84 死者は復讐をのぞまない
戒韋の視点です。
なぜ、大家が殺されなければならなかったのだ。
綜芳が暗殺されたと教えられたその時から、戒韋の頭をもたげるのはやり場がない怒りだった。
綜芳は武芸にこそ秀でてはいなかったが、聡明で、仁愛のある男だった。
父親が有能な武人だったこともあり、綜芳は剣を振るえないみずからに劣等感を懐いていたようだが、武はいくらでもまわりのものが補える。むしろ、争いをきらう彼の思想が、これからさきの斉を築きあげていくはずだ。
戒韋はそう信じていた。
だが、戒韋がそう語るたびに綜芳は紫がかった眼にふせ「私は皇帝になどなれないよ」と頭を振った。
綜芳は思慮ぶかく驕りもなかったが、小胆なところが珠に瑕だった。鼓舞して盛りたててやらなければ――幸い、綜芳を支持する士族や豪族はたくさんいた。
我々はなにも幼帝暗殺を謀っていたわけではない。
それなのに、綜芳は殺された。ましてや、あんなふうに惨たらしく。
縊られた屍のあり様を想いだすだけでも、腸を強く握られるようなきもちになる。無理矢理に縄でつるされ、綜芳はどれほどに苦しかっただろう。
(大家のご無念はかならず、晴らします)
葬礼には皇帝とともに皇太妃も参列する。
皇太妃に拝謁することなど、武官にはできない。だから、いまを逃がせば、綜芳のかたきを取ることもできなくなる。さすがに幼い皇帝を殺すのは人倫にもとる。
柴家の武官ということもあって、戒韋は帯剣を許されていた。
皇太妃が柩にむかって、黙祷を捧げるときに斬りかかるのだ。
皇太妃を殺すことができれば、この身はどうなってもいい。死罪になろうと、いかな酷刑に処されようとも構わなかった。
戒韋は震えをいなすようにして、剣を握り締める。
やがて、綜芳の柩がひらかれた。
参列していた士族たちがなかを覗きこんで、ざわめいた。
ああ、やはり元通りには復元できなかったのかと戒韋が息をついた。後宮からきた死化粧妃が復元を試みていたが、膨張してしまった顔をもとに戻すのは無理だろうと端から諦めていた。綜芳だということがわかれば、充分だ。
最後の挨拶をして、大家に殉ずる決意をかためよう――
袖を掲げつつ、戒韋は柩の側に進む。
いかに変わり果てていようと、視線を背けまいときめ、彼は柩を覗きこんだ。
「大家」
柴 綜芳がよみがえっていた。
いや、そんなはずはない。わかっている。だが、そうとしか言いようがなかった。
だって、微笑んでいるのだ。
髭がきれいに剃られていた。女のような美しい死に顔だ。
だが、参列者がざわめいたわけが、わかった。
髭は身分のある男の証であり、豊かに髭をたくわえることで士族は権威を表す。それを剃るということは、身分を捨てるということであり、恥だ。
この場においては――柴 綜芳は皇帝転覆を望んでいたわけでも、野心を持っていたわけではないと、心の錦を表しているようにも感じられた。
横をみれば、綜芳の母親が歔欷の声をあげていた。
母親は絶えず身を縮め、息をひそめているようなひとで、日頃から綜芳の父親に「綜芳ができ損ないになったのはおまえの育てかたがわるいからだ」と責められていた。そのせいもあって、綜芳を皇帝にすることに執念を燃やしていた。
そんな彼女の唇が「ごめんなさい」と動いた。戒韋は息をのみ、震えながら、あらためて綜芳の柩に視線をもどす。
眼をとじた綜芳は、どこまでも幸せそうだった。
彼のこんなに穏やかな顔を最後にみたのはいつだったろうか。
胸で組まれた指には銅の櫛が握り締められている。戒韋が綜芳に櫛を渡した時の、幼けない笑顔がよみがえる。彼は剣を欲しがらないひとだった。そんな彼が皇帝になりたいなど、望むはずもなかったのに。
戒韋は崩れるように膝をついた。
「――戒韋」
綜芳の声が聴こえる。
「もう終わらせてくれないか」
わかっている。幻聴だ。
綜芳は死んだ。再びには喋ることもないのだ。
それでも暖かみを帯びた頬、綻んだ唇が残酷な現実をいまだけ遠ざける。
「私はただ、穏やかに暮らしたかった。かなうことならば、おまえとふたりですべてを捨てて、権力から遠くはなれたところにいきたかった……」
綜芳ならば、そう語るだろうと。
あのとき、剣ではなく、櫛を欲しがった彼ならば。
「そうか、そうだった。大家。あなたはこんなこと、望んではいない、よな」
復讐を果たして、殉ずることなど。
剣を握り締めていた指を、戒韋はようやっと、ほどいた。
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かくして、皇族 綜芳の葬式は終わりました。無意味な復讐をとめるほどに穏やかな死に顔……紫蓮のエンバーミングに拍手のかわりに「いいね」もしくは「お星さま」をいただければ大変嬉しく、今後も執筆を続けていくための励みになります。





