10 再会
魔術学校の教師は魔法使いギルドの職員も兼ねている。基本は教職を優先させるが、どうしても他者では難しい仕事が入ると、授業を休講にするしかない。
昼休み後の三限目にある語学の授業が急遽休みになったため、エリカとセオドアは攻撃魔術科の学友とともに、実技訓練場に向かった。錬金、薬魔術、そして魔道具科の生徒は先を争って実習室の空きを確保しに教室を急いで出て行く。
マユはその流れに逆行し階段を上る。彼女が差し迫って必要としているのは、調合技術ではなく、身体学の知識である。週に一コマの授業では理解が深められずに焦っていたところだ。明日の授業を控えてちょうど良い予習の時間ができたのだ、時間を有効活用すべく図書室へと急いだ。
図書室に人の姿はまばらで、自習用のテーブルも、読書用の机も多くの空きがあった。
ゆっくり読めそうなこの機会にと、ジェイムズから教わった本の所在を司書にたずねる。利用頻度の少ない本だったのか、すぐに用意できるか分からないそうだ。
「調べておきますので、帰る前に声をかけてください」
大きな読書机が空いていたので、マユはそこで身体学の教科書を広げた。先週習った部分を再読し、明日の授業で説明されるであろう項にすすむ。読んだだけで理解できるわけはなく、マユは何度か辞書や参考文献を探しに席を離れた。
「やあ、偶然だね」
三度目、あるいは四度目に席を外したときだったろうか。資料を手に戻ってきたマユは、隣の椅子に座る級友に声をかけられて顔が歪んだ。
「グリーズ……何してるの?」
「図書室ですることなんて限られてるだろ」
「……だったら、本を開くくらいしたら?」
治療魔術科の留学生の前には、本もなければ紙も筆記用具もない。
彼はマユの持つ本の表題を読み取ると、ニマニマとした笑みを向け、頑張っているねと頷く。まるで幼い子供にするようなその態度が不快だった。
彼は確かに三歳年上であるし、母国ではすでに魔術師資格を得ている。まだひよっこのマユを下に見るのも仕方がないことではある。だが留学生として魔術学校に在籍している間は同級生、同じ生徒なのだ。見下されたくはない。
グリーズを無視して資料を開き、教科書の補足となる項目を探してめくる。頁をあちこち移動しつつ目的の記述を見つけて書き写し、教科書に戻って予習を続けた。
その間、彼はマユの無視を面白がるように座っているだけだ。
「……優秀だけど、可愛げがないね」
刺をまとった声色の、ぼそりとした呟きが耳に届いた。
気に入らないなら近づかなければいいのに、何故かグリーズは頻繁にマユに話しかける。それも一人でいたり、授業中のような逃げられないときを狙ってだ。一挙一動を観察されている。教師に「授業を聞け」と叱られたくらいだ。
マユは反応しないように表情筋を引き締め、聞こえていない様子でペンを動かし続ける。彼の言葉は聞かせるためのものなら意地が悪いし、そうでなければ聞こえなかったことにしたほうがいい。取り合うのは神経を磨り減らすだけだ。
ため息を吐きたいのを呑み込んで、教科書に集中しようとした。だが珍獣を見物するように間近で見られていては、予習の内容が頭に入ってこない。
何が彼の興味を引きつけてしまったのか、マユにはさっぱり分からなかった。
隣でニヤニヤとするグリーズが邪魔だ。気が散ってしかたがない。このまま図書室で予習を続けるのは無理そうだ。
教科書を閉じ、書き写した資料をまとめて片付ける。
「あれ、もういいのかい?」
「……これから、エリカとの約束があるから」
嘘だが、運動場まで行けばエリカもセオドアもいるし、グリーズが苦手にしているディアーナもいるだろう。
手早く荷物を片付けて図書室を出ようとした。
「ああ、マユ、先ほどの本ですが」
「あ……はい」
司書に呼び止められるまで、問い合わせたことをすっかり忘れていた。
「悪いのだけれど、どの本も貸し出し禁止だったの。図書室内で閲覧なら可能だけれど、もう出るのよね?」
「はい……また今度にします」
