手紙の重さ
山陽本線の、普通列車。途中の糸崎で乗り換えが要る。
西条から糸崎まで四十分ほど、糸崎で乗り継いで、福山までさらに三十分ほど。待ち時間を入れると、二時間弱になる。
二時間弱というのは、考え事をするには、長すぎず、短すぎず、ちょうどいい時間である。電車の窓の外には、夏の終わりの広島の田園風景が、淡々と流れていった。稲の緑が、八月の終わりにしては、まだ濃かった。雲は薄くて、空の青が透けていた。広島県というのは、新幹線で一気に通り過ぎてしまうと気がつかないが、普通列車で見ると、意外と長い県である。長いというのは、ただ距離が長いというだけではなく、景色のグラデーションが豊富だ、という意味でもある。山があり、海があり、平野があり、川があり、それらが小刻みに切り替わっていく。
僕は、何も考えなかった。
考えないように、努めた、と言うほうが正確である。考え始めると、たぶん、駅前の居酒屋の一夜に戻ってしまう。戻りたくなかった。戻る前に、まず、その夜から、距離を取りたかった。物理的な距離を取れば、心理的な距離も、勝手についてくるかもしれない。そう期待していた。期待は、大半の場合、裏切られるが、何もしないよりはましである。
福山駅で降りて、駅前のバス停から、鞆の浦行きのバスに乗った。
鞆の浦に来るのは、子供の頃、祖父と二人で来て以来であった。十年くらい前である。祖父というのは、父方の祖父で、広島市の人で、僕が中学に上がる前の年に、亡くなった。蓮、鞆に行こう、と急に言い出して、誰にも相談せずに、僕一人を連れて、休日に出かけた、というような人だった。十年前の僕は、まだ十歳で、鞆の浦の何が観光地として価値があるのか、まったく理解していなかった。祖父に連れられて、ただ言われるがままに、坂を上ったり、海を見たりしていた、ような記憶がある。記憶は曖昧で、断片的だった。
バスが、鞆の浦の港の近くで止まった。
降りた瞬間、海の匂いがした。
海の匂いというのは、不思議なものである。
同じ「海の匂い」でも、瀬戸内の海と、太平洋の海と、日本海の海では、たぶん、組成が違う。塩分濃度、海藻の種類、漁港から立ち上る魚の種類、それらが微妙に違って、結果として、土地ごとに違う「海の匂い」がする。瀬戸内の鞆の浦の匂いは、僕が嗅ぎ慣れている広島湾の匂いと、似ているようで、少しだけ違った。広島湾より、もう少し、穏やかな匂いだった。穏やかというのは、刺激が少ない、という意味である。広島湾は、まだ、海として現役で働いている匂いがする。鞆の浦は、現役を半分くらい引退している匂いがする。これは僕の主観であって、地元の漁師さんに聞いたら違う答えが返ってくるかもしれない。けれども、僕の鼻には、そう感じた。
港のほうへ歩いていくと、すぐに、常夜燈が見えた。
常夜燈、というのは、江戸時代に、夜の港に明かりを灯すために建てられた、石造りの灯台のようなものである。鞆の浦の常夜燈は、たぶん日本でいちばん有名な常夜燈で、幕末の頃から、ここに立っているらしい。
立っている、と書いたが、石造りの構造物が立っている、というのは、少しおかしな表現である。立っている、というのは、本来、生き物の動作である。石は、立つ意思を持たない。誰かが立てたから、結果として、立っている状態にあるだけである。
ところが、鞆の浦の常夜燈を、目の前で見上げると、それが、自分の意思で、立っているように見えた。
江戸時代から、ここで、ずっと、立っている。
何百年も、ここで、立っている。
立っている理由は、夜の港に明かりを灯すためだった。けれども、現代の港には、もっと明るい近代的な灯台がある。常夜燈は、もう、現役の照明設備としては、必要とされていない。それでも、立っている。立つことが、もう、目的そのものに変わっているのかもしれない。最初は何かのために立っていたのだろうけれど、長く立っているうちに、立つこと自体が、自分の存在理由になってしまった。そういう存在のあり方というのは、人間にもありえる気がした。最初は何かを目指していたはずなのに、長く生きているうちに、生きること自体が目的に変わっていく。それが、たぶん、人間が老いるということの、一面である。
