13.黒竜
「それくらいで良いだろう・・・もう目を開けていいわよ」
魔女様がウハナに声をかけたがウハナはまだ目を閉じたままだった。
「深層に入り込んだみたいね」
魔女様はウハナの眉間に軽く触れ『ウハナ、もう大丈夫よ。戻っておいで・・・』と魂に直接語りかけた。
『あっ、魔女様が呼んでいるわ……ここはふわふわと浮いているようで心地良かったのになぁ……でもそろそろ戻らないといけないみたい』
ウハナの意識が浮上すると、瞼の先に光を感じた。
ウハナがゆっくりと瞼を上げると、目の前には微笑む魔女様と目を丸くして驚いているピストスがいた。
「おかえりなさい。ずいぶんと深いところまで意識を運んでいたのね」
魔女様は「フラスコを預かるわ」と言いながらウハナの手に包まれている水晶のフラスコを受け取り、そのままピストスに手渡した。
「この水で苗を育ててみて・・・また様子を見に来るわ」
ピストスは魔女様に目礼すると水晶のフラスコと苗を携えて奥の部屋へと姿を消した。
「これで仕込みは終わり。後はヴェルカーとピストスに頑張ってもらって、私たちは屋敷に帰ってゆっくりしましょう」
魔女様は主が不在の部屋を後にしてウハナと一緒に屋敷へ戻った。
魔女様とウハナが屋敷に戻るとセバスは二人の帰りをエントランスで出迎えた。
「おかえりなさいませ。パンスに手紙を届けてパンを預かってきました」
魔女様は積まれた沢山のパンを確認しながら、
「サンマイエにある孤児院にこのパンを届けながら、クラルスの様子を見てくるわ。しばらく留守にするから、ウハナはセバスと一緒に留守番しててね」
魔女様は言い終わると“パチン”と指を鳴らして積まれたパンと共に姿を消した。
サンマイエの北の果ての山脈に着いた魔女様は黒い塊に優しく触れていた。
『もう少しだ・・・待っていてくれ』
その黒い塊は己に近づく気配から黒髪の少女がまた来たのだと察したが、身動ぎもせず、ただじっと時が過ぎるのを待った。
―― 待つのには慣れている。
私の願いは《 静かに眠りたい 》
―― ただそれだけなのに・・・難しいことなのだろうか?
誕生の前から他の竜よりもエネルギーが強く、肉体に魂が宿った瞬間から竜たちが未だ見ぬ黒竜に恐れ慄いていたと、古の竜が教えてくれた。
その古の竜もすでにこの世を去っている・・・羨ましいと思う。
周りの竜たちは私を忌み嫌い、恐れるあまり私を放って置いてくれなかった・・・。
恐れるなら近づかなければいいのに・・・と、いつも思っていた。
矛盾だらけの日々に嫌気をさし、北の果ての山脈の奥の奥、天に一番近い山頂に身を隠した。
『ここなら誰も近づかないだろう』そう思っていたのに、次から次へと厄介ごとが降りかかってきた。
掃っても掃っても湧いてくる竜族とは異なる彼らが山を登って来るたびに『何がしたいのだろう?』と毎回不思議だった。
『わざわざ命を落としに来るとは不思議な生き物だなぁ』と思っていた。
ある日、不思議な魔力を帯びた剣を携えた一団が山頂にやってきた。
『この気持ち悪い魔力みたいなのは何だろう』と興味を持ったのがいけなかった。
いつものように束になって襲い掛って来る彼らを腕や尾で薙ぎ払いながら、ふと感じた不思議な魔力に近づきすぎた。
『憎き黒竜。我が剣の錆となれ!』
『何を意味の分からないことを言っているのだろう? 彼らとは初対面なはず・・・私はここで静かに眠っていただけなのに・・・』
『鬱陶しいなぁ。あっちに行け!!!』と腕を振り下ろした。
指先に剣が掠ったような感じがした・・・刹那、指先の傷口から黒い靄が立ち上り、ガクンと全身の力が抜けて前のめりに身体が地面へ崩れ落ちた。