司書に頭を下げるマユに、またしてもグリーズが声をかけた。
「俺、その本、持ってるよ」
ニコニコと楽しそうな彼は、マユが問い合わせた三冊の全てを保有していると言った。
「師匠に譲ってもらったんだ。読みたいんだよね、貸そうか?」
否と答える前に、司書が「それはいいね」とマユに友人に感謝するようにと促した。
無言で図書室を出たとたん、マユの表情が露骨に歪む。
「……何が目的?」
「なんでそんなに警戒するかな。俺はさ、母国の治療魔術師の向上心のなさに嫌気が差してこっちに来てるんだ。貪欲な子を応援したいだけだよ」
「……応援するのとつきまとうのは別ものだと思うけど」
「そりゃマユは話しかけても返事してくれないし、何を必要としてるのか知るには、近くで見てないとダメでしょ」
「ダメじゃないです」
「よかった、じゃあ次は何処行く?」
「ち、違う! 近くで見るのがダメって意味で、つきまといはダメです!」
「遠慮しなくていいのに」
やっぱり無視していれば良かった。グリーズとはまともな会話が成立しないのだ、話しかけたり返事をすればこちらが一方的に疲れるだけだ。
ニコニコと無邪気な笑顔でついてくるグリーズが不気味でならなかった。
マユは可能な限りの早足で図書室とは対面にある運動室に向かう。
真っ青な顔で逃げ込んだマユを最初に見つけたのはセオドアだ。攻撃魔術の練習を止めた彼に続いてエリカが気づき、その表情とくっついてきた留学生を見て、慌ててマユに駆け寄った。
「待ってたんだよ、マユ」
エリカがさも前々からの約束があったかのように声をかけ、グリーズを牽制する。阻むように動くエリカに隠れて、マユはやっと体の力を抜いた。ありがとう、とエリカにだけ聞こえるように礼を言う。
「それで、あんたはここに何の用が?」
「そんなに睨まないで欲しいんだけど。マユに本を貸すって話してただけなんだよ」
「借りるとは言ってません」
「俺は何度も読んだやつだから、返却は急がなくていいよ。夕食のときに持っていくから、食堂でね」
「借りるって言ってない」
「いい加減にしなよ、マユが嫌がってるじゃない」
「でもどうしても読みたい本なんだろ? 図書室で貸し出ししてない貴重な文献をじっくり読むチャンスだよ?」
「ぐぅ……」
観察しているだけ、と言うだけあって、グリーズはマユの性格も弱みもしっかり把握していた。誘惑に負けそうなギリギリを的確に突いてくる。
「……対価に、何を払えばいいですか?」
「俺としては友情の証しのつもりなんだけどなぁ」
「無料ほど高い物ものは存在しないし、グリーズの友情は面倒くさそうだからいらない」
「酷い」
「自業自得でしょ」
エリカが攻撃魔術の訓練を理由に退室を要求するが、グリーズは粘った。マユが見学するのなら自分も、と動こうとしない。
グリーズだけを追い出す理由はないかと考えこむエリカに代わって、ディアーナが割って入った。
「マユは見学ではなく、訓練だよ」
「彼女は薬魔術科だろう?」
「攻撃魔術ではなく、私と攻撃術の個人練習を約束している」
魔術騎士を目指すディアーナは、他の学生らとは明らかに鍛え方の違う体つきをしている。優れた武人のような身のこなしを見ていると、同級生の男子では相手にならないという信頼感が湧いてくる。
「攻撃術?」
「マユはまだ攻撃手段を持っていないだろう? 身を守るための攻撃術が必要だと思わないかい?」
当てこすりに気づいたグリーズは、不愉快そうに顔をしかめた。
本気かと問いような視線を向けられたマユは、グリーズを無視してディアーナの手を取る。
「よろしくお願いしますっ!!」
必死すぎるマユの様子を見て、引き時だと判断したのか、グリーズはそれ以上粘ることなく去って行った。
「ありがとう、ディアーナ。助かった」
「面倒なのに気に入られたね」
同じ身体学の授業をとっている彼女は、グリーズの厄介さをよく知っている。嫌、が通用しないのだ。おそらく彼は貴族だろう。それも否を理解しない高位貴族だろうとディアーナは想像していた。
