第三十七章 怒涛の連射陣と、城壁の白刃戦
「歳は甲子に在りて! 天下大吉!」
「歳は甲子に在りて! 天下大吉!」
「歳は甲子に在りて! 天下大吉!」
東門の外を埋め尽くす無数の影が、声を枯らしてこの文句を狂気とともに連呼していた。一声吼えるたび、彼らの纏う禍々しい気勢が一段と跳ね上がっていく。
「まだ甲子の年にもなってねえだろうが! 何をそんなに生き急いでやがるんだ、この間抜け共が!」
城壁の上から、ひとりの将が小馬鹿にしたような野次を張り上げた。
どっと徐州兵の間に爆笑が広がり、黄巾軍の狂気に満ちた気勢が一瞬出鼻を挫かれる。
陣頭で指揮を執っていた張燕は眉をひそめ、声の主を睨みつけた。
見れば、城壁のへりに白銀の甲冑を纏った若武者が、銀色に煌めく長槍を肩に担ぎ、気だるげにもたれかかっている。
(あいつは何者だ……?)
張燕は心の中で訝しんだ。方悦の顔なら知っている。先日の夜襲で手痛い打撃を受け、あやうく首を刈られかけた相手だ。だが、目の前の白い甲冑の男には見覚えがない。
「城壁の上の小僧! 名を名乗れ!」張燕が叫んだ。
「貴様のような賊将と対等に名乗り合う名など持ち合わせておらん!」陶応が鼻で笑って言い放つ。「手前の首をさっさと差し出しに来い! 手間が省けて助かるわ!」
城壁の陰で見守っていた蘇然は思わず額を押さえた。(……元龍の言う通り、この陶応って男、本当に口が悪いな)
張燕は怒りを押し殺し、黄巾兵に陣形を整えさせながら冷たく言い返した。
「ならば城から出て、この私と一騎打ちをする度胸はあるか?」
「お前と?」陶応はあからさまに侮蔑の視線を送った。「悪いが、貴様じゃ俺の相手にならん!」
以前の張燕なら怒り狂って即座に全軍突撃を命じていたところだが、手痛い敗北を重ねた今の彼は、腹の中で煮えくり返る怒りを押し殺し、ただ冷たい笑みを返すにとどめた。
蘇然は城壁の上から、敵陣の奥から地響きを立てて迫り来る巨大な影を見つめていた。
(……やはり雲梯か。ん? まさか張燕の奴、井闌まで急造してきたのか!?)
雲梯とは、現代のハシゴとは大きく異なる。頑丈な巨大フレーム構造になっており、城壁に取り付いた瞬間、頂部の鋭い鉄鉤を城壁の縁へガッチリと打ち込む。そうなれば下から無数の兵が雪崩を打って駆け登ってくるのだ。
そして井闌とは、攻城用の巨大な櫓である。城壁を見下ろせる高さまで弓弩手を持ち上げ、上から守備兵を一方的に狙撃して制圧するための兵器だ。
黄巾軍が押し出してきた井闌は、東門の城壁とほぼ同じ高さに達し、三層構造の櫓の上にそれぞれ百余名もの弓弩兵がぎっしりと陣取っている。
それが五座。
さらに雲梯に至っては、十架以上も並んでいた。
張燕の攻城にかける執念と焦りは相当なものだ。
(……兵糧が尽きかけているのか?)
