13 定期考査
定期考査が近づくと、寮の空気は勉強一色に変わった。ロビーでも食堂でも廊下でも、学生たちはピリピリとした気配を漂わせている。
仲間で一緒に勉強しようとしても、自習室はいつも予約でいっぱいだ。予約が取れなかった学生らは、食堂のテーブルに集まって頭を突き合せる。おかげで時間外だというのに席はほぼ満席状態だ。
マユたちも教科書を手に食堂に集まり、それぞれ得意科目を教え、苦手科目を教わって、問題を解いている。
「魔力操作は実技試験だから余裕だよね」
「魔力属性の試験も実技だっけ?」
「レポートだよ。エリカ、書けてる?」
「あぁー、忘れてたぁ……」
エリカが頭を抱えている。彼女の悲鳴に周囲の生徒たちが驚いて振り返った。レポート、と誰かがつぶやき、同じように頭を抱えてテーブルに突っ伏している。魔力属性のレポート提出期限は前期終了まで。試験が終わっても二日の猶予がある。エリカはその二日でなんとかすると決め、苦手とする言語学の教科書を開いた。
「言語学は筆記だけだから何とかなりそうだな」
音読の試験をされたら落第点確実だとセオドアがぼやくと、エリカは優等生め、と恨めしげに目を細めた。
「どっちも何ともならない気がする……諦めたよ、あたし数学と物理は諦めた!」
「俺は言語学、諦める」
「どっちも諦めるのはやくない?」
実技にすべてを賭けるのだと、エリカとオッジが意気投合している。しかし実技練習もままならない状況だった。
「実習室が空いてない……実技練習、どうしよう」
予約状況を確認したマユは真っ青だ。六室ある実習室のすべての席が予約済なのだ。なんとか確保できているのはいつも使っている星の日の五限目だけ。試験までに練習できる日は一回しかない。
「攻撃魔術の練習は運動室でしかできないのに、予約がとれないよぉ」
マユの嘆きにエリカが「あたしも」と半泣きで頷く。もっとも生徒数の多いのが攻撃魔術科だ。練習用の的は数が限られており、調合や工作の実習室よりも確保が難しい状況らしい。セオドアとオッジも確保できた枠はそれぞれ一限だけだった。
「専科の授業で集中するしかないかなぁ」
「授業だと、撃てる回数が限られてるんだよね。失敗できないって慎重にしてると、今度は時間が足りなくなるし」
「狙いを定める練習だけなら自室でもできるから、俺はそれをやってるよ」
セオドアは部屋の壁に目印を張りつけて自主練に励んでいるそうだ。それは良さそうだとエリカとオッジも早速真似をすると決めた。
マユもどこまでなら自室で実技訓練ができるかを考える。
「魔力を注ぐ手前までなら部屋でできるかな?」
薬草を刻み、糸瓜の水に馴染ませ、薬効を抽出する作業は、魔力をつかわなくても可能だ。水に溶け出る薬効分量を把握するのは、本番での薬草の適量を見極める練習にはもってこいだ。
「けど薬草が無駄になっちゃうのがなぁ」
一度調合に使いはじめた薬草も、薬効の含まれた糸瓜の水も劣化が激しく、保存はできない。魔力を注げば十日程度は保存可能だが、実習室以外での調合は禁止されている。次の機会に使い回しとはゆかない。
実技試験で作るのは、体力回復薬と魔力の回復薬だ。どちらも基礎の基礎であり、薬草も手に入りやすいので練習自体はいくらでもできるが、採取にゆけはいくらでも手に入る薬草であっても無駄にしたくはない。
「……魔力操作の練習するしかなさそう」
すべての魔術は魔力への理解と親和度に影響されると魔術理論で教わった。魔力操作の技術を高め、属性魔力を正確に操れるようになれば、錬金薬の調合制精度も上がるはずだ。
「やっぱりソレしかないよね」
「うん、属性魔力を鍛えて、攻撃魔術の威力をあげるしかなさそうだ。俺は自主練を魔力操作に絞るよ」
エリカもセオドアも、運動場の予約枠が一つも確保できなかったオッジも、魔力操作の自主練に励み、実技試験は本番一発勝負の覚悟を決めたようだ。
「じゃあ魔術理論の教科書をおさらいしようか。操作技術のコツが書いてあるかもよ」
マユに促されると、エリカは素直に魔術理論の教科書を開いた。文字を追いかける目がいつもより真剣だ。それにつられるようにオッジも真面目な顔つきで教科書を読みはじめる。言語学の教科書をめくるセオドアは、やっと静かになったとでもいうように肩をすくめた。
そんなふうに休み時間や放課後は、皆で集まって勉強会。夜は自室で魔力操作の自主訓練。学校が休みの闇の日は、朝から晩までずっと食堂のテーブルを占拠して、食事以外はひたすら勉強。
そうして迎えた七月二十日、まずは言語学の試験がはじまった。
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解答用紙として配られるのは魔紙だ。正式には飛翔魔紙といって、添削を担当する教員魔術師の魔力で染め上げた魔道具の紙である。
