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パンゲア王国の異端児譚  作者: 霧ヶ原 悠
第五章  中央に広がる暗雲 射抜け、灰色の眼差しよ
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 最初に動いたのはサンドラだった。彼女は生成した柄を頭上に掲げると、高らかに叫んだのだ。

 「真・ファントムソード!」

 一見なにも変わったところがない。強いていうなら柄の先、刀身があるべき場所が、他よりも妙に明るく見えるような気がするところか。

 それを確認したカルヴァリーレは、小さな銀の玉のひとつを指先で力強く弾いて飛ばした。薄いベニヤ板であれば、容易く突き破るほどの速さであった。

 サンドラはそれを何の苦もなく真・ファントムソードで切り裂いた。

 そう、アッシュたちの狙いも知らずに。

 「ぶった切ってやれ! サンドラぁ!」

 一瞬銀の玉が掻き消えて、そのままサンドラは主に言われるがまま、軽やかな足音を立ててカルヴァリーレへ迫る。

 しかしそれを見てもカルヴァリーレが生成したのは、剣でも弓矢でもなく頭の全面を覆う兜だった。バイザーを下ろし、目元までしっかりガードする。

 「ちゃんと捉えろよ、カルヴァリーレ!」

 アッシュは左手を伸ばして指示を出した。カルヴァリーレも「おう!」という力強い返事をすると、少し腰を落として構えた。サンドラにだけ見える刀身を、彼女は兜と鎧のつなぎ目に正確に叩き込もうとする。

 観客も一気に沸きたち、「いけー! ぶっ飛ばせー!」「やったれやー!」などという声が飛ぶ。

 観客の目が、講堂中央のさらに真ん中に立つ二人に集まる。

 ザリィッ!

 見えないはずの剣を、カルヴァリーレは白刃取りの要領で受け止めた。

 「うっそ!?」

 「はあ!? どうなってんだよ!」

 サンドラとブルーノの目が信じられないと見開かれる。驚きすぎて、ブルーノは次の指示を出すのを忘れた。

 そしてそれは予想された、まさに狙った通りの隙だった。

 パチンという軽い音が鳴る。

 その瞬間、カルヴァリーレとサンドラのすぐ上に強く輝く猩々火色の光が顕現した。

 「きゃあ!」

 「うわっ!」

 「まっぶしー!」

 サンドラたちだけでなく、二体の対戦の様子を一挙一動見逃すまいと目を凝らしていた観客たちも、数瞬の間視界を奪われた。

 アッシュらしからぬ動作を交えた指示出しも、カルヴァリーレの妙に気合いのこもった返事も、全ては観客の目を二体に集中させて目を眩ませるため。

 (ダメッ! このスキをついて攻撃される!)

 涙で潤む目を必死に見開きながら、サンドラはカルヴァリーレから二、三歩の距離をとって急所を腕で庇った。

 だが、カルヴァリーレには動く気配がない。

 (……?)

 「ぶげぇ!」

 サンドラの後ろで、野太くも随分と格好の悪い声がした。

 皆一様に目をこすったりハンカチで押さえたりしながらそちらへ顔を向ける。いち早く視力を回復させたのは、やはり人ならざるアヴァターラのサンドラだった。

 「マスター!?」

 片頬を押さえたブルーノが床に倒れ、彼の前には平然とアッシュが立っていた。

 「ふぅ。よーやく少しすっきりしたぜ」

 「マスター、今助けに……」

 「待て、動くな。指一本でも、動くことは許さん」

 「……!」

 身を翻して駆け寄ろうとしたサンドラは、自分の首に押し当てられた刃を見て、足を止めざるを得なかった。

 「いっっづぅ〜〜。……て、てめ……」

 「なんだ?」

 「な、なにしやがんだ……! いきなり……!」

 倒れたまま、ブルーノはアッシュを非難した。だがあまりに頬が痛むのか、周囲に聞かせるほどの声は出せないようだった。

 「な、生身での殴り合いなんて、了解した覚えはないぞ……。ハハッ、これは約束の反故……「何を言ってるんだ?」……は?」

 どこか嬉しそうだったブルーノに、冷水のような声を浴びせる。

 「俺はアヴァターラ同士の模擬戦を受けた覚えはない。俺は、アンタが申し込んできた決闘、タイマン勝負を受けるとしか言っていない。男に二言はないんだろ? だったら何も間違ってないな」

 「何が間違ってないだ? タイマン勝負じゃなくなってるだろうが! てめえと、てめえのアニマ……いや、アニムスだったな? でよ!」

 揶揄するようなブルーノの言い方が不快で、アッシュは彼の顔のすぐ前に足を振り下ろしてやった。

 「ひぇ!」

 「違うだろ? カルヴァリーレとサンドラ、俺とアンタ。ほら、一対一のタイマン勝負じゃないか」

 「そ……んなもん、ただの屁理屈だろうが!」

 ブルーノが立ち上がった。それを機に、周囲からも賛同の声がチラチラと挙がる。

 「大体、てめえ今リビドーを使っただろ! おれに近づくときの目くらましとして!」

 「お、当たりだ。まあ、どんな阿呆でも分かるか」

 「あ゛? なめてんのかてめえ! てめえがリビドーを使った時点ですでにタイマン勝負じゃねえだろうが! そこの二人の勝負も妨害したんだからな!」

 ブルーノが、さっきから一度も動いていない中央の二人を指差す。

 「そいつに関してはお互い様だな。アンタだってリビドーを使ってただろ」

 「あ?」

 アッシュはブルーノにもよく見えるように、体を横にずらして指し示した。

 「アンタのアニマが使うファントムソード。その正体は、回折という現象を利用した太陽光色のリビドーで刀身を隠蔽した剣! 見ろ、俺に殴られてアンタの集中力が切れたせいで、化けの皮が剥がれているぞ!」

