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第84回 豊臣政権の影の主役

 というタイトルで、ほとんど気づかれたと思いますが。

 今回は、


 豊臣秀長(ひでなが)(1540~1591)


 について。

 そう、今年の大河ドラマ「豊臣兄弟」の主役。


 天下人てんかびととなった、豊臣秀吉を支えた、名参謀という位置づけで、作中でもそんな風に描かれてます。


 細かいところは、例によってWikipediaなどを見ていただけるといいと思うので、ここではそれ以外について。


 実は「秀長」と名乗ったのは、晩年になってからで、ほとんど「小一郎こいちろう長秀ながひで」と名乗っていました。ちなみに、兄・秀吉とは異父弟とも言われています。


 経歴的には、兄の秀吉に従って、織田信長に仕え、最初に彼が城持ちの武将になったのは、天正8年(1580年)、羽柴軍が但馬たじま国(現在の兵庫県北部)を攻略した後、但馬国7郡の約10万5千石と播磨はりま国(現在の兵庫県南部)2郡を与えられた時と言われています。


 秀長と言えば、晩年、大和国(現在の奈良県)の大和郡山(こおりやま)を与えられ、「大和大納言(だいなごん)」と呼ばれたのが有名ですが、これは天正13年(1585年)に秀吉が紀州(現在の和歌山県)を攻略した後のことで、実際にはせいぜい5、6年しか治めていません。


 ちなみに、秀長は政治的な実務能力が非常に高く、優秀で、兄を支え、「秀長が死んだことで、豊臣政権の終わりが始まった」とも言われています。


 しかし、実は調べてみると、興味深いことがあり、奈良市中に対して「ならかし(=奈良貸し)」と呼ばれる、かなり強引な高利貸行為が秀長の主導で行われ、彼の死後、大和郡山城には大量の金銀が残されていたというので、悪い言い方をすれば「領民から金を吸い上げていた」とも言えるわけで、決して彼が聖人君子のような政治的能力を持っていたわけではないことがわかります。


 秀長には、作中出てきたように「与一郎」という息子がいました。

 作中では、大胆にアレンジして、実の子になっていませんが、与一郎は実の子だったとか。


 ただ、この与一郎が早世します。


 秀長には、他に後に養子になる豊臣秀保(ひでやす)に嫁ぐ娘(名前不詳)と、後に毛利秀元に嫁ぐ娘(名はおきくと伝わる)がいましたが、男子はおらず、代わりに織田家重臣の丹羽長秀の三男を養子にもらい、彼が藤堂高虎の養子になり、藤堂高吉(たかよし)という武将になります。


 他に、秀長の姉・智と三好吉房(よしふさ)の子を養子にもらい、彼が豊臣秀保となりますが、文禄4年(1595年)に急死します。享年たったの17歳。しかも、秀長の兄・秀吉はその死を悼む姿勢を見せず、葬儀を隠密裏に済ませるよう命じたそうです。


 これには理由があり、秀保は『武徳編年集成』によると、「無双の悪人」であったとされ、罪もない庶民を殺害したり、猿沢池や法隆寺の池など殺生禁止の場所で網を投げて漁をし、捕った魚を食べたなどといった悪行をしていたとも言われていますが、これは江戸時代の資料なのであまり信ぴょう性がないとのこと。


 同時代の資料だと、『駒井日記』というのがあり、それによると秀保は単純に病気がちだったので、早く亡くなったらしいです。


 秀保には、子供がいなかったので、大和豊臣家の断絶を避けるため、秀保の死の直後に、秀吉は直ちに改易とはせずに、甥の秀次の息子の1人に大和豊臣家の後を継がせる方針だったらしいですが、それがいわゆる秀次事件によって行われることなく大和豊臣家は断絶に至ったと言われています。


 養子としては、もう一人いて、智勝院ちしょういん(名は岩と伝わる)という娘で、彼女は傾奇者かぶきものとして有名だった名古屋山三郎(さんざぶろう)の妹で、彼女が秀長の実子・羽柴与一郎の妻となりますが、与一郎の死後、秀長の養女となり、その後、森忠政に嫁いだと言われています。


 他に、天正16年(1588年)9月、秀長は長谷寺はせでら釣燈籠つりどうろうを寄進していて、そこには「和州大納言秀長公姫君三八女」と刻まれているそうです。


 ただ、この「三八女」(名はみや、またはみわと思われる)が、どの娘になるのか不明だそうです。


 ということで、実際に血縁には恵まれなかった、豊臣秀吉は最も信頼していた、弟の秀長を失ったことで、以降は坂道を転げ落ちるように転落していきます。


 晩年に側室の淀殿が生んだ、豊臣秀頼が跡を継ぎますが、実は秀頼の父は、秀吉ではなかったという説(=秀吉には似ても似つかず、大柄だったと伝わるため)まであり、また淀殿によって甘やかされて育ったのと、徳川家の勢いにはかなわず、結局、豊臣家は滅ぼされてしまいます。


 なお、豊臣家の血脈は、その秀頼の娘・天秀尼てんしゅうにに受け継がれますが、彼女は仏門に入り、子供がいなかったので、男子が途絶え、豊臣家は実質的に滅亡したと言われています。


 長々と語ってきましたが、今年の大河ドラマ「豊臣兄弟」。大胆なアレンジが興味深いですが、まあ例によって、「美化」しすぎな感じがするのと、「いや、ありえないだろ」と思うシーンは多々ありますね。


 昔に比べて、大河ドラマの質が落ちた気がします。


 まあ、私は戦国時代、好きなので、とりあえずは最後まで見ますが。

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