第一章4話『異世界人権宣言』
――人は、生まれながらにして権利を持っている。
それを提唱したのが誰だったかは忘れてしまったが、その考え方は基本的人権として今や世界共通で当たり前とされるべき前提として捉えられている。
それに乗っ取るのなら、俺にだって権利を主張する権利があるはずだ。
そう、この――、
「ちんたらしてんなよ。早く歩け」
「――――」
奴隷として扱われる状況下で、人権を主張する権利が。
「か、カレーヌさん! ダメですよ乱暴にしちゃあ! ゆっくりじっくりコトコト羞恥心を煽らないと……!」
「ラミラミの最初の部分に賛成だよぉ。クズクズがグズグズになっちゃうよぉ」
「あ? もう既にグズグズの奴に何したってグズグズであることには変わりねぇだろ?」
「そんな卵にマヨネーズを掛けても論言われましても……」
「それに、こうでもしねぇと怪しまれちまう。ただでさえこっちは爆弾抱えてる……いや、引っ張ってんだ。余計な疑念を抱かれる余地は少なくするに越したこたぁねぇ」
不本意に定着したクズやらグズやらの呼び方には敢えてツッコまなかった。ツッコむ気力が依然として戻ってきていない。
――正確には卵とマヨネーズの組み合わせは王道なのだが、それを考慮に入れると今の不条理も許容されてしまいそうなので目を瞑っておく。
現在、俺はカレーヌの奴隷という設定で王城を散歩している。
無論ただの散歩では無い。一応二足歩行はさせてもらっているものの、所謂ペットとしての「お散歩」だ。――「お」が付くだけで受ける印象がガラリと変わるのだから、日本語は難しい。
ともあれその目的は、現役騎士三人の経験則と判断力と記憶力を総動員して高塔と王城の衛士の状況を把握し、最もリスクの少ない逃げ道を模索すること――つまりは視察だ。
それだけならば俺の存在は必要ないと思ったのだが、
『もし本番でバレちゃったら取り返しがつきませんからね。予行演習ですよ予行演習! 頑張りましょう、クズさん!』
とのことらしい。本番じゃなくてもバレたらまずくないか? とも思ったのだが、それを語るラミィの目があまりにもキラキラ輝いていたので、口に出すのは憚られた。
負の面のインパクトが多少……いやかなり大きかったからといって、ラミィが命の恩人心のオアシスであることに変わりはない。その点で言えば、未だに負の面が表面化していないアカネも同じくらいの位置にいる。
「そういや、名前聞いてなかったな。奴隷一号、名は」
「サエジマ・メブキです。断じてクズではありません」
「――ほー? なかなか良い名前持ってんじゃぁねぇか」
そんな急に褒められても困る。嬉しいが。
立ち止まり、両手を腰に当て俺の顔を覗き込んでくるカレーヌ。その顔には生温かい笑顔が貼り付けてあり、俺は先の言葉が褒め言葉ではないということを遅れて察した。粗雑で直球なイメージとは裏腹に、カレーヌは嫌味を履修していたのだ。
「……カレーヌさん、気をつけてください」
「敵か」
「いえ。『23、男性が念を押して否定する時、その否定した事象が真実である可能性が極めて高いと言い切りたい、とワシは思うておる』と、『ワ真実の法則』の目次に書いてあります。つまり、虚偽の申告の可能性が高いかと」
「そうか、つまりこいつの名前はクズってことだな」
神妙な面持ちでカレーヌに声を掛けたラミィは、いつの間にか取り出した本を開き、そう進言する。
カレーヌと同様、こちらも第一印象である無害天然のイメージに反した言動をとっている。天然は合っているのだが、その中でも無自覚に他人を傷付けてしまうタイプなのだろう。実際、ようやく解決の兆しが見えた呼び名問題が早くも悪い方へ固定化されようとしている。
「――。グズグズはぁ、きっとサエジマ・メブキさんになりたかったんだろ〜ねぇ」
「確かに、サエジマとやらが誰かは知らねぇが、英雄の名を騙ろうっつー愚か者は大勢いるしな」
「あ、それは正に『ワシの道は白髭に通ず』で著者が述べている名言『恩人に会ったらまず相手の額にマオウ様万歳と書き込む。これ即ち白髭維持の第一歩である』ってやつですね?」
「いやそれはただの変質者なのでは?」
「それに関しては同意だな」
「ですですぅ」
恐らく出会ってから初の意気投合に思わず歓喜の声を上げそうになるが、我慢。
なお、当人は「へ?」と素で困惑しているのでお察しである。内容が微妙にズレている所も俺的にはチャームポイントではある。
――内容からして執筆者はこの国……ガルジニスの国王であらせられるマオウ様らしいが、先の本名否定発言の引用元も恐らく同一人物だろう。この国の先を思うと頭が痛くなる伏線回収だ。絶対あの爺さん王様向いてない。
それからというもの、このような他愛もない話が続き、ついぞ災いは訪れず事前収集は終わった。当初はいつバレるかハラハラしたものだが、顔に着けさせられたモノのおかげか、話しかけられるのは決まって三人組のいずれかであった。世の中不思議なことが続くものだ。