 バッと再度ブルーノが中央の二人に目を向ける。よくよく見れば、カルヴァリーレがサンドラの首元に当てている剣の柄は、サンドラが生成したものだった。

 「そうだったのか? 知らなかった……」

 「えーなんかズルくない? いいの?」

 「てことは、普段の模擬戦でもそうだったってこと? ルール的にどうなんだ、それ」

 観客たちからチラチラとそんな声が挙がってくる。

 「る、ルール的には何の問題もない! アヴァターラ同士の模擬戦で禁止されているのは、本体の直接的な戦闘への介入だけだ!」

 慌ててブルーノはそう主張するも、生徒たちの間に浮かんだ不信感を完全にぬぐい去ることはできないようである。

 「だいたい、おれのリビドーはアヴァターラたちの勝負の妨害はしていない! こいつとは使い方が違う! こいつがおれを殴ったのと合わせて、ルール違反で……」

 「リビドーを使っていたのは認めるんだな」

 「うるせえっ! 論点すり替えてんじゃねえぞ! おいサンドラ、このボゲェ! 何してんだ、さっさとそいつをぶっ殺せよ!」

 「え、あ、はい!」

 刀身が見る見るうちに消えていく。さすがのカルヴァリーレもその異様さに一瞬体を強張らせる。それを見逃さず、サンドラは刀身にすがりつき奪い返そうとした。

 「つくづく頭悪いな」

 呆れたため息をつくと、アッシュはブルーノに抵抗する間をまったく与えることなく彼を投げ飛ばし、床に叩き付けた。

 「……ぁ!」

 見事な一本背負いが決まる。衝撃緩衝剤も何もない石の床だ。ブルーノは一瞬呼吸が止まった。

 隠れていた刀身が再び現れ、カルヴァリーレは難なく切先を受け止めることができた。

 「くっ!」

 「アッシュの予想が当たったな」

 悔しそうに顔を歪めるサンドラと、兜の中で珍しく口元を緩ませるカルヴァリーレ。

 「二枚目の化けの皮が剥がれたな」

 嬉しそうにアッシュも笑っていた。だが、見ていた全員が現状を理解できていたわけではなかった。どこからともなく疑問の声が挙がる。

 「ど、どうなってんだありゃ」

 さっきまで、剣の切先はサンドラに向けられていた。だが、今はカルヴァリーレの目の前で彼自身の手によって止められている。そして柄は、カルヴァリーレの手の中にある。

 「つまりサンドラの真の固有能力は、金属の形を自在に変えられる能力だったというわけだ」

 たしかに、刀身はサンドラが触れているところから、カルヴァリーレめがけて急角度で曲がっていた。

 「アンタは中等校を卒業するときに監視光網使用許可免許を取得しているらしいな。それは素直に賞賛されるべきところだと、俺も思う」

 一気に場が騒然とした。驚愕と尊敬とわずかばかりの疑念の視線がブルーノに集まる。

 「だが、アンタはそれを悪用……いや、模擬戦のルールには違反してないんだったな。それをアヴァターラの模擬戦にうまく活用していた、と言っておこうか。まずサンドラに柄だけを生成させておき、アンタの太陽光色のリビドー発現とタイミングを合わせて針のように細く、カミソリのように薄く鋭い刀身を生成する。あとは簡単だ。リビドーで後ろから照らされているところから出てしまわないように剣の形を変えるか、アンタが自分で出した指示に合わせて相応にリビドーで照らす範囲を広げたり狭めたりか、どちらかをするだけだ」

 そしてひょいと肩をすくめた。

 「たいした腕前だと本当に思うぜ。アヴァターラとの連携も重要だしな。他人には絶対に真似することのできない戦い方だ」

 「ぅ……く…………」

 アッシュの一本背負いは、相当ブルーノを痛めつけたようだった。彼はまだ立ち上がることすらできていない。立ち上がれてはいないが、床に倒れたままアッシュを見上げる目にはありありと疑心の色が浮かんでいた。

 「て、敵をいきなり褒め出して、お前の目的はなんだ! ホモデメンス野郎!」

 ブルーノに変わって、アルバートがアッシュを指差した。

 「お前は今ルール違反を犯しているんだぞ! ブルーノを褒め称えることで、見逃してもらおうってか!?」

 「アンタたちが騒いでるルールってのは、アヴァターラ同士の模擬戦のルールのことだろ? 俺とこいつのタイマン勝負にそれが適用されているとは思えないな」

 「なんだと!? 今さらそんなことを……」

 「俺が言いたいのは、こんなたいした実力者が、なんで卑怯卑劣な空き巣犯をやっているかってことだ」

 「は」

 場が凍りつく音がした。

 「極東の田舎町ハミルタで半年ごとに現れる空き巣、通称『年半ばの盗人』。そしてここ一年半の間に起こった学院の下宿生だけを狙っていた空き巣事件。その犯人はアンタだ、ブルーノ・オーガストっ‼」