体の下でグッシャっと何かがつぶれたような音がしたが、思考に霞がかかり意識が朦朧とするなか、頭を振って何とか寝床に辿り着いた。
ほんのちょっとのかすり傷のはずが、いつまで経っても傷は治る気配を見せずにいた。
生気もなく、だからと言って死ねるわけでもなく寝床で鬱々とした日々を過ごしていた。
『このまま朽ちることも許されず、だからと言って傷が治る様子もなく・・・私は何か罰を受けるような酷いことをしたのだろうか?・・・』
悶々と自問自答を繰り返していたある日、黒いフードを目深にかぶった何モノかが私の目の前に姿を現した。
『この気配は人間ではない。あぁ、ようやく死神様が迎えに来てくれた』と喜んだのもつかの間、そのモノはフードを取り紫黒の瞳でじっと私を視て呟いた。
『あなたはどうしたい?』
『・・・えっ? 貴女は私を迎えにきてくれた死神様ではないの?』
『もう一度聞くわ。あなたはどうしたい?』
『どうしたい?・・・私は《 静かに眠りたい 》』
『わかったわ。今あなたを苦しめているその呪いの責任の一端は私にもある。そして同じように悔いている者がいる。先ずは傷を癒す。その後にあなたの願いを叶えましょう』
そう言い残して黒髪の少女は静かに姿を消した。
『今のは幻覚か?・・・』考えるのも億劫になり目を閉じた。
どれくらい時が経ったのだろうか、また黒髪の少女がやって来た。
『傷口を見せて・・・』
少女は指先の傷口を眺めながらぶつぶつと独り言を呟いていた。
『敵意や恐れ、悪意を向けられないのは古の竜以来初めてかもしれない・・・』
そう思いながら、黙って少女のやりたいようにやらせた。
少女は来るたびにいろいろなことを私に教えてくれた。
—— 不完全な呪いを受けたことで《 状態異常 》になっていること。
—— 解呪には特殊な道具と薬が必要で、材料の調達と研究をすすめている最中であること。
—— 黒い竜はこの世界では神に等しく、【敬われる】か【畏怖の念を抱かれる】存在であること。
竜種の中でも存在そのものが伝説になっているのが黒竜である。
黒竜は災厄をもたらす悪の権現と人々の中で代々語り継がれている。
—— 黒竜の鱗は貴重な素材であること。
私が生を受けてからしばらく過ごした竜の住まう森の奥の奥・・・成長過程で剥がれ落ちた黒竜の鱗を、森の奥深くに迷い込んだ狩人がたまたま見つけて拾い上げ、黒竜の鱗とは知らずに持ち帰った。
狩人は街に戻り知り合いの商人に見せたところ、
『これは黒竜の鱗で誰もが欲しがる稀少なもの。強大な魔力を内包している素材であり、闇市場では高値で取引されている。この鱗が見つかったということは黒竜がいる証でもあり国に報告する義務がある』
これを聞いた狩人は欲を出し、商人を通じて闇市場に鱗を流した。
狩人は再び竜の森を訪れて黒竜の鱗を探したが見つからず、後に闇市場に黒竜の鱗を流したことが国にばれて商人と狩人は投獄された。
人々は『狩人と商人は【黒竜の呪い】で正気を失い惑わされた被害者である』と噂した。
私は唖然とした。
私は好き好んで黒竜に生まれたわけではない。
私は力を求めてなんていない・・・それなのに、生まれる前から忌み嫌われ恐れられ、私の知らないところで、私の存在だけが一人歩きしている。
当事者ですらない私は一体何モノなのだろうか?
何とも理不尽・・・私は鼻息荒く憤った。
黒髪の少女は紫黒の瞳を私に向けて、微笑みながら私に言った。
「竜の森に居続ける・・・それがあなたのお役目なのよ」
『竜の森には黒竜が居る。決して近づいてはならない』
それ自体が抑止力になる。
本当に災厄をもたらすのか、悪しき存在なのかはどうでもいい。
存在そのものに価値がある。
【必要悪】
それがあなたの【宿命】であり存在意義なのよ・・・と。




