3.パン職人のパンス
「ウハナさん、魔女様がご帰宅されるまでの間、この世界のことを説明しながら見て回りましょう」
窓の外を眺めていたウハナにセバスは声を掛けた。
セバスは魔女様にウハナを託された責任と、彼女から自分と同じ気配を感じ取っていたセバスは、ウハナにこの世界にきたことを後悔してほしくないと思っていた。自分が持てるものを惜しげもなくウハナに伝えていきたいと、新たな目標を立てた。
屋敷から延びる道を歩きながらウハナは魔女様からの宿題でもある、
【わからないこと、疑問に思ったことは必ず聞くこと、遠慮しないこと】を実践してみようと思い立ちセバスに質問をしてみた。
「不躾な質問ですが、セバスさんは何歳なのですか?」
「ここでの設定は35歳から40歳です」
「ここでの設定ですか?」
「はい。このボダエーマでは生前の後悔をなくすための意思行動をしますので、私の場合は執事として気力体力ともに充実していたのが35歳から40歳でした。ここではなりたい自分になれるのです」
「なりたい自分……なりたい自分……」
言葉を繰り返しながら少しの間考えてみたウハナだったが、自分について考え始めたばかりでなにも浮かぶものはなく、そんな自分に呆れながらもセバスと話をしているうちに何かを掴めそうな気がしていた。
「セバスさんの名前ですが、私の生前の世界では『執事と言えばセバスチャン』というイメージがありました。セバスさんの場合は生前の名前がセバスだったのでしょうか?」
「いえ、私の生前の名前は《バルフ》でした。このボダエーマでは、管轄者の魔女様に名を与えていただいて初めてこの世界に受け入れてもらえるのです。魔女様に付けていただいた正式名は《セバスチャン》だったのですが、魔女様にお願いをしてより親しみを込めて愛称の『セバス』で呼んでいただいております」
「もし名を与えられなかったらどうなるのですか?」
「魔女様から名を与えられない魂はこの世に存在を認められないので、消滅するか他の空間に移ることになります」
ウハナはボダエーマに連れてこられて間もないが、ここでの未来を描き始めていた。ボダエーマで自分探しをしたいと思い始めていたウハナは、自分の呼び名がまだ此岸の卯花のままだったことに気付いた瞬間から気持ちがざわつき始めた。これから魔女様に名を与えられるのか、それとも受け入れられないで消滅か他の空間に移動になるのか急に不安になって歩を止め俯いた。
セバスは歩みを止めたウハナをのぞき込むように眼を合わせ、優しい声で話しかけた。
「ウハナさんの場合は、魔女様のツインソウルである灯魄様から『ウハナをよろしく』と言付けがありましたので、その時点で名を与えられたも同義となっています。心配はいりませんので、ご安心を……」
ウハナを安心させるように言葉を紡ぐセバスの心遣いに、ウハナは心が温かくなるのを感じた。
「ありがとうございます。聞いてよかったです」
「それならばよかったです。では、歩きながら質問を受けましょう」
微笑みながら歩きだしたセバスに小走りに追いついたウハナは、この世界のことをもっと知りたいと思い質問を続けた。
「ここにはどのような方々がいるのでしょうか?」
「そうですね……今からお連れしようと思っているのがパン職人の《パンス》です」
「パン職人のパンスさん……ここにはパン屋があるのですか?」
「はい。この世界にあるパンは全てパンスが作っています。現在、パンの原材料である小麦を生産する者がボダエーマにはいないため、魔女様がサンマイエから買い付けをしています」
「いま魔女様が行っている世界ですね……なるほど。そもそも私たちは魂の存在だと思うのですが、食事や睡眠をとる必要はあるのですか? 先程からだいぶ歩いていますが、全然疲れないし喉も乾いた感じがしないのですが……」
ウハナは此岸では運動らしい運動をしていなかったので、今の調子で歩いていると間違いなく疲れが出て休憩が必要になるし喉も渇くはず……と思いながらセバスと歩いていた。
「お気づきでしたか……ええ、肉体はありませんので生命維持に必要な食事も休息も必要ありません。しかし魂は心とも言えますので、心が疲弊したり、心に大きな衝撃が加わると悪しきモノに変容することもありますので、心が充実していることが大切になります。いまウハナさんが疲れを感じていないのは、心が満たされていて元気な証です」
「……心が、元気……久々の感覚ですっかり忘れてました。心が満たされるって大切ですね!」
ウハナの心が軽くなるように弾み、思わずスキップしたくなる衝動に駆られていた。
「スキップしてもいいですよ……誰も見てませんのでね」
笑いをこらえるように悪戯気味に言うセバスは、少年のような笑みを浮かべていた。
「……はい!」
楽しそうにスキップをしているウハナの魂に、意志の力が芽生え始めていたのをセバスは目を細めて見守った。
しばらく歩いた先に、煙突から煙が立ち上っているログハウスが見えてきた。ログハウスに近づくにつれて辺りには香ばしい匂いが漂っていた。
「パンの香ばしい香りがします。あのログハウスがパンスさんのパン屋ですか?」
「はい。今日もたくさんパンを焼いているようですね」
「こんにちは」
セバスが声を掛けながら扉を開け、ウハナも一緒に屋内に入ったがそこには人気はなく、室内には作り付けの棚があり、その棚には数え切れないほどパンが並べられていた。
奥から「ちょっと待ってて~!」と元気な男性の声が聞こえてきた。
「あの元気な声の主がパンスさんです。釜からパンを取り出しているのでしょう。このまま少し待ちましょう」
セバスは慣れた様子で室内にある円テーブルの椅子に腰を下ろし、ウハナは棚に並べられたパンを見て回っていた。
「どれもおいしそうなパンですね。お腹がすいた感じがします。これも肉体の反応ではなく心の反応ですか?」
「はい、その通りです。ウハナさんの魂が美味しいパンを食べた時の幸福感を思い出しているのです。ですから実際に食べると心が満たされて元気になりますよ」
「このパンは買うことはできますか? ……あっ、この世界で買い物はどうしたらいいのでしょうか?大切なことを聞き忘れてました……」
シュン、とわかりやすく落ち込んだウハナに『この僅かな時間で素直に気持ちを表現できるようになりましたね』と保護者のような気持ちになったセバスは、
「私こそ大切な話をし忘れました。ちょうどいい機会ですので、この世での買い物事情を説明しましょう」
セバスが説明を始めようとした時、奥から湯気が立ち香ばしい香りを纏ったバケットをのせたトレーを運んできたパンスが顔を見せた。
「セバスさん、お待たせしました。バケットが上手く焼きあがりました。聞こえますか? このパチパチとなっている音が……あっ、今日は娘さんもご一緒なんですね」
「ええ、彼女はウハナです。これから彼女が来るかもしれないのでその時はよろしくお願いします」
「わかりました。ウハナさん、私はパン職人のパンスです。いつでもおいしいパンを作って待っていますよ」
「はっ、はじめまして、ウハナです。よろしくお願いします」
パンに気を取られて心の準備をする前に紹介され、慌てたウハナは名前を名乗るのが精一杯だった。
「今日もいい感じに仕上がりましたね。では魔女様にお持ちする分と、これから他の方のところに行く予定がありますのでお届けしますよ」
「セバスさん、いつもありがとうございます。ではお願いしてもいいですか? いやぁ、助かります!」
「お互い様ですので……ではこれで失礼します」
セバスは両手で抱えるような大きなバスケットをパンスから受け取ると、
「ウハナさん扉を開けてもらえますか?」と退室を促した。
ウハナは失礼しますとパンスに会釈をして扉を開けてセバスと一緒に外へ出た。
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