 アッシュの低く、よく通る声が静まり返った講堂に反響する。

 「……ぁ、な……何、を……」

 「ん?」

 「何をデタラメぬかしてやがる……! テメ……!」

 どうにかブルーノが声を絞り出す。そこで呆然としていたアルバートをはじめとする上級生がいっせいに抗議を始めた。

 「そ、そうだ! 適当言うのもほどほどにしろよ!」

 「名誉毀損だ! 訴えてやる!」

 「冗談にしたって笑えないわよ! いったい何のつもり!?」

 「実力じゃ勝てないからって、そんなデタラメでブルーノさんをおとしめようってか⁉ つくづく性根の腐った奴だな、オイ!」

 好き勝手言う生徒たちを見回し、ため息をついてアッシュはダンッと床を踏みならすと声を張り上げた。

 「俺が証拠もなくそんなことを言うと思われているのは心外だ! 相応の証拠は用意してあるに決まっているだろう!」

 シンッと再び静まり返る講堂内。

 空咳をひとつすると、アッシュは右手をポケットに突っ込んで語り始めた。

 「ここにいる大半の奴らは知らないだろうが、大陸の東のほうにハミルタという街がある。俺もブルーノ・オーガストも、ついでに言えばそこのアルバートとやらも、同じ街の出身だ。あの街は広いから、俺はこいつらと顔見知りではなかったがな」

 ひそひそという囁きが生徒の間でかわされる。アッシュがブルーノたちと同郷だったことに驚いているのか、ブルーノたちの出身地を初めて聞いたからか。

 「そしてそのハミルタの街で、三年前から春と秋の約半年ごとに空き巣被害が発生している。半年ごとに現れる空き巣だから、現地ではそいつのことを『年半ばの盗人』と呼んでいる。空き巣被害が集中しているその時期は、街をあげての祭がある時期でな。実行委員たちは会議でよく家を空けることが多いんだ。『年半ばの盗人』はその隙をついていると推測されている。……さて、俺がこいつを『年半ばの盗人』とする理由だが」

 人差し指を立てる。

 「まず、こいつは祭の実行委員長である街長の息子だ。その年の実行委員が誰で、どこに住んでいるのかや、会議のスケジュールなんかも知りやすい」

 「そうしたっていう証拠はあんのかよ!」

 アッシュの言葉が切れた瞬間を狙って、アルバートの声が飛ぶ。

 「せっかちな奴だ。早い男は女に嫌われるぞ」

 「な、ぁ……!?」

 アルバートの顔がカッと赤くなる。あまりの侮辱に腹を立てているせいか二の句が継げず、唇だけがぱくぱくと動いていた。

 「それらを知りやすいってだけなら、こいつ以外にもいるさ。俺が言いたいのは、こいつも簡単に住所や実行委員が家にいなくなる時間帯を知れる立場にいるってことだ」

 アルバートのことなどもう忘れ、淡々とアッシュは続けた。そして、アッシュは立てる指を一本増やした。

 「二つ目の理由は、こいつが持っている監視光網使用許可免許だ」

 ブルーノの体がビクリとはねる。

 「こいつが免許を取得する前から空き巣に入っていたかどうかは知らないが、取得以前からある程度の技術は持っていただろう。これを悪用して、侵入する前に室内を見て回っておけば、より確実に留守を狙えるだろ?」

 「し、失礼にもほどがあるだろうが、おい? それにしたって結局証拠がないだろ……アイテテテ……」

 背中をさすりながらブルーノがゆっくりと立ち上がった。ようやく回復したらしい。

 「第一、おれがそのときハミルタにいたかどうかも分からんのに……」

 「それについては心配無用だぞ。少なくとも、年半ばの盗人が現れている時期、アンタは学院の寮にはいなかった」

 「は?」

 アッシュは手を突っ込んでいたポケットから数枚の紙を取り出して広げた。

 「寮監はいけ好かない男だが、その仕事ぶりはとても真面目で褒められるべきものだったようだな。ちゃんと残っていたよ。アンタの長期休暇中の外泊・帰省届がな!」

 ブルーノが息をのんだ音がはっきりと聞こえた。

 「当然、行き先はハミルタだ。夏は休暇が終わるギリギリだが、ここに書かれている申請期間中に年半ばの盗人が犯行を繰り返していたことは、すでに調べがついている」

 「ふざけんな! なんでそんなもんを持ってやがんだ⁉ 部外秘の個人情報だぞ!」

 「さてな。人は正義に手を貸すってことだろ」

 いつもの見せつけるような余裕をなくして歯ぎしりをするブルーノを見て、アッシュは多少胸がすく思いだった。

 「さて、次は王都での空き巣事件についてだな」

 紙をポケットにしまい、ぐるりと周囲を見回すと足音を静かに響かせて歩き出した。

 「この中には話を聞いたことがあったり、もしくは被害にあったりした人がいるかもしれない。王都での空き巣事件は、一年半ほど前から二ヶ月に一度ぐらいのペースで昼間発生している。学院の下宿生だけに、な」

 アッシュは『学院の下宿生』というところに、特に力をこめた。

 「下宿生でもないこいつがどうやって下宿先や、どの部屋に誰が住んでいるかなどを知りえたかと言えばだ」

 ある人物の前で足を止めると、ビシッとアッシュは指をのばした。

 「アンタが協力したからだ。生徒会書記アルバート・ランディ!」

 ひょぇという妙な音がアルバートののどから漏れた。

 「ん、んな、なん、んなわけがあるか!」

 「ふん。随分動揺しているようだが」

 「い、いきなり犯罪の片棒担いでるだろと言われて、動揺しねえ奴がいるか!」

 「アンタが意図して共犯になったのか、同郷のよしみで頼みを断れなかっただけかは知らねえが、ブルーノの情報源はアンタだ。生徒会は、生徒の入学時に提出した書類などの一括管理を任されているらしいからな」

