第一章6話『ソレは遅れてやってくる』
――チュンチュンと、小鳥が囀る音が聞こえる。
背中に伝わる冷えた温度に反した爽やかな鳴き声に朝の到来を察し、ゆっくりと目を開ける。
アカネの来訪から六日が経過し、遂に俺の命運が文字通り決まる日が訪れた。
前日のお忍び作戦会議で粗方の方針と情報を共有してもらったが、想像していたより手が込められていた。
ボロ雑巾だけが頼みの綱ということにはならず、安堵にダークマターを口に運ぶ手がみるみる止まったほどだ。これがポテチだったら一瞬で平らげていた。
とはいえ、流石に一週間近くも口に含んでいたら食べても気絶しなくなった。栄養素がきちんと含まれているか怪しく激マズなことに変わりないが、これで意外と食感が癖になる。
――いや、分かっている。これは無意識に脳が行っている現実逃避だ。こんなモサモサのジャリジャリに惹かれる要素があってたまるか。
それだけ俺は弱っているのだろう。
「……まぁ、何だっていいか」
そんな生活とも今日でオサラバだ。終わった話を掘り返しても仕方ない。
鉄格子越しに看守の不在を確認し、背後に隠していたボロ雑巾――つまりマオウのダサい私服、その埃まみれver.に着替える。
一辺倒でないとはいえ、このゴミが作戦の要であることには変わりない。コレを身に纏うことへの不快度指数は留まるところを知らないが、今は我慢だ。
「――お、仕事が早ぇな」
おお、丁度いいところに。相変わらず突き刺してくる有刺鉄線は痛いが、作戦通り迎えに来てくれたカレーヌに素直に感謝だ。よくぞここまで作戦を隠し通してくれた。
「おはようございます、カレーヌさん」
「あぁおはよう。……なぁ、メブキ」
「はい、何でしょうか」
……何だ? カレーヌが横を向いて頭をポリポリ掻き始めた。昨夜に引き続き本名で呼んでくれているのは嬉しいが、あのカレーヌのことだ。俺を困らせる無理難題がこの後に続いて――。
「それ、やめろ」
「……それといいますと?」
「それだそれ。お前の敬語、なんか気持ち悪ぃんだよ。どの道あと少しの付き合いなんだ。そんぐらい、我慢してやる」
…………。
………………。
「――分かった。ありがとな、カレーヌさん」
「だから呼び捨てでいいっつってんだろ? 次さん付けやがったら覚えてろよ」
「…………ありがとう、カレーヌ」
「それでいーんだよそれで」
「あ、ラミィとアカネに対しても絶対使うなよ」と静かに釘を刺されたので、素直に従うことにする。
「そうだメブキ。悪ぃんだがそのばっちぃので顔も隠しちゃくれねぇか?」
「……こうか?」
正直反抗したい気持ちでいっぱいだったが、言われた通りに袖を脱ぎ、襟元を頭の上の方までずり上げた。
「おう、それでいい。お前を逃がした後、僕らに疑惑が向いたら世話ねぇからな。しばらく耐えてくれ」
ごもっともな理由だ。前は見えないし手は服の中だしホコリ臭くて耐え難いが、これも恩人の名誉のためだと思い耐え凌ぐ。
そんなこんなを話していると、カチャリと鍵の開く音が聞こえた。
「おら、早く出ろ――僕らで騎士のヤツらの目を欺いてやろうぜッ!」
……この人は本当に騎士なのだろうか。
――いや待て。俺はこれまでこの異世界で何を見てきた。白髭維持にお熱なトンチキ国王、属性が渋滞している人殺し系ツンツンツンツン(デレ)、天使であることに変わりは無いが突然豹変する無自覚天然エルフ、異常性が垣間見えないことが逆に恐怖なおっとり系ケモ耳少女。
今のところの異世界変人遭遇率は、アカネと看守を除いて100%だ。
そう考えると、この騎士団の中ではカレーヌ達ですら個性が埋もれることもあるのかもしれない。想像するだけで頭が痛くなってくるが、別にガルジニス王国がどうなろうと俺の知ったことでは無い。想像をやめる。
なんて他愛のないことを考えながら、俺は膝を曲げて服の下から手を出し、地面に手をひたひたと這わせ――お目当てのものを見つけた。
「……ん? メブキ、お前今何仕舞った? 持ってきてぇものでもあったのか?」
「――ただのゴミ屑だ、気にしないでくれ」
「そーか。ならいーんだが」
そう踵を返すカレーヌだが、実際俺は嘘は言っていない。鉄格子をコンコンと叩き催促するカレーヌに従い、その音を頼りに牢屋から出る――時に今一度マイルームでの思い出を振り返る。ろくでもない思い出しかなかった。
名残惜しさの欠片もない決別を済ませ、首にリードらしきものを付けられた後、ゆっくりと通路を歩くカレーヌの後をついていった――。
□■□ □■□
「あ、カレーヌさん! お疲れ様でず!?」
「おう、お疲れ様」
「――」
仮住まいを離れ、カレーヌに散歩という体の脱獄を手伝ってもらっている最中、回避し切れなかった兵士にカレーヌが声をかけられ……俺は彼の息を詰まらせた。
「ど、どうされたのですか? そんな汚物を連れてどこに?」
