第二十六章 難民の受け入れと、若き将校・方悦
翌朝早く、蘇然はすぐに東門へと向かい、秀もその後に続いた。
陳登はすでに現場で待機しており、蘇然の姿を見ると慌てて礼を執った。
「先生! 本日の正午までには、すべての準備が完了いたします……」
「うむ。……これを見てみなさい」
陳登は目を丸くした。蘇然がふところからまた一枚の紙を取り出すのを見て、心の中で思わず呟いた。(良いものがあるなら、一気に出してくださればよいのに!)
だが、蘇然が昨夜書き上げた内容を目にすると、陳登の不満は吹き飛んだ。ただ異様な眼差しで蘇然を見つめ、(まったく、この先生という人は……はあ! 事態が起きてからしか腹の中の才能を少しずつ出してくださらん。焦れったいことこの上ない!)
しかし陳登は理解した。先生の側にいさえすれば、いつか先生の学問をすべて盗……コホン、学び取ることができるのだと!
「先生のおっしゃる通り、実に見事でございます! すぐに準備に取りかかります!」
巡回用の合い言葉や兵の配置もさることながら、あの銅鏡の活用法には感服するしかなかった。夜間に火の光を反射させれば外の状況が一目瞭然となり、黄巾賊の夜襲など恐れるに足らない。陳登は小走りで準備へと駆け出していった。
蘇然は城壁の上を歩きながら左右を見渡した。城壁は幅3〜4メートルほどと広く、長さは……先が見えないほど続いていた。蘇然はふと不安になり、(古代の城はどうしてこんなに無駄にデカいんだ? あと数千人兵士がいればいいんだが)と溜息をついた。
秀は静かに笑みを浮かべ、言葉もなく蘇然を見つめていた。夫が悩んでいようと喜んでいようと、その姿はいつも彼女の心を強く惹きつけた。考えているうちに、彼女の微笑みは深くなっていった。
その時、騒がしい声が蘇然の耳に届いた。
「ん?」
城門の下を見下ろすと、大勢の民衆が城門の前に群がっており、不穏な雰囲気が漂っていた。蘇然は慌てて城壁を駆け下りた。
蘇然が辿り着いた時には、東門を守る徐州の精鋭兵たちがすでに民衆に向けて武器を構えていた。蘇然は眉をひそめ、一喝した。
「やめろ!」
兵士たちの威勢が弱まり、一人の将校に視線を向けた。その男は数歩前へ出ると、蘇然に向かって拳を抱えて礼をした。
「城門令様をお迎えいたします!」
「これはどういうことだ?」蘇然は男の礼には応えず、怒りを込めて民衆を指さした。
「それは……」男は少し躊躇い、声を潜めて言った。「大人、間もなく黄巾が押し寄せてまいります。この民の中に黄巾の細作が混じっているのではないかと危ぶみまして……」
その簡潔な一言で、蘇然のこの男に対する印象は少からず跳ね上がった。蘇然は頷いて尋ねた。
「この民たちは、近郊から避難してきた者たちか?」
「はい、大人。多くは戦火を逃れてきた者たちでございます!」
蘇然は数歩歩き、遠くを見やった。遠方から黒い点のような人影が続々と押し寄せてくるのが見えた。蘇然の心は沈んだ。(失敗した……! 徐州城のことばかり考えて、城外の民衆のことに頭が回っていなかった!)
「城内へ入れてやれ……」蘇然は溜息をついた。
「大人!」将校は焦った。
「一人の疑わしき者のために百人の無辜の民を見捨てるなど、俺にはできん!」
「大人のお心映え、恐れ入ります!」将校は一瞬で感服した。「すぐに民らを城内へ入れます。ですが……」
「城内の東側の広場に彼らの身を寄せる場所を作り、食糧も徐州の民と同等に支給しろ。決して不当に扱うな。もちろん、夜間の外出禁止は徹底させる……暫定措置だ!」
「ハッ!」蘇然の手際良い指示に完全に服従した将校は、立ち去ろうとしたが、蘇然に呼び止められた。
「名前は何という?」
「属下は方悦、字は子平と申します!」
(どこかで聞いたような……?)
蘇然はパチパチと瞬きをしたが、結局思い出せなかった。(まあ、小将の一人だろう。だがこの気配りはなかなか貴重だ)
「子平、東門の守備は頼むぞ」蘇然は穏やかに微笑んだ。礼を尽くされて嫌がる者はいない。
まだ二十歳前後の方悦は、その言葉に心を激動させ、声を張り上げた。
「ハッ! 必ずや職務を全ういたします!」
「よし、行ってくれ。くれぐれも民に暴力を振るうなよ。丁寧に説得し……そうだ、持っている刃物はできる限り提出させろ。包丁であっても刃物だからな」
「承知いたしました!」
方悦は大股で去っていった。その表情にはかすかな誇らしさが滲み出ていた。このお方は陳家の元龍様のような名士すら『先生』と仰ぐお人だ。ただ者であるはずがない。この方に認められれば、河内へ戻って叔父の顔色を窺う必要もなくなる!
蘇然はその場に立ち、方悦が混乱もなく民を受け入れ、刃物を回収していく様子を見守りながら、密かに頷いた。(若いのに、なかなかの将の器量を持っているな)
民衆か……。
蘇然はどうにも胸騒ぎがしていた。初期の黄巾軍は、後期の烏合の衆とは比べものにならない。死を恐れぬ狂信者の集団であり、軍規も厳正だ。そんな連中の気配が未だにないのはおかしい。元龍にも偵察を出させ続けているというのに。
(まさか……?)
蘇然は民衆を見つめながら、不吉な予感を抱いた。
(あの黄巾軍の統率者は、徐州近郊の民をすべて城内へ追い込み、徐州の兵糧を使い果たさせようとしているのではないか?)
敵ながら、その知略には感心せざるを得ない。その思考で行けば、敵の将も白兵戦を避け、徐州を兵糧攻めで降伏させたいのだろう。……だが、奴らは知らないのだ。徐州の備蓄どころか、陳家一族の貯蔵米だけでも徐州城全体が一年は食いつなげるということを! 一年も包囲を続けられるものならやってみるがいい、と蘇然は心の中でほくそ笑んだ。
兵糧攻めなら対処は容易だ。恐ろしいのは、黄巾軍が民に紛れ込ませた細作が城内で内応し、城門を奪い取ることだ。それだけは防がねばならない。
古代の攻城戦で最も多用される手だ。やはり厳しい戒律を敷くしかない。蘇然は少し思案した後、方悦を呼び寄せて耳元で囁いた。
「夜間、何者かが城壁に近づいた場合は合い言葉を求めよ。答えられない者、あるいは躊躇した者は……即刻切り捨てろ!」
「ハッ!」方悦はひれ伏し、続いて疑問を口にした。「ですが、その合い言葉は……?」
「毎朝、お前が俺のところへ来い。日替わりの合い言葉を教える。決して口外するな」
蘇然は心の中で腹を括っていた。(『バルス!』と問いかけて、黄巾軍が『目がぁー!』と返せるわけがない。もし返されたら、その時は降参だ!)
「それから、巡回警備には絶対に気を抜くな。徐州の何万という民の命がかかっているんだぞ!」蘇然は切々と語りかけた。
方悦は聞けば聞くほど胸を熱くした。(これは重用されている証だ!)彼は激しく頷いた。
多少の漏れはあるかもしれないが、これで準備は整った。あとは現場での臨機応変の対応次第だ。
(徐州の民のため、秀のため……この蘇然、お前たち黄巾軍と受けて立とうじゃないか!)




