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次の日の放課後、アッシュはミツヤに呼び止められ、彼女のトレーニングメニューを突きつけられた。どうやら、チェックを頼みたいらしい。
「初っぱなからこれは、まず無理だ」
「うぬぬぬ……」
一目見ただけでそう切り捨てられたミツヤは、悔しそうに唸った。
「こんなのでこの二週間やっていたのか? 筋トレの回数を二十か三十まで減らせ。百とか何を考えているんだ。できたのか?」
「……ヤスミヤスミナラナントカ」
「意味がないだろ、それじゃ。ていうか、なんで片言なんだ……。ランニングも、距離を設定するよりまず、ルートを決めるのが先だ。ここの育ちじゃないんだろ?」
「当たり前でしょうが」
「この街に来て日が浅いなら、どのルートが安全なのか分からないだろう。それを歩いて見て回ってからルートを考えるんだ」
「……それなんだけど、ランニングに変わる有酸素運動ってある?」
「なんだ、いきなり」
ミツヤは膨れっ面の中に不安も滲ませていた。
「実は空き巣に入られてからさ、学校から帰ったらあんまし家から出たくなくなっちゃったんだよねー」
「ああ、なんか騒いでいたな」
「そう! まったく、下宿にも寮監みたいな人をおいてほしいわ!」
「いないのか? 大家とかいるんじゃないのか」
「大家さんというか……宿直みたいな感じ? あたしの下宿先、シニョーラ荘っていうんだけど、そこに夕方ぐらいに来て、門限になったら敷地に入る門を閉めて、朝になったら開けるっていう仕事。昼間はいないんだよね」
「じゃあ、入り放題というわけか」
「敷地内にはね。でも、ちゃんと私は自分の部屋の玄関も閉めてたし、金庫の鍵だって閉めてたのに〜〜。なんで! どうやって! 誰が入ったのよー!」
バサバサとメニューを書いた紙を振る。
「落ち着けよ……。それで? 金は本当に全部盗られたのか」
「学校に持ってきてた財布に入ってた分以外は見事にね! 急いで親に連絡したけど、そんなにすぐぽんぽんお金を送ってくれるわけないじゃん? だから、しばらくは生徒会の先輩に助けてもらうことになった」
「生徒会? そんなのがあるのか?」
「あるよー。スカウトされたの、こないだ」
「ここでもスカウトか」
うんざりしたアッシュの口ぶりに、少し首を傾げたミツヤだったが、すぐに「ああ、」と手を打った。
「そういや、『深紅の騎士団』と『薔薇色の人生』にスカウトされてるんだったっけ。よっ、人気者!」
「やめろ、その言い方。てか、なんで知ってるんだ? 派閥の名前まで」
「んー、先輩たちの雑談? 世間話? みたいなんで聞いた。生徒会って、中立を保つためにどの派閥にも属してない人をとるんだって。ま、所属してないってだけで、どっち寄りとかメンバーと友だちっていう人らばっかだから、ホントに中立なのって生徒会長殿ぐらいじゃないかな」
「なるほどな。だから右も左も分からんような一年生にも声をかけているわけか」
「そうそう。今の内に手下を増やしたいんでしょ」
そのとき、廊下からミツヤを呼ぶ声がした。
「あ、はーい! 今行きまーす!」
返事をして、ミツヤはメニューをかばんに片付け始める。
「生徒会って忙しいのか」
「うーん。一年にはあんまり仕事ないけど、学校行事の進行とか、生徒の住んでるところとかアヴァターラについてとか病気の有無とかを書いた入学書類の管理、あとそれこそ派閥の調停とか、色々やることは多いみたい」
「なるほど、人手は必要そうだな」
そしてミツヤは準備を終えると、アッシュに手を振った。
「有酸素運動はしばらくいいや。ありがとっ。また明日ね!」
そう朗らかに手を振られても、アッシュは戸惑うしかなかった。「お、おう……」としか返せず、つられて手を振ることも思いつかなかった。
それを見たある男が、ススッと身を寄せてきた。
「きゃわゆい女の子と話して緊張とは、初心ですなあ、アッシュ君」
下種っぽい笑みをはりつけたイルダスだった。それを見下ろしながら、
「オヤジ臭えな、グランツェ。というか、古い」
と言ってやった。マヌケにも口をあけたまま固まったイルダズを置き去りに、自分の帰る用意を進める。
「……うおっほん。今の、生徒会のアルバートさんだろ? なんでミーちゃんが?」
気をとり直して、両腕を頭の後ろに回してアッシュに尋ねてくる。彼の帰り支度はもう終わっているらしい。
「ランダートは生徒会に入ったらしい。お前こそ、なんで名前を知ってるんだ?」
「アルバート・ランディ、十八歳。生徒会書記。前に紹介されたことがあんだよ。ブルーノさんと同郷で仲良いらしいな」
「へえ」
ブルーノと同郷ということは、ハミルタの街の出身ということか。
「アッシュ〜。今日は一緒に観戦できるか〜?」
「悪いな。今日も無理だ」
「チェ〜。またフられた」
唇を尖らせる。そこへ、クラスメートとの会話を終えたユーウェンが目を向けてきた。
「おや、帰るのかね? 灰色狼」
「ふん。下へのお呼出だ」
親指を下へ向ける。ユーウェンはどう反応したものか、困ったような笑いを浮かべて、「そうか」と言った。
「じゃ、また明日な」
「お〜〜」
「ああ。また朝に見えるときを楽しみにしているよ」
いったんはそれぞれそう答えたものの、すぐさま二人はドアのほうへ振り返った。
「『また明日な』!?」
初めて聞いたアッシュの別れ際の挨拶だった。
「何があったんだ!? なんか変なもん食ったのか!? オレは喜んだらいいのか警戒したらいいのか〜!?」
「たしかに驚かされたが、何もそこまで騒ぐことはあるまい、フルーティ。機嫌が良かっただけかもしれないが、ひとまず善き傾向だと素直に喜んでおけばよいのだ」
わなわな震えるイルダスの肩を、ポンポンと叩くユーウェンだった。