「どうする? 攻撃術の練習をするか?」
「します」
即答だった。
後期の魔力操作で攻撃魔術の基本を教わるが、それまではディアーナの言うとおり、マユには身を守る手段がない。水魔力を使って攻撃もできるが、それは魔力枯渇の危険もあるため、そうそう頻繁には使えない。
言葉が通じない相手から、確実に逃げるための技術は是非とも身につけておきたかった。
「その攻撃術って言うの、剣術? 体術?」
エリカも興味を持った。
冒険者は日常でも武器を持ち歩くが、街中での抜刀は禁止されている。どのような理由であっても、たとえ解体用ナイフであっても、先に抜いたほうの罪が重くなる。
同様に、街中での攻撃魔術は厳禁だ。魔力による特性攻撃であっても罪に問われてしまう。
魔術学校の制服は、魔法使いギルドの庇護下にあると示すものだが、同時に魔力が豊富で優秀な者の証明でもある。さまざまな思惑で掠われる危険もあるのだ。
「体術に近いよ。武器を持ってる相手に捕まったときの逃げ方とか、羽交い締めにされたときのすり抜け方とか、追ってこられないようにどこを蹴るかとか。護衛騎士を必要とする人が身につけるもので、街中での危険から身を守る方法だ」
説明を聞いてエリカも習うと決めた。マユと二人で、放課後や空き時間に少しずつ身につけてゆくつもりだ。
「マユ、エリカがいないときは私のところに逃げておいで。一緒にいる間はグリーズも近寄ってこないだろうからね」
「ありがとう、ディアーナ」
週に一コマだけの身体学授業も、彼女がいればなんとか勉強に集中できそうだとほっとした。
お礼は何が良いかとたずねると、いらないのにと苦笑いしつつも、彼女はマユの討伐に同行したいと言った。
「二年の間に護衛技術が鈍りそうで不安なんだ。たまにでいいから、マユたちが街を歩くときや採取をするときに、護衛の練習をさせてもらえたら助かる」
そんなことで良いのならと、さっそく次の闇の日の学費稼ぎに同行してもらうことになった。
+
魔法使いギルドで薬草の買取価格を書き写してから、薬草採取ははじめてだというディアーナに説明しながら、五人で北の街門へ向かう。
「冒険者が多いのは南の森だと聞いていたが」
「俺たちは北の森を中心にしてるかな」
「南は街から遠いし、強い魔物がいるせいで討伐冒険者が多いんだ」
距離はともかく、討伐冒険者が多くて何が悪いのかとディアーナは首を傾げる。
「魔物の取り合いが熾烈なんだ。冒険者は薬草の生息地でも平気で踏み荒らして狩るからね」
「ああ、薬草か」
薬草を稼ぎ柱としているマユには向かないし、討伐冒険者のような武器や戦う技術を持たないエリカたちには、北の森がちょうどなのだ。
話しているうちにいつもの森に辿り着いた。今日は留学生対策で疲弊したマユの慰労をかねて、薬草採取を中心に活動する。
マユとオッジが採取する間、エリカとセオドアは護衛を兼ねて魔獣を狩る。
「すごいね、本気を出したマユの採取は、ベテラン薬草冒険者のようだ」
「六年もやってれば誰でもこれくらいにはなるよ」
「待って、マユは十二歳だろう? 六歳からずっと? 少し働き過ぎではないか?」
ディアーナは驚くが、貧民出身のエリカにも孤児のマユにも、当たり前の日常だ。二人が声を揃えてそういうと、彼女は信じられないと頭を振った。
「聞いてもいいだろうか? マユは、どうして特待生を辞退したのだ?」
マユの環境を知れば知るほど、学費免除の辞退はありえないと思えるのだ。
「……できれば、聞かないで。思い出したくないし、今さらどうにもならないことだし」
「そうか、思い出させてごめん。でも、マユの事情がわからないからこそ、グリーズはよけいに興味を持つんじゃないかと思うんだ」
秘密や隠し事があれば、普通は気になるものだ。ましてや興味を持った相手に自分の知らない秘密があるとなれば、なおさら知りたくなる。それが人である。
「ぐ、グリーズに知られるのだけは、嫌だなぁ……」
