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ようやく式が終わり、早速授業を行うために教室へ移動することになった。生徒たちは席から離れると、それぞれ新しい友人やクラスメートと言葉を交わし始めた。
(やれやれ、やっとか)
欠伸をかみ殺しながら、アッシュは立ち上がった。その時、後ろから迫ってくる何かの気配を感じ取り、サッと振り返った。
「やっと見つけたぞ、アー……じゅびゅ!」
涙目で突進してきたイルダスの顔面に、アッシュの足の裏がめりこんだ。
「いっ……てぇーー!?」
イルダスは、高い鼻を押さえて後ずさった。
「何するんだよ!」
「本能が命の危機を感じたからな」
「ひでえ!」
「あと、気持ち悪かった」
「もっとひでぇ!」
アッシュの隣に立って二人を交互に見ていたユーウェンは、納得したように頷いた。
「なるほど。灰色狼と仲良くなるためには、文字通り体当たりが必要だというわけか」
「必要ねえよ」
深いため息とともに、アッシュはその言葉を吐き出した。
そのとき、周りをみる余裕をようやく取り戻したのか、イルダスがユーウェンを見つけて、目を輝かせた。
「ユーウェン! お前アッシュと友だちだったのか?」
「なに、たまたま席が隣だっただけさ。にしても、せっかくのイケメンが台無しになっているぞ、フルーティ」
「なんだって!」
どこからともなく手鏡を取り出したイルダスが顔をチェックする。
「あっ! 鼻だけやたらと赤いじゃねえか! アッシュ、お前のせいだぞ!」
「……二人は知り合いか?」
「聞けよ!」
イルダスの抗議を聞き流し、ユーウェンのほうに振り返る。
「入寮日が一緒でな。そのとき少し言葉を交わしたのだ」
「それだけでよく覚えていたな」
「彼が凡百ではなかったということさ。なにかしら輝き放つものを見ることができれば、たとえそれが短い逢瀬だったとしても印象に残るものさ」
「そんなものか……?」
新しく人を覚えるということを久しくしていないアッシュにとっては、ユーウェンの主張はにわかには理解できないものだった。
「ところで、『フルーティ』ってのはなんだ? どうしてそうなった?」
「フルーティというのは、君を灰色狼と呼ぶのと同じことだ。親から授けられた真名は非常に大切にしなければならないが、それ故に他人が軽々しく口にしてよいものではない。……突飛なユーウェンはそう考えるのだ」
「大げさだな」
「同意しろなどとは言わんよ。……さて、フルーティの由来だったか。初めて会ったときは、爽やかでフレッシュな好青年という印象を受けたのでな。つけていた香水が柑橘系のものだったということもあるが」
「香水? それは女がつけるものじゃなかったか?」
「今はおしゃれで男もつけるんだよ! 今日はつけられなかったけどな!」
ガゥと、イルダスは噛みつかんばかりの勢いでアッシュに迫った。
「昨日や一昨日はつけてたのか?」
「つけてるわけねーだろ。女の子に会いもしないのに」
「……」
ケロッとしてそう答えたイルダスを見て、アッシュはバカな質問をしたと軽い自己嫌悪に陥った。
「では、なぜ今日はつけてこなかったのだね。今日は記念すべき登校一日目だが」
「寝坊したからだよ!」
またも涙目になったイルダスが、アッシュの肩をつかんで前後に揺さぶった。
「そうだよ! なんでお前今日オレをおいていったんだよ! オレ朝弱いんだって!」
「知るか。うっとうしいから離せ」
アッシュにすげなく扱われても、イルダスはめげなかった。揺さぶることはやめても、両手はアッシュの肩から離さなかった。
「だいたい、お前がいなかったらオレは誰にここまで連れて行ってもらえばよかったんだよー!」
「お前もか」
さっき外で会った女子生徒のことを思い出した。隣に立っていたユーウェンが小首を傾げる。
「お前『も』とは?」
「もう一人いたからな」
