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三国夢  作者: 玄雨竜


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第七十一章 北邙救駕と、王允の「温火煮肉」

さて、大将軍・何進(かしん)は袁紹の言を容れ、密使を放って四方の軍閥へ密詔をもたらした。その中には、西涼の刺客・董卓(とうたく)が含まれていた。


董卓はかつて黄巾討伐に失敗した身であったが、十常侍への莫大な賄賂によって死罪を免れた経歴を持つ。この密詔を手にするや歓喜し、三万の精鋭を率いて李傕、郭汜、張済、樊稠ら凶暴な配下を従え、洛陽へと進発した。

だが、洛陽を間近にした董卓は秘かに野心を抱いた。何進に対しては「病を得て進軍叶わず」と偽りの上奏を送り、軍勢の歩みを緩めさせた。都が血で血を洗うのを待ち、労せずして漁夫の利をかっさらおうという腹積もりであった。


何進がその上奏文を諸臣に見せると、皆口を揃えて「董卓は飼い慣らせぬ狼の凶徒、決して都に入れてはなりませぬ!」と激しく諫めた。だが何進は耳を貸さず、失望した朝廷の重臣たちは官を捨てて洛陽を去っていった。

機密は漏れ、十常侍の首魁・張譲(ちょうじょう)の知るところとなった。

張譲は血相を変えて仲間を集め、「何進の謀略だ! 先手を打たねば一族皆殺しにされるぞ!」と叫び、奸計をめぐらせた。


張譲は何太后の元へ走り、平伏して涙ながらに命乞いをした。情にほだされた何太后は、張譲と兄の和解を取り持とうと何進を宮中へ召し出した。策が成ったとほくそ笑む張譲は、宮門の奥に二百の武装禁軍を伏せさせた。

何進は疑いもせず宮門を潜り、待ち伏せていた張譲らに取り囲まれて無残に斬殺された。


異変を悟った袁紹は怒髪天を衝き、抜刀して咆哮した。

「宦官どもが大将軍を謀殺したぞッ! 悪党を誅滅する者は続けッ!!」

袁紹軍は宮門を破って後宮へ雪崩れ込み、宦官と見れば老若貴賤を問わず、片っ端から撫で斬りにしていった。


窮地に陥った張譲と段珪は、幼き少帝(劉弁)と陳留王(劉協)を強引に拉致し、血煙を上げて包囲を突破。北邙山(ほくぼうざん)の方角を目指して夜闇の中を逃走した。


だが、山道へ差し掛かる手前——行く手の暗がりから、雷霆の如き一喝が轟いた!

「逆賊め、どこへ逃げるかッ!!」


張譲はぎょっとして馬を止め、目を凝らした。「お、前は……王……允!?」


そこには、甲冑に身を包んだ私兵を従え、怒りの形相で馬上に立つ王允の姿があった。

「両殿下をお渡しせぬか! 命の惜しくない奴から前に出よッ!」


張譲と段珪は少帝と陳留王の首筋に刃を突きつけ、引きつった声で叫んだ。

「王子師、儂らを追い詰めるな! 刺し違えて……」


ヒュンッ——!!


言葉が終わらぬうちに一本の矢が風を裂き、張譲の眉間を正確に貫いた。張譲は声もなく馬から転落し、泥の中に崩れ落ちた。


「ふん!」

弓を下ろした陶応(とうおう)がニヤリと笑った。「負け犬のくせに口数が多いんだよ!」


(おいおい……)

背後で馬に乗っていた蘇然(そぜん)は目を丸くした。(やるなら二人まとめて射抜けばいいだろ! なんで段珪を一人残してんだよ!)


王允が進み出て、冷酷に言い放った。

「段珪! 貴様も張譲と同じく、万死に値する汚名を後世に残すつもりか!」


段珪の顔から血の気が引いた。息絶えた張譲の骸を見下ろし、天を仰いで慟哭した。

「殿下……老僕が長年仕えた労苦に免じ、どうか我が名に逆賊の汚名を残さぬよう……!」

言い終えるや、手にした佩剣を喉元へ突き立て、自刎して果てた。


首魁が果て、取り巻きの雑兵どもは散り散りに逃げ去った。

王允は馬を飛び降り、泥に膝をついて平伏した。

「大漢司徒・王允、玉体の救出に遅れを取りました! どうか両殿下、万死の罪をお許しくだされ!」


幼い少帝は度重なる修羅場に震え上がり、ただ母を呼んで泣きじゃくるばかりであった。

だが、その傍らにいた陳留王・劉協が進み出ると、小さな手で王允の老腕を取り、落ち着いた声で促した。

「司徒、面をお上げなさい。余ら兄弟の命は、司徒の忠義によって救われたのだ。何の咎めがありましょう」

劉協は泣きじゃくる兄を一瞥し、静かに付け加えた。

「皇兄は酷く怯えておられるゆえ、礼を欠く無礼があっても司徒、どうか責めないでおくれ」


「勿体なきお言葉……!」

王允は落涙した。


九歳とは思えぬ英邁さで周囲を見渡した劉協は、兵たちの装束から私兵であると見抜き、深く感銘を受けた。

(皇室が地に堕ちた今、この老臣の忠節は真に尊い。いずれ頼るべき柱石となろう……)