試験問題は前方の教卓上に映し出される。問題を解いた生徒は魔紙に回答を書くのだ。すべての問題を解き終え提出できると判断すれば魔紙に魔力を注ぎ込む。すると魔力を反発する性質を利用して、添削担当教員のもとに解答用紙が飛んでゆくのだ。
教室正面の壁に、言語学の試験問題が映し出された。設問はわずか三つだ。
一問目は古代魔術言語で書かれた文章を翻訳せよというもの。二問目は大陸公用語で書かれた文章を古代魔術語で書け。そして三問目は古代魔術言語での短い作文だ。テーマは「魔術」。
わずか三問と知って安堵した生徒たちは、設問を読んで焦った。時間内に終わる気がしない、と。
ザワザワと乱れた空気に活を入れるように、監督教師が手を叩いた。
冷静さを取り戻した生徒たちは、必死に設問を読み、探るように回答を下書きしてゆく。
一問目と二問目を読んだマユは、驚きに小さく瞬いた。一問目の答えが二問目に書かれているのだ。そして二問目の答えは一問目に。教師の遊びだろうか。ひとまず解答用紙に書き込んだ。
三問目は難関だ。小作文だが、あまりにもテーマが広すぎる。このような小さな紙面に書き切れるだろうかと悩んでいて、気づいた。これは言語学の試験なのだから、おそらくは古代魔術言語さえ使えていれば、内容が評価されることはない。そう思うと気が楽になった。
マユの指がゆっくりとペンを走らせる。
書き終えた小作文を三度見返してから、マユは解答用紙に魔力を流した。ふわりと宙に舞い上がった魔紙が、風に煽られた木の葉のように捻れて消える。
ざわり、と教室の空気が震えた。
よそ見をすれば不正を疑われる、そうわかっていても、あまりにも早く最初の解答用紙が提出されるのを、多くの生徒は驚きと焦りに見ずにはいられなかったようだ。
トントン。
監督教員の指が机を叩いた。
我に返った生徒たちが解答用紙に向かい直す。
解答用紙の提出が終われば、次の試験科目の勉強をしてもかまわないと説明されている。マユは魔力理論の教科書を開き、前期の復習をはじめた。
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初日は言語学、魔術理論、薬草学の筆記試験が行われた。
魔術理論には少し手こずったがなんとか全問を回答した。薬草学は基礎を確認する問題ばかりで難しくはなかったが、いかんせん問題量が多過ぎた。時間内になんとか最後まで回答しきったが、見返す時間はとれなかった。
「……薬草学、ダメかも」
ため息とともに吐き出したマユの言葉を聞いて、エリカが顔を引きつらせた。
「マユがダメっていうなら、あたしはもっとダメダメだよ」
「俺、魔術理論、全部埋められなかった……」
エリカはテーブルに突っ伏し、オッジも肩を落しうなだれている。セオドアだけがマユに確認を求めるように問いかけた。
「なあ言語学の一問目と二問目って」
「あ、気づいた?」
「やっぱりそうだったのか! くそぉ、失敗したなぁ」
教科書を握りしめて悔しがるセオドアを見て、エリカとオッジが不思議そうに顔を上げる。
「言語学? セオドア、得意じゃなかった?」
「得意だけど、引っかかったんだよ。一問目の答えは二問目の例文、二問目の答えが一問目の例文だったんだ」
「……そーなの?」
「そんなの、どうやって気づくのよ?」
「何かおかしいなって気づいたのは提出した後だったから、どうしようもないけどな」
「いや、それだけ分かってたらそこそこの点数取れてるだろ」
「あたしなんて、いくつかの単語を訳すので精一杯だったよ」
最後の作文なんて覚えている単語を羅列しただけで終わったと言うエリカに、俺もとオッジが何度も頷いて同意する。
「終わった試験のことは置いといて、明日の対策しない?」
マユは三冊の教科書をテーブルに出した。二日目は数学・物理と身体学、魔力属性の実技試験がある。エリカたちよりも教科が多く、しかも最も難解な身体学もあるのだ。
「私は身体学に集中させてもらっていいかな?」
「ああ、数学・物理はこっちでやっておくよ。身体学は俺たちじゃどうにもならないし」
「そっか、マユは受講科目が多いから試験も多いんだっけ……あいつに教わるのは嫌だよねぇ?」
嫌そうに顔をしかめるエリカに、マユは苦笑いで頷く。治療魔術科のグリーズは優秀だが、成績よりも発言や態度に掴み所がなくて不気味な存在だ。マユへのつきまといも目的が分からず気味が悪い。いくら成績優秀であっても、試験勉強に行き詰まっていても、頼りたいとは思えなかった。
「何とかなるよ、大丈夫」
マユはなんとか笑顔を作った。治療魔術科の学生は、全員が師匠持ちだ。グリーズにいたってはヘル・ヘルタントですでに魔術師資格を得ているという。彼らの基準に合わせた試験なのだから、週に一限しか従業を受けていないマユが敵うはずがない。精一杯挑むだけだ。
