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ディオニュソスの楽園  作者: SOA
失楽園
22/25

13-1

 こうして一連の出来事は収束し、気になることはまだ幾つも残っていたのだが、すでに事態は俺の情報処理能力を遥かに超えていたことは否めないだろう。なので俺は後のことは何も知らない。というか意識的にすべてを放り投げた。

 ……無責任だとか思わないで欲しい。俺は俺で忙しいのだ。一応これでも肩書きとしては大学三回生の身分であり、その大学の後輩には付きまとわれているし、白鷺先生には単位を握られているし、見鬼(けんき)のガキの相手もせにゃならんし、どこぞで〝D〟が現れて暴れれば紗羅さんと一緒にそいつを狩る仕事を手伝わされるハメになる。週に一度は検査のために来院して、魅麻子のお見舞いをして、その後は逃げるようにうちに帰る――それだけでもういっぱいいっぱいなのだから。

 そもそも今回の件に関して俺はただの部外者、つまり脇役でしかない。脇役なのだから物語の核心に触れるような何かに首をつっこむ筋合いもないということだ。関係ない奴なのだからどうかもう放っておいて欲しい。というか、ほっとけ!

 そんな感じで完全ハリネズミモードに突入して外界を遮断し内面世界に逃避してから早三日目の俺だった。事後処理に奔走する紗羅さんや玲子ちゃんから特に連絡がないのをいいことに、今日も今日とて布団にくるまって朝から晩まで惰眠を貪るのみである。学校? なにそれ美味しいの?

「あいかわらず心の狭い主様じゃのう……それに小さい。逃避するのはべつにかまわんが、やってることはただの引きこもりニートじゃろう。もっとこう酒に溺れるとか色に溺れるとかあるじゃろうに」

 天井に逆さまになってはしたなく胡坐(あぐら)をかいていた黒い着物の女が、俺の頭の上で呆れた声をあげた。布団にくるまって物理的に遮断していても、その声は頭の中に直接聞こえてくるので逃げ場がなかった。そうでなくても真上で喋られてはやかましいことこの上ない。

「ほれほれ、ここに主様の大好きな乳があるぞー。なんと二つも! って、それは当たり前じゃな。キャハハハッ!!」

「…………」

 まじでうるせぇ。惰眠を貪ることすら俺には許されないのか……。

 困ったことに事件の後も当然のようにこいつは消えることなく居座り続けていた。いったいどうなってるのかわからないが、女の存在は重力すら無視して天井だろうが壁だろうがお構いなしに歩いたり坐ったり浮かんだりとやりたい放題だ。最近の幻覚はすごいよな……感触までちゃんとあるんだぜ? そのくせ知覚できるのは俺だけというわけのわからなさである。

 こいつ(いわ)く、見える者には見えることもあるらしいが、その辺りを詳しく聞くのも理解するのも億劫(おっくう)だったのでよくわからないまま放置している。

「いやいや、放置するなし。だいたい妾がこうなったのもひとえに主様が原因なのじゃぞ?」

「黙れ。俺は何も聞こえないぞ……」

「まあ、べつにいいんじゃけどな。主様の強い願いによって現出した今の妾は、これまでの『機能』としての妾とは別個のようなものじゃ。すでに完成した機能がみっちり詰まっておったがゆえに、妾は本来あるべき心の隙間から少しはみ出してしまったというだけのことじゃて」

 これまでこいつに備わっていなかったもの――それが『知性』としてのこいつということらしい。その言を借りるなら、俺が『願って』しまったことであの時あの瞬間にこいつは新しく『生まれて』きたわけだ。

(しか)り。『機能』だけではあの妹御に対抗することは不可能じゃからの。単純に個体差が七倍というだけでなく、総合的に見た場合の主様との能力差はそれ以上じゃ。そもそもが妾たち眷属(けんぞく)の中でも飛びっきりの奴じゃからな……妹御との混ざり具合も申し分ないようじゃし、あんなものをまともに相手にしようと思ったらそれこそ神話級の神々をつれてくるしかないじゃろ。もしくはあの合法ロリ官憲の手を借りて現代の武器でミンチにするのでもいいが」

「紗羅さんのことをそんなふうに表現すんな!」

 たまにえらく俗っぽい言い回しが混じるのは、こいつが俺の頭の中から勝手に語彙(ごい)を拝借したかららしい。元々眠っていたこいつ独自の知性に俺の知識が一部融合して今のこいつが存在するのだ。

「いいじゃろべつに。妾がおらんかったら主様はまちがいなく死んでおったのじゃぞ?」

 たしかにその点は認めざるを得ないのだった。機転を利かせて相手を出し抜くのは昔も今も強敵を相手にする際に一番有効な手段だということがこいつによって証明されたわけだし、知性とやらを得る前にしても、ただの機能としてのこいつがこれまで何度となく俺の命を救ってくれたことは否定できない。

「そして妹御に右腕――妾を奪われておったじゃろうな。まあそうなれば別の『妾たち』が『完成』しておったというだけのことかもしれぬが……やはりゾッとせんな。個として己を確立してしまったがゆえかの。もうあそこに戻りたいとはどうしても思えんのじゃ」

「……どういうことだ?」

 すると女は少し考える素振りを見せた後、紅唇(こうしん)を歪めてニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。

「言ってしまえば今の妹御は存在そのものが『楽園』のようなものじゃ。『群体』こそがその本質であるがゆえに、楽園も地獄も孤独ではけして成立せん。そういう意味では本来的に八つで一つの神たる妾たちは楽園に暮らしておったと言い換えてもよい。そこでは『個』は意味を為さず、すべての意識が溶け合い『全』としてのみ存在しておるのじゃ。異教の聖典では楽園を追放されたことで人は様々の苦悩を背負うようになったというが、裏を返せばそれは個としての自由を得たに等しい。苦悩という不自由があるから他者と分かち合い、喜びや哀しみを共有するという自由もまた生まれたのじゃ。人間らしさという観点に限って言えば、楽園の外でこそ人は人となることができた――あるいは人が人足り得るためには楽園を去ることが必要だったのかもしれぬ」

 それはかなり概念的な話だったが、言わんとしていることは理解しやすかった。何割かが俺の知識にも()っていることを考えると当然かもしれないが。

「そも自由と不自由とは表裏一体よ。全にも個にもそれらは等しく存在するが、個は孤独であるがゆえによりダイレクトに感じてしまうというだけのことじゃ。それはそれで一つの幸福の在り方へと繋がる以上、誰がどうして不幸と断じることができようか。一神教というのはどうもそこらへんの独善が好かんな。多面的に物事を捉えようという姿勢が欠如しておる。少なくとも妾はそういう幸福があることを否定せんし、実際に今はその幸せを噛みしめておるよ」

「…………」

 幻覚の話に耳を傾けるという不健全極まりない自由を得ている俺は、幸せだとはどうしても思えないのだが……。


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