メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】㉘ / 灰咳奔走編
「…ではレオンさん…これを…」
ハルトの唇から漏れ出る声に震えが混じる。
それに呼応するかのよう、試験管を受け取った俺の手も僅かに震えている。
組み合わせパターンのNo.167、及びNo.172。
俺達の労力の結晶が、目の前に鎮座している。
「…確認します…」
二種類の試験管が放つ、No.188の紫を凌駕する彩りに、目を奪われる。
文字通り、血と汗を振り絞って導き出した答え。
もし、この答えが違っていたら?リカバリが効くのか?時間は?素材は?
No.188の効果だけで十分なのか?
次々と、不安という鎌首がもたげてくる。静かに、息を潜めて。
ふぅ、と小さく息を吐き、目を閉じる。
後戻りをすることは出来ないし、するつもりもない。
此処に至るまでの道程を思い描く。何の為に此処に居るのかを強く思い返す。
協力し送り出してくれた者。『灰咳』を患い不安を抱える者、そして共に立ち上がり立ち向かう者。
いくつもの顔が浮かび上がってくる。
願う。祈る。どうか実を結びますように、と。
目を見開く。手の震えは止まっている。
俺はもう一度息を吐き、確認を始めるのだった。
試験管内の液体を検査にかける。
No.188については、既存製法により精製したサンプルの効能を上回った成果を挙げていることを確認出来ている。
今実施しているNo.167、及びNo.172の確認の結果が、推測通りにNo.188の効能よりも優れていると分かれば、すぐさま次の段階に移ることが出来る。
現時点では、あくまで机上での数値確認となる。
数値の担保が取れれば生体反応。そして人体への影響確認。
一朝一夕で出来ることではないことは分かっている。
だが、落ち着こうとする思考とは裏腹に。
心が震え、体が滾り、魂が逸る。
「命を取りこぼさない」
今、この世界で。『灰咳』に怯え、薬を待つ者たちの為だけではなく。
かつて、薬を渇望し、間に合わなかった者への決意として。
氷の思考と炎の情熱が入り混じる中、確認を進めるのだった。
判決は下された。
情も、しがらみも、権力も、効能以外の全てを排除した、純粋で公正な数値という結果で。
静寂な空間の中で、鼻孔を微かに擽る薬品臭と、鼓膜を叩く機材の駆動音が、数値を見詰める俺を刺激する。
背後のハルトは、固唾を飲み、報告を開き漏らさぬよう控えている。
俺はハルトに向き直り、結果を伝えた。
感情が籠らないよう、極力無機質に、淡々と。
そうでなければ、激情のうねりに呑み込まれそうになるのだから。
「…想定外の結果です…私の推測より外れていたことが分かりました…」
ハルトと視線を合わさず、震えそうになる声帯を懸命に抑える。
表情を出さない、能面のような貌で、言霊を放つ。
「…外れて…いた…?…で、では…No.167とNo172は誤りであった…と?」
ハルトは結果を聞き取ると、声を震わせて、再審請求を望もうとする。
「な、何かの、間違い、ですよね?効能が期待出来なかったなんて、間違いですよね!?精製が誤っていたんでしょうか?それとも?もう一度確かめましょう!今すぐに!!」
パニックを起こしかけているハルトの両肩に、俺は静かに手を添える。震える手で、落ち着けと。
「いいですか、落ち着いて聞いて下さい。想定外と言いましたが、効能が期待出来なかったとは言っていません」
「効能が期待出来ないのではありません…期待以上の効能だった、ということです」
「期待以上ということは、効能に加え、人体への負荷が跳ね上がる、ということになります」
「中期段階用と最終段階用に使い分けることを想定していましたが、このままでは中期段階用でも負荷が高くなりすぎて、症例者の体力が持たない危険性を帯びてきました。最終段階用ならば、言わずもがな、です」
「投与する分量で調整可能か、精製のバランス調整で対応可能か、それともまた別パターンを考える必要があるか…何にせよ、まだ確認は必要です」
俺の言葉はハルトの耳に届くが、理解しきれないようで、視線を左右に泳がせている。
「…えと、つまりは…?」
ハルトを椅子に座らせ、視線を合わせ、ゆっくりと、はっきりと告げる。
「期待以上の効能を持つ精製に成功です。ですが、効能が高すぎて、調整が必要であることが分かりました」
『三歩進んで二歩下がる』というやつだな。ワンツーパンチはしないがな。
ハルトは込めていた力が抜けたかのように、肩を落とし、大きく息を吐く。
「そう…でした…か…喜んで…良いんですか…ね…?」
数分にも満たないやり取りで、ハルトは精魂尽きたような憔悴した表情を浮かべる。
成果が実った喜びと、さらなる苦難が見えていたからであろうか?