常夜燈の前のベンチに、僕は、座った。
座って、海を見た。
瀬戸内の海は、夕方に近かった。陽が西に傾いて、海面に金色の道ができていた。道の上を、小さな漁船が一隻、ゆっくりと横切っていった。横切ったあとに、波紋が残った。波紋は、しばらく広がって、それから、消えた。
消えたあとの海面は、また、金色に戻った。
波紋というのは、消える前提で、できる。
海を見ながら、僕は、龍王山のことを、なぜか考えていた。
なぜか、というほど、なぜかでもなかった。海と山は、僕の中では、たぶん最初から繋がっていた。海は山から流れてきた水を、受け止めたものである。瀬戸内の海も、龍王山の苔の隙間から染み出していたあの水も、結局、同じものが、形を変えながら巡っているだけだった。源造さんが「煙突の下に水が流れとる」と言ったとき、僕の頭の中で何かが回り始めた。あの「何か」は、たぶん、まだ回り続けていた。回り続けながら、夏休みのあいだ、僕の中で、少しずつ、形を変えていた。
ベンチの前で、僕は、もう一度、夏休み前の自分の言葉を、頭の中で並べ直してみた。
市役所で、水のことを、仕事にしたい。
あの日、広大の総合科学棟前のベンチで、自分の口が勝手にそう言った。言ったときは、それ以上の輪郭がなかった。市役所に何百人も職員がいて、何十もの部署があるのは、たぶん知っていた。その中のどこに自分が座りたいのかは、まったく分からなかった。分からないまま、口だけが、市役所、と先に言ってしまっていた。
一ヶ月以上経って、輪郭は、少しだけ、はっきりしていた。
苔むした石の隙間から染み出してくる、あの水を、僕は思い出していた。あの水が、街の地面の下を流れて、酒蔵の井戸に届いて、酒になって、人と人の間に立つ。立った先に、人がいて、街がある。立って、また誰かに飲まれて、街に染み込んでいく。誰かに飲まれて染み込んだ酒は、結局、また地下水に戻っていく。それがぐるっと一周して、また龍王山に登っていく、というのは、たぶん、源造さんの言いたかったことの、半分くらいである。
海も、たぶん、その輪っかの一部だった。
子供のころ、祖父に連れられてここに来たときは、海は海でしかなかった。山と海が同じ水である、ということを、十歳の僕は知らなかった。知らなくて、ただ、祖父の隣で、海を見ていた。下戸の家系の祖父は、酒の話をしなかった。祖父にとっての海は、酒抜きの海だった。
源造さんに会うまで、僕の中の海は、たぶん、祖父の見ていた海だった。
源造さんに会ってから、海と山と水が、僕の中で、繋がり始めていた。
街ごと、守る仕事、という言葉が、その瞬間、頭の中で勝手にまとまった。
──水を、街ごと守る仕事。
どこの部署か、まだ分からない。市役所に何ができるのか、何ができないのかも、まだ調べていない。けれど、座りたい椅子の方向だけは、たぶん、その夕方に、決まった。
椅子の方向が決まったところで、僕の足の痺れは、まだ取れなかった。
リュックから、ノートとボールペンを取り出した。
アパートを出るとき、なぜかリュックに入れていた。何のために入れたのか、自分でも分からないまま入れた。出るときの僕は、入れる理由を分かっていなかったが、入れる必要があると、感じていたらしい。これも、いつもの癖である。先回りした僕の身体は、まだ追いついていない僕の心が必要としているものを、勝手に準備していた。便利なような、不気味なような機能である。
ノートを膝の上に開いた。
ボールペンを握った。
手が、止まった。