 「そ、それはたしかに任されているが、だからってそんな簡単に他人に洩らすか! 重大な規則違反だぞ!」

 「なんだかんだと屁理屈をこねて、講堂こんなところでアヴァターラに対戦を強要した奴が規則違反についての話を持ち出すとは、笑わせてくれる」

 アッシュはハッと鼻を鳴らして笑った。

 「なんだと、この……」

 「……たしかに、そうかも」

 アルバートがアッシュにつかみかかろうとしたとき、彼の後ろからボソッと呟く声が聞こえた。アルバートが信じられないという顔で勢いよく振り返れば、長い髪の女子生徒が声を震わせながらアルバートをじっと見ていた。

 「先輩、前に生徒資料棚を見てたことありましたよね? 私が来たら慌てて閉めてましたけど……」

 「そ、それはほら、えー、あの、あ、ある生徒のアヴァターラのことについてだな。確認をとろうと……」

 苦し紛れすぎるその言い方に、彼を疑う声がいっせいに生徒たちの間に広がった。

 「なんかうろたえすぎじゃない? もしあっちの子が言うことが正しかったらさー」

 「分かるー。灰色の子のほうが説得力あるよね。アルバートのほうが怪しく見えるわ」

 「そういえば前、貴重品は引き出しの奥とかベットの下とかに置いとけって言われたことある。まさかわざとそこに置かせて、空き巣に盗りやすくさせてたんじゃ……」

 さらに話はブルーノのほうにまで飛火していった。

 「オレ、ブルーノさんとアルバートさんが紙を見ながら話してるの見たことあるわ。話しかけたら不自然にそらされたけど」

 「私たち、今年の春期休暇後、ハミルタ限定だっていうお菓子もらったよね?」

 「うん。去年の夏ももらったよ」

 アルバートもブルーノも、ぐるりと自分たちを取り囲む四方で会話が交わされているので、どこに向かって怒鳴ったらいいのか分からなくなっていた。

 「おれのダチも、去年下宿だったけど空き巣に入られたから今年は頼み込んで寮にしてもらったって言ってたぜ」

 「私の友だちがこの前のテスト期間中に空き巣に入られたんだけど、現金の他に私があげて、あの子のお気に入りでもあったたネックレスが盗られたのよ! もし本当にブルーノくんが犯人なんだったら、絶対に許さないんだから!」

 「ち、違ぇよ! 違えって!」

 ついにはそうまで言われ、慌ててブルーノは潔白を主張し出した。

 「なんでお前らみんなおれを疑うんだよ! おれがそんなことするわけねえだろ!」

 ブルーノと仲のいい『深紅の騎士団ルージュ・シュヴァリエ』のメンバーも、弾かれたように彼に同意した。

 「そうだ! 失礼というにも限度があるぞ!」

 「勝手な作り話で人を貶めて、恥ずかしいと思わないのか!」

 「学院内で名の知られたお二人がそんなことするわけないだろ!」

 「何の恨みがあってブルーノさんにそんなことを言うのかしら!」

 彼らの後押しを受けながらブルーノは必死に考えを巡らして、アッシュの推理の穴を探した。決定的な証拠が晒されたわけではないのだから、言葉で負けなければいいのだ。

 「そうだ!」

 会心の笑みでブルーノはアッシュを指差した。

 「空き巣は昼間に入ってるっつったよな⁉ 真面目に授業に出てたおれが、そんな時間に下宿の奴らのとこまで行けるわけねえ! 教師の出欠簿や正門の監視員に聞いてみたらいい!」

 しかしアッシュはそれを余裕の笑みで一蹴した。

 「サンドラなら、どうだ?」

 「え?」

 「アヴァターラなら、学院の内外を行き来していても問題ないだろ? アヴァターラの外出はどこにも届けがいらないと、生徒手帳にも書いてある。実際、新刊の発売だとか洋菓子の調達とかで色んな生徒が使いに出しているようだしな」

 生徒手帳を開いて、ひらひらと振る。若干呆れた感じが声に滲んでいた。

 「さ、サンドラ……だと?」

 「どうした。また顔色が悪くなったようだが?」

 ややあくどい笑みを浮かべ、頭ひとつ低いブルーノを見下ろす。一度つばを飲み込み、頭を二、三度振るとブルーノはアッシュに詰め寄った。

 「うるせえ! 今は空き巣の話をしてんだろうが。サンドラは関係ねえだろ!」

 「大アリだ。なにせ、サンドラは空き巣の実行犯なんだからな」

 「な……なん、だと?」

 「もちろん、指示を出したのはアンタだが」

 ブルーノはすっかり声が裏返ってしまっている。無言でのにらみ合いが始まるかというとき、円の中程で見ていた男子生徒が髪をかきむしって怒鳴った。

 「だああ! てめえらだけで納得してんじゃねえよ! こっちにも分かるように説明しやがれ!」

 アッシュは目を瞬かせていたが、すぐに形のいいあごに手を添えた。

 「ではギャラリーの声にお答えして、順に整理しながら説明しようか。ブルーノ・オーガストがまずしたことは、ハミルタでは街長の資料を盗み見て、王都ではアルバートから情報を得て、空き巣に入る家と日時を決めることだ。監視光網は、光通信と同じで照らしたい場所を強く思い浮かべてリビドーを発動させるだけでいいそうだな。念のため、それで家の中を探る。何も問題なければそのままGOサインだ」

 指で銃の形を作ると、狙いをサンドラに向ける。

 「そしていざ犯行に及ぶとなったときに、サンドラの固有能力の出番というわけだ」

 ブルーノが息を大きく吸って黙り込んだ。

 「さっきここの全員が見たはずだ。サンドラが触れたところから、刀身が有り得ない曲がり方をしてカルヴァリーレに襲いかかったのを。サンドラの真の固有能力が金属の形を自在に変えられる能力だとするならば、小さな金属片を鍵の型にあわせて変えてやることができるというわけだ。そうすれば、窓もドアも一切破壊することなく家に入ることができる」

