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三国夢  作者: 玄雨竜


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第六十六章 司徒府の猛特訓と、蔡邕訪問の約

こうして蘇然(そぜん)たち一行は、司徒・王允の屋敷に腰を落ち着けることとなった。

他の面々は洛陽の風物に触れて気ままに過ごしていたが、蘇然ただ一人の日々はといえば、惨憺たるものであった。


——二か月後。


「ふあぁ……」

蘇然は机に頬杖をつき、盛大にあくびを噛み殺した。少し離れた席で針仕事に励む秀(シュウ)へ、泣き言を漏らす。

「なあ秀、俺たち一体いつになったら徐州へ帰れるんだ?」


秀は手を止め、困ったように視線を揺らした。

「妾身(わたくし)も伯父様に幾度かお伺い立てておりますのよ。ただ伯父様は、『これまでの不義理を少しでも償いたい、もう少し屋敷に逗留せよ』と仰るばかりで……」


「もう少し、だぁ!?」

蘇然の顔が引きつった。手元の『漢書』を机へ叩きつける。

「もう二か月だぞ、二か月! 毎朝ニワトリより早く叩き起こされて読書させられ、写経させられ、その上屋敷の外へ一歩も出してもらえないなんて、どんな軟禁生活だ! 最悪なのは毎晩だ。あの爺さん、部屋に乗り込んできて講義を垂れ流し、試問に一つでも答えに詰まろうものなら、天を焦がす勢いで大激怒だぞ……こんな生活、やってられるか!」


「夫君……」

秀は呆れと可笑しさに耐えかね、そっと歩み寄ると、凝り固まった夫の両肩を優しく揉みほぐした。

「伯父様は夫君に並々ならぬ期待を寄せておいでなのです。失望させてはなりませぬし、学問を修めることは……」


「言うのは簡単だよな」蘇然は唇を尖らせてすねた。


「……ならば」秀は薄く紅を引いた唇を噛み、消え入りそうな蚊の鳴くような声で囁いた。

「もし夫君がお一人での読書に退屈なさるなら……妾身もご一緒させていただけませんか……?」

そう言って、恥ずかしそうに伏し目がちにうつむく。


「え? 秀、本を読みたいのか?」蘇然が目を丸くする。


秀は複雑な光を瞳に宿し、戸惑いながらも小さく頷いた。


「よっしゃあ!」

蘇然は弾かれたように秀の腰を抱き寄せ、自分の膝の上へ引き倒した。

「なら明日から二人で読もう! 大賛成だ!」


「ま、まことでございますか……?」秀の顔がパッと歓喜に輝く。


「当たり前だろ!」


——ゴホンッッ!!


廊下から、落雷のような重々しい咳払いが轟いた。


秀は顔から火が出るほど赤くなり、慌てて蘇然の膝から逃れようともがいた。だが蘇然はガッチリと抱きしめて離さず、姿を現した来訪者をキッと睨みつけた。

「伯父上! まだ夜の試問の時間には早すぎますよ!」


「不届き者めが!」

王允が眉間に深い青筋を刻んで踏み込んできた。秀を厳しく咎める。

「秀児、人妻たるもの、貞淑の礼を守らねばならん。万が一にも外の人目に触れたら、世間様から何と蔑まれるか分かっておるのか!」


秀の表情が曇り、しおらしく頭を垂れた。

「……伯父様の仰る通りです。秀が浅慮でございました……」


それを見た蘇然の頭に血が上った。

「おい爺さん! 俺の嫁への躾は俺がやるんだ、余計なお世話だ!」


「貴様はッ!」

王允は喉を詰まらせた。この二か月寝食を共にして、この姪婿の性根は骨の髄まで理解していた。秀は何にも代えがたい宝であり、他人が指一本、悪口一つ触れることすら絶対に許さない男なのだ。とはいえ、長老たる自分がこの無礼を見過ごせるはずもない。


「いいですか爺さん! 秀と一緒に本を読ませてくれるか、さもなくば今すぐ俺たちを徐州へ帰すか、二つに一つだ!」


王允は呆気にとられた。徐州へ帰す? 冗談ではない、この稀代の知恵者を手放してたまるか!

だが秀に学問を……? 老臣は眉をひそめて熟考し、やがて諦めたように息を吐いた。(やれやれ、若い夫婦の睦まじさに、年寄りが無粋に口を挟むものでもないか……)

「……勝手にするがよい。だが、読書を怠けてみろ、ただではおかんぞ!」

王允は暖簾に腕押しの蘇然に毒気を抜かれ、ため息をついた。

「秀児、茶を淹れてまいれ。守義に大事な話がある」


「はい……」

秀が身じろぎすると、目的を果たした蘇然はあっさりと腕を解いて妻を送り出した。


戸がピシャリと閉まり、王允は腰を下ろすと、低く命じた。

「守義、こっちへ来い」


(げっ、またお説教かよ……)

蘇然は渋々立ち上がり、王允の向かいに座り込んだ。

「何です? 部屋に入るなり小言を並べ立てないなんて珍しいじゃないですか。まさか毒入りの薬でも飲ん……痛っ!」


王允は容赦なく蘇然の頭を小突き、拳を引いた。

「若造! 口を慎め!」


蘇然は頭をさすりながら、心の中で「老いぼれめ」と毒づいた。


「……天子が、危篤だ」

王允が重々しく漏らした。


「は……!?」

蘇然の目が丸くなった。(マジかよ!? あの皇帝、本当にもう持たないのか……!?)


