メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】㉙ / 灰咳奔走編
「非臨床試験として、粘性生物に『灰咳』の感染組織を埋め込み、感染した状態でNo.167、及びNo.172の組み合わせパターンを投薬しました」
「アプローチとして、通常の投薬量と比較し、純粋に量を減らしました」
「2/3、1/2、1/3の三段階で投薬量を減らすよう調整しました。結果、1/3の投薬量で十分な効能が発揮され、負荷も抑えることが出来ていることが確認出来ています」
「1/3より多くなると負荷が高くなり、影響が看過できなくなっています。高温化、水分蒸発、皮膜破裂などが観察出来ました」
「ここまでは、No.167パターンについての解析です」
「No.172パターンについては、最終段階の症例者に対する投薬を視野に入れている為、負荷よりも効能を優先し、1/2の投薬量としています」
「No.167 パターンと同様、負荷が掛かっていますが、負荷に見合う分の効能が見込めています。No.167 パターンよりも速い速度で『灰咳』の症状緩和、無毒化が出来ています」
「…ですが、やはり高負荷なことは間違いありません。No.167パターンで対応出来るのであれば、そちらで対応するのがベターだと考えます」
「粘性生物における影響は、この通りです。次に、飛鼠を対象とした試験を実施します」
ハルトの報告は整然としており、迷いは感じられない。自身の役割に向き合い、責務と自負に目覚めたからだろう。
非臨床試験の方向性に対しては口を挟まず、別観点での確認を行う。試験を行う上での素材の残量とかかる時間についてだ。
俺は白紙を広げ、考えを纏める為にペンを走らせた。
No.167、No.172の両パターンに対する追加の生成、精製を行う。精製し終わるまで24時間かかる為、ある程度の量が必要になる。両パターンに絞れば、素材の在庫量として、現時点で足りなくなることは無いだろう。
だが、未生成パターンの評価を並行しようとすると、心もとなくなる。未生成パターンの確認は優先度を落とし、両パターンのみにフォーカスする方が、時間、素材共に有効利用出来るだろう。
また、飛鼠に対する効能発揮、及び負荷影響を、それぞれ確認する。
確認にかかる時間の詳細、及び結果はハルトの報告待ちとなるが、すぐさま判明するとは思えない。ある程度の時間を見る必要があるだろう。
やることは非臨床試験だけではない。
非臨床試験を経て、臨床試験を行う必要がある。非臨床試験よりも、よりシビアに行わなければならない。数多の実験生物の骸の上に成り立った成果を、無駄にする訳には行かないのだから。
残り時間より逆算し、作業スケジュールを制定する。パフォーマンスを落とさない為、体想時間を見込んだうえで。
非臨床試験に2日、臨床試験に3日、これがデッドラインになるだろう。
ふと、違和感を捉え、走らせていたペンの速度を遅らせる。
非臨床試験には、粘性生物、飛鼠を対象としていた。ハルトからの言もあったので確かだ。
では、臨床試験はどうするのか?
現代日本の感覚で臨床試験を「治験」という扱いで考えていた。だが、それは正しいのか?
「神崎利弥」として生きていた時のことを思い出す。
新薬の承認を得る為には、膨大な時間とデータを費やす必要があった。それは、命を救うという命題と併せて、人体危機を最小限に抑えるという高い医療倫理が発達していたからに他ならない。
では、ここでの臨床試験はどうなっているのか?
臨床試験対象には、『灰咳』が感染されていることが前提なのか?それもと、感染されていない状態でも試すのか?
…そもそも、対象は、「ヒト」とするのか?
その場合、どのように対象を確保するのか?
背筋に氷を忍ばされたような寒気が走る。
これは、俺が、俺たちが懸念している、『灰咳』の人為的な悪化進行のための人体実験と変わらないのではないか?
ペンを置き、深呼吸を数回繰り返す。新鮮な酸素を心臓に、脳に送り込む。
落ち着け、手段が同じでも、目的は異なる。「悪化」ではなく、「改善」が目的だ。
まずは確認だ。臨床試験対象に、何を用いるのか。…誰を用いるのか。
震えそうになる手を握り締め、覚悟を決める。
如何なる結果になろうとも、揺れず、崩れない決意を固めるのだった。
黙々と作業を進めるハルトに、若干の後ろめたさを覚えながらも、声をかける。場合によっては緊急事態に陥るからだ。
「ハルトさん、確認したいこと…、いや、確認すべきことがあります。手を止めていただけますか?」
俺の言葉に、ハルトは振り向き、怪訝な表情を浮かべてくる。
「何かありましたか? 飛鼠に対する効能と負荷は、まだ確認できていませんよ?」
ハルトの返答に、ゆっくりと首を横に振る。
「いえ、今私が確認したいのは、進捗ではありません」
一旦言葉を止める。そして、深呼吸を一回行う。ともすれば声が裏返るほどの緊張を抑え込み、ゆっくりと、しかしはっきりと問い掛ける。
「非臨床試験後の、臨床試験においては、誰を対象に、どのような試験を行うのですか?」
俺の言葉に対し、ハルトは力んでいた身体を弛緩させる。無理難題を問われるのかと身構えていたからであろう。回答は淀みなく行われてきた。
――あぁ、それはですね、臨床試験用の候補者を対象としますね。
―勉強不足ですみません、臨床試験用の候補者とは?
