第一章5話『逃がさない』
「そ、そんなに落ち込まないでください、5796さん! あくまで作戦の一環として着けているだけですし、その……ふふ」
「ラミラミ、それ逆効果ぁ」
「いいんだ……俺はあの白髭ガチ勢と同じ異常者なんだ……そう生きるしかないんだ……」
「ほらぁ! ラミラミが追い打ちかけるから余計悪化しちゃったよぉ!?」
「ふぇ!? これ私が悪いんですか!?」
「あー、その、なんだ。その格好、僕は似合ってると思う」
「――っ、どうして俺は生まれた時から雑巾奴隷なんだぁぁぁぁ!」
「もーぉ! クズクズが壊れちゃったじゃん! カレカレはお世辞が絶望的に下手なんだから、こういう時は話しちゃダメぇ!」
「お、おう」
「ラミラミも、励ますなら最後まで笑いを堪えて! もうちょっと頑張ってぇ!」
「わ、わかりましたよアカネさん。……ごめんなさい、5796さん」
「終わりだ……命があってもこれじゃあ人間として、終わりだ…………」
「アッハハハハハ! 見てくださいアカネさん、情けない声で泣き喚いてますよこの奴隷ッ!! そんなにマオウ様の汚物が気に入ったんですかぁ?」
「……」
「――あれ? 泣き止ん……だ?」
「どうやら、驚きのあまり頭がバカになっちまったらしい。まぁ暫く経てば戻んだろ」
「えぇ……? そうかなぁ……」
「そうですよ、きっと。5796さんのことは心配ですが、今は牢屋に戻って作戦会議をしませんか? 抜け道は見つかりましたし、この奴隷作戦の効果も確認できました。後は決行日と、監視の配置や私達の行動内容を詰めるだけです」
「あ、あぁ、そうだなラミィ。だが、こいつこの状態で歩けんのか? 心ここにあらずって感じだぞ」
「え? カレーヌさんが持ち上げるんじゃダメなんですか?」
「は、はぁぁ!? そんなばっちくて恥ずかしいことする訳ねぇだろ!? 第一、奴隷らしさが無くなっちまうだろうが!」
「カレカレの言う通りだよぉ。それにお姫様抱っこしちゃうと、カレカレに特殊な趣味があると勘違いされちゃうんじゃないかなぁ」
「なっ!?」
「もう、何冗談言ってるんですか? 持ち上げるって言うのは、そのままの意味ですよ」
「そのまま?」
「はい! 片手で首あたりの服を掴んで、垂直に持ち上げるんです。そうすれば、奴隷っぽく持ち運びできますし、カレーヌさんへの被害も最小限で済みます! 『羞恥では止まらぬワシの白髭道』に書いてありましたから、間違いないです!」
「……なぁ、アカネ。度々思うんだが」
「うん、カレカレ――崇拝する人は選べって、こういう事なんだろうねぇ」
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「――ぁ?」
気が付くと、俺は不衛生極まりない牢屋に戻って来ていた。相変わらず変な虫はウニャウニャしているし、地面は冷たい風も冷たい黒いナニカが地面にぶちまけられている。そんな普段と何も変わらない日常に戻ってしまった。
「まだ始まって半日の日常だけれども」
鉄格子の奥、窓の外から差し込む月光から半日と推測したが、大きくは外していないだろう。
そうは言えど、ここは日常としておいた方が悲壮感が増す為そのままにしておく。ともあれ、そんな比較的新し目の日常にも、目に見えた変化が一つある。正確には、鼻を貫く変化だが。
「で、これ脱いじゃダメなのか?」
最高権力者のお召し物もといボロ雑巾である。正直吐き気がする。うぷ。
「囚人、夜食をお持ちしきゃ!?」
生理的な気持ち悪さになんとか抗っていると、外からそんな声と共に尻もちをつく音が聞こえてきた。全身を黒一色で包み込む看守だろう。律儀にダークマターを配膳しに来た彼女の脳を白シャツに擬態した掃除用具が襲う。
「な、なんて趣味の悪い……! ただでさえこんな感性が死んでいるマオウ印の上着を、それも洗濯してない埃まみれの使用済みを好んで着るなんて、あなたそれでも人間ですか!?」
被雇用者になんか言われてるぞ、最高権力者様。
「と、とにかく、私は仕事済ませましたからね! もう二度と、人前でその薄汚い汚物を着ないでください!」
知らないところで被雇用者にオーバーキルされてるぞ、マオウ様。
――そう吐き捨てて一目散に去っていく看守を同情の視線で見送ったあと、ドロップしたブラックアイテムに目を向け――た瞬間、ひとりでに首がぐるりと半回転した。
奴隷騒動で回避したと思われていたソレが、再び目の前に現れた。
器用に牢屋内へ放り込まれ綺麗に着地した銀色の皿。そこに山のように盛られた料理――またの名をダークマターという。
「……っ」
こうして灰色の壁面とにらめっこしていても、腹の虫はエサを求めてくる。この半日で出された食べ物は同一のダークマターのみ。独房内の角にいつの間にかバケツに半分ぐらい注がれた水っぽいものが置いてあったが、それだけだ。
「――」
逃避に走る本能を押さえ付け、強引に首と眼球を動かす。焦げ――とも性質が異なる真っ黒なモジャモジャ。その集合体に全身を耐え難い悪寒が駆け巡る。
――だが、それを眼に映してもなお、腹の住人は主張を曲げない。胃袋の中で早く食べろと駄々をこね、理性と本能に全力で抗っていた。
「餓死……よりは、マシだろ……」
日に日に弱り、飢えに飢えて、耐え難い饑渇の中死に絶える――それだけは絶対に嫌だ。
覚悟を決めろ、冴島芽吹。他の囚人もきっと同じものを食べているんだ。死ぬほどではないに違いない。
食べろ、食べろ、食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ!
