85 死者は忘れられたときにもう一度死す
紫蓮の視点です。
葬礼が終わった。
参列者たちが帰り、静まりかえった庭で紫蓮は風にあたっていた。帰り支度はすでに終わった。後は絳が諸々の連絡を終えたら、一緒に馬車に乗りこむだけだ。
「綏 紫蓮」
振りかえれば、孝服をまとった戒韋がたたずんでいた。風に吹かれる彼は憑き物でも落ちたように澄んだ眼差しをしていた。
「大家が息を吹きかえしたのかとおもった」
「そうか、それはよかった」
紫蓮がやわらかく微笑みかける。
「大家の声が、聴こえた。もう終わらせてくれないかと」
「そうだね。復讐なんて、柴 綜芳は望まないよ」
紫蓮に復讐心を看破されているとは思ってもいなかったのか、戒韋は動揺する。
「なぜ、衛官に通報しなかったんだ」
「思いとどまってほしかったからね」
復讐なんて端から、残された者のためになすことだ。
死者のためなんて結局は、詭弁にすぎない。
「俺は過ちを繰りかえすところだった。貴女が思いとどまらせてくれた。恩にきる」
戒韋は頭を垂れた。
「僕はたいしたことはしていないよ」
屍が語りかけたのだとしたら、それは戒韋のなかに柴 綜芳というひとがいまも変わらず、息づいているからだ。
「ひとつ、尋ねても構わないか。なぜ、大家が髭をきらっておられたとわかったんだ」
「そうだねえ、まず、ひとつ。あのひとは脚や腕の毛を処理していた」
芸妓などもそうだが、蛤仔の殻をつかって無理矢理にひとつひとつ抜くため、あとはしばらく肌が荒れるのだ。
「これだけ身嗜みに神経をつかっているのに、髭だけ伸ばしているのは妙だとおもってね。想像するに「男は髭を伸ばすものだ」とまわりから言われ続けてきたんだろう? 裏がえせば、すねの毛を剃っていたのはあのひとの細やかな抵抗かなとおもったんだ」
風が吹きつける。真昼の暑さを残す風だ。紫微の花群が揺れて、何処となく哀しげな香が漂う。
「大家は――女、だったのか?」
綜芳は男だ。少なくとも、その躰は。それはあきらかなことで、戒韋が尋ねたいのはそんなことではなかった。
「そうだよ。ほんとうは、きみだってとっくにわかっていたんじゃないかな。柴 綜芳から想いを寄せられていたんだろう?」
重い息をついてから、戒韋は頭を振った。
「知らなかった。だが、思いかえせば、うすうすわかっていながら、眼を背けてきたのかもしれない」
紫微の花がひとつ、こぼれた。
「わかっていたとしても、俺はこたえられなかったが」
戒韋はつらそうに呻いた。
櫛は、ほんとうならば、求婚の時に男から女に渡すものだ。
綜芳は微かに望みを寄せながら、そういった想いを乗せたものではないと理解してもいたはずだ。諦めと幸福を織りまぜて。
「いいんじゃないかな。男と女でも結ばれないことだってあるんだからね。男としてでも、一緒にいられたらそれでいいとおもっていたから、綜芳はきみに愛を告げることをしなかった。違うかな」
片想いはみずからが想い続けるかぎり、永遠に壊れない。
綜芳は死後までもこの想いを連れていきたかった。だから、櫛をともに葬ってくれと書き残したのだ。
「ひとは二度、死ぬんだよ。呼吸がとまったとき。それから、愛するひとにわすれられたときだ」
紫蓮は死者に祈らない。
祈りはひとつ。残された者に託す。
「柴 綜芳というひとが、きみを愛していたということを、どうかおぼえていておくれよ。そのひとが、野心もなく欲もなく、とても幼けなく微笑むひとだったことを」
それは残されたものが死者にできる、ただひとつのことだ。
「わすれるものか」
戒韋が泣きだしそうに笑った。
「俺は武官を辞めるつもりだ。辞表はすでにだしてきた。大家は身分を捨て畑を耕して暮らしていきたいといっていた。大家の夢を、俺がかなえる。大家のことを想いながら」
「そうか。きっと、なによりのとむらいになるだろうね」
葬るのは紫蓮の役割だが、とむらうのは命あるうちに寄りそってきたものにしかできないことだ。
想いを馳せるように振り仰げば、月を透かして紫薇が燃えていた。地を埋めつくすほどに散っても、紫薇はつぎからつぎに莟を弾けさせる。
「一路走好」
花は散る、命あるかぎり。
だが、想いだすひとがいるかぎり、散ってもまた、咲き還る。
お読みいただき、ありがとうございます。
綜芳の縊死事件は終わりましたが、まだあとしばらく第三部は続きます。ここからは紫蓮と絳による先帝崩御の陰謀についての話になります。核心にせまり、いよいよに盛りあがって参ります。引き続き、お楽しみいただければ幸いです。