と、その時。少年の視線が、兵たちの後ろで奇妙な眼差しを向けている青年の姿を捉えた。

群臣や兵たちが自分に対して抱く恐怖と敬畏とはまるで違う、どこか物珍しそうに観察するような不思議な視線であった。


劉協は首を傾げ、問うた。「そなたは、何者だ?」


蘇然はこの幼い子供が、大人顔負けの威厳で言葉を紡ぐのを見て感心し、気さくに微笑みかけた。

「某は蘇然、字を守義と申します」


「老夫の姪婿にございます!」

王允が慌てて割って入った。この口の減らない若造が、帝王の御前で大不敬の暴言を吐きやしないかと冷や汗を流したのだ。

「両殿下、どうぞ我が馬にお乗りくだされ!」


「……うむ」

劉協は蘇然をじっと見つめた。微笑みを浮かべるこの不思議な「兄上」の姿が、少年の幼い心に深く焼き付いた。

(これが……あの悲劇のラストエンペラー、漢の献帝か……)と、蘇然もまた歴史の巡り合わせに息を呑んでいた。


帝を奉じて数里も進まぬうちに、土煙を上げて一隊の騎馬武者たちが駆けつけてきた。何進の死を知り、二帝を捜索していた朝中の重臣たちであった。

主従が再会を果たし、百官は泥濘に平伏して声を上げて泣き崩れた。

王允もまた目を真っ赤にして落涙しているのを見て、蘇然は気まずそうに三歩後退し、心の中で苦笑した。


「……守義殿!?」


不意に、驚愕に満ちた聞き覚えのある声が掛かった。

振り返ると、そこにいたのは馬上の曹操と袁紹であった。

「これは孟徳兄、本初兄。ご無事で何より……」


袁紹はツンと鼻を鳴らして視線を逸らしたが、曹操は馬から飛び降りるや、満面の笑みで蘇然の肩をバンバンと叩いた。

「守義殿、また水臭いことを申すか! 孟徳と呼び捨てにしてくれと申したであろう! それにしても……なぜお主がこのような場所に?」


蘇然が口を開くより早く、誇らしげな王允が割って入った。

「皆の者、聞かれよ! これぞ老夫の姪婿にござる! 張譲らが二帝を拉致して北邙山へ逃れると予見したのも、宮門の異変に際して老夫をこの街道へ伏せさせたのも、すべてはこの守義の神算によるものなのだ!」


重臣たちがどよめいた。

太尉の楊彪(ようひょう)が髭を震わせて嘆息する。「何という大器だ! 子師殿、貴殿の後継は盤石ですな!」

百官が感嘆の声を漏らし、幼い二帝すらも好奇に満ちた目で蘇然を見つめた。


王允は我が意を得たりと髭を撫でて高笑いしたが、ふと思い出し、楊彪を引き寄せて耳元で囁いた。

「……何進は、討たれたのか?」


楊彪は無言で、静かに頷いてみせた。


「…………ッ!?」

王允の背筋を戦慄が駆け抜けた。息を呑み、呆然と蘇然を凝視する。

(何進は死ぬ……あやつが戯言のように繰り返した予言が、寸分違わず的中したというのか!? 天の神仏の加護でも受けておるのか……怪物め!)


そのやり取りを見つめていた袁紹は、疑わしげに蘇然を見やり、次いで曹操を盗み見た。

(孟徳の眼力は真であったのか? 某の目には、ただの軽薄な書生にしか見えぬが……チッ、不愉快な奴め)


