第236話:昼の誘い その2
カリンからの、まさかの膝枕の提案。
自分が考えていたことが見透かされたようなその提案に、俺はどうしたものかと思考する。
だが、そんな俺の思考を待つことなく、カリンは俺の方に体を向けたかと思うとバスケットを片付け始める。そして両膝を合わせて足首は外に出す、内股座りになって自分の膝をぽんぽんと叩いた。
「ど、どうぞ?」
(行動が早い――っ!)
まだ承諾してないのに、決定事項のように待ちの体勢を作るカリン。というか婚約者候補が相手とはいえ、異性相手に膝枕って嫌じゃないの? あれ? もしかして俺が思うよりカリンからの好感度が高い? 俺の目は節穴だった?
断るべきか、受けるべきか。いやでも、ここまで準備万端って体勢を取られて断るのは失礼では? でも断った方が好感度が下がるならそっちの方がいいか? どうする? どっちが正解だ? いやいや、正解なんてないのか。
「……それじゃあ、失礼して」
数秒悩んだ後、俺は膝枕に頭を下ろすことにした。剣帯から剣を外し、カリンに背中を向けて、膝枕に頭を乗せる。
「…………」
「…………」
見上げる俺と、見下ろすカリン。至近距離で視線がぶつかり合うが、互いに無言だった。こういう時になんて言えばいいか、いまいちわからなかったのだ。
「あ、はは……なんというか、その、て、照れますね?」
「照れるけど男としてはこれ以上ない枕だよ、うん……」
「も、もうっ、ミナト様ったら」
何も考えず反射的に答えると、カリンに怒られてしまった。もっとも本気で怒ったわけではなく、照れているだけっぽいが。
見上げるとカリンの制服やら胸やら顔やらが至近距離で見えて、視線のやり場に困ってしまう。カリンも俺の顔を覗き込むようにして見てくるため、伸びた髪が左右を塞いで視線が前にしか向けられなかった。
「……こういうの、憧れていたんです」
ポツリと、カリンが言う。相変わらず照れているようだが、同時に、どこか嬉しそうに微笑みながら。
「ミナト様、こういうの好きじゃないかな、とか、迷惑じゃないかな、とか……色々と考えちゃって。でも、最近のミナト様、どこか辛そうだから……なんて、自分に言い訳して」
そう言いながら、カリンが両手を動かして俺の顔を左右から挟んでくる。いや、挟むというか、撫でてくる。
「ふふ……ミナト様、思ったよりも髪が硬いんですね?」
「そういう君は思ったよりも髪が細いな。でも、しっかりと手入れがされている。綺麗な髪だ」
髪をいじられたため、俺もカリンの髪先を指でつまみながら言う。髪は女性の命ともいうし、怒られるかと思ったがカリンは微笑みを深めるだけだ。
「頑張って手入れをしていますから。ミナト様も隣に立つ女性が手入れをしていない、ぼさぼさの髪だったら嫌でしょう?」
「おや……俺のために、かい?」
「はい」
からかうつもりで尋ねてみたら、真っすぐに見つめながら即答された。そのあまりの真っすぐさに、思わず逃げるように片目を閉じる。
「それはそれは……光栄だな」
そう言って誤魔化すように微笑むが、想像していた以上にカリンからの好感度が高く感じられる。やっぱり俺の目は節穴だったか、ガラス玉でもはまっていたのかな?
