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三国夢  作者: 玄雨竜


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第八十章 赤兎と幼馴染み、丁原の死

さて、緒戦で大敗を喫した董卓(とうたく)は、幕下の将兵を緊急招集して軍議を開いた。

「まさか丁原の陣中に、あのような猛将どもが揃っておろうとはな……。とりわけあの呂布という男、ただ者ではない。あの者を我が配下に収めることができたなら、天下の誰を恐れる必要があろうか!」


董卓が地団駄を踏んで悔しがっていると、前列から一人の男が進み出て拱手した。

「主公、ご安心めされよ。某は呂布と同郷の出身にして、幼少の頃よりの無二の親友。某のこの舌をもって説き伏せ、呂布を帰順させてみせましょう。いかがですかな?」


董卓は大いに喜び、男の顔を覗き込んだ。見れば、虎賁中郎将の李粛(りしゅく)であった。

「して、いかなる品をもってあやつを口説く気だ?」


李粛は胸を張って答えた。

「呂布の勇猛は天下無双なれど、惜しむらくは足元を支える良馬に恵まれておりませぬ。聞けば主公の御手元には、千里を翔ける名馬『赤兎』がおわすとか。この名馬に加え、金銀財宝を惜しみなく注いでその心を結び、某が利害を説いて背中を押せば、呂布は必ずや丁原に背いて主公の軍門へ降るに違いありませぬ」


董卓は激しく眉をひそめた。先日の戦いにおいて、もし呂布の乗馬が折れ倒れなければ、己の首級が胴から離れていたのだ。赤兎馬を手放すことへの未練に、思わず娘婿の李儒(りじゅ)を振り返る。


李儒は薄く冷笑を浮かべ、事も無げに囁いた。

「義父上、天下を呑み込もうとなさる御身が、何ゆえ馬一頭を惜しまれるのですか」


董卓は膝を打って決断を下した。「よし、くれてやる!」


莫大な金珠と赤兎馬を引き連れた李粛は、夜闇に紛れて呂布の陣営へと近づいた。たちまち哨戒の伏兵に取り囲まれる。

李粛は平然と言い放った。

「呂将軍へ急ぎ伝えよ。旧知の友人が訪ねてまいった、とな」


間もなく陣中へ通された李粛は、帳をくぐるや両手を広げて歩み寄った。

「奉先、息災であったか!」


呂布は目を丸くし、相好を崩した。

「おお、李粛ではないか! 久しいな、今はどこで何をしておるのだ?」

呂布は手ずから上座を勧め、李粛を迎え入れた。


李粛は笑みを浮かべ、腰を下ろした。

「今は虎賁中郎将の末席を汚しておる。奉先が天下の社稷を支える大功を立てたと聞き、喜びに堪えかねて馳せ参じたのだ。……ここに一頭の良馬がある。日に千里を駆け、川を渡り山を登るも平地を行くが如し。名を『赤兎』と申す。貴殿の虎の如き武威を助けんがため、献上いたしに参った」


