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メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】⑫

「おやおや、こんな時間に来訪されるとは。ずいぶんゆっくりですかな?それとも早いですかな?」

「肩で息をするほど急がれていたようで。まずはお座りください。冷たい水を飲んで、一息つかれては如何でしょうか?あぁ、冷たいのではなく、常温の方が宜しいですかな?」

「なぁに、今更焦っても結果は変わりませんよ。あぁ、もちろんこちらの水は私からのサービスになりますゆえ、ご安心して召し上がってください」

「そうそう、遠慮せずに。お代わりは如何ですかな?『急いては事を仕損じる』、と言いますからね。似たような言い回しで、『急がば回れ』、『待てば海路の日和あり』、などもありますね。そういえば、『慌てる乞食は貰いが少ない』、というのもありましたが…御存知ですよね?」

「いえいえ、焦らそうとしている訳ではないのですよ。あまりにも貴方に余裕が無いのを見かねて、助け舟を出したくなりまして、ね」

「何しろ、貴方が今ここで潰れれば、今までの投資分に対する債務返済が滞り、私の利益が減じることになるのですからね、…おや、目が怖いですね。なぁに、冗談ですよ冗談。 3割程ですが、ね」

「おや、息が整ったようですね。重畳々々。では、さっそく始めるとしましょうか。依頼頂いた調査結果を、正攻法としての切札(エース)として振るうか、盤面を掻き乱す鬼札(ジョーカー)として振るうかは…貴方の才覚次第となるのですから、ね」


久方振りに訪れた男の部屋は、格調高い絨毯が敷き詰められており、洗練された壁紙に覆われていた。だが、その静謐な空間の片隅には、部屋の調和を暴力的に乱す、けばけばしい意匠が施された調度品が乱雑に積み上げられている。

恐らく、債務返済が滞った債務者より、現品徴収された『残骸』だろう。男の洗練された趣味とはおよそかけ離れた、悪趣味だが高級と思われるそれらは、男の伝手により、すぐさま闇市場へと流される。一度そうなれば、取り戻すことは困難を極める。それは火を見るよりも明らかだ。

目の前の男…高利貸しのマルコには、いつも浮かべているニコニコ顔の裏側に、それを行うだけの力と冷酷さが潜められていることを感じさせられる。喉を通った冷たい水が、胃の中で鉛のように重くなるのを感じながら、油断することは出来ないと再認識させられていた。


どれくらい時間が経ったのだろうか。瞳の色を青から黒に戻し、読み終えた調査報告書を机に置く。

ふと覚えた喉の渇きを癒やすべく、マルコが注いでくれていた杯を手にした。掌に伝わる大粒の水滴。結露がこれほど生じるまで、俺は没頭していたのか。机の向こうでは、マルコが別の書類にペンを走らせる音が、規則正しく響いている。

俺は一度目を瞑り、石パンを口に放り込んだ。乱雑に咀嚼し、水と共に強引に喉の奥へ押し込む。水でふやけたそれは、石の名に恥じぬ質量を感じさせながら胃に収まった。

カロリーは補充された。俺は再び目を見開き、その瞳を青く染め上げる。

『カロリーコンバータ・ライト、起動』

視界に浮かぶ情報を再演算し、(ほころ)びへの攻め口を検討する。

結論から言えば、部長個人に決定的な瑕疵は見当たらなかった。法的な隙も、私生活における不名誉な欠陥もない。監査を想定したその立ち回りは賞賛に値する。

だが、鉄壁の守りも身内から崩れる。彼の妻名義の口座。そこから定期的に行われている不自然な出金履歷——————

「………見つけたぞ」

俺は、モノクロの視界の端で、ようやく掴んだ『糸』を手繰り寄せた。


「おや、手札(カード)は揃いましたかね?」

走らせていたペンを止め、マルコは視線を俺に向けてくる。

(およ)そ、となりますが」

瞳を黒に戻す。そして腕を組み、頭痛を堪える様に眉間に皺を寄せる。

「勝負になりそうですか?」

値踏みを兼ねた、問い掛けが行われる。

「現時点では三割、というところでしょうか」

調査報告書から見出した『糸』。これをどう編み上げれば、あの部長の天秤をこちら側に傾かせることができるか。まだ、綱渡りの域を出ない。

「重畳々々。では、本題に移りましょうか」

マルコはそう言うと、書き連ねていた書類を無造作にこちらへ滑らせてきた。

「本件にかかった調査費用になります。あぁ、大丈夫ですよ。元金に上乗せさせていただきますので、今すぐ支払っていただく必要は御座いません。金額をご確認いただけましたら、 そちらにサインを」