馬鹿にされそうだ。粟立った肌を撫でながら、マユは絶対に秘密を守り通そうと決める。
そんな話をしているうちに薬草がたんまり採取できた。達成感で心も軽くなって大満足だ。
魔法使いギルドに全部売るのかと問われ頷くと、エリカが「この前ブレナンさんが、薬草が足りないって愚痴ってたよ」と教えた。
「薬草不足で錬金薬が品薄になると冒険者が困るから、今なら高く買い取ってもらえると思うよ」
自分で消費する分を確保すれば、納品できる薬草の量は減る。収入まで減らないように、最近では買取価格の高い魔法使いギルドでばかり売却していた。しかし冒険者が錬金薬不足で困っていると聞けば無視はできない。
久しぶりに冒険者ギルドの査定列に並んでいると、突然後ろから腕を引っ張られた。護衛としてそばにいたディアーナを、上手くすり抜けるように引き離される。
「何を! マユを離せ!」
剣を抜こうとしたディアーナの手は先に封じられた。
男の手がマユの髪をくしゃくしゃになで回す。
「ぶ、ブレナンさんっ」
「おう、久しぶりだな」
動きを読まれたこと、攻撃を封じられたことに驚くディアーナに、ブレナンは「すべての判断が遅い」と短く忠告する。
「くしゃくしゃにするの、やめてください」
「薄情者にはこれくらいの報復は許されるだろ。ウチは薬草の消費が激しいギルドだってのに、新米の冒険者は顔を出さねぇし」
「だって魔法使いギルドのほうが高く買い取ってくれるし」
「だから薄情だって言ってんだよ」
髪をなで回す手に力がこもった。後ろ髪も前髪もわからないほど乱される。マユは何とかブレナンの手から逃れようとした。
そのときだ。
「マユに触るな!」
若い男の声と同時に、またしてもグイっと腕を引かれて誰かの背中に庇われた。
「え?」
「女の子に何してんだよ、このエロジジイ!!」
勢い余ってぶつかった背中に、懐かしさを感じた。使い込んだ革鎧の独特の匂いにまじる薬草の香り。ふわっと包み込むようなそれに覚えがある。ブレナンに向かって怒鳴りつけた声を、知っていた。
顔を上げたら、短く刈り揃えた栗毛が目に入る。
「レオンっ!?」
「じ……じじぃ?」
振り返った空のような青い目は間違えたりしない。
シェラストラルにいるはずの孤児院仲間だ。
王都で冒険者をしているはずのレオンが、なぜアレ・テタルにいるのか。
マユは彼の上着を引っ張った。
「なんでレオンがいるの?」
「ジジイはねぇだろ、まだ若いんだ、おじさんって言え」
「エロのほうはどうでもいいのかよ!? 大丈夫かマユ、このエロジジイに酷いことされてねぇよな?」
懐かしい青い瞳がマユをまっすぐに見つめていた。
「どうして? なんで?」と繰り返すマユの混乱は、ロビーにいた冒険者たちにも広まってゆく。
騒ぎに気づいたエリカとセオドアが駆けつけようとしたが、集まってきた野次馬に阻まれた。そばにいたディアーナもいつの間にか遠ざけられている。
「副ギルド長、エロジジイだったんですね」
「ああ、だから幼い子に頻繁に声かけてたんだ」
「えー、伝説のパーティーの一人だって憧れてたのにな」
そんな誤解だらけのブレナン批判の声が聞こえて、マユは慌てた。レオンを相手に余裕を見せている老人が本気で腹を立てたら、幼なじみには勝てない。
「レオン、誤解だから!」
「そうそう、これ以上騒ぎはまずいからね、レオンは黙っててくれるかな?」
「オリー? ジャスパーもいるの?」
人込みをかき分けて現われた冒険師の二人も、懐かしい顔だった。赤毛のジャスパーがレオンの口を手で塞ぎ、黒い長髪を首の後ろでまとめたオリーが、ブレナンとの間に割り入る。
「仲間が早とちりしてご迷惑をおかけしました。失礼します」
そして素早く謝罪を済ませると、レオンを引きずるようにしてギルドの外に向かうのである。
「せ、説明はまた後で」
目を丸くしているエリカと、ニヤニヤ笑いのブレナンに会釈したマユは、混乱したまま懐かしい孤児院仲間を追いかけた。