(別ルートの俺はこんな良い子を手酷く振るの? い、いや、別ルートだとカリンの性格も全然違うみたいだけど……振ったら発狂したってリリィが言ってたし、それだけ愛情深い子なんだろうけどさ)
別ルートのことを意識しても仕方がないが、あまりの差異にそんなことを考えてしまう。というか『花コン』で知るカリンとも全然違う、
(……ああ……『魔王』が発生しない、平和な世界ならなぁ……)
もしもそうなら。
このまま学生生活を通してカリンと仲を深め、そのまま卒業し、その後は結婚。俺は辺境伯を継ぎ、カリンはその妻として生活していくのだろう。
だが、そうはならない。少なくとも、『魔王』をどうにかしなければそんな未来は訪れない。そして『魔王』をどうにかするには色々とやるべきことがある。
どうせ誰かがどうにかしてくれるだろう――そう思って放置するには『魔王』や『魔王の影』の脅威が大きすぎて。
主人公がどうにかしてくれると思うには、条件が悪すぎる。ゲームみたいに何度も周回している主人公なら、俺もここまで悩むことはなかったのだろうが。
「わたしは……」
そうやって思考する俺に、カリンの声が降ってくる。僅かな戸惑いを含んだ、困ったような声。
「ミナト様が何を抱えているのか、わかりません。多分、わたしでは想像もできないような何かを抱えているのだと……そう、思っています。そしてそれは、迂闊に周囲に漏らせるようなものでもない、と」
そう言いながら、カリンが俺の髪を梳くようにして両手を動かす。
「わたしはミナト様のように強くありません。戦うこともできません。一度、共に戦いましたが……今の貴方と共に、というのはもう無理でしょう。あの時でさえ、貴方に守られていましたし」
王都でリンネと戦った時のことを言っているのだろう。その前の『王国北部ダンジョン異常成長事件』の時も、カリンは後方に下げてあった。
『花コン』ならば、生徒会メンバーに入ればその辺りは関係なかった。ダンジョンに連れ出せばスペック通り戦ってくれるし、そこに葛藤も何もなかった。
だが、この世界は現実である。こうして俺に膝枕をしてくれているカリンは、『花コン』のキャラではなく一人の人間なのだ。ゲームみたいに生徒会に入ったからと即座に『召喚器』でモンスターを焼き払えるような子ではないのだ。
俺のことを気遣い、俺との関係に一喜一憂して、将来の伴侶として仲を深めようとする一人の女の子でしかない。
「だから……こうして、少しでも良いから気晴らしになるようなことができれば、なんて考えたのですけど……あまり慣れないことはするものじゃないですね」
どうにも照れちゃいます、なんて言って、はにかむようにカリンが笑う。
そうして気遣い、想ってくれる相手に、俺は応える言葉を持たなかった。何かを言おうとするのに、言葉が見つからないのだ。
(――――ッ!)
そんな自分自身を責めるように、ズキン、と胃が痛んだ。不意に針で内臓を突かれたような痛みだ。チクリ、チクリと何度も針先で内臓を突き、刺しては傷口を広げようとグリグリ動かしているような、そんな痛みだ。
もちろん、あくまでたとえであって実際に俺の内臓に針が刺さっているわけではない。しかしどうにも無視できない痛みと気持ち悪さが胃の中でグルグルと回っている。
「……その気持ちだけで、十分嬉しいよ……本当に、さ」
それでも絞り出すようにして言って、カリンの笑顔から逃げるように両目を閉じた。逃げてもどうにもならない、何にもならないとわかってはいるが、これ以上の言葉が出てこないのだ。
「…………」
そんな俺をどう思ったのかはわからないが、カリンは無言で俺の髪を梳き続ける。俺が照れているとでも思っているのか、あるいは俺の心情を見透かしてのことか。
両目を閉じたからといって、相変わらず眠気が訪れるようなことはない。しかし暖かな日差しが降り注いで心地良いのはたしかだ。以前なら数秒で眠っていそうだが、脳が覚醒しているため寝付けそうにないのが本当に残念である。
(時間が経てば、何か変わるか? 何も変わらないかもしれない、逃げの考えだけどさ)
良い方向に転がることはなく、悪い方向にだけ転がりそうな気もするが。
今、この状況で。カリンとの仲を破談に進める勇気も度胸も、俺にはなく。世界のためだ人類のためだ、なんて考えてみてもそれは変わらなくて。
『花コン』がどうとか、メインキャラがどうとか考えて物事を進めるのなら即断するべきところを即断できない。カリンを一人の人間として見れば、即断できるはずもない。
(……どうにも、弱いな)
こういう時に迷うことなく、人類のためにと最適解を選ぶことができるなら。カリンの優しさに甘えずにいられるなら。突き放せる強さがあれば。
――それが本当に強さというのか、俺にはわからないけれど。
(…………ん?)
