第315話:さらば
コハクからの突然とも思える質問。
それを聞いた俺は、盛大に困惑しながらも首を横に振った。
「いや……カトレア先輩に婚約者候補がいるって話は聞いたことがないが……」
「そ、そうですかっ」
明らかにほっとしたような、安堵の声。それを聞いた俺はまさか、と思いながら尋ねる。
「……惚れたか?」
「っ!? い、いえ、その、あんなに強い女性は初めてだったので、なんと言いますか、その……」
俺の質問に対し、顔を赤くしてしどろもどろになりながら答えるコハク。それを聞いた俺は、困惑の感情をより強くする。
「強い女性って……ナズナは?」
「ナズナさんは姉ですから」
すごい……きっぱりと言ったな。下手するとナズナは女性じゃないなんて聞こえかねないが、まあ、コハクにとっては姉であって女性ではないってことなんだろう。
(ナズナの立場的に間違ってはいないけどさ)
俺の乳兄弟であり、コハクが小さい頃から傍にいた女性でもあるのだ。姉という認識を持つのはおかしな話ではない。モモカは違った認識を持っていたようだが……。
(こ、コハクがカトレア先輩に、かぁ……えぇ……いやまあ、わからんでもないが……)
カトレア先輩は美人で気立ても良く、剣や魔法も達者で才色兼備と言うべき女性だ。というか、『花コン』でもカトレアを指して才色兼備と表現することがあり、『召喚器』もそこから取られて『砕触剣尾』だったはずだし。
(俺が知る限り、カトレア先輩に婚約者候補はいない……こっちは辺境伯家の次男で、向こうは伯爵家の長女……コハクが婿入りしてもおかしくないが……)
うーん、と悩む。身分の釣り合いとしては問題ない。相手が伯爵家だが、こちら側の辺境伯家は実質的に侯爵相当だ。送り出すのが次男とはいえ、相手側としても身分云々で難色を示すことはないだろう。
カトレアは西部貴族の人間だし、遠交近攻の概念から考えても悪い相手じゃない。もちろん、この世界で近い貴族を攻めるってことは今のところは滅多にないから考慮しなくてもいいが。
(辺境伯家と伯爵家がつながるとなると……王家にお伺いを立てるのが無難か? その辺りは父さんの方から根回しをしてもらうとして、まずはカトレア先輩のお眼鏡に適うかどうかが問題か)
『花コン』でもカトレアは婿入りしてくれる相手を探していたが、伯爵家という大家を共に運営していく相手として相応に高スペックな者を求めていた。
多くの男子生徒に言い寄られ、告白もされてきたが、その全てを断っていくのがカトレア先輩である。『花コン』では主人公の成長を見守り、個別ルートに入ると共に歩んでいくことを求められ、頷くのだが――。
(カトレア先輩がコハクと結ばれたら、透輝のグランドエンドが絶望的に……い、いや、どのみち今の段階でも絶望的だし、大差ないんだけどさ。確定しちゃうっていうか……)
カトレア先輩がコハクと婚約者候補って関係になったとして、その状態で透輝と『絆』状態になるまで親密になるか? と言われると答えはノーなわけで。
元々グランドエンドは厳しいと判断し、アイリスルートに入ってもらおうと画策していた。そのおかげもあって先日の武闘祭では透輝の『絆石』が輝き、アイリスと親密であると証拠付きで示している。
だから、実際に結ばれるかは別として、コハクがカトレア先輩の婚約者候補の座を狙うのは問題ない。
しかし未来のサンデューク辺境伯として、コハクの兄として、カトレア先輩にその辺りの打診をするのは俺だ。そうなると透輝のグランドエンドが到達不可能になる引き金を俺が引くことになる。
その場合、グランドエンドを完全に諦め、アイリスルートに全賭けすることになる。
どうせ今からグランドエンドを目指すのは困難極まりないんだ。少しでも『絆』状態になる者を増やし、透輝を強化しつつアイリスルートに入り、ランドウ先生やメリアの助力を得て『魔王』を『消滅』させる。
そちらの方が実現の可能性が高いと考え、オリヴィアにもメインプランとして伝えていた。グランドエンドはあくまで可能性の一つ。現実的に考えるとアイリスルートがベストだろう。
(ゲームならともかく、現実で一回きりの挑戦じゃあ無理だよな……)
そう考え、思わず苦笑してしまう。ゲームなら効率化したプレイでどうにかなるかもしれないが、現実で『花コン』のメインキャラ全員を『絆』状態にするのは困難極まりない。元々そう思ってはいたが、これは諦める良い機会だろう。
「あの、兄さん? どうかしたんですか? や、やっぱり、カトレア先輩が何か……」
「……いや、兄として色々と考えるべきことがあっただけさ」
そう言って俺は薄く微笑むよう、表情を作る。内心が一切漏れないよう、渾身の笑みだ。
「あの小さかったコハクが、なぁ……いやぁ、兄として感慨深い。あくまでまだ打診の範疇だが、カトレア先輩にも話を振ってみよう。その結果次第では父さんに速達で手紙を出さないとな」
「えっ? そ、それは少し気が早いんじゃあ……」
「早くないって。カトレア先輩は今年度で卒業するんだぞ? もしかしたら今にでも婚約者候補を、いや、婿入りさせる相手も決めているかもしれん。一秒だって無駄にできないんだ」