此方の懐事情は完全に把握されている。反論の余地など、最初から用意されてはいないのだ。 俺はペンを取り、内容を改めるべく書類に目を落とした。——直後、視界に飛び込んできた数字に、全身が硬直する。


「……これは、何の冗談だ?」

震える唇から、絞り出すようなか細い声で問うた。

「おや、何か問題でも? 今度は私の方が『三割』くらいは冗談だと言ってほしかったですかね?正当な行動(パフォーマンス)には、正当な対価(コスト)を。金額に不満が御座いましたか?」

示された金額は、俺の想像を絶するものだった。……想定よりも、遥かに安い。

「記載間違いではないのか」

「おや? 吊り上げた方が宜しいので? 今回は調査にかかった実費のみ、当方の利益は度外視させていただいたのですが」

マルコはゆっくりと立ち上がり、張り付いたような笑顔を消した。その無機質な真顔は、積み上げられた『残骸』よりも冷たく、重い。

「レオンさん。私にも、私なりの矜持というものがあるのですよ」

「契約内容に嘘をつかないこと。そして、契約内容を遵守させること」

彼は部屋の隅の『残骸』へ歩み寄り、忌々しげに言葉を継ぐ。俺達以外居ないはずの部屋より、僅かに気配が漏れた気がした。

「不正献金?構いません。素材の横流し?やりなさい。当事者間での合意があるなら私は何も言いません」

「ですがね…今回の件は、少々私の虫が居所が悪いのですよ」

「調査対象の金には、冒険者ギルドのクエスト報酬が含まれていた」

「契約の穴を突き、命を賭けた連中の取り分を掠め取って私腹を肥やす」

「…ええ、私憤ですよ、私憤。私はこう見えても優しいおじさんなのですよ。あの孤児院の子供たちには、健やかに育ってほしいと願っているのですから、ね」

ひとしきり語り終えると、マルコの顔にはいつものニコニコとした仮面が戻っていた。

「おや、レオンさん。その顔は、私が血も涙もない冷血漢と言いたげですね?」

「いやだなぁ、回収できる相手からは、生かさず殺さず搾り取るのが私の流儀ですよ」

「貴方は私のお得意様なのですから。…あとは、わかりますよね?」


金額が少ないに越したことはない。

藪をつついてさらなる蛇を出す前に、俺は書類にサインをすると、マルコに手渡した。

「確かに」

書類を受け取り、署名を確認すると、是を示す言葉が短く響いた。

「そうそう、こちらはお土産です」

去ろうとする俺を引き留め、マルコは机の引き出しより、黒い布に包まれた拳大の物体を取り出す。

包まれた布を解かれ、物体が判明すると、俺は驚愕を露にする。

隠し玉(ワイルド)として使われては如何でしょう?」

物体から視線を移せない俺に、マルコは続けてくる。

「こちらはお代に含みません。私からレオンさんへの『貸し』一つとだけ覚えていただければ」

タダほど高いものは無い。解ってはいるのだが、この申し出を拒むことは、理性が許さない。

俺は渋面を浮かべたまま、マルコに礼を言い、黒い布で包み直された物体を、微かに震える両手で受け取る。両手に感じる重圧は、物体の重量以上を思わせてくる。

…部屋を出る頃、俺の胸中には、対決に向けての闘志と、マルコという怪物に完全に御された敗北感とが、黒い泥のように()()ぜになっていったのだった。


レオンが館から出たのを確認すると、マルコは部屋の奥、『残骸』の向こう側に声をかける。

「これで良いんですかい」

誰も居ないはずの部屋、『残骸』により隠された死角より、煙管を摘み、胸元を大きく開いた妙齢の女が姿を現す。  

「あぁ、世話をかけたねぇ」

先のやり取りに満足したのだろう、雁首(がんくび)から立ち昇る一筋の紫煙を眺めて、上機嫌に頷く。

「ずいぶんと回りくどいやり方でしたなぁ。姐さんが直接アレを渡せば良かったじゃないですか」

マルコはそういうと上機嫌の女・・・高級娼館の女主人であるシルヴィアに視線を向ける。

「良いんだよ。アタシからアレを渡したら、あの人は必要以上に恩を感じるからね。アタシはあの人の能力だけじゃなくて、心も、身体も。…全てが欲しいの、サ」

シルヴィアはレオンの前では決して見せない、熱を帯びた瞳で、虚空を見つめる。

「・・・火傷(やけど)で済めば良いんですがね・・・」

それがレオンのことなのか、それともシルヴィアのことなのか。既に手遅れであることを認識しているマルコの呟きは、シルヴィアには届かず、虚空へと溶けてゆくのだった。


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