第4話『証明』(4)
巨大な蒸気ウインチという地下インフラ設備を不正利用した、非人道的で機械的な運搬作業。
それが、咲浜市全土を震え上がらせていた『連続神隠し事件』の物理的からくりの全貌だった。
孤高の天才鑑定士・如月瑠璃の容赦なき論理の刃によって、その不可能犯罪のトリックを『卑小で怠惰な工場作業』とまで格下げされた山崎昭一は、もはや反論の言葉すら紡ぐことができず、薄汚れた操作パネルに背中を預けてズルズルと崩れ落ちるように座り込んでいた。
五十度を超える機関室の暴力的な熱波の中で、彼の顔面だけが幽鬼のように青ざめ、額からは脂汗が滝のように流れ落ちている。彼の足元には、彼が先ほどまで必死にすがりついていた『怪物的な連続殺人鬼』としての強大な装甲が、無残に砕け散って散乱していた。
空間を支配するのは、巨大なメインボイラーが立てる地鳴りのような轟音と、高圧蒸気が噴き出す甲高い排気音だけだ。
瀬田警部補も神宮寺巡査部長も、如月さんの放った圧倒的な論理の前に完全に気圧され、銃を構えたまま一言も発することができずにいた。彼らが何日も徹夜で追いかけていた異常な殺人鬼の正体が、これほどまでに凡庸で、情けない親族の男であったという事実に、警察としてのプライドすらも打ちのめされていたのだ。
事象の物理的なルーツは、これで完全に暴かれた。
犯人がどうやって密室から人間を消し去ったのか。そして、防犯カメラのないこのアナログな地下迷宮において、彼が現場にいたという物理的証明。それらはすべて、如月瑠璃という天才によって完璧な形で提示された。
だが、パズルはこれだけではまだ完成しない。
彼がなぜ、そこまでしてこの凡庸な偽装劇を演じなければならなかったのか。なぜ、姪である由美子さんを殺さずにこの灼熱の地下へ監禁し、さらに無関係な人々を巻き込んでまで連続殺人を偽装する必要があったのか。その人間の泥臭い欲にまみれた『動機』の暴露が残されている。
「……さて」
如月さんは、誇り高き鑑定士の証である純白のレースの手袋で、紫の矢絣の着物の襟元を優雅に整えながら、ふん、と心底退屈そうに鼻を鳴らした。
「事象の物理的な解体はこれで終わりじゃ。犯人が用いたからくりも、その場にいたという熱力学的な証明も、わしの論理によって完全に確定した。……もはやこの男に残された逃げ道は、物理空間のどこにも存在せぬ」
彼女は、床で震える昭一を見下ろしながら、極めて冷酷に、そして不快げに細い眉をひそめた。
「だが……この男がなぜ、このような醜悪な偽装工作を行わねばならなかったのか。その背後にある人間の愛憎やら、法的・金銭的な欲得やらといった『情動のルーツ』については、わしが自らの口で語るのも反吐が出る」
如月瑠璃は、常に純粋な物理法則と事象の客観的推移のみを愛する。人間のドロドロとしたエゴや、社会的な法律、遺産相続といった俗物的な要素は、彼女にとって推理の美しさを損なう『最も不純なノイズ』でしかないのだ。彼女が常に手袋をしているのは、決して汚れを嫌悪しているからだけではない。対象物に自らの指紋や皮脂という『ノイズ』を残さず、事象を純粋なまま観測するという、鑑定士としての絶対的な矜持の表れである。
だからこそ、彼女はその最後の、そして最も人間臭い不純なパズルのピースを嵌める役割を、あえて僕に委ねた。
「サクタロウ」
彼女の冷ややかなアメジストの瞳が、静かに僕を捉えた。
「先ほど、地下通路であの無能な番犬どもから引き出した俗物的なデータがあるじゃろう。……お主のその脳髄で翻訳した下世話なルーツを、この哀れな犯罪者と、事態を全く飲み込めていない警察どもに代弁してやるのじゃ」
主からの明確なパス。
僕は、蒸気の熱気でひリひりと痛む火傷の両手を庇いながら、鉄格子のプラットフォームの上で、ゆっくりと一歩前へと進み出た。
「……はい、如月さん」
僕は深く息を吸い込み、肺の奥まで入り込んでくる機関室の不快な空気を味わいながら、瀬田警部補たちと、そして床で震える昭一を真っ直ぐに見据えた。