蘇然が小さく呟くと、隣にいた陳登が深く頷いた。
無数の黄巾兵が雲梯を取り囲み、東門へとじわじわ距離を詰めてくる。先ほどまでと違い、兵士たちは不恰好ながら分厚い粗製の木盾を構えていた。少しでもこちらの矢による損害を減らす算段だろう。
「子平!」蘇然が鋭く命を下した。
「ハッ!」
「弓弩手の指揮はお前に任せる。先ほど授けた戦術で敵を迎え撃て!」
「承知いたしました!」方悦は力強く応じ、持ち場へ駆け戻った。
「元龍!」
「はい、先生!」陳登が居住まいを正す。
「例の煮えたぎる油の手配はついたか?」
陳登が城内へ視線をやると、ちょうど後方から油樽を運ぶ隊列が東門へ到着したところだった。
「東門に届きました!」
「よし、そちらの指揮はお前が執れ!」
「お任せを!」
蘇然は再び五座の井闌を見据え、険しい表情で腕を組んだ。
その横で、蚊帳の外に置かれて焦れていた陶応が進み出た。
「大人! なぜ某に何の命も下されぬのですか!」
蘇然は陶応をじっと見つめ、値踏みするように言った。
「元龍の話では、腕が立つそうだな?」
陶応は少し意外そうに眉を上げたが、すぐに得意げに胸を張った。
「幼少より武芸百般を叩き込まれております。遅れを取るはずがございません!」
蘇然は頷き、迫り来る五座の井闌を指差した。
「あの櫓が非常に厄介だ。子承、何とかできるか?」
陶応が目を凝らすと、井闌の足元は膨大な黄巾兵が厳重に護衛しており、容易に近づける気配はない。しかし彼は不敵に唇を吊り上げ、事も無げに言った。
「某に数百の精鋭をお預けくだされ。あの木偶共をまとめて灰燼に帰してご覧に入れます!」
「敵を侮るなよ」蘇然が念を押す。
「軍令状を立てても構いません!」
蘇然はしばらく陶応の瞳の奥にある光を見つめ、決断した。
「……八百の精鋭を預ける」
「必ずや成功させてみせます!」陶応は獰猛に笑った。
(……こいつ、本当にそんなに強いのか? だったら史実の陶謙はどうして徐州を劉備に譲ったりしたんだ……?)
蘇然は怪訝そうに陶応の背中を見送った。
ブォォォーーッ!
黄巾軍の角笛が吹き鳴らされ、天地を揺るがす軍鼓とともに、数千の兵が喚声をあげて東門へ殺到した!
「太鼓を鳴らせッ!」蘇然が一喝する。
ドンドンドン!
徐州側の陣太鼓も激しく打ち鳴らされた。
「弓手、弩手、構え! 我の号令を聞けッ!」
方悦が喉も裂けんばかりに怒号を響かせる。
「全弓手は前後二隊! 弩手は前・中・後の三隊に分かれよ!」
「弓手二隊! 弩手三隊!」
下級将校たちが次々に復唱し、兵士たちは瞬く間に幾重もの射撃列を形成した。
方悦は城外の敵の距離を測り、有効射程に入った瞬間、右手を振り下ろした。
「前隊の弓手、放てぇッ!」
ビュビュビュビュッ!
数百本の矢が唸りを上げて宙を裂いた。
「前隊は一歩退いて矢を番え! 後隊、前へ! 放てぇッ!」
「射ッ!」
兵たちの咆哮とともに、途切れることなく次の数百本の矢が黄巾軍の頭上へ降り注ぐ。
「後隊退け、前隊前へ! 放て!」
「前隊退け、後隊前へ! 放て!」
この「二段射撃」の絶え間ない矢の奔流により、徐州軍は一時的に敵の弓手部隊を完全に圧倒した。井闌の上にいた黄巾の弓兵たちは盾の陰に頭を引っ込めたまま、身動きすら取れなくなる。
下を歩く歩兵たちの損害はさらに凄惨だった。運良く木盾で最初の一矢を弾いたとしても、体勢を崩した刹那、間髪入れずに降り注ぐ次の一斉射撃に身体を貫かれて次々と地に伏していった。
「ぬう……っ!?」
張燕は眉を吊り上げ、東門から途切れることなく波状攻撃として飛来する矢の雨を睨みつけた。
(何だこの射撃の濃さは……矢継ぎ早どころの騒ぎではないぞ!)