何を書こうとしているのか、自分でも分かっていなかった。日本酒研究会の広報誌の続きでもなく、大学のレポートでもない。それ以外で、僕がノートに書く必要のあるものというのは、これまで、なかった。日記の習慣はない。ブログをやっているわけでもない。SNSも、ほとんど見るだけで投稿はしない。文章を書くという行為は、僕にとって、誰かに読まれるための行為であって、自分のために書く、という選択肢が、ほとんどなかった。
けれども、その日、僕は、自分のために、何かを書こうとしていた。
自分のために書く文章は、誰宛てに書けばいいのだろうか。
自分宛て、というのは、考えてみれば、奇妙な宛名である。自分のことは自分が一番知っているはずなのに、その自分に向けて、わざわざ手紙を書く必要が、あるのか。あるのかもしれない。自分が一番知っているはずの自分のことを、ちゃんと言葉にしないと、自分でも、把握できないことがある。把握できないまま放置している自分の感情を、紙の上に降ろしてやらないと、生きていけない瞬間が、たぶん、ある。
今がそうなのか、と思った。
たぶん、そうだった。
ペン先を、ノートの一行目に、当てた。
当てて、書き始めた。
──僕は、引き止めたい。
──月野さんを、引き止めたい。
──東京に行ってほしくない。西条にいてほしい。月野酒造を継いでほしい。継いでほしい、というのは、彼女のためではなくて、僕のためである。僕が、彼女に、継いでほしい。継いだ彼女と、これからも、西条で、会いたい。会って、酒の話をしたい。月野酒造の井戸の水を、もう一度、一緒に汲みに行きたい。源造さんが、もう少し元気なうちに、その姿を、二人で、見ておきたい。
──「いいじゃん。向こうのほうが、絶対、おもしろいよ。頑張ってください」
──と、僕は言った。
──全部、嘘だ。
──全部、嘘だ。
──全部、嘘だ。
ノートに、三回、同じことを書いた。
三回書いて、ようやく、自分の手のひらが汗で湿っていることに気がついた。気がついた瞬間、視界が、少しだけ滲んだ。海の金色が、ぼやけて、四角い網膜の中で、滲んで広がった。手の甲で、雑に拭った。拭ったあとも、すぐに、また滲んだ。
ノートには、続きを書いた。
──僕は、卑怯だ。
──彼女の進路を、彼女が決めるべきだと、頭では分かっている。それは正しい。正しいが、僕は、彼女の決定に、影響を与えたい。与えたいのに、与えてはいけないと信じているから、与えないために、嘘の応援を口にした。応援している顔をして、内心では、引き止めている。これを卑怯と呼ばないなら、何を卑怯と呼べばいいのか。
──彼女が、断る理由のほうが少ない、と言ったとき、僕には、断る理由を一つ、提示する権利が、たぶん、あった。「僕がいる」という理由である。「僕がここにいる」「西条にいる」「君が戻ってくるのを、待っている」と、言う権利は、たぶん、あった。あったのに、僕は、使わなかった。使わなかった理由は、卑怯だからである。彼女に決めさせる、という大義名分の裏に、自分の責任を引き受けたくない、という卑怯さが、隠れていた。
──僕は、彼女の決定の責任を、自分が負いたくなかった。「僕のせいで西条に残った」と、後で言われるのが、怖かった。だから、応援した。応援していれば、彼女がどんな決定をしても、僕は責任を負わなくて済む。卑怯だ。
──卑怯な男に、彼女を引き止める資格は、ない。
──ない、はずだった。
ノートを、一度、閉じた。
閉じて、海を見た。
海は、相変わらず、金色だった。
漁船は、もう、遠くまで行っていた。
もう一度、ノートを開いた。
ノートの新しいページに、僕は、こう書いた。
──資格は、ない。
──ないけれども、僕は、彼女が、好きだ。
──好きだ、と書いてから、しばらく、ペンが進まなかった。「好き」は、感情語である。日記に書く感情語は、まあ、許されるはずだった。誰にも見せない文章である。
──好きだ。
──好きだ。
──好きだ。
──三回書いた。