先日の合戦で乗馬を潰し、董卓を取り逃がしたことを苦々しく思っていた呂布は、色めき立って直ちに馬を引かせた。

篝火に照らされたその姿に、呂布は息を呑んだ。

全身これ火の玉の如き深紅、雑毛一本混じらぬ見事な毛並み。頭から尾まで一丈、蹄から項まで八尺。嘶き咆哮する様は、まさに天に昇り海へ潜る神龍の如き威容であった。


「む……?」呂布は目を細め、首を傾げた。「この馬、どこかで見覚えがあるような……」


「奉先、気に入っていただけたかな?」李粛が笑う。


呂布は雑念を振り払い、深々と拱手した。

「恭正、これほどの神馬を贈られては、布はいかにして恩に報いればよいのか!」


「ハハハ! 友の義気ゆえに参ったのだ、見返りなど求めてどうする!」

呂布は大いに喜び、酒宴を設けて旧友をもてなした。


酒が数巡し、互いにほろ酔い加減となった頃合いを見計らい、李粛がため息交じりに切り出した。

「奉先よ。お主には天を支え海を統べるほどの英才がある。四海の何人が欽敬せざろうか。功名富貴など掌中の物に過ぎぬというのに……なぜ人の風下に甘んじておるのだ?」


呂布の眼光がスッと険しくなった。杯を置き、李粛を射すくめる。

「……恭正。貴様、一体何の目的でここへ参った?」


李粛はただ意味深に笑うのみで、答えようとしない。

呂布は重い息を吸い込み、冷ややかに告げた。

「この赤兎馬、どこかで見た覚えがあると思うておったが……董卓の愛馬ではないのか。白状せよ、恭正!」


李粛は軽く頷き、事も無げに明かした。

「董公がかねてより貴殿の勇名を慕われ、某に命じて献上させたのだ」


呂布の顔色が激変した。立ち上がり、怒気を孕んで言い放つ。

「恭正! 貴様、儂を寝返らせるために参ったのかッ!?」


李粛は動じず、涼やかに微笑んだ。

「『良禽は木を択んで棲み、賢臣は主を択んで事う』と言うではないか。機を見るに敏ならねば、後悔先に立たず、だぞ」


「二度と申すなッ!」呂布は吐き捨てた。

「その馬を連れて引き返すがよい! 董卓へ伝えよ、貴様の首級はいずれこの呂奉先が必ずや貰い受けてやる、とな!」


「奉先、そう頑なになるな」李粛は苦笑し、ふと目を細めて悪魔の囁きを落とした。

「……まあよい、その話は措こう。時に奉先よ、某がこの洛陽の都で、幼馴染みの旧友を見かけたのをご存じか?」


「幼馴染み?」呂布は眉をひそめた。「張遼も高順も我が手元におる。残るはお主くらいのもの……他に誰がおるというのだ?」


李粛は薄く笑みをもらし、囁いた。

「——まさか、『阿秀』を忘れたわけではあるまいな?」


「な……何だとッ!?」

呂布は机を叩き割らんばかりに立ち上がり、李粛の胸倉を掴まんばかりに身を乗り出した。

「貴様……洛陽で阿秀を見かけたと申したのかッ!?」


「八、九分通り瓜二つであったよ」李粛は首を振った。

「跡をつけたところ、阿秀は司徒・王允の屋敷へと入っていった……」


「王允……!?」呂布は呆然と呟き、やがて己の額を激しく叩いて悔しがった。

「布は何と愚かであったのだ! 阿秀の父親は王允と肝胆相照らす無二の親友であったではないか! なぜその当たり前の道理に気づかず、并州の荒野を十年間も無駄に探し回っておったのだ……ッ!」

呂布は李粛の手を取り、激しく感謝した。「恩に着るぞ、恭正!」


「礼には及ばんよ」李粛は冷徹に観察し、決定的な毒針を突き立てた。

「……されど奉先。阿秀の髪の結い方を見るに、すでに人妻の装いであったぞ」


「……な、何だとッ!?」

呂布は魂を抜かれたように後ずさり、壁に背を打ちつけた。

「嘘だ……あり得ぬ! そんなはずがあるものかッ!!」


「なぜあり得ぬのだ?」李粛は嘲笑を浮かべた。

「あの日、お主が九歳、某らが七歳、阿秀はわずか五歳であった。十余年の歳月が流れたのだ、嫁いでいて何の不思議があろう」


呂布は猛獣の如く顔を紅潮させ、地を這うような唸り声を絞り出した。

「……恭正! 阿秀は、一体どこの誰に嫁いだのだッ!!」


「それも調べておいたぞ」李粛は内心でほくそ笑み、冷然と告げた。

「男の名は蘇然、字を守義という」


「蘇然……蘇守義ッッ!!」

呂布は拳を骨がきしむほど握り締め、その双眸から怨嗟と殺意の炎を吹き上がらせた。


「そう荒れるな、奉先」李粛は畳み掛けた。

「董大人に帰順しさえすれば、大人はお主を天下無双の将として重用してくださる。その権勢をもって王允に迫れば、阿秀を取り戻すなど赤子の手をひねるより容易いではないか! 蘇然などただの貧相な青白き書生に過ぎぬ、何を恐れる必要がある?」


「貴様……やはり儂を董卓に降らせる気か!」

呂布の目が血走り、手は腰の佩剣の柄へと伸びた。


李粛は微動だにせず、冷ややかに言い放った。

「并州の丁建陽の兵馬がどれほど精強であろうと、董大人はすでに帝都洛陽を完全に掌握しておるのだ。丁建陽は名ばかりの執金吾に任じられながら、洛陽の城門一つくぐれぬではないか。笑止千万とは思わぬか?」