「ダークマターからは、逃げられない……ダークマターからは逃げられない……ダークマターからは逃げられないダークマターからは逃げられないダークマターからは」逃げられないダークマターからは逃げられないダークマターからは逃げられないダークマターからは逃げられないダークマターからは逃
そこで俺の記憶は途絶えている。唯一、ジャリ、という不快な音だけが、鳥の囀る声と共に目覚めた頭の中で響き渡っていた。
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『僕らはしばらく顔を出さねぇ。てめぇを逃がした後で疑われちまったら意味ねぇからな。作戦決行は六日後、次に会うのはその前夜だ。それまで大人しくそのゴミでも食べてやがれ』
とは、最悪の覚醒を迎えた二日目の朝、見ただけで胃がキリキリしだすダークマターが盛られた皿を人差し指で運んできたカレーヌの言葉だった。
小窓を開け、器用に牢屋内へ放り込んだ彼女は、俺に一瞥もくれないまま去っていった。
■ □ ■
「――はぁ」
雑巾を脱ぎ捨て、元の服に着替え直す最中、転生後何度目かのため息が漏れる。
死刑直行バッドエンドという最悪の結果は免れたが、それはそれとして囚人の待遇は変わらない。相変わらず食事はダークマターだし、毎朝補給されるらしい水分はバケツの半分くらいだし、寝床は固くて冷たいし黒い虫は角をウニャウニャしているし……。
この環境であと六日も過ごさなければならないなんて、考えただけで頭が痛くなってくる。とりあえず今日は「どんなチート能力なら自力で脱走できるか」なんて妄想で夜まで時間を潰せたが、同じことを六日間も続けろと言われても無理がある。
退屈。寂寥。暇。大学に通っていた時には喉から手が出るほど欲しかったそれら――寂寥は除く――が、今では精神を蝕む猛毒にしか感じられない。
話し相手もいない。スマホもない。やることもない。ただぼけーっと、差し込む月明かりを見詰めるだけだ。
「――あ。起きてたんだぁ」
――唐突に、聞こえないはずの声が聞こえてきて唖然とする。見ると、騎士の制服に身を包んだアカネがひょこっと鉄格子から顔を覗かせていた。
「どう、したんだ? しばらく来ないんじゃなかったんですか……?」
「うん、そうだよぉ。だから、これは二人には秘密にしてねぇ」
「えへへ」とケモ耳を揺らすアカネは、そのまま丁寧な手つきで扉の鍵に手をやり――カチャ、と解錠の音が響いた。
「――い、いや、それはまずくないか? Xデーの前に職権乱用で罷免されでもしたら!」
「んーん、大丈夫だよぉ。今日の当番の子には落し物を拾って来るって伝えたし、すぐに出るからぁ」
何一つ大丈夫ではない。そもそも、どうして危険を承知で俺に会いに――牢屋の中に足を踏み入れたのか分からない。それだけ重要な要件なのだろうが、それならわざわざ独房内に入ってこなくていいだろう。
「どうしたのぉ? なんでわたしがこうしてるのか、分からないんだぁ?」
「そ、うですよ。まさか、雑談するために来た訳じゃないんでしょう?」
「え、メブメブ、すごいねぇ! 正解だよぉ!」
「――は?」
口に手を当て、目を丸くしている様子から嘘の気配は窺えない。
「いや、だが、信じられません。雑談なんて、相手には困らないでしょうに、何だって俺に……」
「だってぇ、メブメブ一人じゃ寂しいと思ったからぁ。誰だって話し相手は必要だもん――あ、ごめんねぇ。メモ帳、落としちゃったぁ」
と、アカネのポケットからメモ帳がさらりと落ちた。
「あぁいいよ、俺が拾うから」
腰をかがめようとするアカネを静止し、ゆっくりと立ち上がり、「さえじまめぶき」と書いてあるメモ帳を拾――おうとして、手が止まる。
どういうことだ。おかしい。三騎士に連れられた散歩道中、城内の飾りの文字から「このガルジニス王国では、口語では日本語、文字では別の言語を使用しており、その二つは対応している」と結論付けた。日本でいう仮名文字に対応する言語を書き言葉として用いているのではないか、と当たりをつけたんだ。
だから、俺がこの文字を「読める」のはおかしい。――このメモ帳には、「日本語」が書かれている。
「――やっぱり、そうなんだね」
「アカネ……これは…………」
「拾ってくれてありがと〜。そうだ、お礼に後で二人にちゃんと『サエジマ・メブキ』って名前伝えておくからねぇ」
「じゃあ、またねぇ」と柔和に手を振りその場を後にするアカネ。メモ帳を拾った時の、彼女の顔が頭を離れなかった。




