03 課題と魔術言語
死に物狂いで学べ、という入学式後の教師たちの言葉は正しかった。
「授業、全然っわかんない!!」
四十五番目に自己紹介したエリカは、初日の放課後からマユの部屋に押しかけ、復習に必死だ。
「魔術言語って文字を習うだけだと思ってたのに、先生の説明もぜんぶ魔術言語だなんて聞いてない!」
貧民出身のエリカは語学は得意ではない。それでも自国語と公用語は、入学できるレベルまで習得していたが、その程度では魔術学校の語学授業にはついて行けないようだ。
「最近はあんまり使われないって聞いてたけど、変ったのかな」
マユも言語学の教科書を受け取ったときは驚いた。オリバーから学校では教えていないと聞いていたからだ。三冊ある教科書のうちの、もっともぶ厚いのが魔術言語で、外国語や古語は二冊まとめてもその一冊より薄かった。
「ねぇ、なんでマユは魔術言語が聞き取れるの? 特待生三人だって真っ青になってたのに、マユは全然そうじゃなかったし。もしかして、しゃべれる?」
マユの成績が良いのは知っているし、元師匠が書いて寄こすのが魔術言語だったから覚えたというのは聞いている。だがそれだけで聞き取りまで完璧になれるのだろうか。どうやって勉強したのか教えてくれとエリカが迫った。
少しだけ迷って、マユは表向きの理由を説明した。
「……師匠は、文字だけじゃなくて、私に喋るときも魔術言語しか使わなかったから」
「え? それしか喋れない師匠だったの?」
「あ……ううん。お客さんとかには普通に公用語で喋ってたよ。魔術言語だったのは、私にだけ……覚えるには使うのが一番だからって、日常の会話も全部魔術言語に切り換えられたから」
カーラ師匠に弟子入りした初日を思い出していた。
薬魔術師の工房で下働きをはじめたあの日、カーラは魔術言語で話しかけ、マユはそれに気づかなかった。ごく普通に聞き取って、当たり前のように同じ言葉で返したのを、指摘されるまで気づけなかったのだ。
師匠はマユが自分の言葉に怯まないどころか、全て理解していることに酷く驚き、面白がった。
『あんたは魔術言語を理解しているんだね。いいだろう、おもしろいじゃないか。あんたを鍛えてやるよ……狼獣人ゆかりの人族は貴重だ』
呟きの最後の言葉に、マユは震えた。
孤児院の先生たちに聞いても、仲間にたずねても、誰も教えてくれなかったジョンを、この薬魔術師は知っているかもしれない。ジョンを知っているのなら今どこに居るのか教えて欲しい。そうたずねようとして、師匠が喋っていたのが魔術言語ではないと気づいた。
公用語でも、ウェルシュタント語でもない、たぶん外国の言葉だ。
師匠が何の言葉で呟いたのか問うのは怖かった。だから聞こえていないふりをした。
マユが魔術言語での会話に不自由はなくても、魔術文字が読めないとわかってからは、日常の全ての文字が魔術言語に変えられた。薬草名も、薬品名も、日誌や説明やお使いのメモに至るまで、マユに与える書類のすべてを、師匠は魔術言語に変えてしまったのだ。
最初の頃は手渡されたメモの文字がさっぱりわからず、失敗と叱責を怖れて怯えた。だか不思議なことに、マユはすぐに言葉を覚えられた。単語が何を指すのかに気づいた次の瞬間に、その言葉が自分のものになっていたのだ。
師匠や周囲の人々には、物覚えが良いと受け取られていたが、それはマユが自分の特異性に気づくきっかけでもあった。
思いに沈んでいたマユは、エリカの声で我に返った。
「それ、マユを追い出したヤツも魔術言語ぺらぺらだったの?!」
「ううん、ミリーアさんはしゃべれなかったよ。文字も……読めてなかったと思う」
「マユにだけ厳しかったんだ? 期待されてたんだね。なら覚えるしかないよねぇ」
マユは後ろめたさに目を伏せた。
努力して身につけた言語力なら堂々としていられる。けれどマユは自分の言語力はいつの間にか備わっていたものだ。便利ではあるが不気味な力は、喜びではなく恐ろしさが勝った。
「マユは魔術言語が完璧なのか……じゃあさ、教科書を翻訳してもらえないかな?」
「私が翻訳したら、エリカの勉強にならないよ。セオドアか図書室で辞書を借りたらどう?」
「それがさ、聞いてよ!」
一限目の言語学で躓いたエリカは、授業を取っていない二限目に図書室に駆け込んだそうだ。ところが魔術言語の辞書は全て貸し出されており一冊も残っていなかったという。