「瀬田警部補。あなたがた警察は、第一の事件の直後、確かにこの山崎昭一を真っ先に疑い、身辺を洗ったはずです。でも、彼を容疑者リストから外してしまった。……なぜなら、『動機が弱すぎたから』ですよね」
「……あ、ああ。そうだ」
瀬田警部補が、銃を構えたまま忌々しそうに頷く。
「兄の山崎雄一の遺言書には、極めて厳格なフェイルセーフが掛けられていた。正当な相続人である娘の由美子が不慮の事故や事件で『死亡』した場合、全財産は昭一には一円も渡らず、外部の慈善財団に自動的に寄付されるという法的なロックだ。……昭一には、由美子を殺して遺産を奪うメリットがなかった。だから俺たちは、身内犯の線を捨てたんだ」
「そうです」
僕は、警察が陥っていたその致命的な盲点を、真っ向から指摘した。
「あなたたちは『殺すメリットがないから』彼を犯人ではないと判断した。でも、事象のルーツは完全に逆だったんです。……山崎昭一は、由美子さんを『殺せなかったからこそ』、彼女を誘拐し、この誰の目にも触れない地下の最深部に生かしたまま監禁したんですよ」
「なっ……!?」
瀬田警部補と神宮寺巡査部長が、同時に息を呑む。
僕は、昭一の方へと視線を向けた。彼の瞳孔は完全に開き、ガタガタと震える唇からは声にならない喘ぎが漏れている。僕の言葉が、彼の最も隠したかった薄汚い真実の核心を的確に突いている証拠だった。
「山崎コンツェルンの実権と莫大な遺産を、法的に完璧な形で昭一自身の手に入れるためには、どうすればいいか。……正当な相続人である由美子さんを生かし続け、彼女自身の意志で財産を譲渡するという『自筆の委任状』と『実印による署名』をさせるしかなかったんです」
機関室の轟音に負けないよう、僕は声を張り上げた。
「だからあなたは、第一の事件で兄の雄一氏を襲い、由美子さんを気絶させてこの地下へと拉致した。そして、警察や世間には彼女が『生きているか死んでいるかわからない神隠し状態』だと思わせたまま、この灼熱の機関室で彼女を縛り上げ、衰弱させ、拷問してでも署名を迫る必要があった。……日本の法律では、死体が発見されず、明確な死亡確認がとれなければ、すぐには失踪宣告は出ず、彼女は法的には『生きている』ことになりますからね」
「……あ、あ、ああ……」
昭一は、完全に硬直し、一言も反論できなかった。
パイプ椅子に縛り付けられ、油と煤にまみれて気を失っている由美子さんの痛ましい姿が、僕の推理が何一つ間違っていないという残酷な事実を物語っていた。
「だが、待て朔光太郎!」
瀬田警部補が、混乱と焦燥の入り混じった声で叫んだ。
「それなら、第一の事件の誘拐だけでいいはずだ! 遺産目当てで由美子を監禁するのが目的なら、なぜその後も、第二、第三の事件を起こす必要があった!? 無関係なカップルを次々と襲う意味がないだろうが!」
「意味はあったんですよ、瀬田警部補。……あなたたち警察の『優秀な目』をごまかすための意味が」
僕は、如月さんがいつも見せるような、少しだけ冷笑的な表情を作ってみせた。
「もし第一の事件の誘拐だけで終わっていたら、警察はどうしますか? 親族間のトラブルや遺産相続を疑い、消えた由美子さんの身辺を徹底的に洗い直すはずです。そうすれば、いずれはこのインフラ施設の管理者であり、由美子さんと対立関係にあった昭一に辿り着き、この地下の捜索まで及んでいたかもしれない」
僕は昭一を真っ直ぐに指差した。
「彼は、それが怖かったんです。自分が由美子さんから署名を奪い取るまでの『時間稼ぎ』をする必要があった。だから彼は、自らが『異常な連続殺人鬼』であるかのように見せかける偽装工作を思いついた」
僕は、時計塔の踊り場で如月さんが語った『森と木の葉』の理論を、そのまま言葉にした。
「……『木の葉を隠すなら森の中』です」
僕の言葉が、熱気を持った空間に重く、そして決定的に響き渡る。