不意に、視線を感じた。いや、目を閉じているのに視線を感じたというのも妙な話だが、何か違和感を覚えて薄目を開ける。
女子生徒に膝枕してもらって寝転がっている奴がいれば、そりゃあ見るだろうが。俺とカリンが婚約者候補同士っていうのは有名な話だろうし、膝枕をされていても苦笑一つで去りそうなもんだが。
「――――――――」
視線の持ち主――スグリは、苦笑なんて浮かべていなかった。表情が感じ取れない真顔でこちらをじっと見ており、身動ぎ一つしない。
どうやら偶然通りがかったのだろう。何故貴族科の食堂近くにスグリがいるのかはわからないが、生垣と生垣の間からこちらを見て、足を踏み出しかけた不自然な体勢で固まり、こちらを見ている。
目線を隠すように伸びた前髪のせいで表情の全てを見ることはできないが、明らかに無表情だった。それでいて激発する直前のような、噴火する直前の火山のような、膨大な感情が渦巻いているように見える。
俺とカリンの関係上、疚しいところは何もない。だが、とてもまずいところを見られてしまったような、そんな錯覚を覚える反応だった。
スグリは数十秒動きを止めたままだったが、やがてフラフラと歩き出す。それを見た俺はなんとも言い様がない、申し訳なさのようなものを勝手に感じてしまったが――本当に、勝手な感情なのだろう。
(文化祭の時もそうだったが……間が悪いというか、なんというか……スグリが悪いってわけじゃないんだけどさ)
そう思い、目を閉じる。そしてそのまま十分ほど横になり、タイミングを見てから目を開けた。
「どう……でしたか? 少しは休めましたか?」
「ああ、ありがとう。休めたよ」
心はともかく、体は休めたとも。
俺が笑って言えば、カリンもまた、微笑んで返してくれたのだった。
その日の晩。
寝る――というより、とりあえずベッドに入る前に日課として本の『召喚器』を発現してみると、新しくページが二枚増えていた。
一枚目。七十五ページ目に当たるページに描かれていたのは、俺を膝枕するカリンの姿である。俺の髪を撫でながら微笑むその姿は、どこか幸せそうに見えた。
そして二枚目。七十六ページ目に当たるページに描かれていたのは、俺が目撃した、俺がカリンに膝枕されているところをじっと見つめるスグリの姿だ。
「ふうううぅぅ……」
スグリのページを確認した俺は、無意識の内に大きく息を吐いていた。
この本の『召喚器』がページに記載しているのは、当の本人が『想書』に書き込んだことが反映されているはずである。それをしてこの本が何をしたいのかはわからないが、リリィの話から推測して大きく間違ってはいないはずだ。
おそらくは、当人に何か大きな影響を与えた上で『想書』に書き込んだことが俺の『召喚器』に記載されている。
それならば筆不精なランドウ先生のページが滅多に記載されなかったり、そもそも『想書』を書いていないであろうメリアのことがページに記載されなかったりするのも納得だ。
つまり、今日の膝枕の一件はカリンだけでなくスグリにも何かしらの大きな影響を与えた、と推測できるわけで。
(俺の自意識過剰だって、思いたいんだがな……)
スグリから向けられる感情には気付いているが、それから目を逸らそうにも自分の『召喚器』が証拠のように突き付けてくる。この『召喚器』がまったく別の理由からページを表示している可能性もゼロではないが……少なくともその理由が俺には思いつかない。
幸せそうに微笑むカリンの姿と、対比になるような真顔のスグリの姿。
その二つのページを見比べた俺は本の『召喚器』を投げ出すようにして消すと、ベッドに潜り込んで目を閉じる。
――結局、この日も眠れなかった。