そう言って俺は兄として言葉を紡ぐ。めでたいことだ、良いことだ、と喜色を全面に出して。
「もちろん、コハクが嫌だっていうのならそんな真似はしないさ。ただ、コハクが望むのなら俺はそう動く。どうだ? コハクはカトレア先輩のこと、どう思っているんだ?」
「……その、ですね。婚約者候補になれれば、これ以上光栄なことはない、と……」
一目惚れ、というやつだろうか。これでカトレア先輩の内面を知って幻滅するようなことがあればまずいが、先輩は性格も良い。惚れ込むことはあっても幻滅することはないだろう。
つまり、カトレア先輩に話をしに行っても良いということだ。
ただし正否は別として、コハクがカトレア先輩の婚約者候補になるということはサンデューク辺境伯家から外に出るということでもある。
モモカもいるが、モモカの性格を思えば婿を取ってサンデューク辺境伯を継がせるのは厳しいだろう。良縁があればどこかの家に嫁入りするのが無難か。
そうなるとやはり、俺がサンデューク辺境伯を継ぐことになる――すなわち、俺はコハクやモモカのためにも死ねなくなるのだ。
俺が死ねばコハクかモモカに辺境伯という重責が降り注ぐ。それだけでなく、コハクはカトレアと結ばれなくなるだろう。モモカは……案外婿を取って上手くやるかもしれないが、自由に生きてほしいと思ってしまう。
元々できる限り死にたくないし、俺が死ねばコハクやモモカに迷惑がかかると思っていた。だが、今この時、その思いが更に強くなったのを感じる。
(まだカトレア先輩の反応がわからないからなんとも言えないが、コハクのためにもなおさら死ねなくなったな……)
可愛い弟のためだ。たとえ死神が鎌を振り下ろしに来ても返り討ちにせねばなるまいよ。
「今なら先輩は生徒会室にいるか……善は急げだ。少し話をしてくるとしよう」
『花コン』での流れを知っているからあり得ないことだとは思うが、今しがた言った通り、カトレア先輩の事情から考えるとすぐに婚約者候補を跳び越えて婚約者、あるいは婿入りの相手が決まってもおかしくない。
(コハクを見た感じ、正式に婚約者候補にするには早いか……だが、それを意識していると伝えればカトレア先輩も答えを返してくれるはず)
言い方は悪いが、お試しで付き合うような形だ。まずはコハクを生徒会に入れ、放課後に接する機会を増やしていくのはどうだろう。コハクの性格や勤勉さなら生徒会メンバーも務まるだろうし、カトレア先輩だけでなくアイリスの補佐も務まるはずだ。
「よし、わかった。それじゃあ早速行ってくる」
今しがた言葉にしたが、善は急げだ。少なくとも俺にとっては良いことだと、そう自分に言い聞かせながら生徒会室へと向かうのだった。
そうして生徒会室に到着し、普段通りアイリスの補佐として政務を行っているカトレア先輩を発見した――のだが。
「あ、ミナト君。良いところに……少し内密の相談があるのだけど、時間はいいかしら?」
「奇遇ですね。俺もカトレア先輩に話があったんです」
何やらカトレア先輩から話を振られてしまう。そのため内心首を傾げながら承諾すると、人気がないところへ、ということで隣の会議室へと連れて行かれた。
俺としても都合が良いから、と会話の先手をカトレア先輩に譲る。
「えーっと、ね……君の弟のコハク君って、婚約者候補がいたりする……のかな?」
「…………え?」
少し恥ずかしそうに尋ねてくるカトレア先輩に、俺は数秒かけて反応した。まさか、という思いがそこにはあった。
「い……ませんが、それが、何か?」
俺は話の続きを促す。するとカトレア先輩は真剣な顔になり、俺をじっと見つめてくる。
「ミナト君も知っていると思うけど、わたしはラビアータ伯爵家に婿入りしてくれる相手を探しているわ。ただ、それは誰でも良いってわけじゃない。わたしと一緒に苦労を分かち合ってくれる人で、可能なら優秀な人が望ましいと思っているの」
「……それがうちの弟だと?」
話の流れ的にそう尋ねると、カトレア先輩は僅かに頬を桜色に染める。
「昨日の武闘祭で戦って、すごく実直な子だって……あの子が振るう剣を見て、これまで一生懸命努力してきたのを感じたの。だから、その、お、お話とかしてみたいなって」
「…………」
まさか、まさかだった。コハクと比べればまだお話してみたいという段階だったが、悪い感情は抱いていないらしい。
将来サンデューク辺境伯になる予定の俺に話を振ってきたのも、そういうことなのだろう。
「コハクの方もカトレア先輩と話をしてみたい、と思っているようでして……どうでしょう? 俺の推薦という形でコハクを生徒会に入れますので、お互いに時間をかけて為人を知っていく、というのは」
カトレア先輩の状況的に、本当は時間をかける余裕はないはずだ。しかし、コハクのことを悪くないと思っているのなら頷くはずである。
はたして、如何に――。
「そ、そうなの? えーっと……じゃあ、それでお願い、します……」
どうやら、思った以上にコハクに対して良い印象を持っているらしい。この場で即断するカトレア先輩に対し、俺は喜びながら頷きを返す。
――さらば、グランドエンド。
それと同時にそんなことを思い、心中だけで大きくため息を吐くのだった。