王允は蘇然の驚愕を気にも留めず、淡々と語り継いだ。

「……知らせに誤りはあるまい。天子が崩御されれば、直ちに詔が下され後継が定まるはずだが……遺された皇子は幼く、しかもお二方おられる。まさに守義、お主が先刻予見した通りの混沌が現実となろうとしておるのだ! 実に見事だ、見事と言うほかない!」


今の王允にとって、蘇然は見るほどに惜しく、そして愛おしい存在であった。

普段の言動は粗野で自堕落、引きこもりを愛する怠け者そのものだが、時局を見抜く大局観は、宮中で数十年揉まれてきた自分と寸分違わぬ、いやそれ以上に鋭い。まさに天から降ってきた稀代の奇才。

(この頑石を、何としても大漢の棟梁たる美玉へと磨き上げねばならん……!)


老人は蘇然を立派な官僚に育て上げようと全身全霊を注いでいた。

毎朝、誰よりも早く夫婦を叩き起こして登庁する。

夜になれば自ら書斎へ足を運び、経書の真髄を噛んで含めるように講義する。

深夜、老骨に鞭打って古の先賢の書を思い起こし、要点を自らの筆で書き起こして翌朝に手渡す。

古稀を迎えた重臣がここまで身を削って一人の若者に尽くすなど、世の誰もが涙を流して感服する美談であった。

——当の蘇然本人が、死ぬほど迷惑がっていることを除けば。


「そこでだ」王允は白髭を撫で、目を細めた。

「老夫は明日、天子に上奏して正式に病気療養の休暇を取る。この機を利用し、守義よ、朝廷に名だたる当代の大賢たちをお主と共に歴訪しようと考えておる! お主の知見と学識にとって、千金にも代えがたい糧となろう!」


(勘弁してくれよ! 今ですらライフゲージが半分削れてるのに、大物学者巡りだと!?)

蘇然は引きつった顔で冷や汗を流した。偏屈ジジイに連れ回されるくらいなら、部屋で秀とイチャつきながら読書する方が一億倍マシである。

「伯父上、それは拙いですよ!」蘇然は必死の抵抗を試みた。

「病気療養を理由に引きこもる身で、友人宅を飲み歩いて回ったりしたら、政敵に『詐病だ』って密告されて足をすくわれますって!」


「ハハハ!」王允は意に介さずカラカラと笑った。

「案ずるな。老夫は今や位こそ三公なれど、実権は何進に奪われて形骸化しておる。無力な老いぼれが余命幾ばくもない友を訪ねたところで、奴らが無駄な波風を立てるはずもなかろう」


「伯父上は大漢の柱石ですよ、無力だなんて……」蘇然は必死におだてを重ねた。


「ふむ、その心掛けは殊勝だ!」王允は満足げに頷いた。

「朝議に出るのも昨日が最後よ。いよいよ帝の病状は隠しきれん……ああ、天下の苦難よ!」


蘇然は口をへの字に曲げた。


「話は決まった!」王允が机を叩いた。

「日を改めて、老夫の親友たちのもとへお主を連れてゆく! 世の広さをその目で見てまいれ!」


「決まったって……おい老頭(ロウトウ)(クソ爺)! 人と相談する気はあるのかよ!」


「老頭」と呼ばれた瞬間、王允の白髭が怒りで逆立った。

「誰がお主と『相談』するなどと申したかッ!」


「ひぇっ……」


「日頃の教えを忘れたか! 年長者を敬えとあれほど申したであろうが! 老夫はお前の伯父ぞ! 『老とは尊きなり、頭とは敬うべし』などと屁理屈をこねても騙されんぞ、儂はお見通しだ!」


蘇然は苦笑いして縮こまった。(チッ、昔の言い訳までバレてたか……)


「よいか! 出かける当日は老夫が自ら叩き起こしに来る! 王允の姪婿として表へ出る以上、我が顔に泥を塗るような無様を晒してみろ、ただでは済まさんからな!」


「……泥を塗ったらどうする気だよ?」蘇然は懲りずに口答えした。


「夜、書斎に閉じ込めて一人で寝かせるまでのこと! 嘘だと思うか? 老夫が直々に秀児へ言い渡してやる、あの子が伯父の言に背けると思うか!?」


「…………」

蘇然は生唾を飲み込んだ。

(えげつない……あまりに急所を突いた脅迫だ! 封建主義の頑固オヤジめ、許すまじ……!)


背に腹は代えられない蘇然は、引きつった笑みを浮かべて妥協した。

「……で、まずは誰のところへ行くんですか?」


王允はフンと鼻を鳴らし、目を細めて勿体ぶった。


「伯父上〜。愚昧なる甥に、最初にお訪ねする大賢人のお名前をご教示願えませんでしょうか〜?」


「うむ、素直でよろしい!」

王允は機嫌を直し、誇らしげに顎を撫でた。

「我が無二の親友にして、当代随一の大賢、蔡邕(さいよう)、蔡伯喈殿だ。……お主、知っておるか?」


「知ってます知ってます!」

蘇然はブンブンと激しく首を縦に振った。

三国志屈指の才女・蔡文姫の父親ではないか! あの悲劇の美女・文姫のパパ!

「蔡邕先生ですね……よし、行きましょう! 是非ともご挨拶に伺わねば!」

蘇然は自らの顎をさすりながら、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。

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