一方の曹操は、破顔して再び蘇然の肩を抱き寄せた。

「守義殿、真に恐れ入ったぞ! 近いうちに必ずや貴殿の屋敷へ押し掛け、美酒を酌み交わさねばならんな!」


「……あはは」蘇然の引きつった笑みがこぼれた。「孟徳殿のお越しなら、畳を清めて大歓迎いたしますよ」


曹操がたちまち蘇然と打ち解けていく様を横目で睨み、袁紹はかつての軋轢も相まって、腹の底に苦々しい嫉妬の炎を燃え上がらせていた。


一同は宮中へと帰還し、何太后と涙の対面を果たした。だが後宮を改めると、皇権の象徴たる『伝国玉璽』が忽然と姿を消していた。


乱を平定した功により、曹操や袁紹らは西園八校尉に任ぜられ、袁紹は中軍校尉、曹操は典軍校尉の軍権を握った。

そして何太后は、二帝を救い出した功績に報いるべく蘇然を引見し、その功を称えて司徒府長史(司徒の筆頭幕僚長)の官職を授けた。王允の名下に置く、破格の温情であった。


王允は大いに喜び、蘇然を従えて深々と拝跪した。


司徒府へ戻るなり、王允は書斎で「ハハハハハ!」と腹を抱えて大笑いし始めた。

蘇然は頭を掻き、呆れ顔で突っ込んだ。

「伯父上、何がそんなに可笑しいんです? 長史なんて実権のない閑職じゃないですか。用があれば呼び出され、用がなけりゃ突っ立ってるだけの……」


「愚か者めがッ!」

王允はギロリと睨みつけ、心底もどかしそうに叱りつけた。

「他のことには恐ろしいほど目端が利くくせに、なぜ我が身のことになるとそうも鈍感なのだ! 長史が閑職なのは確かだが、老夫は三公の司徒ぞ! その司徒の『直属の長史』が何を意味するか、明白であろうが!」

(いずれ儂の地位と人脈をすべて受け継ぐ筆頭後継者の椅子ぞ、という意味である)


「はいはい、伯父上には長生きしていただいて、その司徒の椅子にずっと座っててもらいますから」

蘇然は口を尖らせた。(どうせあと少ししたら董卓がやって来て、笑ってる余裕なんざ綺麗さっぱり消し飛ぶんだからな……今教えたら発狂するだろうけど)


王允は髭を震わせて怒りかけたが、ふと真顔になって目を細めた。

「守義よ。お主は以前、何進が必ず死ぬと断言したな。根拠はないと申しておったが……今日の事態、寸分の狂いもなくその通りになった。お主、老夫に何か隠しておるな?」


蘇然の心臓がトクンと跳ねた。(ヤバい、鋭すぎる……)

「毎日伯父上の屋敷に軟禁されてる身で、何を隠せるって言うんですか……」


王允は蘇然が外へ出られない不満を根に持っているのだと勘違いし、苦笑いを浮かべた。

「学問とは継続こそが力なのだ。……まあよい! 明日からは日々の課題を終えたなら、街へ出歩くことを許してやろう。秀児に『伯父様は薄情だ』と恨まれてはたまらんからな!」


(……よっしゃあーーッ! 軟禁解除だ!!)

蘇然は心の中でガッツポーズを決めた。


「今やお主は老夫の長史だ。明日からは公務の折、老夫の傍らに侍って政務を学んでもらうぞ」

「えっ……それはちょっと……」

「何が不服だ!」王允は目を光らせた。

この姪婿の首根っこを押さえるには、力づくでは逃げられるだけだと学んだのだ。弱火でじっくり肉を煮込むように、少しずつ逃げ道を塞ぎながら己の学問と権力を叩き込んでやる腹積もりであった。

「まさか、秀児の美色に溺れて公務を投げ出すつもりではあるまいな?」


「うっ……」痛いところを突かれ、蘇然は言葉に詰まった。


「フン! 毎朝の読書を終えた後、宮中の執務室へ顔を出せ。みっちり仕事を教えてやる!」

(早朝読書なんて、爺さんが出勤したらサボるに決まってんだろ)と蘇然は心の中で舌を出した。

「……承知いたしました」


王允は蘇然の腹芸をすべて見透かしたようにニヤリと笑った。

「時に守義、今日の朝議で蔡伯喈殿がお主のことを気にかけておられてな」


「…………」


「老夫とお主の間には、賭けが残っておるはずだな?」


「あ、あれは……その、後日の話ってことで……!」

蘇然は頭を抱えた。一方は悲劇の才女・蔡文姫、もう一方は愛する本妻・貂蝉。どちらを選んでも修羅場にしかならない。


王允は意地悪そうに目を細めた。

「老夫からとやかく言う気はない。己でじっくり考えよ。決心がついたなら知らせるがよい。……蔡伯父殿がな、『三日後に屋敷へ遊びに来るように』と言伝を残されたぞ。目上の招きを無下にはできまい? さあ、下がって休め!」


「……失礼します」

蘇然は逃げるように書斎を後にした。


去りゆく若者の後ろ姿を見送り、王允の口元から笑みが消えた。夜空を仰ぎ、眉を寄せる。

「長史に据えたはよいが……目下の最大の懸念は、洛陽へと迫り来る董卓の軍勢よ。丁原の軍は、果たして間に合ってくれるのか……?」


老臣は衣を正し、北の空へ向けて深々と拱手した。

「大漢の先帝の御霊よ……どうか大漢の栄光を照らし、これ以上の動乱を押し留めたまえ……臣・王允、平伏して祈り奉る……」

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