「どこでもいーだろ。あと、こいつは僕の奴隷だ。ほら、証明書」
――昨日聞かされた時は驚いた。まさか、奴隷証明書の偽造までやっていたとはな。
あの時は彼女たちの本気が伝わってきて、危うく泣いてしまいそうだった。いや、ちょっと泣いた。豹変したラミィにすぐ引っ込んだが。
「――左様でしたか。では問題ありませんね」
「あぁ。ところで、これから城の外に散歩に行くんだが、同僚がいなさそうな場所知らねぇか? ……ほら、こんなばっちぃの連れ歩いてんの知られたら……恥ずかしいだろ」
「そ、それでしたら……少し歩くことにはなりますが、オーウェル湖はどうでしょうか。人がいないので衛兵も滅多にいませんし…………その、問題ないと思います」
よし、重畳だな。
その場所こそが昨日共有された、俺たちの中間目的地――を装ったデコイだ。
人里から離れていて、騎士も滅多に立ち寄らない秘境。脱獄者が一時的に隠れ潜むのにはもってこいの場所だ。
そしてその環境は現在も変わってないと、この兵士から言質を取った。
俺の逃亡を知った騎士たちが、事情聴取の末に一挙に押し寄せてくるだろうが、そこに俺はいない。
だがカレーヌ達は俺を逃がした後、実際にオーウェル湖に足を踏み入れる手筈となっている。
必然、三騎士への疑いは晴れ、事件は迷宮入りとなる――。完璧な算段だ。
「助かる。――おら、いくぞ」
カレーヌの低い声とリードの反応に従い、歩き出す。
「……お気をつけて」
横から聞こえた兵士の声に軽くお辞儀し、その場を後にした。
□ ■ □
その後も道端の兵士に何度か声をかけられたが、マオウ印のボロ雑巾と、偽造された奴隷証明書、そしてカレーヌの素行によってのらりくらりと躱すことができた。
アカネの目論見通り、奴隷に着せているマオウ様の私物については普段のマオウ様の奇行を根拠に思考を放棄したようで、看守や兵士たちからの深い言及は無かった。
そうしてしばらく歩いていると、服越しの閃光に目が焼かれそうになった。
――何度も焦がれた外に、俺は今足を踏み入れている。
「――くぅぅっ!」
感極まるあまり、声が漏れてしまった。だって、仕方ないだろう。こちとらポテチ死した挙句理不尽に死刑宣告を待つのみだったんだ。こうして地獄から開放された実感を噛み締めるのも無理はない。
「あれー? カレーヌさん、奇遇ですねー」
「私たちも丁度散歩しようとしてたとこなんだぁ。一緒にいかない?」
と、一面にボロ雑巾が広がる視界に失態の言い訳をぶつけていると、取り決め通りにラミィとアカネが合流してきた。
「おー、そーだったのかー、じゃあ僕らもついていくしかねぇなー。なぁボロ雑巾?」
「そ、そうでございますわね!」
「……」
怖っ。無言の圧怖っ。
『あとで分かってんだろうな?』とか言ってきそうな無言の圧怖っ。
ちょっと久しぶりの外出で浮かれてただけじゃないか……。そんな怒らなくてもいいじゃん……。
ともあれ、彼女らが合流したということは、ここは王城と外とを繋ぐ大きな橋の上ということなのだろう。
「おい見ろよ、この川を! 王城の周りをぐるっと囲ってやがるんだぜ! 奴隷の分際でこうして眺められることの光栄さ、ちゃんと実感しろよ?」
「――カレーヌさん、それはぼっろぼろで埃まみれのみすぼらしい服に顔を埋める奴隷さんには酷じゃないですかぁ? アハハハハッ! 本当、奴隷さんの惨めさは見てて楽しいですッ!!」
「――」
大丈夫。分かっている。二人とも演技だ。ちょっと演技に熱が入っているだけなのだ。
「ど、ドレドレ、一緒にお散歩できて良かったねぇ。これからたぁくさん歩くんだよぉ? カレカレを、し、失望させないようにねぇ?」
そんな中、躊躇いがちに周囲にいるだろう兵士にアピールするアカネに救われる。
ともあれ、そうした奴隷アピールを挟みつつ俺たちは橋を渡っていく。
――華々しさの欠片もない脱獄だが、これが俺たちの取り得る最善の方法だった。
手段を選ばないことに、一般的な法教育を受けた良心がひび割れる音が聞こえた気がしたが、異世界転生のテンプレのテの字も見当たらないこの世界では、汚泥を被らなければ生きていくことすらままならない。
きっと、この先も特に何の能力も発現しないまま生きていくことになるのだろう。脱獄した先でどう生き抜くのか、そこだけは気がかりだ。
異世界転生のお約束には期待できない。ピンチになってもヒロインは助けてくれない。反対にピンチのヒロインを助ける力もない。
だが、まぁ、何だ。それでも諦めるのはやめよう。せっかく得たセカンドライフの権利、思う存分満喫しなければ失礼というものだ。
――たとえ天が望まなくとも、俺はこの理不尽な世界を生き抜いてやる。
「――何をしている」
「げ」
そう決意を固めた折、突然舞い込んできたお約束の展開に、漏らす言葉もなかった。




