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パンゲア王国の異端児譚  作者: 霧ヶ原 悠
第二章  出会いは人に不幸せと幸せを運ぶ
6/21


 一通りシナル宮殿の外を見て回ったアッシュは、帰ってきて再び講堂のドアを押してみた。すると今度はギイッというきしんだ音と共に、木製のドアは開いた。これ幸いと、アッシュは中に入る。

 一分の乱れもなく椅子が並べられた講堂内には、一人もいなかった。先ほどの女子生徒はまだ来ていないらしい。ついでに備え付けの時計で時間を確認してみれば、まだ式まで一時間ほどあった。どうやら、思った以上にアッシュの準備は早かったらしい。

 講堂の中は、リビドーを使わずとも上から差し込む太陽の光に照らされて、とても明るかった。

 椅子だけが整然と並べられた、がらんとした空間。見方によっては寂しく映るものだが、アッシュは他者のいない広い場所が嫌いではなかった。

 講堂のドアに張られた案内によると、壇上に向かって右からフォーティア、アネモス、ネロ、コーマの順に座るように指示されていた。これはクラスの組分けであり、火・風・水・土という世の四大元素の名にならってつけられている。アッシュは、フォーティアだった。

 (ここなら、まだマシそうだな)

 一番悪目立ちしそうにない一番前の端を選んでアッシュは座った。

 「ふー……」

 柔らかく温かい春の陽光に、チクタクチクタクという単調で、永続的な音。アッシュは久しぶりに安らいだ気持ちになった。

 いつの間にか、アッシュは目を閉じて眠っていた。


  ……揺れる。

  ゆったりとした波に抗うことなく、どこまでも運ばれていく感覚。

  とろけてしまいそうな、でも、消えるわけでもなく。

  自我の残り香を漂わせつつ、現実のしがらみを忘れられる。

  そこは、ほんのわずかでも頭を上げれば、たちどころに失ってしまう楽園だった。


 なんの衝撃か、アッシュはハッと目覚めた。気が付けば、講堂内は人でいっぱいだった。

 (残念……)

 ささやかな幸せが遠くへ去ってしまったことに、内心で唇を尖らせつつ、組んでいた足と腕をほどいた。ずっとその体勢でいたせいか、僅かな痺れや痛みを感じた。それをほぐそうと、隣にまだ誰も座っていないことを幸いに肩を回していたとき、声をかけられた。