「犯人にとって、本当に手に入れたかった『真の標的』は、第一の事件の由美子さんただ一人だった。その後に起きた第二から第四の事件はすべて、警察の目を『身内による遺産目当ての誘拐』から、『広域を狙う異常なシリアルキラー』へと逸らすために作り出された、ダミーの『森』に過ぎなかったんです」
「な……ッ!」
瀬田警部補の顔が、驚愕から、やがて腹の底から湧き上がるような激しい怒りへと歪んでいった。
「彼が狙ったのが『男女のペア』だったのも、由美子さんを運搬するのと同じ『蒸気ウインチのフック』を使ったからに過ぎません。女性をダストシュートに引きずり込む間、邪魔になる男性の意識を奇襲で奪う必要があった。その行動パターンが、結果的に『カップルを狙う異常者』という警察のプロファイリングを見事に誘導してくれた。……彼は、自分の金のために、全く無関係な市民の命を、ただの『警察の目くらまし』として消費したんです」
それが、咲浜市全土を恐怖に陥れた連続神隠し事件の、あまりにも陳腐で、あまりにも残酷な動機の全貌だった。
すべては、遺産のフェイルセーフを回避し、莫大な富を独り占めするための時間稼ぎ。
その下世話な目的のために、大正ロマンの街角で幸せな時間を過ごしていた無関係な人々が次々と闇へと引きずり込まれ、犠牲になっていったのだ。
「き、貴様ぁぁぁぁッ!!」
瀬田警部補の、獣のような咆哮が巨大機関室に響き渡った。
彼は構えていたニューナンブを持つ手をワナワナと震わせ、血走った眼で床に這いつくばる昭一を睨みつけた。
「自分の、金のために……! たかがそんなくだらねえ欲のために、関係ねえ市民を巻き込んで、連続殺人をでっち上げただと!? ふざけるな……ふざけるなッ! 俺たち警察は、お前のそのクソみたいな時間稼ぎのために、何日も寝ずに幻影を追いかけさせられていたってのか!」
「せ、瀬田先輩! 落ち着いてください、銃を!」
神宮寺巡査部長が慌てて制止するが、彼自身の顔もまた、正義感から来る激しい怒りによって真っ赤に染まっていた。
「山崎昭一! 貴様のやったことは、万死に値する卑劣な行為だ! 己の金銭欲のために、罪のない人々を自らの隠れ蓑として使い捨てるなど、絶対に許されることではない!」
怒号。殺意に近い怒り。そして、逃れようのない真実の暴露。
如月瑠璃が突きつけた『物理的トリックとアリバイの崩壊』。
そして僕が、警察のデータを翻訳して突きつけた『醜悪な動機の解明』。
二つの全く異なるアプローチから放たれた論理の刃が、十字砲火となって山崎昭一を完全に包囲した。彼にはもはや、言い逃れをするための論理的な死角など、物理空間にも、精神空間にも、一ミリも残されていなかった。
「あ、ああ、あああ……」
昭一は、床に座り込んだまま、両手で自分の頭を抱え込み、狂ったように首を振り始めた。
完璧だったはずの計画が、一人の小柄な少女と、高校生の助手によって、足元から木端微塵に解体された。警察は激昂し、銃口は自分の心臓に向けられている。
五十路を過ぎた凡庸な男の脆弱な精神は、自らが背負いきれないほどの事実を突きつけられ、完全に処理能力の限界を超えようとしていた。
「終わりじゃな」
如月さんは、その惨めな姿を見下ろしながら、氷のような声で最終的な宣告を下した。
「物理的なからくりも、俗物的な動機も、すべてが白日の下に晒された。お主の構築した不格好な偽装劇は、これで完全に幕引きじゃ。あとは、その怒り狂った番犬どもに首輪を繋がれ、法の裁きという無価値なシステムの元で、己の罪のルーツを反芻するがよい」
すべてが終わった。事象の解体は完了した。
論理的帰結に到達し、昭一の逃げ道は完全に消滅した。瀬田警部補が、手錠を取り出すためにトレンチコートのポケットへと手を伸ばす。
しかし、論理が終焉を迎えたその先には、理性を失った人間のエゴが引き起こす、極限の狂乱が待ち受けていたのである。




