第370話:実感 その2
そうして、どれだけの間カリンを抱き締めていたか。
さすがに人目に付くからと扉を閉め、部屋の中でぎゅっとカリンを抱き締め続けていた俺である。
五分か、十分か、二十分か。さすがに一時間は経過していないと思うが、最初はドクドクと激しく脈打っていたカリンの心音が落ち着き、俺の精神も落ち着きを取り戻すまでにそれなりに時間が経ったのはたしかだった。
で、だ……こうして落ち着きを取り戻したのは良い。今まで自覚していなかった死の恐怖や生き返った衝撃や将来への絶望感など、精神の均衡が崩れる事態に陥っていたと客観的にも自覚できた。うん、それは良いのだが。
(やべえ……思わずカリンを抱き締めちまったけど、ここからどうしよう……)
冷静になったら、現状のまずさに気付いた俺がいた。
いやまあ、俺とカリンは婚約者候補同士だし、問題が起きなければ将来は結婚する予定の相手だ。少しばかり時間が長いが、抱擁の一つ程度でどうこう騒がれる筋合いもない。
ないのだが――。
(今回、その問題が起きちまったんだよな……)
俺が死んでしまったことで透輝の『宝玉』を消耗してしまい、グッドエンドが目指せなくなった可能性が出てきたのだ。
まだ詳しく検証したわけではないが、『宝玉』の消耗が本当にエンディングに関係しているのか、それとも別ルートの俺は単純に力不足で『魔王』を『封印』することしかできなかったのか、その辺りが不明瞭だ。
もちろんエンディングがどうこうっていうのは確認する手段がないが、現実的に考えると『宝玉』の数で『魔王』の対処が『消滅』か『封印』か『撃退』かにわかれるとは思えない。あくまでゲーム上の処理がそうなっているだけ、という可能性がある。
しかし『飛竜の塒』でバリスシアに殺されて蘇生された別ルートの俺のことを考えると、同じ条件になってしまった現状を楽観視はできないだろう。
つまり別ルートの俺のように、メリアとの『契約』の力を使って存在を削ってでも『魔王』を『封印』し、他者から認識されなくなって生きていく未来が待っている可能性がある。リリィが今も存在する以上、その可能性は非常に高い。
――そうなった場合、カリンとの関係はどうなるのか。
当然ながら、婚約者候補がどうっていうのも消え失せるだろう。メリア以外に認識されずに生きるという時点で、それは確実だ。俺がいた痕跡も忘れ去られ、ミナト=ラレーテ=サンデュークという存在が消え失せた世界として認識されることになる。
話しかけても反応はなく、仮に反応があっても『どちら様ですか?』と他人を見るような目で見られることになるだろう。カリンの立場から考えると、他人どころか不審者を見るような目で見られるか。
つまり、今、この少女を抱き締めていること自体が間違いだ。将来忘れ去られるのなら、想いを深めるべきではない。俺にとってもカリンにとっても良くないことだ。
(……ああ、そうか……そうだよな……なくしてしまうからこそ、その価値に気付くなんてな……)
俺がカリンに向けている感情は、恋愛劇のような熱烈な恋ではない。婚約者候補になってから今までの時間と触れ合いで徐々に培ってきた、愛情だろう。多分、カリンも似たような気持ちだと思う。
『魔王』をどうにかして、辺境伯を継いで、カリンと結婚して――なんて、自然と考えていたぐらいには想いを向けていたのだ。
そんな想いも、『魔王』をどうにかするために足掻けば消えてしまうのか。いっそのこと全部忘れて逃げてしまいたいが、『花コン』の通りになるのなら『魔王』をどうにかしなければ人類が滅ぶときた。進むも地獄、逃げるも地獄なら、前に進む方がまだマシってものだろう。
(まだ……まだ、足掻ける……まだだ、まだ全てが終わったわけじゃねえ……悔いるのも絶望するのもまだ後だ……『魔王』と戦って、どうにかして、その結果を見てから考えろ……)
正直なところ、正気に戻ったせいで余計にしんどい。両肩に人類の未来が圧し掛かっている気がするし、胃は穴があくどころか穴あきチーズみたいになった上で捻転を起こしそうなぐらい痛い。
だが、まだ終わったわけではないのだ。たしかに一度死んで透輝の『宝玉』を消耗してしまったが、まだ終わっていない。終わっていないのだ。
「……ミナト様? そろそろ落ち着きましたか?」
そんなことを考えていると、カリンから声がかかった。抱き締めて既に何分経ったのか。さすがにどうかと思った俺はカリンから身を離す。
「ああ……本当、すまないなカリン。こんなに長々と……」
「い、いえ、それは別に構わないと言いますか……」
身を離したものの、至近距離で視線を絡め合う形になり、カリンが恥ずかしそうに視線を伏せた。だが、恥ずかしさの中に凛とした決意のようなものが感じられ、それを証明するようにカリンが顔を上げて俺をじっと見つめてくる。
「それで……何かありましたか? 帰ってくるのが遅かったですし、西の大規模ダンジョンが破壊されたという噂がこちらにも流れてきていましたが……」
西の大規模ダンジョンを破壊してから竜騎士が情報を持って飛び回っていたし、学園にもその一報が届いていたのだろう。それだというのに俺の様子がおかしいことから、カリンは違和感を覚えているようだ。
「あー……その、なんだ……」
何かを言おうとして、すぐに言葉を濁してしまう。
だってそうだろう? 大規模ダンジョンを破壊することに成功したものの、『魔王の影』と交戦して死にました。でも透輝のおかげで生き返ることができました、なんて伝えるのか?
