第235話:昼の誘い その1
『平誕祭』が終わり、三学期が始まって一週間の時が過ぎた。
この三学期が終われば進級し、一学年下に後輩が入ってくることとなる。
『花コン』でいえばコハクとモモカの兄妹が入学し、コハクは真面目な優等生キャラ、モモカは主人公を先輩と呼び慕う可愛い系後輩キャラとして学園での生活を送ることになる。
そして兄であるミナトの代わりに生徒会に入り、これまた兄の代わりに東部の派閥をまとめ始め、これまた兄の代わりにサンデュークの家名を高めて広めるのがこの二人だ。
二年目になるとミナトの名声もだいぶ低空飛行というか、最早地の底というか……時折イベントで顔を出すぐらいで、ルートによっては地の文で死んだことを知らされるぐらい目立たないこともある。
あとはサブヒーローとしてランドウ先生が学園の臨時講師として赴任し、生徒会の特別顧問にも就任するのだが――。
(この世界だとどうかな……ランドウ先生はオリヴィアさんに呼び寄せるよう頼んでいるからほぼ確実に来るとして、コハクとモモカは……)
コハクはまあ、『花コン』と似たような性格に育った。品行方正で真面目で優秀。兄貴の目に入れても痛くない、可愛い弟である。少し引っ込み思案なところがあるが、人見知りというわけでもないため大きな問題にはならないだろう。
問題になるとすれば、モモカの方か。明るく元気で腕白な、大型犬みたいな性格に育ってしまったんだが……なんでだろうね? 俺の影響?
いやまあ、何事にも一生懸命で真っすぐに突き進み、曲がったことは大嫌い。勉強が少し嫌いだが辺境伯家の令嬢として相応に学んでいるし、礼儀作法もやろうと思えばしっかりできる。実家の使用人やメイドさん達にも非常に慕われ、可愛がられている。
兄としてはコハク同様目に入れても痛くない、可愛い妹なんだが……入学早々何かしらの問題を起こしても不思議じゃないような。そんなお転婆御嬢様に育っている。三学期が終わるのはまだまだ先だが、今から少しばかり不安だ。
「で、あるからして、この問題は……」
そんなことを考えながら、俺は授業に耳を傾ける。
時刻は昼食前で、生徒達の集中力も途切れる時間帯。俺は考え事をしながらも授業をしっかりと聞いているが、生徒の中には『平誕祭』で生活サイクルが狂ったままなのか、あるいは単純に寝不足なのか、眠そうに顔を俯かせている者もいる。
俺も居眠りできれば逆に良いのだろうが、不思議なことに眠気が一向にやってこない。昨晩もろくに寝ていないから、眠気がきてもおかしくはなさそうなんだが。
(うーん……おかしいなぁ……俺、以前はどうやって眠ってたんだっけ?)
ここ一週間ほど眠気がまったく湧かなくなってしまった。布団に入っても目が冴えて眠れず、明け方の短い時間にウトウトとするだけになっている。
開き直って剣を振り続けたり、ベッドで横になってひたすら目を閉じて体を休めたりするが、熟睡できる気配は一向に訪れなかった。
以前なら退屈な授業中に眠気を感じ、うっかり居眠りしかけることもあったんだが……昼食後で満腹になっても眠くならないのは、逆に違和感があるほどである。勉強するのにはうってつけだけども。
「っと、今回の授業はここまでだな」
遠くから聞こえてきた『真実の鐘』が報せる正午の鐘の音により、授業が終わった。眠気がなくとも食事はしっかりと取らなければ、と思った俺だったが、食堂に行くよりも先にカリンが声をかけてくる。
「ミナト様、よろしければ一緒にお昼ご飯などいかがですか?」
「君の誘いとあらば、いくらでも付き合うとも」
どうやらお昼のお誘いらしい。俺は薄く微笑みながら承諾すると、カリンと連れ立って食堂に向かおうとする。
「その、ミナト様? 実は既に準備をしていまして……サンドイッチ、なんですけど」
食堂で作ってもらいました、なんて言って蔓で編まれたバスケットを見せてくるカリン。準備万端らしい。
「おや、そうなのか。それじゃあどこで食べる?」
「そうですね……今日はこの季節にしては温かいですし、風も穏やかですから食堂の庭などはいかがでしょうか?」
「そりゃあいいね」