色鮮やかに映っていた、No.167とNo.172の紫の彩りは、今や希望と失望を兼ね備えた気紛れな女神の微笑みのように感じられるのであった。
石パンを齧りながら、追加検証の内容を検討する。
案としては三つ。
一つ、投与分量調整の検証。
No.167とNo.172を使用することにするが、投与する分量を既存の分量よりも少なくする。
効能と併せて負荷も上昇している為、投与量を減らし、負荷を減らす。但し、減らし過ぎたら効能が発揮できなくなる懸念がある為、バランスを見極める必要がある。
まずは非臨床試験になるだろう。
一つ、精製バランス調整の検証。
No.167とNo.172における組み合わせパターンをベースに、微調整を行う。
溶解温度、効能抽出時間、混合比率、効能定着時間。それぞれの条件を、No.167、及びNo.172のパターンより少しずつ変える。
新たな組み合わせにより、より良い効能が発現するか、確認が必要になるだろう。
一つ、未確認パターンの組み合わせの検証。
まだ未実施となっている組み合わせパターンの確認。
スキル行使にて効能が高いとしていたパターンを優先して確認していたため、まだ未確認の組み合わせパターンが存在している。
見逃していたパターンが実は最も効果が高い、という可能性はゼロではない。
順次、精製、確認が必要になるだろう。
欲を言えば、全ての案を同時並行で検証したい。しかし、時間、ヒト、モノ、全てにおいてリソースが足りない。
施療院に搬入する時間は決定しており、対応する人物は俺とハルト、そして生成、精製出来る素材はジェイルが運んでくれた分のみ。
時間を引き延ばすことは出来ない。
ヒト、モノを追加しようとした場合、その動きを察知し、妨害工作をしてくる公算が高くなる。
とすれば、投与分量調整、未確認パターン組み合わせ、バランス調整の順で優先順位を設け、検証するのがベターになるだろう。
ハルトには投与分量調整に専念してもらう為、未確認パターンの精製をまず済ませてもらう。その後、No.167、No.172に対する投与分量調整に移行する。
俺は精製済みとなっている未確認パターンと、追加予定のパターンに対する効能確認を実施する。それに並行し、生成バランス調整の追加組み合わせを洗い出す。
こうすることで、待ち時間によるロスを別作業に充てることが出来て、時間を有効活用出来ることになる。
効能確認の合間に、ざっくりとしたチャートを作成する。
デッドラインより逆算すれば、ギリギリになりそうだ。
ハルトに声をかけ、チャートの内容を見せてみれば、眉間に皺を寄せ、渋面になった。
何かを言おうと、数回口を開閉していたが、結局は何も言わず、大きなため息だけをつき、作業に戻っていった。
机に向かい、作業を続けるハルトの後ろ姿は、もう立派な研究者だった。
精製済の組み合わせパターンの確認を終え、ふと時計を見る。短針は頂点をとっくに経過していた。
時間を意識すると、猛烈な空腹感が襲ってくる、スキル行使によるカロリー消費とは異なった空腹感には抗えず、石パンを口にする。
評価するに値しない食感と味に、先型のハルトに負けないくらいの渋面を作る。
水で強引に流し込み、特に滴る水滴を拭う。
費用対効果は絶大である為、兵站管理にこれ以上の物はない程優れているのだが、不味い物は不味いのだ。
ふと、ハルトの具合はどうかと視線を向ける。背を丸め、作業に没頭し続けている。
俺はお茶を淹れ、机の空きスペースに置く。
お茶のほのかな香りと、温かい湯気に、ハルトは研究の世界から戻ってきた。
「ありがとう…ございます…」
カップを両手で持ち、少しずつ飲み込む、余程喉が渇いていたのか、直ぐに飲み干した為、お代わりを注いでやる。茶請けに石パンを添えようとしたところ、ものすごい速さで首を横に振ってきた。折角の厚意を無碍にするとは、失礼な奴だ。
茶を飲み、休憩と合わせて現状の報告をし合う。
俺は組み合わせパターンの効能確認、ハルトは非臨床試験だ。
「…未確認パターンの効能については、No.167、No.172はおろか、ベースとしていたNo.188を上回る効能を見出せていませんでした」
「全パターンの確認はしきれていませんが、コアパターンの確認で結果が出ていない以上、優先度を落とした方が良いでしょう」
「未確認かつ、未精製のパターンについては、私が引き継ぎましょう。ハルトさんは引き続き、非臨床試験を進めて下さい」
俺の報告に、ハルトは小さく頷く。そして、今度は自分の番だと居住まいを正す。
「では、私の方を。こちらをご覧下さい…」
希望か、失望か、はたまた絶望か。実施した非臨床試験の結果が、静かに紡がれていった。
■執筆裏話
「想定外の結果」をミスリードになるよう仕上げてみました。