──書きながら、何かが、僕の中で、決まっていく感じがあった。決まっていく、というより、すでに決まっていたものが、ようやく、自分にも見えるようになった、という感じだった。決定は、たぶん、四月の最初の一杯のときから、もう、終わっていた。終わっていたのに、僕は、それを四ヶ月、見ないようにしていた。
──見ないようにしていた理由は、たぶん、怖かったからだ。
──怖い、も感情語である。けれど、書く。
──怖かった。
ノートに、長く書いた。
どれくらい長く書いたのか、覚えていない。気がつくと、空が、金色から、赤に変わっていた。赤が、紫に変わって、紫の縁から、夜の青が滲み始めた。常夜燈の石が、夕闇の中で、輪郭だけになっていた。
僕は、ノートを閉じた。
閉じて、リュックにしまった。
立ち上がった。
立ち上がるときに、足が痺れていた。何時間、座っていたのか、計算する気力がなかった。痺れる足を、騙し騙し動かして、バス停のほうへ歩き出した。
鞆の浦からの帰りの電車の中で、僕は、千秋に、LINEを送った。
『話したいことがある。明日、時間ある?』
千秋は、五分後に既読をつけて、五分後に返事を寄越した。
『あるよ。ちあきの予定はいつでも空いとる、ほぼ無人の砂漠じゃけ』
砂漠、と書いてくる人間は、千秋しかいない。
千秋という同期は、こちらが深刻なときに限って、文体を軽くしてくれる癖があった。これは才能であって、努力で身につくものではない。空気を軽くするセンスを、生まれつき持っている人間が、たまにいる。千秋は、その種類の人間であった。
翌日、僕は、千秋と、広大の総合科学棟の前のベンチで会った。
七月の終わり、僕が、市役所で水のことを仕事にしたい、と月野さんに初めて言った、あのベンチであった。
千秋は、コンビニのスポーツドリンクを二本、片手に提げてやってきた。
持っていたのは、彼女が好きな青いラベルのほうではなくて、僕が普段選ぶ、緑のラベルのやつ二本であった。それを、僕の前にどん、と置いた。
「飲みんさい。話聞く前に、まず水分」
千秋は、座る前から、関西っぽい広島弁の独自配合で、そう言った。標準語寄り、と自称している千秋だが、ノリが乗ってくると、出身地の福山の方言と、広島弁と、意味不明な独自言語が混ざる。今日は、混ざる日だった。
「ありがと」
「あんた、顔色がスポーツドリンクの色しとるわ」
「黄緑ってこと?」
「うん、まあ、そんな感じ」
千秋は、自分の分のドリンクを、一口、飲んだ。
僕も、飲んだ。
飲んでから、しばらく、お互い黙っていた。千秋は、無理に話を引き出そうとはしなかった。沈黙を、こちらに丸投げするのではなく、自分のスポーツドリンクを飲みながら、隣で、ただ、待っていた。
僕は、ぽつぽつと、話した。
月野さんが、東京で内定をもらったこと。「断る理由のほうが少ない」と言ったこと。僕が「いいじゃん。頑張ってください」と言ったこと。鞆の浦に行ったこと。ノートに、好きだ、と三回書いたこと。
千秋は、相槌を打たずに、ずっと聞いていた。
全部聞き終わってから、千秋は、スポーツドリンクの蓋を、しばらくいじっていた。いじりながら、何か、考えていた。それから、僕のほうを、見ないで、前のほうを見たまま、言った。
「資格とか関係ないやろ」
千秋の声は、いつもより、低かった。
「好きな人が、残ってほしいって思うのは、普通じゃ」
……普通じゃ。
普段、標準語寄りで話す千秋が、語尾に「じゃ」を出した。それは、千秋が、本気で言葉を選んでいる証拠だった。標準語の「だよ」「だね」よりも、自分の身体に近い言葉でないと、本気のことが言えない瞬間が、ある。今が、その瞬間だったらしい。
「卑怯でも何でもえやろ」
千秋は、続けた。
「卑怯だと思っとるんは、お前だけじゃ。月野さんからしたら、お前が黙っとるほうが、よっぽど卑怯じゃ思うで。本気の人間に応援だけされて、それでよかったって思う女が、どこにおる」
……どこにおる。
「私やったら、ちょっとキレるね。人の人生、軽く扱うなって、思う」