「何冊か閲覧用に残しといて欲しかったよ」
同じように駆けこんだ生徒とともに、貸し出し予約を入れてきたが、渡された予約札の順番は十二番。辞書の貸し出しは二日間なので、月末まで待たねばならない。
「そんなに待ってたら授業がどんどん進んでいっちゃうよ」
セオドアに使わないときは貸してくれと頼んではあるが、彼も発音と聞き取りまでは予習していなかったらしく、しばらく貸せないと頭を下げられた。
自己紹介順で自分の成績が下から二番目だと知ったエリカは、資金稼ぎで遅れた分を挽回せねばと焦っているようだ。
「必須科目を落としたら進級も卒業もできないし、他の授業でも魔術言語使うみたいだし、お願い!」
拝むように頭を下げられて、マユは困った。分からないところを教えるのはいいが、教科書の全翻訳はさすがに無理難題だ。できないわけではないが、それをやるのは違う気がする。
そもそも魔術言語で行き詰まっているのはエリカだけではない。入学した四十六名の生徒たちの中には、師匠持ちの見習いが多くいるから、彼らも魔術言語には苦労している。オリバーに聞いていたように、師匠が使っていないから習っていないのだ。図書室の辞書が出払ってしまうのも当然だ。
「古書店で中古の辞書を探す?」
「そんなお金ないよ」
「だよね……」
魔術言語は必須授業である魔術理論と魔力操作、そして専科座学でも三割近くで使われていた。ここで躓けば他の教科も理解できないだろう。
魔術言語の授業は、教師が教科書を魔術言語で読み、それに対して公用語で解説をするという内容だった。前期の授業はほぼ全て同じように進めると言っていたから、最低限の単語を覚えておけば、そこからは公用語の説明で理解できるようになるはず。
懇願するエリカと教科書を見比べたマユは、悩みに悩んで「少しだけだよ」と頷いた。
「全部訳すのは良くないと思うから、重要な言葉だけ書いておく。これを全部覚えて、あとは自分で頑張って」
マユは板紙に十五ほどの言葉を書き出し、発音と意味を書き添えて渡した。
「ありがとう、マユ!」
次の言語学の授業は明日の三限だ。それまでになんとか覚えておく、と宣言してエリカは自室に戻っていった。
エリカを見送ったマユは、初日の専科座学で出された課題をどうするか悩んでいた。
+
治療魔術・薬魔術専科の最初の授業で、ヘイルスは卒業までの二年をかけて「自分のための図録を作る」という課題を出した。
真っ先に「質問です」と手を上げたのはセリーナだった。
「どのような図録を作るのでしょうか? 手本はありますか?」
「手本はない。自分のための図録だからな、自分に必要な内容をまとめる、それだけだ」
抽象的な回答が気に入らないのだろう、セリーナは不満そうだ。隣に座るチェリルに耳打ちをし、急かすように肘で突く。
「質問をよろしいですか……その、二年生も同じ課題を出されているのですか?」
セリーナに指示されたチェリルの質問に、ヘイルスは表情を変えず淡々と返す。
「同じだ。去年もその前も、同じ課題を出している。これは他の魔術科でも同じだ。錬金も、魔道具も、攻撃魔術も、自分のための図録を作る課題が出されている。他に質問は?」
毎年同じであれば、手本や見本は手に入る。それ以上質問は出なかった。
+
「自分のための図録、かぁ」
その課題を聞いて最初に思い浮かんだのが、オリバーにもらった薬草図録だ。これは彼が学生時代に作ったものに違いない。
見事すぎるお手本があるので課題は簡単に思えたが、ヘイルス先生の言葉が引っかかっていた。
「自分のための、って何回も繰り返してたよね」
乾燥薬草を張りつけた手書きの薬草図録をめくりながら、自分のため、とは何だろうと考える。薬魔術師にとって薬草図録は大きな役割を果たす大切な物だ。特にこのような標本付きのものは、滅多に採取できない希少薬草を知るためには絶対に必要だ。
だが。
「同じ物は作れないしなぁ」
学校に在籍中に希少薬草を採取できる機会はないだろうし、もし入手できたとしても同じ図録を作るのは違うような気がする。
過去の薬魔術師見習たちは、この課題に対してどんなモノを作ったのだろうか。オリバーは自分で保管していたが、図書室に寄贈する卒業生もいたかもしれない。収蔵されていれば閲覧できるだろう。