 おおっというどよめきが講堂内に広がった。

 「ハミルタではその家に住む奴が帰ってこないか見張る奴が必要だが、それは自分でやるもよし、だろう。なにせ長期休暇中の暇なご身分なんだからな。王都で空き巣に入るターゲットを学院の下宿生だけに絞ったのは、それが一番確実だったから、だと俺は考えている。自宅生は論外として、学生寮は寮監のアヴァターラの見回りがある。学院外の家を狙わなかったのは、どこが標的にしやすいのかという情報がなかったからだ。そうだろ?」

 「〜〜〜〜デタラメだっ!!」

 肺に溜めていた空気全てを吐く勢いで、ブルーノは叫んだ。

 「ウソだっ! 全部てめえの妄想だ! 根拠のねえ与太話だ!」

 「では逆に聞こうか。俺の推理をウソだ、デタラメだと言う根拠は?」

 「やかましいっ! てめえがおれを嵌めるためにそれっぽく作った夢物語だ!」

 ぜえぜえと荒い息をつきながらアッシュを睨みつけるブルーノに、アッシュは肩をすくめるしかない。

 「てめえが今まで言っていたのはあくまで『そういう風にも見える』ってレベルにすぎねえ! 空き巣に入られた家におれが犯人だっていう遺留品でもあったのか!? おれがサンドラをけしかけたのを見た奴がいるのか!?」

 「街まで出て目撃者を探すような時間が、俺にいつあったって言うんだ? 俺だって真面目な学院な生徒だぞ」

 「じゃあやっぱりてめえが勝手にでっち上げたウソってことでいいな⁉ そうだろ⁉」

 「勝手に話を打ち切らないでもらおうか。たしかに、アンタが空き巣を指示していたっていう証拠はない。だがアンタが怪しいと思うに足りるものをこっちは持ってるんだよ」

 「あ? なんだよ、それは。見せれるもんなら見せてみろよ。さっさと!」

 明らかにブルーノは焦っていた。とにかく、一刻も早くこの場を切り上げて、うやむやにさせてしまいたいという気持ちがありありと分かった。

 (そうはいくか)

 過去、周りから見下され、いわれないことで蔑まれてきたアッシュは、反骨精神立派に育った。故にアッシュの行動原理はひとつ。

 『自分に理不尽な悪意を向ける者には、相応の制裁を』

 アッシュはさりげなくブルーノと少しの距離をとりながら問うた。

 「将来への投資というのも、なかなか大変なものだな。アンタ、今までどれだけの金と時間を割いてレグルス・マーカイックに媚を売ってきた?」

 「はあ?」

 「彼が著名人に話を聞きたいと言えばコンタクトを取って送迎や会場を手配し、貴族御用達の商品と聞けば献上し、プレゼントを贈るなどして他の街長の子供と交流を持ちながら自陣に引き込もうとし……。実に涙ぐましいことだ」

 「そ、それがどうした! べつに悪いことでもねえだろ!」

 「それ自体は、な。問題はそれらにかかっただけの金を、アンタがどこから捻出していたか、だ。随分羽振りがいいようじゃないか」

 わざとゆっくりした動作で左ポケットから折り畳まれた数枚の紙を取り出した。

 「これは、アンタの部屋から拝借した帳簿の一部だ。妙なことに、帳簿が二種類あってな。二つで金の出入りが桁から違うんだが、さて、いったいどういうことかな?」

 今度こそ、ブルーノは声と色を失った。

 「ま、どういうも何も明らかだがな。帳簿は親からの仕送りによる正規の金と、空き巣に入って奪った本来はアンタの手元にない金についてのもの、ということだろ?」

 ブルーノが黙ったままなので、淡々とアッシュは続ける。

 「これらをまとめて警察に提出しようか。国家免許を犯罪へ悪用していたとバレれば剥奪は必須だろうし、前科持ちともなれば。ま、将来は諦める「ふざけんじゃねえぞっ!!」

 ブルーノが吠えた。そしてアッシュの持つ紙を奪おうと、殴りかかってきた。

 「それは部屋の金庫に入れてあったものだ! 勝手に人の部屋に入ったあげく、誰の許可を取ってそんなものを持ち出してんだ! どうやった!」

 「こいつは傑作だ。同じことをそっくりそのままアンタに返してやるぜ」

 これを見越してブルーノと距離をとっていたアッシュは、ひらりとブルーノの体をかわすと紙をポケットにしまった。

 「黙れっ!! サンドラ! こいつをぶっ殺すぞ、手伝え!」

 「で、あ……でも……!」

 講堂内の空気はブルーノに不利なほうへ傾きつつある。ここでアッシュを不用意に傷つけては、さらに分が悪くなるのではないだろうか。

 そう思ったからこそサンドラは躊躇ったのだが、今のブルーノ本人は、そんなところまで頭が回る余裕がなかった。

 「いいからこいつをぶっ殺せっ! おれの言うことに従えや、グズが!」

 血走った目で睨みつけられ、サンドラはビクッと肩を揺らすとカルヴァリーレと奪い合っていた剣を捨て、新たにポケットから銀の玉を取り出すと筒状の金属を生成した。

 (もう一つ持っていたのか!)