と、ふと、気になった事があった。
「それにしてもこの――シャツ? 凄い効果ですね。何か隠蔽魔法とかが付与されてたりするんですか?」
「いえいえ、至って普通のマオウ様のお召し物ですが」
「ふーんそうかそうか、マオウ様のお召し物…………お召し物!?」
理解が追いつき、瞬時に全身の毛が逆立った。一目散にソレを脱ぎ捨てようとする。カレーヌに阻止された。
せめてもの抵抗で右手で摘み、下着から物理的な距離を置かせたソレは、なるほど確かにお召し物……というかボロ雑巾だ。見紛う余地のないほどボロ雑巾だ。本来は白かったであろう生地が見る影もないほど黒ずんでおり、その中心では「マ」――日本語に近似したそれがでかでかと存在を主張していた。
現実逃避するために直接的な表現は控えようとしたが、どう足掻いてもボロ雑巾だ。お召し物の皮を被ったボロ雑巾だ。受け取った際に目を瞑る根拠となっていた、「異世界の常識ではボロ雑巾以外の概念である」という淡い希望は、たった今ラミィによって絶望に変化した。
これは、ボロ雑巾もとい白髭ジジイの私服だ。
「は、お、おま、あ、頭おかしいんじゃねぇの!?」
「ふふ、マオウ様は綺麗好きなんですよ。脱いだ服で床掃除をしたり、脱いだ服で窓を拭いたり……そのため王室は常にピカピカなんです!」
「……綺麗好きで辞書引いてみてくれないか?」
「僕らはこの汚ぇもんを有効活用でき、てめぇは夢にまで見た脱獄に半歩進める。良いことづくめじゃねぇか」
「俺の自尊心は!? 俺の人としての尊厳は!?」
「そんなもん、あったのか? あんならちゃんと名前書いとけよ。失くしたら誰のか分かんねぇだろ」
「少なくとも属性バグ起こしてるお前にだけは言われたくねぇ!!」
そんな心からの叫びも虚しく、このままの様相で一行は歩みを続けてしまう。癒しのラミィに助けを求めるも、さも当然のような顔をしていると見受けられ、絶望する。アカネは頬を掻きながら苦笑い。真顔で応答するカレーヌの言葉からはからかい要素が微塵も感じられず、彼女の本音が心に突き刺さる。
これではただの変質者じゃないか。道理で誰もがドン引きした「うわぁ」顔で俺の存在を意図的に無視する訳だ。道行く人の顔にサインして回る変態こと国王と同列とか、笑えないだろ。
「因みに、あれで身分だけは高貴なんだ。もし、高貴な人間の私服を無断で身につけ、あまつさえ汚らわしいなどとのたまう人間があろうものなら……ははっ、一体どうなるんだろうなぁ。なぁ、クズ?」
「さ、さぁ……あ、あははー」
「『詰み』ってやつですね! クズさん!!」
「今回ばかりは否定できねぇ!」
暗に「分かってるよな?」と釘を刺してきたカレーヌにより、人としての尊厳を保持する道は絶たれた。道端のゴミ同然の扱いを受け、人権すら認められず、極めつけは人としての尊厳をも失う。
今の俺は、何なのだろうか。トイプードルのフンか。いや、それはトイプードル様に失礼だろう。この身の分際で犬様の排泄物を名乗ろうだなどとおこがましい。一時でも犬様の落し物を人からあぶれたナニカと同類と見なしてしまった自分を責めたい。
あぁ、天よ! 我に天罰を!!
「な、何してるんですか!?」
「天に罰を乞うてます」
「「「は?」」」
何故か三人に呆れ声を出させてしまった。こうも種族の差は拭えないものか。人と人ならざるモノ。どうやら価値観が少しズレているらしい。勿論人ならざるものは俺を指している。
そしてこの少しのズレこそが、人々の間で無用な争いを招いていくのだ。……今、俺はこの世の真理を悟った気がした。
「なんだかよく分っかんねぇけど、さっさと正気に戻れっ!」
「うぎゃいっ!?」
カレーヌの鋭すぎる蹴りで、目が覚めた。
何やってたんだ、何考えてたんだ、俺は……。人からあぶれた存在とか、いくら何でも思い詰めすぎだろ。
ただ、ちょっと思い出したくもない見た目(世界共通認識)の物体と呼称をごちゃごちゃにされたり、ちょっと奴隷として扱われたり、ちょっとおっさんの下着を顔に装着させられたりしただけだろ。
こんな些細な事でこうも悲観的になるなんて、どうしたんだ俺。なんだかおかしいぞ。
「そのばっちぃのをお前に着させたのは、何も後処理が面倒だからって理由だけじゃねぇ」
「そこは否定しないのな……」
「否定して何の意味がある? 嘘は良くねぇんだぞ」
柄にもなくまともなことを言うカレーヌにぐうの音も出ない。だが、ちゃんとした理由があるようで安心した。あの「うわぁ」顔も、異常者を見る目も、きっと何かの勘違い――、
「面白いことに、このばっちぃ布切れを着せると皆囚人料理を見たような目つきして道を開けるんだ!! うげぇってなぁ! こんな楽な方法、使わない手はねぇだろ?」
俺は、マオウと同列の変質者だった。