千秋は、ようやく、こちらを向いた。
こちらを向いた千秋の目は、いつもの千秋より、少しだけ、怒っていた。
怒っていたが、その怒りは、僕に向けられたものではなくて、僕の卑怯さに向けられたもののように見えた。同じ怒りでも、向き先が違うと、受け止め方が変わる。僕に向けられた怒りなら、僕は身を縮めるしかない。けれど、僕の卑怯さに向けられた怒りなら、僕は、その卑怯さを、これから、自分で処理していけばいい。怒りに、責任の所在を、明示してくれている怒りであった。
「言いにいけ」
と、千秋は言った。
「酒祭りまでに、言いにいけ。あんたの夢の話と、月野さんが好きだという話、ちゃんと両方、言いにいけ。応援とかいう、責任逃れの言葉じゃなくて、ちゃんと、自分の口で、言いにいけ」
千秋は、それから、また前を向いた。
前を向いて、スポーツドリンクを、もう一口、飲んだ。
飲んで、最後に、付け足した。
「それで断られたら、それは、お前が引き受けるしかない」
「うん」
「断られても、引き受ける覚悟、あるんやろ」
……覚悟。
覚悟、という単語を、僕は、その日まで、自分の人生に対して使ったことがなかった。覚悟、というのは、もっと年上の人が使う言葉だと思っていた。たとえば源造さんが、戦地で死んだ親父の話をするときに使う言葉だと思っていた。二十歳の僕が、自分の選択について「覚悟」を持つ、というのは、まだ、現実感のない単語だった。
けれど、千秋は、僕に、その単語を、突きつけた。
突きつけられて、僕は、頷いた。
頷いた瞬間、僕の中の何かが、ようやく、決まった。
決まったが、口には出さなかった。
決定というのは、口に出すまえに、まず、自分の中で、固まる時間が必要である。固まりきる前に口に出すと、決定の輪郭が、相手の言葉に削られて、形が変わってしまうことがある。今度ばかりは、削られたくなかった。
帰り道、僕は、月野酒造の前を、通った。
通っただけで、入らなかった。
入る勇気は、まだ、なかった。けれども、通り過ぎながら、母屋の縁側のほうを、ちらりと見た。縁側には、誰もいなかった。新聞も、なかった。ただ、夕方の光が、縁側の木の上に、横たわっていた。
通り過ぎて、十歩ほど進んだところで、僕のスマホが、震えた。
ポケットから取り出して、画面を見た。
表示されていたのは、月野源造、という名前だった。
電話に出ると、源造さんの声は、いつもと、少し違って聞こえた。
違う、というのが、どう違うのか、すぐには言葉にできなかった。声の調子が低かった、というのとも違うし、疲れていた、というのとも違う。なんというか、声に、いつもより、余白が多かった。一語と一語のあいだに、間が、入っていた。間というのは、考えながら話すときに生まれるものである。源造さんは、その電話で、話す前に、一語一語、考えていた。
「蓮くんよ」
「はい」
「ちょっと、頼みがあるんじゃが、ええかの」
「はい」
「七緒に、渡したいもんがあるんよ。けど、わしから渡しよると、たぶん、あの子、ちゃんと受け取らんけえ。お前から、渡してくれんか」
「はい」
「手紙でな」
源造さんは、そこで、しばらく、黙った。
黙ったあと、続けた。
「わしから、七緒への手紙じゃ。中に、わしの親父が、戦地から書いた、最後の言葉も、入れとる」
……源造さんから、月野さんへの。
親父、というのは、源造さんの父親、つまり月野さんの曽祖父にあたる人物である。月野酒造の、四代目当主。戦争中、出征して、戻ってこなかった人。源造さんが、その人の最後の言葉を、自分の手紙の中に、書き写した、ということらしかった。
「中身は、書いてからしばらく経っとるけえ、わしも、もう、半分くらいしか覚えとらん。けど、あの子に、いっぺん、読んどいてもらいたいんよ」
「はい」
「いつ渡すかは、お前に任せる。タイミングは、お前が、見極めてくれ」
「はい」
「酒祭りの前までには、渡してくれよ」
