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限界社畜のVR開拓記〜クビになったらVIP客が元職場を滅ぼした〜  作者: 伊達ジン


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第17話 ハッカー少女の侵入

 夜明けの澄んだ空気が、コバルトブルーの海を淡く照らし出していた。


 ログハウスの横に組まれた石のかまどでは、早朝からパチパチと薪が爆ぜる心地よい音が響いている。


 直樹は袖をまくり、無心で複数の調理工程を並行して進めていた。昨日、ベルが海から釣り上げた巨大な魚は、夕飯のアクアパッツァでヒロインたちの胃袋に消えた。だが、その魚の腹から取れた「恩恵」が、今朝の主役として出番を待っている。


 直樹はまず、かまどの一角で炭火を熾し、自家製の海苔を金網の上に乗せた。海岸の岩場で採取した海藻を細かく叩き、薄く漉いて天日で数日乾燥させたものだ。絶妙な遠火でさっと炙ると、パチッという微かな音と共に、濃密で香ばしい磯の香りが一気に立ち上った。


 次に、木製の器を取り出す。中に入っているのは、数日前からインベントリ内の温度と湿度を厳密に管理して大豆を発酵させた、自家製の納豆だ。表面を覆う白い菌糸ごと、箸でたっぷりと空気を含ませるようにかき混ぜると、力強い粘り気と共に芳醇な大豆の香りが立つ。そこに、すり鉢であたったばかりの和芥子と、出汁を効かせた特製の甘辛いタレを垂らしてさらに練り上げる。


 手際よく小鉢を並べていく。


 一つ目の小鉢には、島で採れた青菜を粗塩で揉んで水分を抜き、ツンと鼻を抜ける強烈な辛味を持つ自生の根菜のすりおろしと和えた『高菜のわさび漬け』。鮮やかな緑色が朝の光に映える。


 二つ目の小鉢には『おかか昆布』。出汁を取った後の厚手の昆布を細切りにし、醤油、酒、みりん、そして少量の砂糖を加え、汁気が完全になくなるまで小鍋でじっくりと煮詰めたものだ。最後に細かく削った鰹節をたっぷりとまぶすことで、旨味の結晶のような佃煮に仕上がっている。


 そして、メインの器。


 昨日ベルが釣り上げた魚の腹から取り出した、張り詰めた筋子。それをぬるま湯の中で薄皮を優しく取り除き、酒とみりんを煮立ててアルコールを飛ばした特製醤油ダレに一晩漬け込んでおいた『イクラ』だ。タレをたっぷりと吸い込んだ一粒一粒が、まるでルビーのように透き通り、光を反射して艶やかに輝いている。


 最後に、別の石鍋で厚削りの鰹節と昆布の合わせ出汁を温める。自家製の味噌を溶き入れ、波打ち際で採れたばかりの新鮮な生のモズクをたっぷりと放り込む。沸騰する直前の、一番磯の香りが立つ瞬間に火を止めた。


 土鍋の蓋を開けると、ふっくらと炊き上がった白飯から、甘い蒸気が立ち昇った。


 完璧な段取り。炎上プロジェクトのタスクを捌くのと同じ、一切の無駄を省いた流れるような動線だった。


「……ふわぁ。いい匂い」


 ログハウスの扉が開き、エミが目をこすりながら出てきた。初期装備のスウェット姿で、自慢の白い尻尾はまだ寝癖で少しボサボサになっている。


 続いて、白いワンピース姿のシルフィと、軽装の革鎧を羽織ったリヴィも縁側へと姿を現した。


 直樹は木のお盆に朝食のセットを並べ、縁側のテーブルに置いた。


「おはよう。今日は和食だ」


 お盆の上を見た瞬間、3人の動きがピタリと止まった。


 艶やかな白飯。モズクの磯の香りが漂う味噌汁。小鉢に盛られた納豆、わさび漬け、おかか昆布。そして、中央で圧倒的な存在感を放つ、山盛りのイクラと焼き海苔。


「な、なによこれ……朝からこんな豪勢な……」


 エミの狐耳がピンと立ち、尻尾が期待で左右に激しく揺れ始める。


「いただきます」


 シルフィがいち早く箸を取り、白飯の上にイクラをたっぷりと乗せ、その上から炙りたての海苔を巻いて口に運んだ。


「……っ!」


 シルフィの銀色の瞳が、限界まで見開かれた。


 プチッと弾けるイクラの濃厚な旨味と特製ダレの塩気が、炊き立ての白飯の甘味と完璧に融合する。そこに焼き海苔の香ばしさが加わり、脳の報酬系を直接殴りつけるような衝撃が走る。


「おいし……なにこれ、美味しすぎる……!」


 普段のエレガントな振る舞いはどこへやら、シルフィは無心で白飯をかき込み始めた。


「ずるい! 私も!」


 エミは納豆を白飯に乗せ、そこにおかか昆布を添えて頬張る。大豆の力強い風味とタレの旨味、そして昆布の佃煮が織りなす圧倒的な『ご飯泥棒』のコンボに、彼女は喉の奥で「くぅ〜っ!」と唸り声を上げた。


「……このモズクの味噌汁、身体の芯に染み渡るわね。わさび漬けの辛味も、絶妙なアクセントだわ」


 リヴィもまた、静かに、しかし確実なハイペースで小鉢の料理を平らげていく。


「ナオ、ご飯おかわり! イクラ大盛りで!」

「ちょっとエミ、イクラは私の分も残しておきなさい!」

「早い者勝ちよ!」


 朝から賑やかな領土争いを繰り広げる彼女たちを見下ろしながら、直樹は自分の分の味噌汁をゆっくりとすすった。自分が作ったものを、誰かが美味しそうに食べる。その光景は、直樹のすり減った心を確かに満たしていた。