 「隣に座ってもいいかな? 高潔なる灰色アッシュ君」

 目線をやや左上に上げれば、奇抜な髪色の女子生徒が立っていた。彼女の制服の丈は膝上だった。

 「……ずいぶん馴れ馴れしいが、どこかで会ったことがあったか?」

 アッシュは不快感をこめて、彼女をにらんだ。彼女は質問の意図が分からない顔をしつつ、アッシュの質問に答えた。

 「いいや。君とは初めて会うと思うが」

 「アンタは初めて会った人間でも、名前で呼ぶのか?」

 「どういう意味かね」

 「白々しいな。俺の名前がアッシュ・ディーストンだと知っていて、さっき『アッシュ』と呼んだんだろ? なんのつもりだ」

 そこでようやく彼女は納得がいったと言いたげに、ポンと手をたたいた。

 「なるほど、これは失礼をした。よもや、『アッシュ』というのが君の本名だとは思わなかった」

 女子生徒は右手を左肩に当て、頭を下げるという一風変わった礼をした。

 「は?」

 「せっかちなユーウェンは間違えたのだ。その綺麗な灰色の髪を指して『アッシュ』と呼んだのだが、それは実は君の本名だったというわけさ」

 彼女はそう言って唇を吊り上げた。不思議とそれは気持ちのよいもので、挑発的にも、見下しているようにも見えなかった。

 「……そうかよ」

 それが嘘であれ本当であれ、とりあえず自分を不快な気持ちにした原因が除去されたアッシュは、再び目をつむって式が始まるまでの時間を潰そうとした。

 ところが、

 「アッシュー! どこだー!」

 遠くのほうで自分を探すおちゃらけた声に、アッシュは身を堅くした。

 「ほう、ずいぶん賑やかな」

 女子生徒がそう呟いた。そして、こめかみに青筋を浮かべつつあるアッシュを見て面白そうに尋ねた。

 「君の知り合いかね、灰色狼」

 「違う」

 反射的にそう答えてから、胡乱な目つきで女子生徒を見た。

 「灰色狼?」

 女子生徒は得意そうな顔でアッシュを指差した。

 「君の呼び名さ。灰色の毛並みに、馴れ合いを好まない一匹狼。そこから名付けさせてもらったのだよ。気に入ってもらえたかね? この詩人たるユーウェンは……」

 そこでいったん言葉を切り、彼女は小首をかしげた。

 「さて聞くが、私は君に名乗ったかな?」

 「いいや」

 アッシュが素直に首を振れば、彼女は「それは重ね重ね失礼した」と言いながら、手を差し出した。

 「改めて、ユーウェン・ネストリアスだ。同じフォーティアとして、よろしく頼もう」

 「……アッシュ・ディーストン」

 さっき名は口にしていたが、正式な自己紹介として名乗り、ユーウェンの手を握った。が、それは一瞬のことで、アッシュはすぐに手を離した。

 それを気にする風もなく、ユーウェンは目でアッシュの隣を示した。アッシュが何も言わなかったので、ユーウェンは勝手にそこに腰を下ろすことにした。

 周囲の視線とざわめきがこちらに向けられている。それはアッシュにとってはいつものことだったが、ユーウェンもそうだとは限らない。

 「……アンタ、これがうっとうしくないのか?」

 あまりに平然とユーウェンが座っているので、ついアッシュはそう尋ねた。

 「この蠅のようにたかる目と口のことか? あいにく、華麗なるユーウェンにとっては特別珍しいものでもない。どうやら、この姿はいつでもどこでも人を惹きつけずにはいられないようだ」

 ふっと笑ってユーウェンは髪をはらった。心なしか、キラキラという効果音まで聞こえてきそうだった。

 「……なるほど。もっともだな」

 白に近い金髪の中で、前髪だけ濃い紫という奇抜な髪色に、何個もつけられたピアス。さらにはこの芝居がかった話し方や身振り。目立たないはずがない。

 「愚問だったな。忘れてくれ」

 「なに、面白かったよ。異端のレッテルをはられた孤独な灰色の少年よ」

 反射的にユーウェンをにらみつけたが、彼女は悠然とした態度を崩さなかった。

 「……やっぱり俺を知っていて声をかけたのか」

 「それは誤解だ。偏狭なユーウェンは君の名前はよく聞いていたが、君の姿格好は知らなかった。……しかし、想像していたよりもいい男だったな」

 「…………は」

 ポカンと口を開けたまま、アッシュは石にでもなったかのように固まった。

 「なんだ、意外と純情だな?」

 新しいおもちゃを見つけた子供のよう……というにはやや意地悪い笑みを浮かべて、ユーウェンはアッシュの顔を覗き込んだ。

 「……今まで俺にそんな世辞を言うような奇特な女がいなかっただけだ」

 動揺をしずめ、顔を赤くすることなくそう答えたアッシュを、ユーウェンは「つまらん」と評した。

 「つまらなくて結構だ。俺よりいい男なんてそこらに転がっている。その程度の世辞で舞い上がるほど馬鹿じゃない」

 「……そう謙遜することもないと思うがな」

 制服の上からでも分かる、鍛えられ引き締まった体。組まれた長い足。すっと鼻筋の通った彫りの深い顔立ちに、額にさらりとかかる神秘的な灰色の髪。灰色の瞳は鋭く、固い決意を秘めているようにうかがえる。

 様々な角度からアッシュを眺め、ユーウェンは真剣な顔で言った。

 「なかなか整った顔をしていると思うが」

 こういうとき、どう返すのが正しいのか、経験がないアッシュには分からない。

 「だから自信を持ったらどうだ」

 「……」

 ユーウェンにそう言われても、黙ることしかできないアッシュだった。

 その時、入学式の開始を告げるベルが鳴った。

 「おお、もうそんな時間だったか」

 ユーウェンはそうつぶやき、体の向きを正面に直した。アッシュは、居心地の悪いこの時間が終わったことにホッと胸をなでおろした。

 いつの間にかアッシュの周りの席は埋まっていた。



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