「はい」
僕は、ずっと「はい」しか言っていなかった。
言っていなかったが、源造さんの「はい」を遮らない静けさが、その電話の中には、あった。源造さんは、僕が「はい」しか言わないことを、不自然に思っていなかった。むしろ、それで、よい、と思っているらしかった。たぶん、こういう種類の話は、相槌は短いほうが、ちょうどいい。
「ほな、明日、取りにきてくれや」
「分かりました」
「気をつけて、来てな」
電話が、切れた。
切れたあと、僕は、しばらく、スマホを耳に当てたまま、立っていた。
月野酒造の母屋の、もう少し先の路地である。煉瓦塀の角のあたりで、立ち止まったまま、動けなかった。
源造さんから、月野さんへの、手紙。
その中に、戦地から書かれた、最後の言葉が、入っている。
月野さんに、僕が、渡す。
源造さんは、なぜ、僕にそれを託すのか。
託す相手として、僕より適任の人物が、いくらでもいるはずだった。玲子さん。神戸の兄夫婦。あるいは、もっと血の繋がった親戚。それなのに、源造さんは、僕に頼んできた。
頼んできたということは、源造さんは、僕を、家族の隣にいる人間として、認めている、ということだった。
認めているけれども、家族そのものではない、第三者の立場の僕に、託すことに、意味があると、源造さんは、判断した。
第三者だからこそ、月野さんは、ちゃんと受け取る。
家族から渡されたら、家業の重みとして受け取ってしまう。
けれども、第三者を経由すれば、それは、純粋に、源造さんから、彼女個人に宛てられた、手紙として、届く。
……源造さんは、僕に、そういう役割を、託した。
そういう役割を託せる程度には、僕は、もう、月野家に、近い。
けれども、家族ではない。
家族では、ない。
家族ではないことが、その役割の、条件だった。
スマホを、ポケットに戻した。
戻して、月野酒造の方角を、もう一度、振り返った。
母屋の屋根の向こうに、煙突が一本、夕方の空に立っていた。
煙突は、夏のあいだ、煙を出さない。
春から秋にかけて、煙突は、ずっと休みである。冬になれば、また仕事を再開する。冬の煙突から立ち上る湯気は、酒造りが始まった合図である。
今は、八月の終わり。
煙突は、まだ、休んでいる。
一年前のあの夏のことを、今、振り返って書いている僕は、煙突の、休みと仕事の境目について、たびたび考える。
煙突が休んでいる季節は、酒蔵の中では、来季の準備が静かに進んでいる。発酵タンクを洗ったり、麹室を整えたり、米の手配をしたり、人を集めたりしている。表からは、何も見えない。煙が出ていないから、外から見ると、酒蔵は止まっているように見える。
けれども、止まってはいない。
内側で、次の冬のための、長い長い準備が、進んでいる。
僕の、あの夏も、たぶん、そういう季節だった。
表からは、何も動いていないように見えていた。LINEの返信は短く、再会の言葉は平らで、応援は嘘で、僕は、何も成し遂げていなかった。
けれども、内側では、何かの準備が、ずっと、進んでいた。
進んでいたものが、何だったのか、その夏の僕には、まだ、輪郭が見えていなかった。
輪郭が見えるのは、もう少し、先である。
翌日、僕は、月野酒造の母屋を訪ねた。
源造さんは、奥の間で、一通の封筒を、膝の上に置いて、待っていた。
古い、茶封筒だった。何度も触れた手の跡が、表面に、薄く残っている。
表書きには、万年筆で、「七緒へ」と、書かれていた。
それだけだった。
差出人の名も、日付も、書かれていない。「七緒へ」の三文字だけが、封筒の真ん中に、置かれていた。
源造さんは、その封筒を、両手で、僕に手渡した。
「酒祭りの、前までに、頼むぞ」
「はい」
封筒は、思っていたより、軽かった。
けれど、その軽さは、ただの軽さではなかった。
手紙という物体は、ときどき、その重さを、グラム単位の物理ではなく、別の単位で測ってくる種類の郵便物であるらしい。