「城門など、力づくで破れば済む話だ!」


「果たしてどれほどの年月がかかるかな?」李粛はせせら笑った。

「洛陽の堅城を落とす間に……もし阿秀があの書生の子でも身籠もったら、目も当てられぬぞ」


「ぐ……っ!」

図星を突かれ、呂布は奥歯をギリギリと鳴らした。洛陽の城壁の高さと兵の多さは、彼自身が一番よく知っていたのだ。


李粛は好機を逃さず、呂布の長年の鬱屈を抉りにかかった。

「某には心底解せぬのだ。丁建陽はお主の天下無双の武勇を知りながら、なぜ将軍ではなく『主簿(軍の事務官・書記)』如きの閑職に押し込めておるのだ? 明珠を暗夜に投じるが如き冷遇ではないか! なぜそこまで奴に義理立てする必要がある?」


呂布は言葉を失った。幼い頃から武芸を磨いてきた自分が、毎日帳簿付けや雑務に追われる日々に、どれほど殺意に近い苛立ちを抱えていたか。


「某のような無能ですら虎賁中郎将に登用されたのだ。お主が董大人に仕えれば、その栄達は言葉に尽くせぬぞ……」


呂布の心が激しく揺れ動いた。

「……されど、丁建陽は平生より某を実の子の如く遇してくれた。今背けば、天下の物笑いの種となろう……」


「実の子だと? 貴様の武勇を恐れて飼い殺しにしておるだけではないか!」李粛は冷笑し、身を乗り出した。

「いっそのこと丁原の首を刎ね、并州軍を手土産に董大人へ帰順してはどうか!」


呂布が息を呑み、李粛を凝視したその時——!


「——どこの不届き者が、我が愛息を唆して敵に売ろうとしておるのかッ!!」


氷を割るような怒号が帳の外から轟いた。

呂布と李粛は弾かれたように跳ね上がった。


入ってきたのは、甲冑に身を包み、目を怒らせた丁原であった。

「貴様は何者だ! 我ら親子の情を裂かんとするかッ!」


李粛の顔から血の気が引いた。必死の形相で呂布へ視線を送るが、呂布は呆然と立ち尽くして口を開かない。

丁原は呂布に向き直り、胸を痛めながら問い詰めた。

「奉先よ……お前は真に、我が首級を売って富貴を買い取るつもりなのか……?」


呂布の瞳に激しい羞恥と葛藤がよぎった。「義父上、それは……」


「賊徒め、控えおろうッ!」

丁原の怒号が響いた瞬間——李粛は窮鼠猫を噛むが如く、事態の露見を恐れて懐から短刀を引き抜くと、背後から丁原の脇腹へと突き刺した!


「奉先ッ!」李粛が絶叫する。「功名は手の裏を返す如しぞッ!」


「奸賊めがッ!」

丁原は李粛を蹴り飛ばし、腰の長剣を抜いて斬りかかろうとした。

「義父上、お待ちを……!」

混乱した呂布が咄嗟に丁原の腕を掴んで引き留めた——その一瞬の隙を突いて、起き上がった李粛の短刀が、丁原の胸深くへと深々と突き刺さった。


「がはっ……!」


丁原は血を吐き、信じられないものを見る目で、己の腕を掴む呂布を見つめた。

呂布の頭が真っ白になった。「義父上……ッ!?」


我に返った呂布は李粛を壁まで投げ飛ばすと、崩れ落ちる丁原の身体を抱き抱え、膝をついた。

「義父上……義父上ッ!」


丁原は口から泡を吹いて倒れながら、痛ましげに呂布を見つめ、掠れた声を絞り出した。

「奉先……ああ……」


呂布の胸に激しい後悔と罪悪感が込み上げた。

「義父上……なぜ布を主簿に据えたのですか! 布の志は、天下を駆ける大将軍であったはずなのに……!」


丁原の瞳に、ふと懐かしむような微かな光が差した。血塗れの唇に、微かな笑みが浮かぶ。

「……お前が、武を好み……文を嫌うことは知っておった……。されど王司徒が、かつて儂に説いてくれたのだ……『将たる者、書を読まず道理に通ぜねば……ただの匹夫に過ぎぬ』とな……。