 一瞬遅れてカルヴァリーレも柄から手を離し、棒を振りかぶるサンドラの背後から飛び蹴りを仕掛けた。

 「させん!」

 踏みとどまったサンドラは振り返ると、伸びてきていたカルヴァリーレの足を棒で払った。横転したかに見えたカルヴァリーレだったが、片手で体を支えるとすばやく身を起こし、サンドラのあごめがけて拳を振り上げる。背を仰け反らせて直撃を回避したサンドラだったが、バランスを崩してしまった。さらにもう一歩踏み出そうとしたカルヴァリーレは、己の脇の下を回って延びてきた棒の先端に後頭部を殴られ、一瞬視界がぶれた。

 「くっ……!」

 お互いたたらを踏み、距離をとってにらみ合う。だが、立ち止まって視線をかわしたのは一瞬だった。

 サンドラはアッシュを狙うし、カルヴァリーレはそれを妨害する。その傍らで、アッシュとブルーノは再びにらみ合っていた。

 「てめえはおれのことをどうしても犯罪者にしてえようだが、てめえも人のこと言えねえだろ! 不法侵入に窃盗! おれを空き巣と言って笑えねえな!」

 「残念だがこれは、善意の第三者による提供物だ。俺が直接アンタの部屋に乗り込んだわけじゃない」

 「それが通じると思ってんのか!? お前じゃなきゃイルダスだ! お前らが共謀しておれを嵌めようとしてんだろ!」

 「ここにいない人間まで犯人扱いか。つくづく非論理的な男だな。……アンタはレグルスに気に入られるために骨を折ってきたんだろうが、その金は罪も関係もない奴から奪ったものだ。その罪、逃れられると思うな!」

 無駄にプライドだけは高い男だ。カッとなったブルーノは、つばを飛ばして叫んだ。

 「偉そうな口ききやがって! 何様のつもりだホモデメンス野郎が! おれはな、あんな田舎で終わる気はねえんだよ! いずれはレグルスさんの右腕になって、政界で活躍するんだ!」

 ブルーノはアッシュと向き合っている。サンドラとカルヴァリーレが争っているのは、アッシュの後ろだ。つまり、二人の動きはブルーノからは見えていても、アッシュには見えていない。

 その二人が肉薄し、もつれ合っていた。そんなときであっても、主人の言いなりにしかなれないサンドラは己の使命を果たそうとしていた。

 カルヴァリーレが押しとどめている棒の反対側の先端が蛇のように床面を滑り、アッシュへ迫っていた。仮にカルヴァリーレがそれを見ていたとしても、声を張り上げたところで、今からアッシュがそれを避けるのは難しいはずだ。

 それが分かったブルーノの顔が歓喜に緩んだ。

 「おれと関係ねえ奴のことなんて知ったことか! おれには必要だったから工面したまでだっつーの! そんなに盗られたくないんだったら、最初っから置いとかなきゃいいんだよ、バカが! あっさり入られるほうが悪いんだろうが!」

 ブルーノは、アッシュが後頭部を殴られ無様に床に倒れる様を見た。…………いや、それは彼の想像にすぎなかった。

 アッシュの体が右へ傾いだかと思ったら、気がつけば背後に回り込まれ、背中を思いっきり蹴り飛ばされていた。

 「いっ……!」

 何が起こったのか一瞬では理解できなかったし、そもそも理解する前にブルーノは腹に強烈な一撃をくらって、それどころではなくなった。

 「げほっ!? がほっ、げほっ、うおぇ!?」

 「ま、マスター!?」

 サンドラの驚きの悲鳴が上がる。サンドラは握っていた棒を手放すと、ブルーノに駆け寄った。カルヴァリーレも、ことさらそれを邪魔しようとはしない。

 「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」

 「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 声も出ず、ただ腹を押さえるブルーノ。アッシュはそれを見て、少し残念そうに肩をすくめた。

 「本当はあごに当てて気絶させるつもりだったんだけどな。意外と難しいもんだ」

 「〜〜な、ぁ……げほげほっ!」

 「は?」

 「ごほっ……な……ん、で……」

 「なんで……『なんでサンドラの攻撃を避けれたのか』、か?」

 生理的な涙を流すブルーノの眉がいっそう寄せられる。それを肯定と受け取ったアッシュは両手をポケットに入れ直すとブルーノを見下した。下から見上げるブルーノには、逆光となってアッシュの顔がよく見えない。

 「俺は自分から触れ回るようなタイプじゃないし、一見して分かるようなものでもないから知らない奴も多いが、アンタは知ってたはずだ。カルヴァリーレの固有能力が、超能力型のテレパスだと」

 見えていたのだ。カルヴァリーレには、金属の棒がアッシュを狙っているのが。そして焦りも警戒心も表に出さず、静かにアッシュにテレパスで教えたにすぎない。

 「戦闘に活かせないと早合点して、もう忘れたか」

 図星だった。まさしくその通りで、ブルーノは、アッシュのアニムスの固有能力を調べたあと、たいしたものではないとしてその情報をすぐに捨て去った。

 「ぅ……ぐっ…………!」

 ブルーノの苦しげな顔に滲むのは、悔しさだった。本来ならば、この立ち位置は逆のはずなのだ。自分が、床に転がり呻くしかないアッシュを見下ろしているべきなのだ。アッシュには特に勝ち誇ったところがない。むしろ、ブルーノのことを愚かだと憐れんでいる感じすらあった。それがブルーノの粉々になったプライドをさらに踏みにじる。

 「残念だったな。アンタはもう動けない。決闘は俺の勝ちだ」

 そう言ってアッシュは講堂から出て行こうとする。

 「……っ!!」

 ギリギリと激しく歯をこすり合わせ、立ち去りつつある背中を睨みつける。アッシュがカルヴァリーレの肩に手を置き、彼をブレスレットの中へ戻した時、ブルーノは一瞬の痛みに耐えて叫んだ。