★★★★★★★★★★★


 現実世界。深夜2時。


 薄暗い部屋の中で、複数の大型モニターが青白い光を放ち、一人の少女の顔を照らし出していた。


 水野亜紀、18歳。


 端正で人形のような顔立ちだが、その目元には長時間のモニター作業による明確なクマが刻まれている。着崩した高校の制服のまま、彼女はキーボードを叩くこともせず、手元のタブレットを気怠げにスワイプしていた。


「……本当に、世の中の人間はバグだらけ」


 亜紀の冷え切った呟きが、静かな部屋に落ちる。


 モニターに表示されているのは、とある中堅IT企業『ダークネス・システムズ』に関する膨大なデータ群だった。


 画面に次々と表示される、一介の企業に対する異常なまでの包囲網。労働局の立ち入り調査の記録、メインバンクの融資引き揚げ検討の内部文書、さらにはSNSでの巧妙な匂わせによる意図的な炎上の形跡。


「……これ、偶然じゃないわね。気持ち悪いほど完璧に統制が取れてる」


 警察庁サイバー犯罪対策課の特任顧問という裏の顔を持つ彼女の権限とハッキング技術をもってすれば、これらの事象の裏で複数の巨大な力が動いていることはすぐに読み取れた。


 誰が、何のためにこれほど大規模な圧力をかけているのか。


 亜紀はデータの海に潜り、トラフィックの交差点を探り当てた。


 中心にいたのは、ダークネス・システムズに所属する『杉本直樹』という、32歳のプロジェクトマネージャーだった。


「この男の周囲でだけ、異常なトラフィックが発生してる。……VRMMO『Arcadia Second』?」


 杉本直樹のダイブ履歴を追跡すると、彼は通常のプレイヤーが決して寄り付かない辺境の座標に、長期間にわたって常駐していることがわかった。しかもそのエリアは、外部からのアクセスや干渉を意図的に遮断するような、特殊なプライベートブロックがかけられている。


 大人たちはいつもそうだ。表向きは綺麗な顔をして、裏では汚いデータを隠し持ち、他人の人生をゲームのように弄ぶ。幼い頃からその天才的な頭脳を利用され、大人たちの醜悪な裏の顔ばかりを見せられてきた亜紀にとって、この「杉本直樹」という男もまた、何らかの特権を悪用して安全圏から他人を操作する「バグ」の一種にしか見えなかった。


「……面白そう。どんな裏の顔を隠してるのか、私が暴いてあげる」


 亜紀はタブレットを放り投げ、傍らにあった黒いVRヘッドギアを手に取った。


 システムの強固な座標制限など、彼女の特権IDと自作のクラッキングツールを使えば、紙切れを破るよりも容易い。


「リンク・スタート」


 冷たい電子音と共に、亜紀の意識はデジタルの海へと沈んでいった。


★★★★★★★★★★★


 VR世界。夜。


 昼間の賑やかさが嘘のように、辺境の島は静かな波の音と夜風の囁きに包まれていた。


 ヒロインたちはそれぞれのタスクに戻るためログアウトし、島には直樹一人だけが残っていた。


 直樹はログハウスの外で、かまどの残り火を木の枝でいじりながら、火の始末をしようとしていた。


 ジジッ……!!


 かまどの数メートル先の空間が、不自然な赤いノイズを発して歪んだ。


 通常のログインエフェクトではない。空間のテクスチャが強制的に引き裂かれ、ノイズの塊のような光の粒子が実体化していく。


 直樹は手に持っていた木の枝を下ろし、一切の動揺を見せずにその光景を静観した。


 やがて光が収まると、そこに一人の少女が立っていた。


 豪奢なフリルがあしらわれたゴシックロリータ風のドレス。頭上には黒いレースの日傘を差し、長い金髪が夜風に揺れている。現実の亜紀の面影を残しつつも、さらに幼くデフォルメされた、人形のように愛らしい吸血鬼のアバターだった。


『アリス』というプレイヤーネームが頭上に浮かんでいる。


「……あなたの隠した座標、丸見えだったわよ」


 アリスは日傘を肩に掛け、大人を小馬鹿にしたような、冷たく嘲る視線を直樹に向けた。


「こんなガバガバなセキュリティで、一人で安全な場所に隠れてるつもり? 政府のプロテクトより突破するのが簡単だったわ」


 アリスは男の反応を待った。自分の技術力に狼狽える姿か、不法侵入に対する怒りか。どちらにせよ、そこから相手の底の浅さを引きずり出すつもりだった。


 しかし。


 直樹は驚くことも、警戒することもなかった。


 ただ、彼女の幼いアバターを上から下まで一度だけ見分し、小さくため息をついた。


「……迷子か?」

「は?」


 アリスの表情が、予想外の反応に一瞬だけ強張る。


「こんな時間に起きてちゃダメだろ」

「え……?」

「夜更かしは体に悪い。さっさとログアウトして寝ろ」


 直樹はそれだけ言うと、アリスに無防備な背中を向け、再びかまどの火の始末に戻ってしまった。


 アリスは日傘の柄を握りしめたまま、その背中を呆然と見つめていた。波の音が一定のリズムで響く静かな夜の砂浜で、彼女の頭の中には処理しきれない疑問符だけが浮かんでいた。

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