儂はその言葉を、生涯忘れなんだ……。だが儂自身、幼少より貧しく……書を修める機会に恵まれなんだ……。

お前は、儂の自慢の息子だ……。儂と同じ……ただの武骨者で終わらせたくは……なかったの……だ……」


ガクンと首が折れ、并州刺史・丁原は息を引き取った。


「義父上……ッ!!」


呂布は呆然と立ち尽くした。

やがて、全身から溢れ出るすさまじい殺気とともにゆっくりと立ち上がると、腰の佩剣を抜いた。切っ先を李粛の喉元へと突きつける。

「……李恭正」


李粛の顔が引きつった。「ほ、奉先……某が悪かった! されど丁建陽はすでに死んだのだ、某を斬ったとて何になろう! 幼き日の情を捨てるのか!? 阿秀に会いたくはないのかッ!?」


「阿秀」という二文字に、呂布の剣先がピタリと止まった。激しい葛藤が脳裏を掻き乱す。


——ドタドタドタッ!

その時、帳の外の異変を聞きつけた二人の武将が雪崩れ込んできた。

血溜まりの中に倒れる丁原の骸を見るや、二人は目を見張り、その場で凍りついた。


張遼(ちょうりょう)(字は文遠)と、高順(こうじゅん)(字は公孝)であった。


高順の目が血走り、激怒の咆哮を上げた。

「奉先ッ! 建陽叔父上はお前を我が子の如く慈しんでくださったというのに……貴様ッ、我が手で成敗してくれるわッ!!」

高順は抜刀し、呂布へ向かって斬りかかった。


「公孝、待てッ!」

張遼が叫んで止めに入ったが、怒り狂う高順の突進を止めきれず、袖を引きちぎられた。


呂布は身をかわして刃を受け流すと、電光石火の蹴りで高順を床へと蹴倒した。

「公孝、お前では布の相手にはならん!」


「貴様を絶対に許さんッ! 誓って殺してやるッ!!」

高順は獣のように床を叩いて吠えた。


呂布は冷ややかに佩剣を鞘へと収めた。

「……某を殺せる腕があるならば、いつでも来るがよい」


「公孝、早まるな!」張遼が高順を抱き起こし、隅で縮こまる李粛へ冷たい視線を投げた。

「……そういうことか」

張遼はすべてを察した。丁原を手にかけた黒幕が誰であるかを。


李粛はおずおずと進み出て、呂布を促した。

「文遠、公孝、久しぶりだな……。奉先よ、賽は投げられたのだ! 何を躊躇う必要がある!」


「……もうよい」

呂布は疲れ果てたように天を仰ぎ、掠れた声で張遼へ命じた。

「文遠、全軍へ伝えよ。——『丁原、不仁にして我が刃に倒れたり。某に従う者はここに留まれ、従わぬ者は武器を置いて去るがよい』とな……」


「……御意」張遼は重々しく頭を下げ、踵を返した。


李粛は床の丁原の遺体を見下ろし、言った。「奉先、丁原の首級を挙げ、董大人への手土産とせぬか?」


高順がカッと目を見開き、吼えた。「貴様の首を先に叩き落としてやるッ!」


呂布が高順の肩を掴んで制止した。李粛を殺せば董卓を完全に敵に回すことになる。義父を失った今、并州軍の全滅だけは避けねばならなかった。

「布が董卓に降る条件はただ一つ」呂布は冷徹に言い放った。

「——并州の兵馬は、全てこの布が統率する。董卓とて指一本触れさせぬ」


李粛は破顔した。「造作もなきこと! 董大人も必ずや快諾されよう! では、某はこれにて!」


高順は李粛の後ろ姿を睨みつけ、唾を吐き捨てた。「恥知らずの小人めが……!」


翌日、呂布は并州軍を率いて洛陽城内へと入り、董卓へ帰順した。

并州軍の独立指揮権を求める呂布の条件を、宿敵を葬り去って歓喜に沸く董卓は二つ返事で快諾した。


丁原という最大の抑えを失った今、董卓の暴政に歯止めをかける者は洛陽から完全に消え去った。

董卓は何太后を深宮へと幽閉し、自らを相国(丞相のさらに上を行く最高権力者)の座へと押し上げ、朝政のすべてを手中に収めた。


剣を帯びたまま宮殿に昇り、朝議でも拝礼を免除される特権を得た魔王の権勢は、天を覆い尽くし、洛陽の都は暗黒の恐怖へと叩き落とされたのである!

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