 「捕まえろっ! 捕まえて証拠を奪って、二度と逆らえないようにしてやれ!」

 この流れがある意味で非常にマズいということは、一部の生徒の間でしっかり共通認識されていたらしい。半瞬の間をおいて、彼らがいっせいにアヴァターラを喚び出しながらアッシュに襲いかかってきた。

 どこからというでもなく、キャーッという悲鳴が上がる。

 「! カル……」

 自身も構えをとりながら、戻したばかりのアヴァターラを喚び出そうとした。が、それよりも先に

 「そこまでだっ!!」

 腹の底にまで響くような重く低い声が講堂中に轟いた。

 「恥さらしめが。自分たちが何をしているのか、分かってのことなんだろうな!?」

 アッシュたちを取り巻いていた生徒の輪の一部がざっと割れた。その先、講堂の入り口に厳しい顔つきで立っていたのは、レグルス・マーカイックその人であった。背後には、ミカエル以下幹部たちが勢揃いしていた。

 「れ、レグルスさん……」

 レグルスを知らない一年生でも、その迫力に呑まれ動きを止めたぐらいだ。レグルスが怒りの矛先を向ける『深紅の騎士団ルージュ・シュヴァリエ』メンバーとなれば、皆一様に顔を青くして立ち尽くしていた。ブルーノなどは、青いを通り越して紙のように白くなっていた。

 レグルスが一歩一歩踏みしめながら、生徒の間を歩いてくる。怒りを抑えた声は、罪の自覚のあるメンバーたちにはさぞ恐ろしく聞こえたことだろう。

 「ブルーノ。お前は今まで、俺自身にも、そして『深紅の騎士団ルージュ・シュヴァリエ』にも様々な益をもたらしてきた。その功績から多少の狼藉には目をつぶってきたが、今回ばかりはそうもいかん。然るべきところに出て裁かれろ。俺は庇いもしないし、手回しもしない。誰にもそんな真似はさせん。我々の不利益になるとしても、我々は法と正義に従うぞ」

 「そ、そんな……」

 「ここにいるブルーノ以外の者にも、後日処分が下ると思え。これから、生徒会にも協力を仰ぎ、身内の調査を行う。生徒会にも、不適切な行為を行っていた者もいるようだしな。二度とこのような不祥事が起きないよう、我々幹部・役員一同も猛省しよう」

 ダンッと床を踏みならして立ち止まったレグルスは、凍りついたように棒立ちになっているメンバーを一人ひとり睨めつける。

 「派閥パーティは他者を抑圧し、己の優越感を満たすためだけのものではない。正しく権力を扱えぬ者は恥知らずの愚か者の誹りを受けろと、入団するときに言っておいたはずだ。今一度心に刻み込んでおけ!」

 『は、はい……!』

 雷に打たれたかのように体を震わせると、ブルーノたちは口をそろえて返事をした。

 きびすを返したところで、ポケットに両手を入れて立っているアッシュを目にとめた。

 「一つ借りができたな、アッシュ」

 「俺の勧誘を今後一切しないという条件なら、喜んでチャラにしますよ」

 「そいつはちょっと無理な相談だな。お前の優秀さは、単純に惜しい」

 ふっと息を吐き出して笑うと、止めていた足をまた動かし始めた。

 「いずれ別の形で返そう。何か困ったことがあれば、いつでも頼ってこい」

 そして扉の近くで待機していた幹部たちの肩を叩く。

 「あとは任せたぞ、お前ら」

 『イエッサー』

 レグルスはそのまま立ち去り、残された幹部たちが手早く動き始める。その中でひとり、アッシュに向かって超突進をかけてくる者がいた。

 「アッシューー! 無事だったぶぅえ!?」

 「だから気持ち悪いって言ってるだろうが」

 いつぞやと同じく、アッシュの足の裏がイルダスの顔の真ん中にめり込んでいた。

 「ひっでえ! これが助けを呼んできてやった友だちに対する態度か!?」

 「〝助け〟を呼んで来いなどとは言っていない」

 「そう無下にするもんじゃないよ。彼は、僕たちが決定的な一言が出るまで待機するって決めてからも、君が危なくなりそうになるたびに出て行こうとしていたんだから」

 苦笑を浮かべながら二人に近づいてきたのはミカエルだった。

 「余計な世話だな」

 「そんな寂しいこと言うな!」

 「にしても、君には驚かされたよ。まさかこんなことになるとはね」

 チラッとブルーノやアルバートに目をやる。彼らは、ビクッと体を揺らして縮こまっていた。

 「アンタの〝予言〟通りだったでしょう」

 「どこが一緒なものか! 僕はブルーノが嫉妬と憂さ晴らしから君にケンカを売るだろうと思ったからああ言ったまでだよ。それがどうだい、まったく」

 ハハッと笑うミカエルは、しかし楽しそうであった。

 「本当にたいしたものだよ、君は。今日のこの話が広がれば、君に妙なケンカを吹っかける子も、少しは減るんじゃないか」

 「そうだと願いたいですけどね。……で、俺はいつまでここに居たらいいんです」

 「ああ、大丈夫。君がしてきたことは、イルダス君やレグから聞いてる。あとは、最終的な報告書をまとめるときに少し聴取するぐらいかな。今日はもう部屋に戻ってくれて構わないよ」

