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パンゲア王国の異端児譚  作者: 霧ヶ原 悠
第一章  意味を持たないことに、意義は見出せない
3/21


 翌朝。ルームメイトを起こさぬよう細心の注意を払い、着替えをこなしたアッシュは、食堂で果物だけの朝食をとっていた。広い食堂には、その四分の一が埋まるぐらいの人がいた。

 (他の入居者たちか)

 おそらく、そのほとんどが新入生なのだろう。互いに声を掛け合い、新たな友人を作ることに精を出している。しかし、話しかけられることを望まないアッシュは、わざと人が集まるところを避け、隅のほうの席に座った。そのおかげか、アッシュに気づく生徒はいなかった。

 朝食をとりながら、研究者たちから渡された用紙に食べたものを列挙していく。これがどういう資料になるか知らないが、故郷にいた頃からずっと書かされていた。

 当初はこれにすら反発したが、幼なじみに「まーまー。これは自分の健康とか、体調管理にも繋がるからよ。やっといても悪くないんじゃないか」と諭され、しぶしぶやり始め、続けている。ちなみに、その幼なじみも「面白そうだしやってみよー」と言ってアッシュと同じように毎食後に記録するようになった。「どうせ三日坊主だろ」ともう一人の幼なじみにからかわれながら。

 (まあ結果として、確かに体を鍛え、維持する上で役に立っているからいいか……)

 アッシュはさっさとトレーを返すと、その足で待ち合わせ場所に指定された正門前へ向かった。そこにはすでにサヴァータが待ち構えていた。

 「九時五分前か。素晴らしいね、五分前行動ができている。よしよし」

 手に持った腕時計にちらっと目をやり、サヴァータは満足そうに頷いた。

 「さあ、こっちだ。なに、心配はいらない。痛いことも苦しいこともしないし、妙な薬を盛ることもないから。全て我々に任せてくれれば……」

 サヴァータはつらつらと耳障りのいい言葉を並べたが、アッシュはそれを聞こうとしなかった。聞いても、何も状況は変わらないからだ。

 実験は、サヴァータの言うように身体を痛めつけられることも、苦しい思いすることも、妙な薬を盛られることもなかった。

 今日は身体計測、身体能力検査、生体検査など、主にアッシュの身体調査だった。本格的な実験の前に、被検体の状態を把握しておこうということらしい。

 ようやく全ての調査が終わり、汗だくのアッシュが荒い息をついてベンチに座り込んでいるところへ、にこにことした笑顔を顔の全面に貼り付けた三十路手前ぐらいの若い男が水筒を渡してきた。

 「いやー、お疲れさまだったね。アッシュ君」

 この男はアウーロ・ダコスタといった。第十八研究所室長補佐という身分を最初会ったときにアッシュに明かしていたが、それがどれほどの地位のものなのか、アッシュには分からなかった。ただ、今日の調査が全てこの男に任されていた様子から、低すぎるということはないらしい。

 「……」

 疑わしげに水筒をみるアッシュ。何が言いたいのかすぐに分かったアウーロはアハハと笑った。

 「大丈夫、変なものは入ってない。普通のお店で売ってる『おいしいアルセリア山の水』だよ。人間は一時間運動すると、汗として二リットルの水分を流すというデータがある。体重の二パーセントの水分を失っただけで不快感を感じるし、六パーセントにもなれば頭痛や眠気に襲われる。限界は二十パーセントだと言われているね。君だと体重が七十三キログラムだから、二パーセントと言うと百四十ミリリットルか。ほら、激しい運動のあとの水分補給は大切だろ?」

 ずいっとアウーロがさらに水筒を押し付ける。アッシュは無言でそれを受け取り、口を付けた。よく冷えた水がのどを潤し、火照った全身を巡る。その心地よさに、アッシュは一気に水を飲み干した。

 助手から今日の結果を受け取ったアウーロは、それにざっと目を通して感心したように言った。

 「かなり健康的だねえ。ストレス値もそんなに高くない。持病も怪我もなし。理想的な被検体だ」

 「そうかよ」

 アッシュの淡々とした返事が気に食わなかったのか、アウーロは多少鼻白んだようだった。

 「……まあ、いいや。今日はこれで帰ってもらってもかまわないよ」

 用は済んだとなると、アッシュはすぐさま研究所を追い出された。

 外に出ると、もう日が暮れて肌寒くなっていた。

 柵ごしにメトロポリスの街が見える。大通りに、建物の窓に、煌々と明かりが灯り、賞賛を送りたいぐらいの美しさだった。アッシュの故郷では、たとえ祭の日であっても、こんなに街が輝くことはなかった。その代わり、数え切れないほどの星々が人々の頭上を飾りたてていたのだ。

 (……星が少ない)

 ここの薄墨色の空には、かろうじて星が四つ、五つ見える程度だった。天上の輝きは、完全に地上の明かりに食われていた。

 なんとなく、虚しいと思ったアッシュだった。


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