「井闌を寄せろ! 射撃を抑え込め! 雲梯を急がせろ! 一番乗りの者には莫大な恩賞を取らすぞッ!」
死を恐れぬ信仰の軍勢は、やはり恐ろしかった。頭上から降り注ぐ矢の雨にバタバタと仲間が倒れても、巨大な井闌は軋み声を上げながら城壁へと肉薄し、櫓の上の弓弩手たちが反撃の矢を射ち下ろし始めた。
(今だ!)
方悦は弩手を投入するタイミングが来たと直感した。近距離戦において、弩の貫通力と殺傷力は弓の比ではない。
「弩手、我が号令に従え!」
弓手の指揮を副将に預け、方悦は自ら弩兵の列へ飛び込んだ。
「前隊、放てぇッ!」
バババババンッ!!
重鈍な発射音とともに放たれた鋼の矢が至近距離から井闌を強打し、上の射手たちが悲鳴を上げて数十人も転落していく。
「前隊は屈んで装填! 中隊、放てぇッ!」
至近距離から放たれる弩弾の破壊力は凄まじく、敵の粗末な木盾など紙のように粉砕された。盾ごと胴体を撃ち抜かれた兵たちが、雲梯や井闌から次々と真っ逆さまに落ちていく。
「中隊屈め! 後隊、放てぇッ!」
後隊が撃ち終えた瞬間には、最初に撃った前隊がすでに矢を装填し終えて立ち上がっていた。
「後隊はその場で装填! 前隊、立て! 放てぇッ!」
矢の豪雨。途切れることのない死の十字砲火。
通常の軍隊であれば、とっくに士気崩壊して潰走している地獄の弾幕であった。しかし狂信に囚われた黄巾兵たちは、仲間を盾にして屍を乗り越え、ついに東門の城壁直下へと取り付いた。
ドォォンッ!!
凄まじい衝撃音とともに、第一架の雲梯の鉄鉤が城壁の縁に深々と喰い込んだ。
血走った目をした十数名の黄巾兵が、雲梯の先端から城壁の上へと飛び込んできた!
「切り捨てろッ!」蘇然が叫ぶ。
その声よりも早く、一筋の銀光が疾風の如く飛び出していった。
「野郎共、俺に続けぇッ!」
陶応である!
その武勇は掛け値なしの本物であった。長槍を閃かせ、たった一人で瞬く間に十数名の黄巾兵を刺突・一閃して薙ぎ倒すと、そのまま城壁を乗り越え、雲梯の梯子の上へ飛び乗って凶猛に槍を振るい始めた。雲梯にしがみついていた黄巾兵たちが、悲鳴とともに次々と虚空へと叩き落とされていく。
(おいおいおい! 雇い主の息子が何無茶やってんだよ!)
蘇然は肝を冷やして叫んだ。
「子承! 調子に乗るな、危ないぞ!」
その叫びに陶応が我に返った瞬間、間近に迫った井闌の上から、彼を狙って無数の矢が一斉に放たれた。
陶応は息を呑み、全身の力を長槍に込めた。銀の槍先がまるで白龍の如く唸りを上げて旋回し、放たれた矢の全てを甲高い金属音とともに撃ち落としてみせたのだ!
(……マジかよ、あいつあんなに強かったのか!?)
蘇然が目を丸くして見惚れている間に、陶応は身を翻して城壁の上へと跳び戻ってきた。その額にはびっしょりと冷や汗が滲んでいる。
「……へっ、俺様の神懸かりな武芸がなけりゃ、今頃蜂の巣だったぜ……」
強がりを言いつつも、流石に心臓が縮み上がったようだった。
呆れる蘇然の視界の端に、陣頭指揮を執る陳登の姿が飛び込んできた。
「元龍ッ!!」
蘇然が吼える。
陳登はその一言で全てを察し、背後の家将たちに向かって手を振り下ろした。
「陳家の者共、前へ! 熱油を運べッ!」
時を同じくして、第二架、第三架の雲梯が次々と城壁の縁へと噛みつき、梯子の上からは狂気に染まった無数の黄巾兵が、飢えた狼のような雄叫びを上げて這い登ってきていた——。