最初からどこで食べるかを決めていたように感じるが、特に反対する理由もなかったため頷く。そしてカリンからバスケットを受け取って先導するように歩き出した。
そうして向かったのは食堂傍にある庭――というより、学園のあちらこちらにある、手入れされた芝生や花壇、生垣などが整備された一角。
ピクニックというわけではないが、生徒が利用することも考慮されているのだろう。落ち葉などが落ちていることもなく、敷物を敷いて座れば生垣によって風が遮られ、人の視線も意外と通りにくくなるように作られていた。
「おお……こりゃあ良い天気だ」
外に出て空を見上げ、思わず呟く。
雲一つない快晴と、無風に近い穏やかな空気。春の季節にはまだ早いものの、外で食事をしても寒くない程度には温かな日差しが降り注いでいる。
(前世の日本と比べると気候が穏やかっていっても、一月なんだけどなぁ)
雪が降ってもおかしくない時期だというのに、季節を錯覚しそうな温かさだ。暑いとは言わないが心地良い。これで風が吹けば肌寒かったかもしれないが、今のところは問題なさそうだった。
バスケットと一緒に用意されていた薄手の敷物を広げ、カリンと共に腰を下ろす。敷物は一畳程度の広さしかないが、隣り合って座れば問題ないぐらいには広い。
俺達と同じ目的なのか、視線を巡らせてみるとちらほらと生徒の姿が見える。同じように敷物を広げ、座って食事を取っているのだ。案外知っている人は知っている、穴場スポットなのかもしれない。
バスケットの蓋を開けてみると、中にはカリンが言った通りサンドイッチが入っている。他にもコップや水筒、おしぼりなど、必要になるものが全部詰め込まれていた。
「よし……それじゃあいただきます」
おしぼりで手を拭いて、早速サンドイッチを食べ始める。すると水筒に入った紅茶――水筒ではなく魔法瓶の類だったらしく、僅かに湯気が立つ薄色の紅茶をコップに注いでくれる。
サンドイッチはたまごサンド、BLTサンド、カツサンドと定番の物が詰め込んであった。そのため一つずつ手に取って食べていく。
「お味はいかがですか?」
「美味しいよ。こうして屋外で食べるのもたまにはいいもんだな」
「ふふっ……それは良かったです」
俺の返事を聞いてカリンが嬉しそうに微笑む。そしてたまごサンドを手に取って食べ始めたが、俺は礼儀作法をそこまで気にせず噛みついたが、カリンは小さく齧るようにしてたまごサンドを食べていく。まあ、礼儀作法じゃなくて単に大きく口を開くのが恥ずかしいのかもしれないが。
そうして時折言葉を交わしながら、春みたいな陽気に晒されながらサンドイッチを食べていく。穏やかな、落ち着きのある空気が流れて心が安らぐようだ。
(しかし……リリィが話したルートに入る可能性を考えると、カリンとはなるべく距離を取っておいた方がいいんだろうか……メリアと『契約』を交わすかもしれないし、それで問題が起きないよう関係を解消して……いや、解消できるか?)
だが、隣り合って座るカリンの横顔を見ていたら、不意にそんな考えが浮かんできた。
キドニア侯爵の前であんなことを言って関係を認めてもらったのに、今から関係を解消するというのは相当難易度が高いように思える。というか無理では? なんて思えるぐらいだ。
『花コン』でのミナトとカリンの関係とは異なり、婚約者候補としてそれなりに……あるいはそれなり以上に仲を深めているという自覚がある。
カリンは俺に惚れている、というところまではいってないようだが、それでも将来の伴侶として尊重し、恋ではなく愛を育もうとしているように感じられた。
そしてそれは俺も同じというか、恋や愛ではなく相手を一個の人間として尊重し、まずは仲を深めるところから進めている。感覚としてはビジネスパートナーだろうか。
それでもそんな風に関係が良い形で育まれているのに、婚約者候補としての関係を破談に持ち込むのは色々な面で難しい。家同士の関係もあるし、俺とカリンの仲の良さでいきなり破談にすれば何かありますと言っているようなものだ。
(そうなると、不自然じゃない程度に時間をかけて少しずつ嫌われて、疎遠になればいい……か? でも家同士の関係だしな……カリンが嫌がるようなことをする? 好きな子に嫌がらせをする小学生みたいな?)