試験二日目、数学・物理は全問を一度見直す余裕がマユにはあった。しかし続いた身体学の試験では、なんとか全問に回答したが、それで時間が終了してしまい見直しはできなかった。
最後の魔力属性の実技は個別試験だ。控え室で待機するマユは、提出用のレポートを読み返していた。誤字が見つからずほっとしていると名を呼ばれる。
「レポートの提出はできますか?」
試験担当教員にたずねられ、用意していたレポートを渡した。受領票を受け取り、魔石の置かれた席につく。
「マユは全属性でしたね。では順番に行いましょう。この魔石から指定する属性魔力だけを抽出して、こちらの空魔石に移してください。最初は水魔力を」
魔石は複雑な色をしていた。まるで複数の魔力を無理やり詰め込んだような、濁ってキレイとは言いがたい色味だ。
マユは魔石を右手で包んだ。濁った魔力に触れると、気持ちが悪くなる。急いで水属性の魔力を引き上げようとしたが、他の属性魔力との混ざり具合が深くて、思うように分けられない。不快感に耐えながら、なんとか水属性の魔力だけを選び出して、左手で触れた空魔石へと流し込んだ。同じ作業を四回も繰り返した後の疲労感は大きく、手足の震えがおさまらない。
「椅子に座って休んでいなさい」
教師に促されて倒れ込むように椅子に腰を下ろした。座面がふんわりとあたたかい。頭の奥がキーンとする痛みは、魔力切れが近づいたときと似た症状だ。実技試験で錬金薬の服用は認められていない。まだ実技試験が残っているとしたら、マユは続けられそうになかった。
落第するのだろうか。そんな不安とともに顔を上げると、教師は属性の色に染まった魔石を凝視していた。魔石の査定をするギルド職員のようだなと思っていると、教師と目が合った。教師はマユの不安を見抜いたのか、安心させるようにほほ笑む。
「魔力属性の実技試験はこれで終了です。立てますか? 歩けるようでしたら退出してもかまいませんよ」
いつの間にか手足の震えも、頭の奥の痛みも消えていた。座面から伝わるやさしい熱が全身を包んでいる。どうやらこの椅子には魔力回復の魔術陣が仕込まれているらしい。
「……大丈夫そうです」
「では明日に備えて、ゆっくり休んで下さい」
寮に戻ると、エリカたちも疲れ切った様子で集まっていた。
「疲れたぁ」
「頭がぼーっとしてる」
「これじゃ明日の予習なんて、無理だよ」
明日の筆記は一科目だけだが、実技試験もある。勉強は諦めて早々に就寝したほうが良さそうだ。
「エラム草の薬草茶、ほんの少しだけ魔力回復の効果があるんだけど、飲む?」
「「「飲む!」」」
夕食後、三人に一回分の茶葉をわけた。
三日目の試験は、魔力操作の筆記と実技だ。筆記試験は問題数も少ないし、内容も難しくはなかったので、三回見直して早めに提出した。
実技は三人一組で行われた。
床に描かれた正三角の一辺に立って、三人が向かい合う。中心点に置かれているのは夜鳥の羽だ。
「三人で協力し、魔力でその羽を天井まで持ち上げなさい」
マユが一緒に試験を受けるのは、薬魔術科のダンと魔道具科のユーリだ。
「はじめ」
試験官の声に、まずダンが風属性の魔力を撃った。風で羽を飛ばすつもりであったが、何故か羽は床から動かない。続いてユーリが床に石礫を作り、それで羽を弾こうとしたがそよとも動かない。最後にマユが水で流そうとしたが、羽は濡れさえしなかった。
「協力ってことは、三人同時かもな」
「やってみるか」
「……わかった」
ダンの合図で同時に属性魔力を放ったがダメだった。羽はわずかに持ち上がったが、それぞれの魔力が作り出した物体が邪魔をしあって天井まで持ち上がらない。
「あの、魔力で作ったものじゃなくて、魔力そのものでやってみませんか?」
マユの提案に顔を見合わせたダンとユーリは、少し考えて頷いた。
やはりダンの合図で同時に魔力を放出させた。
ふわりと、夜鳥の羽が宙に浮く。
すぐに床に落ちてしまいそうになり、マユは慌てて魔力を追加する。
羽は浮き上がるが、床すれすれの位置で上下を繰り返している。
どうすれば羽の動きが安定するのだろう。
じっと魔力を観察し、ふと気づいた。
「……均衡、かな?」
マユには羽を持ち上げようとする三種類の魔力とその量が見えていた。
ユーリの土の魔力が最も少なく、ダンの風魔力はその倍だろうか。そしてマユの魔力はもっとも多い。
ためしにと、マユは放出する魔力量をユーリに合わせてみた。すると羽は、ととと、と階段を上るように天井に近づく。
「ユーリはそのままで、ダンは一呼吸分だけ魔力を抑えて」
「はぁ? 何言ってんだよ」
むっとしたダンの魔力が乱れ、羽が二段ほど落ちた。
「羽に触れる三人の魔力量を均等にするんです。たぶんそれで、天井に届きます」
「……呼吸一つ分ね」
ダンは半信半疑ながらも、ゆるゆると放出量を下げていった。
「そこです、そのまま」
マユの合図の直後だ、夜鳥の羽が見えざる手に持ち上げられるように天井に到達していた。




