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第85回 戦国転職名人

 戦国ネタが続きますが。


 タイトルでわかった人は、戦国時代に詳しい人でしょう。


 藤堂(とうどう)高虎(たかとら)(1556~1630)


 が、今回の主役。


 今年の大河ドラマ「豊臣兄弟」では、佳久かくそうさんが演じられていますが、この人、かつて日本のプロ野球で活躍した、あの郭源治かくげんじさんの息子さんだと知って驚きました。


 プロ野球に詳しい人なら、ご存じの台湾出身で、中日ドラゴンズで1980~1990年代に活躍した名投手です。


 まあ、それはともかく、佳久創さんは、元・ラグビー選手で、身長が185㎝ある、大柄な人。

 藤堂高虎もまた、身長190㎝を越える、大男だったと伝わります。


 すごいのが、その転職歴。


 浅井長政から始まり、阿閉あつじ貞征さだまさ磯野いその員昌かずまさ、津田信澄(のぶずみ)、豊臣秀長、豊臣秀保(ひでやす)、豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光。


 計11人もの主君に仕えています。

 なお、阿閉貞征と磯野員昌は、浅井家の家臣。津田信澄は、織田信長の弟である信勝(のぶかつ)の息子なので、信長の甥に当たります。

 豊臣秀保は、秀吉の姉、智の子で、秀吉の甥。


 実は、「武士は二君に仕えず」という、概念が重視されたのは、江戸時代になってからで、戦国時代には、「有能な武将は自分を生かしてくれる主君に仕える」というのが割と当たり前だったらしいです。


 もっとも、若い頃の高虎は、作中でも描かれるように短気で、トラブルメーカーだったらしく、阿閉貞征に仕えるも、同僚が自分の指示に従わなかったため、彼らを殺害し浪人となったり、津田信澄に仕えた時も、加恩(いわゆる昇給)がなかったので、長続きしなかったとも言われています。


 ただ、高虎は幼い頃から武勇が抜群で、兄よりも背が高く、その兄が亡くなったため、藤堂家の家督を継ぎます。


 秀長の家来になってからは、豊臣政権の中で頭角を現し、色々なところで活躍。


 しかし、関ヶ原の戦いでは、秀吉が亡くなる直前から、一早く徳川家康に接近。


 関ヶ原の戦い後、その活躍が認められ、四国の宇和島(うわじま)城8万石の安堵の他、新たに今治(いまばり)城12万石が加増され、合計20万石となります。


 さらに、慶長13年(1608年)に伊賀上野藩主・筒井定次(さだつぐ)の改易と伊勢津藩主・富田とみた信高のぶたかの伊予宇和島藩への転封で、今治城周辺の越智おち郡2万石を飛び地として、伊賀国内10万石、並びに伊勢安濃(あのう)郡・一志いちし郡内10万石で計22万石に加増移封され、津藩主となります。


 この津藩が幕末まで藤堂家として続きます。


 高虎と言えば、「築城の名手」と言われ、江戸城改築に携わり、今治城、宇和島城、伊賀上野城、丹波亀山城、津城など生涯で20以上の城の縄張り(=設計)や築城・改修に携わったと言われています。


 また、面白いところだと、高虎は慶長19年(1614年)、伊賀郷士10名を「忍び衆」として登用し、上野城下に屋敷を与え、彼らを「下人」として諜報活動に使っていたとされています。


 丁度、伊賀がお膝元の土地を治めていたというのも関係しますが。


 そして、賤ヶ岳の七本槍の一人、加藤嘉明(よしあき)と対立していたというのも知られています。

 嘉明とは、朝鮮出兵の頃から対立し、嘉明が伊予松山藩を治めていて、隣国だったのもあり、激しく対立していたと言われています。


 後年、陸奥会津藩主の蒲生氏に後継ぎがいなく、改易された時、徳川秀忠は高虎に東北要衝の地である会津を守護させようとします。


 しかし高虎は「私は老齢で遠方の守りなどとてもできませぬ」と辞退します。秀忠は「では和泉(高虎)は誰がよいと思うか」と尋ねると、高虎は加藤嘉明を推挙したと言われています。


 高虎と嘉明は朝鮮出兵での論功行賞を巡って対立し、領国も隣り合わせで家臣らの間でも騒動が絶えなかったため、秀忠がこれについて案じますが、高虎は「嘉明とは、私事・公事は別である。会津は要衝なので、剛勇で技量の優れた嘉明らが適任だ」と答えています。


 寛永4年(1627年)2月、赴任中の嘉明は江戸の藤堂屋敷を訪ね、高虎に今までの無礼を詫び、これ以後、二人は懇意になったとも言われています。


 いずれにしろ、人情味がある人物で、徳川家康をはじめ、秀忠や家光からも信頼され、戦国時代としては長寿と言える、75歳(数え年)まで長生きしています。


 戦国時代では、真田幸村のように「家より名を残した」武将も数多くいますが、高虎は「家を残す」ことに成功し、藤堂家は明治維新まで続き、維新後は、華族の伯爵家に列したので、ある意味、「成功者」と言えるでしょう。

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