だが、ここで伝えないわけにもいかないだろう。気が動転していたのもあるが、透輝達に口止めをするのを忘れたからだ。というか、最近の仲の良さから考えるに、ナズナあたりから情報が伝わりかねない。
自分から伝えるのと、後々誰かから伝わるのとでは受ける印象も大きく異なるだろう。それを思えば俺の口から伝えるべきだ。
「……何か、言いにくいことですか?」
「まあ、その……うん、そうなんだ」
迷う俺の背中を押すように、カリンが優しい声色で尋ねてくる。俺はそんなカリンの声に頷くと、困ったように視線を彷徨わせた。
「西の大規模ダンジョンについては、破壊できたんだ。ボスモンスターを倒せたし、後始末も透輝達が頑張ってくれた。だけどその間、俺はずっと休んでいてね」
「休んでいた……となると、どこかお怪我でも?」
カリンが心配そうな顔をしながら尋ねてくる。その問いかけを受けた俺は、こんなこと人生で初めて言うな、なんて思いながら答えた。
「いや……あー……実はその、死んでしまって、だな」
「…………え?」
当然というべきか、俺の言葉を聞いたカリンが動きを止めて固まってしまう。それを見た俺は妙な焦りを覚えつつ、言い訳のように言葉を重ねていく。
「し、死んだけど、生き返ったんだ。透輝の『召喚器』に回数限定だけどそういう能力があってだな……それを使って生き返った」
そのことに関しては、最早何も言うまい。透輝は良かれと思って『宝玉』を使い、俺を蘇生したのだ。そのことに感謝こそすれ、文句を言うのはお門違いだ。さすがにそれで文句を言えるほど人間性を捨てた覚えはない。
俺に捨てるほどの人間性が残っていたのか、と言われれば困るところだが。
「冗談……で、は……ない、ですよ……ね?」
「ああ。さすがに冗談でこんなことは言わないさ」
カリンは俺の顔を見て、俺の足元を見て、もう一度俺の顔を見て、そして最後に何を思ったのか、俺に向かって抱き着いてくる。そして俺の胸部に耳を当て、目を閉じた。
「……心臓、動いてます」
「ああ……生きているからな」
「……本当に、死んだんですか?」
「ああ、その、なんだ……『魔王の影』に不意を打たれて、背中から心臓を貫かれてな」
ソイツは相打ちで仕留めたが、と説明すると、カリンは見上げるようにして俺を見詰めてくる。
「……えっと……本当に?」
さすがに信じられないのだろう。重ねて問いただすカリンに対し、俺は苦笑を返す。
「透輝達に聞いてみてくれ。俺から話を聞いたって言ってな。あ、いや……やっぱり聞かないでくれ。みんな、俺が死んだことを気にしているんだ」
特に、リリィの落ち込みようが酷い。さっきまでは俺もいっぱいいっぱいだったが、正気を取り戻した今となっては気を遣えるだけの余裕がある。僅かとはいえ、それだけの余裕が戻ってきた。
(後でリリィのところに行かないとな……ついでにオリヴィアさんに報告もしないと)
既にメリアから報告が届いているだろうし、ついで扱いになったのは申し訳ないが、リリィを優先するとしよう。『魔王』対策はその後にしっかりとやる。
(そう考えると、やるべきことがたくさんあるな……)
正気に戻れば、やるべきことが思いつく。『宝玉』を消耗してしまったが、その補充方法も『花コン』では描写されていたのだ。ただ、こちらは実践できるか微妙なところだが。
そうやってあれこれと考えていると、どことなく不満そうな視線がカリンから飛んでくる。
「色々と……ええ、色々と言いたいことがありますが、いつものミナト様の顔付きに戻ってきたので飲み込みます。でも、他に隠していることはありませんか?」
至近距離から見上げながらそう尋ねてくるカリンに、俺は言葉を詰まらせた。
隠していることは、ある。下手すると俺との関係も全て解消し、俺のことを忘れ去るであろう爆弾が残っている。
それを今、伝えるのか。
思考し、逡巡し、決断するまでかかった時間は何秒か。そうして迷う時点で何かあると告げているようなものだが、俺は必死に表情筋を動かし、笑みを浮かべる。
「……いや、今のところはないよ」
――今はまだ、言えなかった。