むぅ、と考え事をしながらカリンの横顔をじっと見つめる。
カリンが嫌がることってなんだろうか? 『花コン』だったらミナトがやることは全部嫌だって感じだったけど、今はそうじゃないだろうし。
(……あ、俺が贈ったネックレス、ちゃんとつけてくれてるんだな)
ふと、カリンの首元に光るものを見つけてそんなことを考える。文化祭の時に俺がプレゼントしたネックレスが首元で太陽の光を反射していた。どうやら大切にしてくれているらしい。
「み、ミナト様? あまりじっと見つめられては恥ずかしいのですが……」
「……ん、ああ、すまんすまん。可愛らしく食べているからつい、な」
誤魔化すように言えば、カリンは恥ずかしそうに頬を赤らめた。そうやって恥ずかしがるところなんかも可愛く思えるんだが――。
「そういえば、昼食の誘いは嬉しいけど今回は割と急だったな。何かあったのかい?」
俺は思考を打ち切るようにして尋ねる。俺とカリンの関係から昼食を供にすることも珍しくはないが、こうして急に、それも屋外で食べようと誘われるのは初めてだった。
そのため尋ねてみると、カリンは僅かに視線を伏せる。
「何かあった、というほどのことではないのですが……最近、ミナト様がお疲れのように思えまして。少しでも気分転換になれば、と」
「…………」
どうやら俺の様子を見てのことらしい。最近ろくに眠れていなかったからそれを指しているのだろうけど、普段通りを心がけて行動しているつもりだったからカリンの指摘は驚きだった。
(うーん……それだけ俺のことをよく見てくれているってことか? メリアと『契約』する可能性を考えると、やっぱり疎遠になるべきだと思うけど……でもなぁ……)
誰だよ『花コン』にこだわってカリンと婚約者候補の関係になった奴。俺だよ。
(リリィの話をもっと早い段階で聞けていたら……って、その場合は『花コン』から一気にズレるから無理か。そうなると……あー……カリンに内緒でメリアと『契約』する? 別ルートの俺はなんでカリンとの関係を解消したんだろうな……)
リリィの話を聞いた限りでは、カリンが俺にベタ惚れしていたのが原因らしいが。
異性が近付くとそれを排除していたらしいから、相当嫉妬深いというか、俺に執着していたのだろう。そうなるとメリアとの『契約』は口実で、カリンとの関係が破談になることを別ルートの俺は望んでいたのかもしれない。
(……え? 俺がそんな風に思うぐらい、カリンがやばくなってたのか? そんなに重かったの? マジで?)
あくまで推測でしかない。だが、俺の隣で小さく口を開けてたまごサンドを食べるカリンが、そこまで俺に執着する未来もあったのだと思えば、容易に関係を解消するのは戸惑われた。
(となると、メリアと『契約』を結ぶことになったとして、カリンに内緒にするか、明らかにして揉めるか……)
人類の滅亡がかかった状況でそんなことで悩むのはナンセンスだろう。それでも別ルートの俺も悩んだだろうし、俺としても即断で答えることはできない。
(……カリンと少しでも距離を取って、破談にするとしてもダメージを抑えられるようにするか?)
それも今の俺がやってもおかしくない行動で、なおかつカリンが若干嫌がりそうな塩梅で。微妙に難易度が高いが、距離を取るとしても少しずつにしないとアレクあたりに不審に思われてしまう。
サンドイッチを食べながらそんなことを考えていたら、いつの間にか用意された分の七割方食べてしまった。けっこう食べ応えがあったため俺は満腹だが、相変わらず眠気がきそうな気配はない。
カリンもサンドイッチを三つほど食べたところで食事は終了のようだった。
俺はおしぼりで手や口元を拭き、紅茶で口の中を洗い流しつつ、これからどうしようか、と思案する。このまま、ごちそうさまと言って別れるのはさすがに勿体ない。先ほどの思考を実行に移すべく、何かないだろうか。
(…………ん?)
ふと、カリンの膝元に目が向いた。そして俺とカリンの関係性で提案したら、微妙に嫌がられそうなことが頭に浮かぶ。
(膝枕、か……)
婚約者候補という間柄を含めても、断られるか微妙なライン。いや、普通なら断られるだろう。それでもカリンの性格から考えると、強く拒むことができない行為ではないだろうか。
俺はそう思い、顔を上げてカリンを見る。すると何故かカリンも俺をじっと見ていた。そして両膝を擦り合わせるように閉じたかと思うと、頬を赤らめながら言う。
「しょ、食事も終わりましたし……お疲れ、みたいですし……少し、休まれてはいかがでしょうか? その、膝枕、なんて、どうかな、って……」
(……なん、だって……?)
まさかのカリンからの提案に、俺は内心で驚愕の声を上げるのだった。