――基本的には健康状態の希望者に対し、報網を支払って試験を行います。
―基本的に、というと?
――人体に大きな影響が見られない場合が対象ですね。既存のポーションの効果改良や、廉価版作成が挙げられます。
―なるほど、広く候補者を葬り、効果確認の範囲を広げる訳ですね。
――認識の通りです。
―…では、影響が見られる場合、具体的には今回のように、投与量によっては劇薬と化す場合には、どのような対応に?
――はい。その場合は、死罪が確定した犯罪者を対象としています。
―犯罪者、ですか?
――えぇ、勿論冤罪の可能性が無い、重罪犯罪者となりますが。犯罪者を収容する施設も無限にある訳ではないですし、生存させ続けるにもコストがかかる訳ですから
―…なるほど…
――武器の性能確認や、魔法の技能確認は無機物相手でもある程度の効果を確認することは出来ますが、薬効確認は有機物、最終的にはヒトを対象にする必要がありますからね。
―…
――人道的ではない、と制度に否定的な方も居ます。ですが、必要性とリスクが高く、やり手が居ないという事案がある以上、私は積極的な賛成こそしませんが、明確な否定も出来ません。
―…
――勿論、非臨床試験を経たモノを対象としますので、即時に支障が出るという訳ではないですね。それと、各症例に対する感染有無状態で効果確認をする必要がありますが… おや?レオンさん、どうしましたか?
ハルトとの会話を半強制的に切り上げる。ハルトは首を傾げるが、特に何も言わず作業を再開させ始めていった。
俯き、瞼を閉じる。そして思考の海に潜る。
臨床試験は、ヒトを対象とした試験となる。
対象者は死罪対象となった犯罪者。
思う所が無い訳ではない。医療の発展に犠牲は付き物などと宜うつもりも無い。
むしろ資源を有効活用し、合理的だ、と褒めるべきであろう。
死罪が確定している犯罪者が、誰にもやれないことを成して世の役に立つのならば、被害者の溜飲も下がるだろう。
このことを、素直に飲み込めないのは、俺がぬるいのだろう。
…まて、まて、まて、待て。
臨床試験用の候補者を死罪確定の犯罪者とする。ここまでは良い。100%の納得は出来ないが理解は出来る。代案が無いにも関わらず、反対を示すのは無駄な行動だ。
『灰咳』を対象とした臨床試験を行う際、何人の候補者を必要とするのか? 5人か?10人か?それとも100人か?何人分のデータを取る必要がある? そもそも、候補者を確保出来るのか?
思考の海に潜る、潜る。
医療用とはいえ、死罪確定の犯罪者を長期間に渡って大人数収容しておくとは考えにくい …因果が逆なのでは?
薬効を確認する為に、犯罪者を用いるのではなく、犯罪者が出たから、臨床試験が必要な新薬開発をするのでは?
閉じていた瞼を開き、瞳を青に染める。
一カロリーコンバータ・ライト起動一
視界から色彩が抜け落ち、モノクロの世界に変化する。
思考が加速し、拾い集めた欠片が組み合わさっていく。
『灰咳』発生による緊急事態宣言にて、隔離施設への搬入よりも、検査による感染確定を優先し、症例者を集めたのは、このためなのでは?
緊急時の治療という題目を掲げ、本来は犯罪者を対象とする臨床試験を、感染対象者にスライドさせ、多大なデータを得ることが目的だったのではないか?
それならば、搬入よりも確定を優先させていた動きに辻補が合う。合ってしまう。
『灰咳』が蔓延、これは何故か? 『診水晶』使用してこなかったことにより、看過してしまったから。
緊急事態宣言を発令、これは何故か?『灰咳』治療対策を題目として、新薬開発に必要な検体を多数用意できると目論み、確保したかったから。
仮説段階だが、十分に説得力がある。否定する明確な証拠が無い限り、この仮説を崩すことは難しいだろう。
瞳を黒に戻し、スキルを解除する。そして兵站を管理するため、石パンを手に取る。
顔を顰めながら、それを齧り、咀嚼する。形容できない味が口中に広がると同時に、水分が一気に奪われる。水を含み、強引に胃の中に流し込む。
…裏付け出来る証拠が揃わない限り、仮説は仮説。そう割り切って、現実問題を解決すべく、動く必要がある。
『灰咳』対策における新薬臨床試験対象者の確保について、5人なのか、10人なのか、はたまたそれ以上なのか。非臨床試験が完了した後に実施するとはいえ、確認を疎かにしていい理由はない。
俺は再度ハルトに声をかけるのだった。
■執筆裏話
臨床試験のくだりは、ファンタジー世界ならこうなるのでは?という妄想で描いています。死が身近にある分、死生観が異なると思って読んでいただければ幸いです。