明日の昼休みは図書室で図録探しをしようと決めた。
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朝食と夕食は寮で無料で食べられるが、昼食は自分で調達しなければならない。
学生も使える魔法使いギルドの食堂に向かう同級生とは逆方向に足を向けたマユは、人の少ない図書室に入った。
司書に薬魔術科卒業生の一年目の課題図録の有無を確認する。
「薬魔術科の課題図録は三点だけ閉架に収蔵されていますね。貸し出しは不可、閲覧はここのテーブルでしていただきます」
閉架書棚から持ってきたもらった三冊は、どれも植物図鑑だった。だがオリバーのものとは違い、内容は市販の図鑑を写しただけのようだ。記述も絵図もほとんど同じだ。うち一冊は色も塗られている。めくって確認したところ、全ての薬草図に色が塗られているわけではなかった。おそらく手本にした図鑑が着色されていなかったため、実際に見たことのない薬草の色は塗れなかったのだろう。
「……これが、自分のための図録なのかなぁ?」
自分のために作った図録を、図書室に寄贈するだろうか。薬魔術師になれないとわかっても手放さずにいたオリバーのように、自分のために作ったモノならばずっと手元に残すのではないだろうか。後の学生のためにと寄贈する場合もあるかもしれないが、この三冊はそれほど出来が良いとは思えない。
「うん、私が欲しいのはこういう図録じゃない」
「わかるよ、僕もこれじゃないって思うからね」
「えっ?」
独り言に返事されて、マユは体を跳ねさせた。
「ああ、ごめんね。びっくりした? でも僕もコレはないって思ったからさ」
二、三歳ほど年上の、マユによく似た黒髪をした、けれど瞳は青い少年が微笑んでいた。同じ茶クラスで、専科の授業も同じ教室で受けているから覚えている。確か治療魔術科のグリーズだ。
いつから隣にいたのだろうか。彼の手元にはやはり卒業生の寄贈したと思われる図録が数冊積み上がっていた。
「見てよ、こっちのは医薬師ギルド発刊の治療基本の丸写しだし、これは病例録の写しだね。買う金がなくて写したのなら、自分のためとも言えるけど、手放してるんだから本当に必要だったわけじゃない」
収蔵書だから丁寧に扱うが、本当なら叩き落としてしまいたいとでも言うような表情で、グリーズは図録を閉じる。
図書室での会話にしては声も大きく、内容も挑発的だ。少ないとはいえ利用者がいるのに、ずいぶんと強気な態度だ。苦手だなと、マユはそっと身を引いた。
「あれ、きみ一位入学なのに、僕の自己紹介覚えてないの? ヘル・ヘルタントからの留学生、グリーズだよ」
「覚えています……ここは図書室だから、大きな声を出すのは」
「ああ、そうだった。図書館を共有するのははじめてなんだ、許してくれよ」
咎めたマユと、注意しようと構えていた司書に軽い調子で詫びる。その態度は軽く陽気だ。場にはそぐわないが、育ちの良さが見え隠れしている。司書は悪い印象を持たなかったようだが、マユは何故か引っかかりを覚えていた。
マユが司書に図録を返却し図書室を出ると、彼も同じようにして後をついてきた。魔法使いギルドに向かう渡り廊下の前で別れようとすると、彼は不思議そうにマユの肩を引いた。
「昼食に行かないのかい? 食堂は向こうだよ」
「私、食事を食べる場所は決めてるから」
「どこかオススメがあるのか? だったら僕も一緒にいい?」
「……寮の、自室なので、すみません」
買い置きしている木の実とドライフルーツが待っているのだ。マユは小さく頭を下げて階段を下りた。
グリーズは追いかけてはこなかった。
寮の部屋に帰り、扉を閉めてほっと息をつく。
一年生で国外からの入学生は三人いる。その一人がグリーズだ。クラスも同じだし、専科の担任も同じと、これから二年間、接触する機会は多いだろう。物怖じせず開放的な性格のようで、誰とでも積極的に付き合えるタイプだろうか。話していて嫌な感じはしなかった。仲良くなれれば良いとマユも思うが、母国語が異なる相手に気を緩めるのは危険だ。
「ヘル・ヘルタントか……気をつけなきゃ」
買い置きの木の実と乾燥果実、そして薬草茶で一息ついたマユは、午後の授業に向かった。