同じことを聞いてきたバカが……と続けようとした矢先、「あの、」と後ろから声をかけられた。
「そこの灰色の髪の方」
「?」
振り返ったアッシュにつられ、イルダスもその視線の先を追った。そして、彼女の美貌にヒューと口笛を吹いた。
「ああ、よかった。先ほどお会いした方ですね?」
金髪の女子生徒は嬉しそうに両手を合わせた。
「あのときは、私の護衛が失礼な真似を致しまして、誠に申し訳ございませんでした」
浅く腰を折った彼女の後ろで、不平満々の表情で護衛の女も頭を下げた。
「改めまして、私、クラリネス・レインハートと申します。皆様と同じフォーティアでございますの。どうかよろしくお願いいたします」
ユーウェンやイルダスのほうもみやり、クラリネスは上品な笑みを浮かべた。
「あと、こちらに控えておりますのは私の護衛で、レナ・カーティシアという者ですわ」
クラリネスが片手で示す。レナは笑みを浮かべることなく、むしろ睨むような表情で、それぞれの顔を見たあと一礼した。
「レナ・カーティシアだ。お嬢様共々、よろしく頼む」
「レナはあくまで護衛ですから、授業などには参加いたしませんが、仲良くしてやってください」
クラリネスはにこやかな笑顔でそう締めくくったが、レナ本人は微妙な顔で眉を下げていた。
「世の中には不思議な縁があるものだな。よもやレインハートのご令嬢と同じ学び舎に通えるとは」
「レインハートの……マジか」
ユーウェンは両手を広げてクラリネスに友好の抱擁を求め、イルダスは心底驚いたという顔でしきりに目を瞬かせた。
「アンタらはこいつを知ってるのか?」
「あ? いや、知ってるっていうかなんていうか……。レインハートっていったら、ほら、シャイナール地方の領主の家名だからさ」
「領主の……!」
さすがのアッシュも目を見開いた。
この世界は王を頂点に、議会、地方領主、市長または町長、一般民衆というピラミッド型の支配–被支配構造になっている。領主は王とのパイプ役を務め、全ての領主がもとを辿れば王族に名を連ねるやんごとなき血筋だ。
実際のところアッシュのような一般人には、地方領主など遠い存在の人であり、市長や町長のほうがよっぽど身近であった。それでもその名の権力は衰えておらず、知れば驚きを禁じえないほどではあった。
「良いところの出だろうとは思っていたが、まさか地方領主の縁者とはな」
「いやいや、縁者とかそんなレベルじゃねえよ。クラリネス・レインハートっていったら、現シャイナール地方領主の娘だよ」
両手を頭の後ろに回したイルダスがアッシュにそう教えた。
「パンゲア大陸の南西部に位置するシャイナール地方は、五つある地方の中でも上流階級が特に集まる世界有数の保養地だ。そんな所の領主の一人娘だっつって、いろーんなとこからいろーんな思惑の人間が注目してるぜ」
「よく知っているな」
「まあなー。親父殿にそのへんは叩き込まれてっから」
その顔は心なしか暗く、影がさしていた。イルダスの親は議員だというから、有力と目される人間たちの名前を昔から聞かされていたのだろう。
(こいつにはこいつなりに、色々あったのか……)
議員の息子という境遇は、なんとなく窮屈そうなイメージがある。同情にも似た気持ちをわずかに抱いたとき、急にすすっとイルダスが寄ってきてアッシュの肩に腕を回した。
「ところで、いつのまにあんな美少女と仲良くなってたんだよ」
「……は?」
さっきのかげった表情は消え失せ、ニヤニヤというげすっぽい笑顔が浮かんでいた。
「まったく、すみにおけないねえ。アッシュちゃん♡」
深いため息とともに、アッシュは無言でイルダスの鳩尾に肘を叩き込んだ。
「ぐふっ!」
うめき声をあげてしゃがみこんだイルダスを置き去りにし、アッシュは他の生徒について講堂から出て行った。
さっきの同情を返せと思うと同時に、
(こいつのどこが爽やかでフレッシュな好青年なんだ?)
と不満を心の中で漏らしながら。