 「そいつはありがたい。それじゃあ、失礼しますよ」

 さっさと歩き出すアッシュの後を、慌ててミカエルに一礼してイルダスが追う。

 その背中にミカエルは最後に、と声をかけた。

 「改めて僕からも礼を言わせてもらうよ、アッシュ・ディーストンくん。今回は世話になったね」

 「……礼を言われるようなことはしてませんよ。俺は、俺を馬鹿にする奴にムカついてただけですから」

 首だけ振り返り、それだけ告げると今度こそアッシュは講堂から出ていった。

 「いやー。にしてもかっこよかったなー、アッシュ。探偵の才能あるんじゃねえの?」

 「なんだ、探偵の才能って」

 「カルヴァリーレの固有能力も初めて見れたし。あれ、日常生活だとけっこう便利そうだよなー」

 「聞いているのか、人の話を」

 「あ、そういや寮監から外泊届もらってきたのは知ってたけど、どうやってブルーノさんの帳簿の写しなんか手に入れたんだ?」

 「……あれか」

 いちいちイルダスの言うことを気にかけていられるかと諦めたアッシュは、左のポケットから例の紙を取り出してイルダスに渡した。

 「え、なにこれ!? 見ていいのかよ」

 「いいぞ」

 おそるおそる開いたイルダスは、目が点になった。

 「な、なんだこりゃ!? 白紙じゃねえか!?」

 「あいつの帳簿がどこにあるかなんて、俺が知るわけないだろ」

 「え、ええ〜。じゃあカマをかけたのかよ」

 「そうだ。普通は正規の金の出入りと、不正に蓄えた金の出入りを同じ帳簿に書くようなことはしない。いくらあいつの頭が悪くても、それぐらいは思いつくだろうと思ってな。うまくいってなによりだ」

 「は〜〜〜。なんつーか……お前ってすげえなって思うわ」

 「褒めたところで出るものなんて無いぞ。だいたい、ほぼ推測で成り立ってたんだ。そんな褒め称えられるほどじゃない」

 (いやいやいや。それはお前、自分がやったことのすごさに気づいてないからだろ)

 どこまでも淡白で謙虚なアッシュの答えに、イルダスは少し肩を落とす。

 ハミルタの街、王都。二つの都市にまたがって何年も起こっていた空き巣被害の犯人を、たった数日の間に捕まえてしまったアッシュがすごくないはずがない。

 「あ、そういやあれはなんだったんだ? ほら、妙な注文つけてきた……」

 「ああ、これか」

 アッシュがポケットから取り出したのは、煤を塗ってレンズを黒くしたモノクルだった。

 「役に立った。洗って返そうか」

 「いや、どうせ子供の頃のおもちゃみたいなもんだからいいけど……。わざわざ煤を塗って、何に使ったんだよ?」

 「ファントムソード対策にな。本来は目を痛めるからあまり推奨されていないんだが、これは手軽に用意できる太陽の観察用具のひとつだ」

 「な〜る。それをつけてたから、カルヴァリーレは太陽光色のリビドーで隠されていた実際の刀身を見ることができて、白刃取りできたんだな」

 「そういうことだ」

 そうこうしているうちに部屋につき、アッシュは冷蔵庫から水を取り出して飲む。

 (やっぱすげえよなあ。ブルーノさんは自分を過大評価しすぎだったけど、アッシュは過小評価しすぎだろ……。もう少し偉そうにしてもいいと思うんだけど)

 しかし、そうしないところがまた、アッシュ・ディーストンという男のよいところでもあった。


         *         *         *

 

 その夜、妙に目が冴えてアッシュは窓から外を見ていた。眠らぬ街は、今日もまた活発だった。

 この街に来て一ヶ月が経とうとしている。たったの一ヶ月だ。なのに、もっと長く時が過ぎたような気がする。

 (うるさい奴が多かったからか?)

 何かと絡んでまとわりついてくるイルダスやユーウェン、ミツヤ。とんでもない理由でアッシュを気に入って、やっぱり絡んできてまとわりつくレグルス、ヒルダ。

 (クラリネスにいたっては、俺のことを知らないばかりか、カルヴァリーレを見ても何も言わねえし……いや、あいつの場合カルヴァリーレが男性型っていうことにすら気づいてないかもしれない)

 十分に有り得る。

 そう思ったとき、フハッと楽しそうな吐息が自然と口から漏れた。

 それに気づいて、また顔をしかめて口を覆う。気が抜けてしまっているのか。それとも、今日の昂揚感が抜け切っていないからか。

 相手の思惑を崩し、こちらの望むほうへうまくもっていけると、とても気分がいい。出し抜いてやったぜという快感もある。

 (…………この先も、またこんなことがあんのかな)

 自分はモルモットにすぎないし、イルダスは自分の監視役……であるはずだ。気を許せば、あとが悲しく辛く、しんどいだけ。

 頭では理解していた。だが、どうしても心に芽生えつつある次への期待は、簡単に摘めそうにない。

 (……寝よう。寝れば、忘れることもできるだろ)

 最終的にその結論に至ったアッシュは、カーテンを閉めて布団に潜って瞼を閉じた。


  ……溶ける。

  深く、深く、深く。

  ゆっくり、ゆっくりと、自分の体が沈んでいっているのが分かる。

  音も光も全くない。

  ゆったり、ゆったりとした波動だけが、自分の体を包んでいる。

  そこはまるで、生けるものを拒む深海のよう。

  自我を持ちながらも、それが徐々に薄れていく感覚。

  どこまでも、どこまでも、ひとりで落ちて、沈んで、やがては溶けて。

  自分でも気づかぬうちに、自我は消えている。

  そして——


 眠らぬ街でこそ、よい夢を。



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