からの指示による受動的な作業を続けていたら、開花は望めなかっただろう。
現状を鑑みて、それが喜ばしいことか、苦しむべきことなのかは、大いに悩むことになるのだが。
…それはさておき。
「では、方針を変えてみましょう。投薬量を変えるだけでなく、投薬間隔も変えてみては?一度に規定量を投薬するのではなく、段階的に投薬してみるのは如何でしょうか?」
――投薬量を調整する方向で推進。段階的な投薬による効能確認は別途確認願う――
「そうですね、そちらの方向に切り替えてみます。ですが、そうなるとスケジュール的にキツくなる訳ですが、それについては?」
――了承――
「いえ、効果が出ない検証を続ける方が、時間も素材も無駄になります。方針を大きく切り替えてでも、効果を挙げなくては、意味がありません」
――失敗を偽装。以降、わざと失敗を報告願う――
「わかりました。スケジュール調整の方は、お願いしますね?」
――了承――
表裏のやり取りで、情報を共有する。
手間はかかるが、情報漏洩を警戒することを念頭に置くのであれば仕方がないと、割り切っておこう。
その後、いくつかのやり取りを経たころには、時計の短針が頂点を示すのだった。
「進捗が芳しくありません…時間も丁度昼時です。一度、休憩に入りましょう」
――機材交換用の時間を用意――
「そうですね、目も疲れてきましたし、リフレッシュしましょう」
――了承。記録はこのままで?――
「金欠なので、安くて多くて旨い飯が食べられるところが有難いのですが、おススメはありますか?」
――そのままで。交換以外の余裕は無いハズ――
「ギルド内の食堂ならば、職員割引使えるはずですよ。短期出向扱いならば、割引効くのでは?」
――了承――
「なるほど。では、そちらで食べましょう。リフレッシュして、午後からの作業に励みましょう」
――言行一致――
そういうと、俺たちはメモを懐に仕舞い、席を立つ。機材は試験が難航していると思わせるために、わざと片付けずに放置しておく。
喰いつけ。そして惑え。情報を吸い上げていると満足し、信憑性を疑わなければ、お前たちの負けだ…
そんな考えを微塵にも表さず、退室する。
無人になった作業エリアに人影が映るのは、俺たちが去ってしばらく経ってからだった。
■執筆裏話
セリフ(表)とメモ(裏)のやり取りは、初の試みであったため、面白かったと思えって頂けると嬉しいです。




